4

 ペレストロイカを後にし、イツキと若葉は路地を出た。変わらぬ五月雨、静かに降っていた。

 近くのコインパーキングまでの短い道。

 

「……」


 蓮谷が、立っていた。まだ勝敗も知らないのだろう。

 何も変わらずにいた。


「随分と時間がかかったな」


 蓮谷が言った。


「……あぁ」


「時間を稼いで何になる? 何の解決にもならない。お前はガキどもを守りきれやしないんだからな」


 勝敗は知らずとも、予定通りではない事くらい分かっているだろう。二十四時間もかかっている。


 蓮谷は一度は家に戻ったが、雨が降り始めるのを見て再びここへ来た。

 わざわざ三菅の分の傘を持ってきている。


「……殺した」


「は?」


 イツキが、顔を上げて蓮谷に眼を向けた。


「三菅は、殺した。だからゲームは俺の勝ちで、あんたとの約束は守っていない」


「……! ……ハッタリ、か? 意味のない嘘だ」


 ペレストロイカには死のリスクがあるとは知っていた。が、ただのコインフリッピング。命を賭けたゲームではない。

 しかし実際、三菅はまだ姿を見せていない。この少年が冗談を言っているようにも見えない。


「見に行けばいい、すぐにわかる。別にここでずっと待っていてもいいが……」


「……」


 蓮谷は少し青褪めて、持っていた三菅の分の傘をイツキに向けた。


「嘘なんだろ? テメェ……」


 イツキのその左眼は本気のままだった。

 すぐバレる不利益な嘘は吐かない。殺してないのに殺したとは言わない。逆ならまだしも。

 だとしたら少年はただの“ガキ”じゃない。“こっち側”の人間、或いはもっと深い底を這う泥虫。


「見に行けばわかる、と言った」


 イツキは向けられた傘を掴み、暫時蓮谷と睨み合った。

 蓮谷はイツキから、嘘のない本気の感情と、まだ未発達で形の整っていない狂気を見た。

 イツキは、蓮谷の両眼からは何も読み取れない。他人の心理を読み取るのは苦手だった。


 やがて蓮谷は手を離し、路地へと向かった。

 去っていく無防備な背中は、いつでも刺せそうにも見えた。

 凶器の一つでもあれば。




「若葉」


「はい」


 イツキは蓮谷の残した傘を、若葉に渡した。


「帰るよ」


「イツキ様、傘は貴方がお使い下さい」


「いいよ、雨、弱いから」


 イツキは歩き始めていた。

 蓮谷がペレストロイカ内の三菅の死骸を見つけるまでは、組織とやらに勝敗の結果は伝わらないだろう。

 イツキと若葉が孤児院施設に戻る時間を、多少なりとも稼げる。このまま組織が崩壊してしまえばより安全だ、と、イツキは思っていた。


「イツキ様」


 若葉は尚も、イツキに傘を渡そうとする。

 イツキは受け取らない。若葉を背にして歩き続けていた。


「……」


 返事もせず。


「風邪でもひかれたら困ります」


「……あんたには関係ない。運営は、病死すらリッターのせいにするのか?」


「話が飛躍し過ぎです、その前に看病する事になります」


「いいよ、しなくて」


「琴乃様が、ですよ」


 そう言われて、ようやくイツキは歩みを止めた。

 既に追いついていた若葉の差す傘の下で、自分より少し背の高い彼女を見上げた。

 左眼を向けて。

 そしてすぐに逸らして。


「…………そう、だけどさ……」


 小さくそう言った。

 それは蓮谷へ向けた眼とは違う、少し惑いの残る、年齢相応か或いはそれ以下の幼い眼。

 小さな擦り傷を母親に伝える事を躊躇うような、意地と反抗心と気遣いを持つ何処にでもいる普通の17歳。

 まるで、普通の――


 ――この少年は。


 その眼に言葉を忘れ、俄に空いた若葉の脳のリソースを非論理的な直感が埋める。


 ――きっと些細な事で、容易く死んでしまう。


 その直感は消せない。

 だから護らなければならない。常にこの少年を、最優先に意識して。






 午後五時前に雨は止んだ。

 丁度その頃、イツキと若葉は施設に帰ってきた。


 イツキは風呂場の脱衣所の洗面台で、顔を洗った。

 落ちる水に少し、赤い血が混じっていた。


(……三菅は、殺される程の人間だったのだろうか)


 イツキが自分で手を下したわけではないが、“そう”と確信して死に追いやった。

 三菅はきっと悪人だったのだろうが、罪状はルールの不備。


(死んでも……殺されても、きっと警察が動いたりはしない……この施設の子供達のように……)


「イツキ様、お体が冷えてしまいます。まずはバスルームへ」


 部屋に戻ろうと振り返ると、若葉がそこにいた。道を塞いでいる。


「このままでは風邪を召されます故」


「……わかってる」


 イツキはもう何も言い返せない。

 反論していけばやがて琴乃が引き合いに出され、イツキはそれに弱い。


「制服もお脱ぎ下さい。クリーニングに出します故」


「若葉も……濡れてる」


「……? 私、ですか?」


「あんたの服も濡れてるし、身体も冷えてる。だから、先に風呂に入ったらいい」


「私は平気です。鍛えてますから。貴方がバスルームへ」


「あんたが風邪引いたら俺を護衛出来ないだろう? 俺が看病してやるが、立場が逆になるな」


「しかし……」


 言い淀んだ若葉を見て、冷や汗をかきながらもイツキは少し頬が緩んだ。

 それが若葉の癪に障る。護衛対象で年下で未成年の相手に、主導権を渡したくはない。


「イツキ様、私は貴方から目を離し休憩を取るわけにはいかないのです。深夜にシャワーでも浴びれば充分ですから」


「シャワーだっていうならたかが10分程度、室内なんだしそこまで気を張らなくたっていいだろう?」


「しかしイツキ様、貴方先日、私がトイレに行った隙に外に行きましたよね?」


「うっ……」


 数日前の雨の日、唯花に傘を届ける時。

 小学校にまで若葉に着いてこられるのも煩わしく、彼女がトイレに行った隙を見て外に出た。

 若葉はそれを根に持っているようだった。


「また同じ事されては困るのです」


「い、いやそれは……もうしないって言っただろ……」


「えぇ。次同じ事をすれば今度はトイレにも一緒に入ってもらいますから」


「……」


 イツキが言葉に詰まり、今度は若葉が少しほくそ笑む。

 ここで一気呵成に攻め立て「敵わない相手」だと思わせれば、これからの主導権を握れる。


「……そうですねイツキ様、ならばトイレは許しますが、お風呂は一緒に入りましょう。それで解決です」


「え?」


 止める間もなく、若葉が上着を脱ぎ始めた。 

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Perestroika-169 小駒みつと&SHIMEJI STUDIO @17i

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