知らない真実
「どうしてあなたが」
僕が言い終わらないうちに、二十八番は僕の背中に手を回して、強く抱きしめた。
「……無事でよかった」
「え、それは、どういう?」
「魔将を討ち果たし、記憶を失ってもなお、決して逃げ出すことなく現実に立ち向かっている。あなたを本当に誇りに思います」
涙を流しながら、二十八番はさらに僕に体を預けるように身を寄せた。
「母として」
その瞬間に心臓が高鳴った。
母。僕の母。聞き間違いではない。初めて会った日にどことなく感じたあの温かみは間違いではなかったのか。胸に頬を寄せる母の顔をまじまじと見る。しかし、その言葉が本当なのか、今の僕にはやはり思い出せなかった。
「あなたを裏切ったことは忘れていません。戦争が、いえ、これは言い訳ですね。
でも、あれほど苦しい思いをして戦ってきて、こんなにも長い間地下に閉じ込められて。私はもうあなたが苦しむのを見ていられません。まだ記憶が戻らないのでしょう? でも名前さえ思い出したと言えばきっとこの狭く苦しい地下から抜け出して、あなたは英雄になれるんです。記憶は、私たちで少しずつ思い出していきましょう」
母の言葉に、僕は何も答えられなかった。ここまで来てもまだ、僕は何一つ思い出せないのだ。
「ごめんよ、お母さん」
「いいのよ。ゆっくりでいいんだから。ね、ベテル」
小さな声で、僕の母親はそう呟いた。
翌朝、朝食で向かいに座った五十一番に僕は高々と宣言した。
「ベテル。それが僕の名前です」
「おぉ、おぉ。まさしくあなた様は魔将を討ち果たした英雄です!」
五十一番は並べられた食事を気にも留めず、立ち上がって大粒の涙を流した。あの大きな背格好が今日は少しばかり小さく見える。大きなテーブルを大回りして僕の元に走り寄ってきて、片膝をついて深々と頭を下げた。
「この地下暮らしも今日までです。あなた様のことをもはや誰も疑いはしないでしょう。さぁ、お食事が終わりましたら、地上へ向かいましょう。本日があなた様の素晴らしき門出の日となるのです」
食事を済ませ、資料室へと寄る。僕の権威を示すためにはやはり武装している方がいい、と鎧を着込み、兜を持ち、剣を携えた。
「さぁ、行きましょう」
五十一番を促し、出口へと先導させる。この後は市民に向かって演説でもするんだろうか。大丈夫だ。記憶が甦っていなくとも、僕は資料室にある過去の情報をほとんど読み漁って暗記している。簡単な演説くらいではボロは出さない。母と妹と共に暮らす。その中で記憶は少しずつ戻していけばいい。
「さぁ、こちらへ」
重そうな扉が開かれる。重厚な扉を通るのはこれで何度目だろうか。これほど厳重に僕の姿を隠していたのはそれほど反英雄派の力は大きいのだろうかと考えてしまう。
階段を登り始め、ついに自然の光が差し始めた時だった。
「て、敵襲です!」
「何だって!?」
五十一番の声がわずかに上ずった。
「魔将軍の残党が隠れて再起の時期を待っていたようなのです。こちらに攻め入ってきています」
「せっかくの英雄の帰還だというのに」
五十一番がすがるような目で僕を見た。僕が記憶の戻った英雄だったとしたならやるべきことは一つだ。心配ない。訓練場でも一度たりとも負けたことはない。臆する必要なんて何処にもないのだ。
「わかりました。行きましょう」
僕はそう言って、二十八番、母の顔を見た。不安そうに僕を見つめる姿に微笑みを返す。
「早く、敵はどこに!?」
「こちらです!」
兵士に案内されるままに、僕は戦場へと飛び込んだ。
◇ ◇ ◇
「おつかれさまでした、『五十一番』様」
二十八番は湯気の立つコーヒーをテーブルに置きながら、白衣を脱ぎ軍服に着替えた五十一番を見て薄く笑った。
「その呼び名が気に入ったかな。君の演技はまた磨きがかかったように見えたよ」
「お上手ですね。しかし、こんなことをやっていて本当に意味があるのですか? 偽りの英雄譚を信じこませ、わざと負ける兵士と毎日訓練をさせて強くなるはずもない」
「意味? もちろんあるさ。戦場から逃げ出すような腰抜けが今日も立派に戦場へと勇ましく出て行ったじゃないか。戦争に必要なのは力ではなく勇気だ。それは蛮勇でも構わない。
戦えないクズから記憶を奪い、偽りの英雄に仕立て上げ、気分よく戦場へと送る。戦果を挙げてくれば晴れて本物の英雄になれる。
私は彼らにチャンスを与えているんだ。ただの退役した軍人の遊びではない」
「しかし、クズを一人戦場に送るためと言うにはあまりにコストがかかりすぎます」
「そうでもない。これはまだ実験段階なのだ」
「実験、ですか?」
眉をひそめ、二十八番は自分のコーヒーに口をつけた。
「クズが英雄になれるほどなら、元から資質のあるものならどうなる? あるいは本当に英雄が生まれるかもしれないぞ」
「ずいぶんと気の長い話ですこと」
その時、兵士が一人、部屋へ駆け込んでくる。
「どうした?」
「
「戦果は?」
「敵戦力を三体。内一体は中型モンスターを討伐しています。まだ息がありましたので回収しましたが、いかがなさいますか?」
「おもしろい。もう一度記憶を奪い、地下に閉じ込めておけ。同じ被験者が再度実験対象になった場合のサンプルになる」
「はっ!」
部屋を出ていったことを確認して、五十一番はこらえていた笑いを口の端に漏らした。
「どうだ? クズが中型モンスターを倒したそうだ。何度も何度も記憶を失っては英雄と思い込めば、いつか本当の英雄が生まれるかもしれないぞ」
馬鹿馬鹿しい、と言葉には出さず、二十八番は席を立った。五十一番はその姿を横目に見ながら少し汚れてきた白衣を撫でる。
偽りの英雄が目を覚ますのは、もう少し後の話である。
何も知らない僕はこの世界で最強な件 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka
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