3
長兄の殺害は、蓮谷に後悔を齎した。
葬儀の場。先代ボスはその日、人目憚らず泣いていた。
敵対組織はもちろん警察や政治家にすらも決して退かないような男が、弱々しく涙なんかを流していた。
蓮谷には理解出来ない感覚だが、どんなにグズな息子でも息子は息子だったらしい。
やがてその先代ボスも病で死んだ。晩年は酷い痴呆で次兄の顔も忘れていた。
そして今、蓮谷は先代ボスの次男・三菅政人に従っている。
次男も大概クズで愚かで愚鈍な人間だが、長兄よりは話が通る。自分が完全に補佐しその全てを補い組織を維持すれば何も問題はない。
それこそもう、本当の息子のように接すればそれでいい。
それは死んだ先代ボスへの、贖罪の意も含んでいた。
―――――――
――24時間が経過した。
「おい、待てよ……冗談だろ……?」
モデレーターがリボルバー拳銃を取り出し、三菅に向けた。
機械的な動きだった。ネジと歯車で動く鉄人形にも見えた。
「規約違反で粛清します」
その声も無機的だった。
ルールの不備を突かれただけで撃たれるのであれば、異常に厳しい措置。例外措置でもあるのかともイツキは思っていたが、そんな甘くはなかった。
ここは地下だった。神はいない。だから慈悲もない。
しかしそれならば敢えて“粛清”と表現する理由が分からない。
規約を作ったミハイルの事であるから、特に意味などないのかもしれないが――
ペレストロイカ同志規約5-①
・不正行為は、その対戦相手がモデレーターに宣告した時点で発覚とする。また、それには立証を必要とする。
もし――
(俺が今、『ゲームのルールが規約に反している、不正行為だ』とでもモデレーターに告げたのなら……)
そうすれば“ゲーム”として勝敗決定となり、粛清対象から外される……かもしれない。
違うかもしれない。
よくわからない。
まだ眠い。
試したいとも、思わない。
いつまで経っても勝敗が決しなければペレストロイカが長時間占有される。それで問題が起こる事も稀だろうが、有り得ない事でもない。
違反者に銃を向ける行為も“粛清”の内ならば、この時点で不正行為だと言えば引き金を引かずに銃を戻し、“殺害”には至らない可能性もある。
(って、事でいいのかな……)
そこまで思考は及んだものの、確信が持てない。曖昧なものに金は賭けられない。
「やめろ! やめろ馬鹿! なんでだよ!」
そう叫んで、三菅は立ち上がった。
背後の拷問部屋から数人のモデレーターが出てきたのを感じ取り、馬鹿な三菅も危険を悟った様子だった。
三菅は慌てた様子で舞台上をうろつき、銃を構えたモデレーターは狙いを定められずにいた。他のモデレーター達が三菅を捕まえるのを待っている。
「な、なんで……くそっ!」
逃げ場を見つけられない三菅は、観客席に飛び降りた。
十数人いた観客達は若干驚いたようであるが、案外安穏ともしている。まるで“観客である自分は絶対に安全”だと信じているような、映画か演劇でも見ているかの様な、何処かリアルさに欠けた驚きと落ち着き。
三菅は観客席を走り回り出口を見つけたが、当然、扉は堅く閉ざされ開かない。
(元気だな……)
イツキは思った。
三菅はこの24時間、喋りも動きもしないイツキに対しあーだこーだと喚き続け、椅子を蹴ったりモデレーターに突っかかったりしていた。
床に寝転がって多少は寝たようだが短い時間ですぐに起き、また落ち着きなく舞台上を歩き回ったりした。
それでもまだ疲れを見せず、元気に走り回っている。
相変わらず気怠そうに座っていたイツキが予想外だと感じたのは、銃を持ったモデレーターの動き。
三菅が観客席に降りてからは、狙いを定めるのかそうでないのか、動きがはっきりとしない。戸惑いが見える。
(……観客を傷つけたくないのか……モデレーターたちの規約の中に、“観客に危害を加えてはいけない”とでもあるんだろうな……)
やがて抵抗むなしく三菅は捕まり、また舞台上に連れて戻された。
イツキの目の前、椅子に座らされ頭を机に抑えつけられる。
その三菅の後頭部に、モデレーターは銃口を突きつけた。
「や……やめ……! なぁ、やめてこれ! 俺の負けでいい! 杉野イツキ! 謝るよ! もうお前に手を出さない! 金も払う! だから助けてくれ!」
――まだ、助かると信じている。
悲痛な叫び。
“手を出さない”というのも“金を払う”というのもきっと本心なのだろう。三菅の全身全霊をかけた、必死の命乞い。
きっとあの拳銃は本物で、弾丸も装填されている。三菅は犯罪組織の人間だからこそ本物の銃を知っているのだろう。
そしてそれを扱う人間の本気も。
「……いくら払える?」
イツキのその呟きが、三菅の最後の希望になった。
だから懇願するように、身体は動かずとも心だけでも平身低頭、跪くように。
「い、いくらだ……?」
弱く静かに、眼の前の少年に媚びるように。
――五億。それがあんたの、命の値段
イツキの借金は五億。
三菅はこのゲームに一億を用意しているのだから、五億の支払いも現実的だろう。
だから五億。
五億でいい。
それで三菅は命が助かり、イツキは借金が消える。
モデレーターは後片付けが楽だし、観客もハッピーエンドの劇を見終わる。
誰にとっても、それでいい。
「400億」
イツキが口にした額は、三菅を絶望させるのに充分だった。
「そ、そんなには……」
「……そうか」
ミハイルは言っていた。
――私を殺したかったら、400億は用意することだ。それ以下の金では私は命を賭けたりしない
確かにそう、言っていた。
地下に銃声が響いた。
三菅の頭部は銃弾により砕かれ、血液と脳漿と頭蓋骨と、脳の一部が飛び散った。
観客席のバタフライマスクから、「おぉ」、という感歎の声が上がった。
彼らの目的はこれなのだろう。勝敗に金を賭けたりもするかもしれないが、それよりも人の死を見たい。
目の前。先程まで生きていて、動き回って、叫んでいた人間が不可逆的に停止する。
その事が、生存と長命を約束された勝利者の退屈な人生に、大きな潤いを与えてくれる。
ハッピーエンドなど望まれていない。
(……案外と、威力が強い……)
イツキはそう思った。撃たれた銃弾は三菅の頭を抜け、テーブルも貫通し、床にまで穴を開けている。
抑えつけられた相手を確実に殺害出来ればいいのだから、こんなにも強い銃弾は必要ない。
というよりは、不必要に強い銃弾であるからこそ狙いをつけにくく、相手を抑えつける必要があるのではないか。
「……無駄だろ」
イツキは撥ねて頬にかかった三菅の血を拭いながら、モデレーターに言った。
「?」
「銃が強すぎる、って事だ。もし跳弾でもして俺に当たったら……責任を取らされるんだろう、どうせ……」
「……」
イツキの言葉を聞いているのかいないのか。モデレーターは返事もしなかった。
イツキにとっては三菅の事などはどうでもいいが、ペレストロイカへの敵愾心なら有り余る程にある。
家畜の屠殺だって不要な損傷は忌諱するのだから 後片付けも考えたら銃の威力は必要最小限でいい。
「……血の臭いを、俺にまで飛ばすな……」
テーブルの上。三菅の血はゆっくりと流れ広がっていった。
拷問部屋へ戻ってきたイツキを見て、若葉はハンカチを取り出した。
「イツキ様、血が……」
拭った筈の頬が、血で濡れていた。イツキは右眼の傷口から出血していることに気が付いた。
痛みは無かった。眼帯の下から、血は、ただ流れ落ちていた。
淀み無く。
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