第3話 新しい世界へ(完)
俺と同じ無精髭。
でも、彼の場合は清潔感があると思った。
「いやぁ、来て下さって本当にありがとうございます!ちょっと手狭ですが、どうぞどうぞ」
……少し年上かな。
それにしても物腰の柔らかい人だ。
顔も優しそうだし、何より本当に歓迎してくれているのが表情でわかる。
「ありがとうございます、突然お邪魔してしまって……すみません」
「何を言ってるんですか!三宅から聞いてますよ~、LAMPは全て対応できるとか?」
「まぁ、一応は……ですけど」
LAMPというのは、Linux、Apache、MySQL、PHP、またはPerlかPythonといった、現在人気のあるプログラミング言語の頭文字を取ったもので、作業環境の種類みたいなものだ。会社によって作業環境も変わるので、当然、多くの言語に対応できることが望ましい。
「凄い!パケット通信周りにも精通してると聞いてますが……?」
「あ、それは……趣味の範囲です、実務は経験してません」
「それでも知識は持たれているわけですよね?」
「あまり自信はありませんが……基本的なことならカバー出来ていると思います」
「素晴らしい!で、いつから来ていただけますか⁉」
「へ……?」
「ちょ、ちょ、寺島さん、急すぎますって、ほら、仲島さん引いちゃってますし」
三宅君が横から入ってきた。
「あ……ごめんごめん、つい、悪い癖が出ちゃったよ」
「ホントですよ、だって自己紹介もまだですし」
「え?あれぇ⁉まだ名乗ってなかったですか⁉」
寺島さんは驚いたように目をパチパチさせた。
「え、ええ……でも、私もまだですし……」
「ははは!いやー、申し訳ございません、では改めて……オホン!ホワイトタイガー社の代表をしております寺島といいます、どうぞよろしくお願いします!」
「あ、じゃあ僕も……改めて、仲島と申します、三宅君からの紹介でお邪魔させて頂きました……よろしくお願いします」
お互いに椅子に座ったまま頭を下げた。
「さて、自己紹介も終わったことですし……いつから来て頂けますか?」
「寺島さ~ん、僕の話聞いてましたぁ?」
三宅君が半笑いで突っ込む。
「三宅、こんな人材、みすみす俺が逃がすわけないだろ?さ、仲島さん、条件詰めちゃいましょうか?年俸はどのくらいで考えてらっしゃいますか?」
「え、いや……その……」
答えあぐねていると、寺島さんは突然何か考え込むように黙ってしまった。
「……」
俺は三宅君と顔を見合わせた。
三宅君も「さぁ」と肩を竦めて見せる。
何だろう……何か気に障ったのかな。
「わかりました、少し急ぎすぎましたね。よし、プレゼンしましょう。えっと、なぜ私がこれほど積極的にアプローチをするかと言いますと……まず第一に、仲島さんのスキル、第二に、仲島さんの年齢を含めた将来性、そして最後は……フィーリングです!」
「フィーリング?」
「フィーリングも意外と馬鹿にできないですよ?私は、いや、私たちは、自分達と合わない人とは仕事をしません、というか、する必要もありません」
「どういう……ことですか?」
「営利目的な組織である以上、仕事をして対価を頂く。これは当然です。ですが、私たちは対価を頂く相手を選びます。言い換えれば、選べるだけの強みを持っている組織ですね」
「それは凄いですね……」
うーん、プロ集団ってことかな?
まあ、確かに三宅君も、何処でも通用するスキルを持っているもんなぁ。
「あの、仲島さんは鈍感系主人公ですか?」
「へ?」
「あ、いや、言っておきますが、私はアプローチする相手も選びますよ?」
「いやー、かなり基準が高そうですね……僕には無理かな」
寺島さんは「マジ?」と三宅君の顔を見た。
三宅君は逃げるように「僕、コーヒー淹れてきます」とその場を離れた。
やっぱり、もう一度……派遣会社に相談してみようかな。
希望時給を下げれば早めに見つかるかも知れないし……。
「仲島さん」
「え?」
顔を上げると、寺島さんが心配そうな目を向けていた。
「誤解を恐れずに言いますが……あなた重傷ですよ。周りが見えなくなってる。恐らく私の言葉もそのまま受け取ってないでしょ?悪いように曲解してるはずです」
「いや、そんな……」
「現にあなたは自分の市場価値をまるでわかってない。正直、フリーランスで十分独立できるレベルですよ?三宅から時給を聞いて驚きました、私ならその十倍は出します、それでも少ないくらいだ」
「え⁉いや、そ、そんな、僕は独学ですし……」
「いやいや、独学でそのレベルに行けるなら、学校なんて通う必要ありませんよ」
コーヒーを持って戻ってきた三宅君が横から言った。
「はい、どうぞ、ちょっと二人とも休憩しましょう」
「あ、ありがとう」
「悪いな三宅、お前こういうとこホント、バランスいいよなー?」
「そうですか?ちなみに大学時代のあだ名は『ミスターアベレージ』でしたけど」
「はは、なんだよそれ?」
「アレのサイズが全国平均と同じだからって」
「ぷはっ、あははは!」
俺は気付くと自然に笑っていた。
* * *
仲島が帰った後、三宅と寺島がバーで飲んでいた。
「どうでした?僕は好きなんですよねぇー、仲島さん」
「へぇ、どこが好きなんだ?」
「あの人の指示書とか、教え方とか、全部相手の事を考えてるなってわかるんですよ。普通、あの環境なら腐りますよ?それなのに仲島さんはITアレルギーの団塊連中にもどうにか通じるような言葉を選んだり、資料を作ったりするんすよ。とてもじゃないけど……あれは自分にはできないなって」
「そういう性格だから……余計に危うい、か」
寺島はソルティドックに口を付け、小さく息を吐いた。
「なんとかなりません?寺島パワーで」
「まあ、動くよ。簡単に諦めないのが、俺の取り柄だからな」
「そうこなくっちゃ」
三宅はにっこり笑って、寺島とグラスを合わせた。
俺と寺島さんの向かい側に、金子部長と新田係長が並んで座っている。
「大体、お宅は何なんだ?突然押しかけてパワハラだのなんだの、脅迫でもするつもりか?」
「ははは、そんなわけないじゃないですか。ただ、事実を述べているだけですよ」
「何だと⁉」
「何でしょう?」
金子部長の圧をものともせずに、寺島さんは涼しい顔で淡々と状況証拠やら証言やら、それにどこから探して来たのか俺の勤怠記録やICレコーダーまでテーブルに並べていく。
新田係長はその様子を見ながら、青ざめた顔で額の汗をしきりにハンカチで押さえている。
「こ、こんなものをどうやって⁉貴様、これは問題だぞ!」
「どれも善意で提供されたものです。もちろん裁判での証言も含め、協力を約束をしていただいた上でです」
「裁判だと⁉」
「か、金子部長、一旦法務に相談しては……」
新田係長の方が冷静なようだ。
「おい、新田……今、俺が話してるよな?」
「あ、はい!失礼しました!」
うわー、何か負の連鎖を感じる。
こうやってパワハラが受け継がれていくのかな。
「くくく」
寺島さんが笑い声を漏らした。
「き、君!何がおかしいんだ!」
「そりゃ笑いますって、パワハラで訴えられそうだってのに、目の前でパワハラが始まるとか」
「良い度胸してんじゃねぇか……」
「お、もう取り繕うことも辞めたのですか?」
「この……ふざけてんのかてめぇ!」
金子部長が怒号と共にテーブルを殴った。
「ひっ⁉て、寺島さん……」
「はい、いただきましたー、うん、綺麗に録音されてますね」
寺島さんがICレコーダーを再生した。
『この……ふざけてんのかてめぇ!バンッ!』
室内に緊迫した空気が満ちる。
「ま、まあ、良く考えてみれば、確かに俺にも非があるな」
「わ、私も、仲島くんに対しては反省すべき言動があったと……」
急に手のひらを返したように、二人はもごもごと言い訳を始めた。
寺島さんは真顔で「あ、そう」と言った後、冷たい声を放つ。
「私が来た時点で、今更何を言おうが訴訟は免れないものだと思って下さい。これらの資料は全て裁判に証拠として提出しますし、こちらは一切譲歩するつもりはありません」
「……ぐ」
「では、これより仲島さんに直接連絡を取ることはお断りいたします、必ず弁護士を通してください。未払いの賃金、慰謝料については別途我が社の顧問弁護士から連絡させますので」
「い、慰謝料だと⁉」
金子部長の一言に、寺島さんが初めてキレた。
「当たり前だろうが、あんたは支払って当然のことをしたんだよ!」
ビクッと肩を震わせる金子部長。
怒鳴るのは慣れていても、怒鳴られるのは慣れていないようだ。
あの部長が小さくなって、唇を震わせているなんて……。
「て、寺島さん、もういいです」
「すみません、つい……では行きましょうか?」
「はい」
席を立ち、会議室を出る直前、寺島さんが二人に振り返って言った。
「あー、そうそう、忘れてました。最近、高級外車を買われてますよね、金子さん?ハイエナ商事の給料じゃ手が届かないと思うんですが……」
「な、お、お前に……関係ないだろう!」
「ええ、ただ……知人にハイエナ商事と取引のある業者がいましてね。キックバックは程ほどにしておいた方が身のためですよ?って、ああ、もう遅いか……失礼」
「お、おい!待て!おい!」
田中部長の呼び声を無視して、寺島さんは「行きましょう」と会議室を出た。
廊下を歩きながら「あの、キックバックって……」と訊ねると、
「まあ、こういう古い慣習が残ってる会社の役職は、大抵やってるんですよ」と笑った。
「え、じゃあ……知人って……」
「嘘ですよ、あのくらい言っとけば大丈夫でしょう、これでもまだ何かしようとするなら、本当に追い込めばいいんです、何も怖いことなんてありませんよ」
「さ、さすがですね……」
「はい、社員を守るのが私の仕事ですからね」
「寺島さん……本当にありがとうございます!」
「いえ、これから仲島さんにはバリバリ稼いで貰いますから、安いもんですよ」
そう言って寺島さんは、冗談っぽくおどけて見せた。
* * *
レコード針が流れる音。
水の中に潜っているような音。
うーん、やっぱり遠くで雨が降っているような音。
真新しいサーバールームで、俺は最終チェックを行っていた。
「仲島さん、こっちはオッケーです」
「うん、ありがとう、じゃあこれで納品だね」
仕事が終わり、三宅君がバーで軽く飲んでいきませんかと言うので、喜んでOKした。
「へぇ、感じの良い店だね」
「でしょ?穴場です」
二人でカウンターに座る。
「じゃあ、ジントニックを」
「お、洒落てますねぇー、僕はスプモーニをください」
「かしこまりました」
ダンディなバーテンダーが小さく会釈をした。
「あ、聞きました?ハイエナ商事、業績悪化で身売りが始まったみたいですよ」
「え、そうなの?」
「本社ビルも売りに出てるみたいです」
「えー、あの屋上好きだったのに」
「ははは、確かにあの屋上だけは良かったですね」
「三宅君……本当にありがとう。あの時、君が誘ってくれなかったら、俺死んでたよ」
「死んでたでしょうねぇ」
「ちょ、酷いなぁー」
「だって、仲島さん、ホントに死にかけでしたもん」
三宅君が悪戯っぽく笑う。
「どうぞ」
スッとバーテンダーがカクテルを差し出す。
三宅君はグラスを持ち、
「何に乾杯します?」と俺を見た。
「……思ったより多かった慰謝料に?」
「あはは!そりゃいいですね」
「じゃあ、慰謝料に」
「……慰謝料に」
「「ぷははは!」」
俺達は二人で笑った後、軽くグラスを合わせた。
「目上の人間の前ではマスクを取れ!」ク○団塊上司にパワハラされた派遣SE、辞表を叩き付けホワイト企業へ! 雉子鳥 幸太郎 @kijitori
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