終 悪い癖 

 自首をした後日。

 僕は灰色の服を着て、無機質な箱の中で取り調べを受けていた。

「晴美さんにはネコを、男には晴美さんを殺すよう、けしかけました」

 首筋に手がのびるが、それを抑えることはしない。目の前の老けた刑事が酷い形相で僕を睨む。

「仮にお前が三隅だったとしても、その男は、動機はお前にけしかけられたからではないと言っている。二人分の犯行証拠も、動機もある。そろそろ現実に戻ってこい。高木」

「いえ、私は彼に個人的な怨恨えんこんがあり、入社した時から彼のことが――」

「いい加減にするんだ!お前は身内と他人からの犯行に同時に巻き込まれ、それを三隅によるものだと勘違いし、復讐に及んだ。けど、事実は違ったんだよ!」

 僕はそんな戯言ざれごとを吹く刑事に何か言ってやろうとして、思いついたことを言った。

「そうだ。奴には、嘘をつくと首筋をかく癖があります。それが、奴が犯人である証拠です」

「お前が三隅なんじゃなかったのか。奴って言うと、その高木に癖があるのか」

「…………」

 なんだか気分が悪くなって、僕は黙り込んだ。

「要するに、都合のいい解釈をするための演技、思い込みに過ぎなかったわけだ。教えておいてやると、三隅はもうその癖を治してたそうだ。最近首をかいていたのは、首を虫に刺されていたからだと。肌が弱くて、夏になると大体首に出るらしい」

「…………ッチ」

 あぁ、イライラする。

「このままじゃ、お前は刑務所から出たあと、病院で一生を終えることになる。すぐに認めた方が、お前のためでもあるぞ。天国の嫁さんにも、まだ申し訳が立つんじゃないか」

「いえ、私は三隅 博次です。ここを出たら、高木も殺す予定です。高木だけは、私が直接、誰も使わずにこの手で殺します。そう計画してきました。しかし、この癖が災いし――」

 それから、刑事の心を動かすべく展開された僕の弁明は、途切れることなく夜まで続いた。



 ・

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 ――妻、三隅 ひとみと、飼っていた猫のクロが殺された事件から、十六年が経った。

 あれからこの会社に勤めている間、彼の噂を聞いたことはない。確かに、彼は不運だった。最近になって、ようやくそう思えるようになった。あんな事件に巻き込まれれば、誰だっておかしくなる。私の癖も、誤解を招くキッカケになった。私に何の罪も無かったのかと言われれば、きっとそうではない。

 あの事件の後、積極的に私をケアしてくれた女性と入籍した。あらゆる事が、彼との繋がりをほどきつつある。彼を忘れるわけではない。ただ、私は前に進んでいる。それだけだ。いずれ、完治した彼にも会ってやりたいと思うくらいである。

 今日は、新入社員に関する書類が課にまわってきた。人員を束ねる立場となった今では、これらを確認する作業は、仕事を円滑に進める上でたいへん重要である。

 新入社員に関しての、証明写真付きの書類に目を通していくと、一人、気になる人物がいた。

 『三隅 博次』。まったく同姓同名の人物だ。一瞬がチラついたが、経歴は違うし、顔も新入社員とあって若々しい。彼がもし本当に自分を偽って来たとしても、ここまでの偽装は不可能だろう。

 実際会った新入社員は皆、初々しかった。自己紹介を噛んで赤面する者もいれば、見るからに自信に溢れた好青年もいた。誰を見ても、将来が期待できそうな明るい人材ばかりである。

 しかし、一人だけ毛色の違う者を見つけた。やはり、あの三隅という青年だ。彼は自分の話をしている間、ずっと首筋に手をのばしていた。かくことはしていなかったが、必死にかこうとするのを抑えているように見えた。

 どうしても胸のざわめきが抑えられず、彼に何もなかったとしても、その疑念を晴らしてやるべきだと思い、紹介の後、自分のデスクへ呼びつけた。

「三隅君。君の首をかく癖は、いつ頃からなんだ」

「小学校の低学年頃からです」

 そう答えた時、彼は首をかかなかった。

「嘘をつくと、かきたくなるのか」

「いいえ」

 と、すぐに手は首にのびる。これはどう考えても、かつての私と同じだ。とすれば、最悪の可能性が皆無ではなくなってくる。こいつが本当に三隅なのか、もしくは……。

 しかし、その質問をする勇気が出ない。けれど、明らかにしなければならない。私の新たな身内に、また危害を加えられる可能性を、今の内に否定できるのなら、しておくに越したことなどないのだから。

「では君は、まさかとは思うが……」

「はい。なんでしょうか」

「…………」

 まだ踏ん切りがつかない。

「何でもお申し付け下さい。仕事でしょうか。何でも任せてください」

 あまりに綺麗に彼が笑うので、なんだか自分の猜疑心さいぎしんが恥ずかしくなって、毒気も抜けてしまった。

「君は、高木ではないよな? 」

 笑って聞いた。

 三隅の手も動かない。

 当然だ。彼が外の世界に出てくることはあり得るとしても、彼が、名字も名前も容姿も偽って、私のいる会社に再び入社してくるわけがない。できるわけがない。

 これは出世して、変に保身的になってしまった私の、考えすぎに他ならなかったのだ。

 私はもう、彼が高木ではないと安堵して、別の作業を始めていたため、彼の方を見ていなかった。

「いいえ、それはどなたですか?」

 だが、その返事が聞けた時、安堵がさらに助長された。

 作業を止め、そのまま立ち上がる。

「これからよろしく」という思いも込め、握手をしようと手を出して顔をあげた。

 その時、私はこの目で、皮膚を継ぎ接いだような不自然な笑顔と、首筋から伸びてきた右手を見たのである。





◇ 終わり

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悪い癖 Higasayama @Monogatarino_Mori

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