第118話 弱き者よ、汝の名は女なり

 ――そこには王室の関係者以外は踏み入ることを許されない小高い丘があった。その丘の下には、遠くではあるが王都の街並みが見える。とても美しい場所だった。


 その丘の上には一つの大きな碑石があった。多少古ぼけていて長い年月を重ねた気配はあるものの、しっかりと磨かれているのか、苔の様なものは見当たらなかった。

 その碑石には、こう書かれている。


『わが親愛なる友 ここに眠る』


 名前も何も書いていない、ただその一文だけが真っ白な美しい石に刻まれていた。


 その碑石の前に、切り花や作り立てのお菓子を備えながら、神父のような服装をした一人の女が、熱心に祈りを捧げていた。

 聖句を唱えるでもなく、ただ目を瞑り、両手を組み、その場に傅くように座っていた。そして数十分は経ったかと思ったその時、丘の下から声が聞こえてきた。


「おーい、婆さん。そろそろ終わったかー」


 まだ声変わりをしていない少年の様な声だった。

 いや、実際少年なのだろう。丘の下から駆けてくるようして、黒髪の活発そうな少年が、ひょっこりと顔を出した。

 そして少年に声をかけられた、婆さんと呼ぶにはあまりにも若すぎる女性は、ちっ、と顔に似合わぬ舌打ちをしてその場に立ち上がった。


「誰がババアだこのクソガキ。口の利き方に気を付けろ」


「うちの爺様よりよっぽど長生きしてるくせに何言ってんだよ。また血圧あがるぞ?」


「いや、今まで血圧が上がった記憶すらないんだけど」


「ついに呆けたか? 時の流れは怖いなぁ」


「やめなさい。それは本当にシャレにならないから」


 少年はケラケラと笑いながら女を指さした。それに強かに腹を立てた女は、向けられた指先を握り、そのまま上へ折り曲げた。残念だが、人間の関節はそちらには曲がらない。ただただ痛いだけだ。

 そして二人はそのままギャアギャアと子供の様な喧嘩をしながら、碑石の丘を後にしたのだ。


「あそこの碑石ってさぁ、一体何を鎮めているんだ?」


 誰も通らない獣道を二人連れ添って歩きながら、少年はそう聞いた。


「わが親愛なる友だよ」


 そう平然と返した女に、少年は不満そうな声を上げる。


「だってただ祀るだけならこんな僻地に作らなくったっていいだろ。しかも王室関係者以外立ち入り禁止の場所に。何かあるって言ってるようなもんだし」


「それが聞きたいから、珍しく付いていきたいなんて我儘を言ったのか……。本当にその好奇心は誰に似たんだか。お前の父親はそれはそれは大人しくていい子だったんだぞ?」


「その代り腹は黒いけどな」


「確かに。……おい、話を逸らすな」


 全く、と毒づきながら、女は言った。


「そんなに年寄りの昔話が聞きたいなら聞かせてあげないこともないけど、かなり長くなるよ?」


「いいよ、暇だし」


 そう言って、少年は近くにあった切り株に腰かけてしまった。聞く気合は十分である。しかし――。


「今日は遠方から偉い先生が勉強を教えに来てくれるんじゃなかったの?」


 女が呆れながらそう言うと、少年はふふん、と鼻で笑った。



「三顧の礼ってよく言うだろう? 三回目からならまともに相手をしてやる」


「それは意味が全然違うんだけどなぁ。あ、でもむしろ合ってるのか? 奥が深いな」


 どちらにせよ、帰ったら怒られるのは明白だった。

 こうなってしまった以上、女自身も共犯として少年の保護者達からお叱りを受けることは間違いない。


 女は観念したように、少年の隣へと腰を下ろした。


「――さぁて、何から話そうか」









◆ ◆ ◆







 あの碑石が出来た経緯を話し終えた時、空はすっかりと綺麗な夕焼け色に染まってしまっていた。思っていたよりも話に没頭しすぎていたようだ。


 そこそこ掻い摘んでの昔話ではあったが、それでも結構な時間がかかってしまった。この後にうける雷を想像し、女は身震いした。この少年の教育係の扱う雷魔術は、それなりに痛い。


「つまり、あそこにあるのは女神の残骸ってわけか」



 少年はそう言って、もっともらしく頷いた。

 確かにあの碑石に埋め込まれているのは、彼の女神レイチェルが変質した呪いの矢だ。だがそんな言い方はないだろうに。


「その言い方はちょっと止めてほしいかな。……まぁ、間違ってはいなんだけど、あの矢はそれ以上に危ない代物だからね。使い方次第では、国一つは容易に滅ぼせる。山の水脈に投げ捨てれば、それだけで河川にある集落は全滅するだろうしね」


 あの矢にかけられた呪いは、それこそ『死』そのものだ。取り扱いを間違えれば、今までこの国が培ってきた平和が崩れてしまう危険性がある。


「……それは怖いな」


「だからこそ、こんな誰も来ない場所で保管してるんだよ。――それにここは景色もいいからね。気休め程度にはなればいいんだけど」


 そう言って、女は苦笑した。

 いくら景色が良いとはいえ、気の遠くなるくらい長い間あそこに置いてしまっているし、そろそろ別の場所に移動してあげた方がいいのかも入れない。


「帰ってくる、とは思ってないわけ?」


「無理だよ。それは私が一番よく知ってる」


 女は自分が持てる力全てを使い、色々なことを試した。……それでも何もできなかったのだ。

 少年は女の返答を聞いて、まるで納得がいかないという風に首を傾げた。


「なら何で婆さんはそんな神父みたいな変な服着てさぁ、頼まれもしないのに神殿に居座ってるんだ? それって本当は諦めてないだけなんじゃないのか」


 ぐっと言葉に詰まる。言い返せるような言葉がなかったのだ。

 そもそも待たないと決めていたならば、こんな風に自然の摂理を組み替えてまで、こうして長く生きようとはしなかっただろう。


「……女々しいと笑ってくれ」


「はいはい、これで貸し一な」


 少年はそう言って切り株から勢いよく立ち上がると、夕日を背にして笑った。その眩しさが、女には目に染みた。


 そうして二人でこっそりと城壁を超え、城への道のりを歩く。その間人々にフランクに声をかけられたが、あまり騒ぎになると怖い人達が来るので、挨拶はそこそこに足早に去っていった。まぁ結局城に着いた瞬間にお縄になってしまったが。


「――あなた方は本当に、ばっ……バカ!! すっごく馬鹿!!」


「何で今言い直したの? 結局言い直せてないよ?」


 城に着くと、少年の世話役が半べそをかいて大声で怒鳴りながらこちらへと駆け寄ってきた。

 

 世話役の年若い青年は、ぐすぐすと鼻をすすりながら、結構な力で少年の頭を叩いている。あれは痛そうだ。


「もう本当に何をしてくれやがったんですかぁ! 先生怒って帰っちゃいましたよ!? いいんですか王位継承者がそんなちゃらんぽらんでっ!!」


「うちは始祖から頭おかしいからへーき、へーき。それよりもお腹すいた。夕飯まだ?」


「この流れで何言ってんの!? や、辞めてやるっ、僕はこんな仕事もう辞めてやるんだ!」


 打てば響く、とでもいうのだろうか。この青年をいじっている時の少年は本当に生き生きしている。誰に似たんだろう、本当に。

 そしてさりげなくけなされた気もするが、女はただそれを黙っていた。世話役の青年の癇癪に巻き込まれるのはごめんだった。


「あ、そうだ。神殿長から貴方様に伝言を預かっているのです」


 少年を散々叩いた後に、世話役の青年はけろりとした顔で女にそう言った。


「伝言?」


「ええ。どうにも年端もいかない少女が神殿の中に居座ってしまっているようでして。『ここで待ち合わせの予定をしているから帰らない』と言い張って聞かないそうなんですよ。ちょっと行ってみてあげてくれません?」


「えっと、何で私が?」


「貴方様は何の仕事をしていなくても、一応聖職者ではないですか。たまには仕事をしてくださいよ」


「……もしかして連れ出したこと怒ってる?」


「まぁそれなりに」


 そんな会話の後、女は少年に別れを告げ、世話役の青年に背中を押されながら、城を後にした。

 自分の家のはずなのに追い出されるっていうのはどういう了見なんだろうか。そうぶつぶつと文句を言いながら、神殿への道のりを歩く。


 ――もう数えきれないほどに、この道を歩いてきた。

 そして神殿につくたびに思うのだ。「ああ、今日も駄目だった」と。それは毎日の日課であり。儀式でもある。


 今日は駄目だった。きっと明日も駄目だろう。けれど明後日ならばどうにかなるかもしれない。そんな薄っぺらい希望を抱えて、女はここまで来てしまった。少年に女々しいと笑われても仕方がない有様だろう。


 神殿を入ってすぐの長い廊下を抜けた先には、綺麗なステンドグラスが前面に張られた美しい礼拝堂がある。そこに少女は居座っているらしい。

 子供相手に手荒なことは出来ないと、強面の神殿長は情けない顔をして女に懇願した。


 女はやれやれと肩を落とした後、その依頼を引き受けた。いつも迷惑をかけていることへの恩返しのようなものだ。異論はない。


――そして女は、いつものように扉を開けたのだ。

 

 キラキラと夕日を受けて赤く輝くステンドグラスの下で、一人の少女が祭壇を見つめながらそこに立っていた。

 少女はただじっと、眼前にある女神像を見つめている。


「ねえ、君。ここはそろそろ閉めなくちゃいけないから、人を待つなら別の場所で――」


「いいえ。――もう会えました・・・・・


 それは女にとって、とても聞き覚えがある声だった。何度も夢に見て、夢だとあきらめて、それでも忘れることのできなかった彼女の声。


 長い髪の少女が、赤い光を受けながらゆっくりと振り返る。その時間が、女には永遠のように思えた。


「――ただいま、私の親友・・


 そう言って、少女――レイチェルは笑ったのだ。女の記憶よりは少し幼いけれど、あの頃と変わらない優しい笑顔で。

 何故、どうして、と思うも言葉が出ない。これは白昼夢なんじゃないかと、本気で思った。

 

 ふらり、と引き寄せられるように女の足は少女の元へと進んでいく。そして女は、確かめるように少女の頬に優しく触れた。それはとても温かくて、優しい感触がした。


 ――生きている温度だ。そう思うと、自然と涙が流れてきた。もう泣き虫はだいぶ前に卒業したはずだったのに。

 けれど、自分は彼女にちゃんと言わなければならないことがある。その為に、今までここに通ってきたのだ。


 そうして女は、泣いているような笑みを浮かべて、彼女に告げたのだ。



「お帰り――私の神様」




 そして女――かつて魔王と呼ばれ、アンリという名を名乗っていた待ち人は、ようやく出会うことが出来たのだ。



 ――これは一人の少女の物語。


 運命に翻弄されながらも女神の手を取り、一度は英雄の座から転がり落ちようとも、決してあきらめることのなかった少女の英雄譚。


 ――奇跡の末の再会はとても素晴らしい美談である。

 ――けれど、人と神の生きる時間は違う。別れはきっといつかまたやってくる。そんな結末すら飲み込んで、彼らは笑うのだ。輝かしい未来を信じて――。





【後書き】

以上をもちまして、本編完結となります。

この後少し間を置いてから番外編などを投稿するつもりではありますが、それはまた後日に。

長い間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。


※ちなみに最後に出てきた方達ですが、誰が誰の血縁かは完全にぼかしました。真相はそれこそ墓の中です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勇者から王妃にクラスチェンジしましたが、なんか思ってたのと違うので魔王に転職しようと思います。 玖洞 @kudo7gisa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ