第19話 6人目・その2
教室に戻ると2人は窓に腰かけてこちらを見ていた。逆光で表情は見えないが、後ろ手に縛られていると気付かなければ、何人たりとも立ち入ることも、触れることもできない眩しい光景だ。そう思えるぐらいに美しかった。
『13歳では子供すぎるし、15歳はもはや子供ではない。14歳という存在そのものが奇跡だ』そんなふうに言った人がいるが、それは同世代にとっても同じだ。大人たちが俗にいう「中二病」は、そのありふれた奇跡のごく一部分でしかない。この麗しい2人とも別れが近いのかと思うとチクリと胸が痛んだ。
さっきの光景を思い出して一瞬教室に入るのを躊躇う。恋人から別れを告げられる直前ってこんな感じなのかなと思った。やってしまったからには最期まで尽くすと誓っている。だが、もしその前に突き放されてしまったら? 役割を果たせなくなる。もちろんこれが勝手な都合なのは分かっている。ついおどけてしまった。
「お姉さまがた、こちらは乙女の花園でしょうか。お仲間にいれてくださいませ」
「……良くってよ、お入りなさい」
書記ちゃんが川端メソッド*で返す。ああ、少女小説でちゃんと学んだんだろうな。本当の努力家だ。ホンモノの眼鏡っ子だ。
「日頃小さな胸を抱いてみしのび致しておりましたの。アテクシのようなものではご無礼なことではなくって?」
「ごめん、ついていけないんだけど」
ばっさり切られた。そうだろうな、お前は。
「ここは驚くところなんですが、なんとこれは昭和初期のレズビアンVtuber言葉です」
「??」
「病弱でデリケートで些細なことに心動かされるもの知らずなクソザコなバーチャルキャラを立てて、女の子同士で文通しあう文化があったんですよ、戦前に。『小さな胸』で『ボッチで淋しい』キャラが初期仕様です。ベースはテキスト。もちろん中の人などいません」
「お、おう」
思わず早口になった。
「その文体で『雪国』の川端康成が書いた『乙女の
「『乙女の
「守備はしません、いつだって攻めです」
書記ちゃんが顔を赤らめ、藤崎さんがそれを見て微妙な顔をする。
「ねえ、いいかげん、これ切ってくれない?」
その前に一言なんか無いんですか、と言いそうになって止めた。
「じゃあ一緒に切りましょうか。これが二人の初めての共同作業です」
「まあ、ずいぶん大きなケーキですね」
「だいぶ傷んで日持ちしなさそうですけど」
「誰がだ!」
「この辺から切りましょうか」
「ここなんてどうでしょう」
「ああ良いですね」
「オーイ、早く」
藤崎さんの後ろでふざけてはいたが、インシュロックが食い込み、すり傷がけっこう酷い。二人して顔を顰めた。腫れあがった手首のすき間にハサミをねじ込んだが硬くて切りにくい。切ろうとして、初めてその太さに驚かされた。加害者が未成年であろうとなかろうと、きわめて重い悪意に晒されていたことに改めて気付かされる。書記ちゃんの目からボロボロと涙が溢れ出すのが見えた。そういやあんた、こんな状態で何やらかしてたっけね…。
* * *
殺伐とした内心とは裏腹に、外の世界は平穏だった。誰もいない廊下は静まり返り、もう帰ったのか生徒会室も空だった。彼女は濡らしたハンカチやタオルで腫れを冷やしている。さっきインシュロックを切った直後、書記ちゃんを抱きしめてクンカクンカするかと思ったら、全力でトイレに駆けて行った。書記ちゃんは校内の自販機にお茶を買いに行った。つい最近導入されたばかりの災害対応型の自販機だ。明日から期末テストっていう日常は、はるか遠く、まだ遠くにある。
「で、お口直しはお済みで?」
「ねえ、さっきから口調が変だけどそんなに動揺してんの?」
「誤魔化されたし」
「してねえよ!」
書記ちゃんがお茶を手に戻って来た。少し躊躇ったが正直に答えた。
「――動揺、してますよ。すごく。人の悪意に脆いんです。自分に向けられる分にはどうにでもなるのに、周りを崩されるとどうしようもなく――怖い」
「だから悪意を自分に向けようと? さすがにドン引きだけど、よくあんなこと思いついたよね」
「微妙に悦んでいたのでダメですよ、アレ。いくら嫉妬させたって嫌悪感持たないと浄化されちゃってナンボにもなりません。もう許されちゃってますもん、俺」
書記ちゃんが話を聞いて恐る恐る尋ねる。彼女もまた悪意には敏感だ。
「あの、最後なんで笑ってたの?」
「どうにかして嫌悪感を持たせようと思って、お尻の穴に指突っ込んで『犯される側の恐怖』を与えたつもりなのにまったく嫌そうじゃ無くて。目を潤ませてて、産まれたての子犬かよって、もうお手上げ、の笑顔です」
「ひど! そんなことしてたんだ」
書記ちゃんが本気で驚いて笑っている。いや、ぜんぶ今思いついた適当な後付けだよ? 今言ったの。口だけで翻弄するつもりが的を射た事を言ってたりする場合もあるけど、あのとき俺は、いつ死ぬのかが楽しみで笑っていた。指摘されるまで気付かなかった。それはとても良くない傾向だ。二度とやってはならない。
「で、お口直しはこれから?」
「しつこい」
「久々に見たいんだけど」
「そこまで堕ちたか!」
「キスが?」
「え」
「え?」
耳まで赤くした藤崎さんに二の腕をガッツンガッツン殴られた。書記ちゃんは腹を抱えて笑っていた。もうこの部屋に3人で集まることもないんだろうなと思いながら俺も笑った。
このときせめて、相手を刺激するような言動は控えろと釘を刺しておくべきだった。
* * *
*私は勝手に「川端メソッド」と呼んでいますが、現在もなおロリババアなどで脈々と受け継がれる、いわゆる少女だけが使う文章上の口語体系や作法のことを指します。少女雑誌の巻末の文通欄で発生し使われていた「…ですわ」「…ですの」といった少女たちのみ言葉に一貫性を持たせて世間に広めたのは川端康成だと思っています。たとえ本人が書いてなかったとしても。
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます