第2話 限界

お茶を片手に会社の屋上にある休憩スペースに行き、ベンチに腰を下ろした。


「ふ~……」


この会社でいいなと思ったのは、この休憩スペースだけだ。

禁煙ブームの流れを受けて、この会社でも社内で吸うのは御法度となったらしい。

ただ、役員室と社長室は喫煙可能というわけのわからない状況だ。


屋上は結構広く、数人の愛煙家達がぽつんぽつんと休憩を取っているのが見える。

空を見上げ、俺は流れる雲を眺めた。


このままでいいのかな……。


「仲島さん、ここでしたか」

「ん?あぁ、三宅君も休憩?」


「はい、ていうか……仲島さん眠れてます?酷い顔してますよ?」

「そうか?昨日遅かったからかな……ははは……」


「……ちょっと今、お話してもいいですか?」

「俺……?あ、ああ、もちろん」


三宅君は辺りを警戒するように見渡した後、俺の隣に座って顔を近づけた。


「あの、聞きました、金子部長の件。ヤバくないですか?」

「あー、もう噂になってんだ……はは、参るよな」


ササッともう一度周りを見渡して、三宅君は身体を俺の方に向けた。


「実は仲島さんにお話があるんです」

「改まって言われると……何か怖いな」


「いやいや、絵とか化粧品の話じゃないんで安心してください」

「それはわかってるけどさ」


「実は……僕の知り合いが立ち上げたITベンチャーが、かなり上手く行ってるみたいなんです。それで、ここの話をしてたんですよ。いまどき決裁にハンコ二桁だって」

「それは大袈裟……でもないね」と、俺は苦笑する。


「それでサーバー運用の話になって……あ、もちろん守秘義務は守ってますよ?その時に仲島さんの話をしたら、ぜひ会ってみたいって言ってるんです」

「え?俺⁉」


「はい、仲島さんみたいなエンジニア、この会社には勿体ないですし、正直、宝の持ち腐れですよ。僕も近いうちに辞めるつもりですし、一度顔合わせしませんか?」


凄いな……若いのに人脈も行動力もあるのか。

いや、年は関係ないな、三宅君は入社してきた時から有能だったし。


「……ちょっと考えさせてもらってもいい?いま、ちょっと頭が回らなくてね」

「もちろんです。あ、ちなみに僕はもう辞表出してあるので」

三宅君は爽やかな笑顔で言うと、屋上を後にした。


「はぁ~……」


素直に信じたら、痛い目見るかな?

ITベンチャーだなんて……そんなキラキラした会社が俺を雇うわけがないか。


俺はベンチに凭れて、空を見上げた。

雲一つ無い快晴だった。


――次の日。

俺は前々から早く使えとせっつかれていた有給を消化している。

使え使えと言う割に、纏まとめては取らせてくれない不思議……。


しかし、平日の昼間に街を歩いていると、何だか不思議な高揚感があるな。

商店街をあてもなくぶらぶらしていると、スマホが震えた。


「ん?」


見ると、そこには会社の名前が表示されていた。


え、何で会社から……。


嫌な予感しかしなかった。

サッと血の気が引き、首筋が強ばる。


特に何もトラブルなど無かったはずだが……。

考えを巡らせている間にも、手の中でスマホは早く取れと震え続けている。


俺は……恐る恐る通話をタップした。


「はい……」

「おい!仲島ぁ!お前システムが使えねぇぞ、何をやったんだ!」


「――⁉」

思わず耳からスマホを離した。


この怒鳴り声は金子部長……⁉


「え……いや、ちょっと待ってください、僕、今日は有給消化中で……」

「あ?何を舐めたこと言ってんだ!お前がリーダーだろ!早く何とかしろ!」


そんな無茶苦茶な……。


「えっと、申し訳無いのですが三宅君はいますか?現状を確認します」

「おい、仲島ぁ~、お前状況わかってんの?いいから来い!今すぐだぞ!」

「ちょ……」


一方的に通話を切られてしまった。

こういうのドラマで見たことがあるなぁ……。


行き交う人達のど真ん中で、俺はしばらく呆然とスマホを眺めていた。



* * *



サーバールームに入り、

「お疲れ様です、現状説明お願いします」と声をかけた。

「あれ……仲島さん?今日、有休でしたよね?」

三宅君が小首を傾げた。


「ああ、金子部長から連絡があってね。で、障害の程度は?」

「え?いや、定期メンテで30分ほどシステムは止めましたけど……特にトラブルは起きてませんよ?」

「……」

「もしかして、呼び出されたんですか⁉」

俺は無言で小さく頷いた。


「そ、そんなぁ……」

「まぁ、何事も無かったんなら良かった、安心したよ……じゃあ、俺は帰るね」


そう言って帰ろうとすると、三宅君に呼び止められた。


「仲島さん!もうこれ以上この会社に関わらない方が良いです!早退しますから、この後、僕の知り合いと話をしてみませんか⁉」


何でこんなに真剣な顔をして……そんなに俺の事が心配なのかな?

それとも、紹介料でも入るのか……。


「い、いや、早退だなんて……」

「何を言ってるんですか!ご自分の顔を良く見て下さい!」

三宅君がサーバーケースのガラスに映った俺を指さす。


見るとそこには、自分の記憶の中の顔と違う別人がいた。

酷い隈、落ちた瞼、肌は荒れ、髪は手入れもせずボサボサ……。


「え……これが、俺……?」

「やっとわかりましたか?仲島さん、一緒に来てくれますね?」


三宅君の顔があふれ出る涙で歪んだ。


「あ、あれ……変だな……ははは」

嗚咽が止まらない。


「おかしいな……あれ?」

止まる気配のない涙に戸惑う。



「……ごめん、ごめん、へへへ」



ただ、今まで溜まっていた何かが。



気付かないふりをしていた何かが――。



「あれ?止まらないや……なんだこれ」



堰を切ってあふれ出てくる何かが、俺の涙腺から出ていくのを感じていた。



三宅君がそっとティッシュをくれる。


「大丈夫です、仲島さん。今日で全部終わります」


俺は頷くので精一杯だった――。

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