その2 サルバドール・ダリをめぐって


 以下は、mixiに書いたスペイン旅行記を、全面的に書き直したものである。


 2005年の秋、私の携帯電話に、「一緒にスペインに行きませんか」という、友人D氏からの不可解なメールが来たのは、ちょうど私が用事を終えて、家路を急いでいた最中であった。その唐突過ぎる文面に私は度肝を抜かれたのだが、冗談ではなく本当だという。スペインには一度も行ったことが無かったが、親に相談してからOKの返事を出した。興味本位からである。


 D氏の文面によると、計画は11月の後半で5日間。来訪する場所は、バルセロナ、フィゲラス、カダケス、だという。はて、バルセロナは知っているが、フィゲラス?カダケス?

 帰宅してから調べてみると、どちらも、サルバドール・ダリに関係深い都市だ、というのが分かった。


 サルバドール・ダリ。


 一般的には「曲がった時計の変な画家」として認識されているだろう。たぶん、言わずと知れている、シュールレアリズムの巨匠である。

 気になって、D氏に「ダリですか?」というメールを打ち込んでみると、「そうです、ダリ・ツアー」という返信が来た。そういえば、D氏は筋金入りのダリ・ファンであった。ダリ・オタクといってもいい人間であった。…そんなことぐらい、早く気づけよ、俺。


 ダリに関しては、好きな画家の一人です、というぐらいで、生年月日とか、絵を全部知っているとか、そんな知識を持ち合わせていない私が、そんなマニアックなツアーに太刀打ち出来るのか?そんな一抹の不安を抱えながら、体はいそいそと、海外旅行の準備をするのであった。


 そうだ、ダリに関して何も知りません、という方は、検索することをおすすめしておく。知らないのは何も悪いことではない。ましてや、オタク的でマニアックな知識に関しては、「何で知らないんですか?」と、腕組をして、憮然としながら言うつもりはない。

 しかし、ここで、そもそもシュールレアリズムとは、などというような解説を挟んでも退屈するだけだろうし、私の硬い文章が更に硬度を増してしまって、噛み砕けないほどになってしまう。

 そういえば、上野の森美術館でダリの企画展をやったとき、

 「私はダリでしょう」

 っていうキャッチコピーだったなあ。


 スペイン旅行の前半はガウディだらけであり、これは、スペインに行ったら誰もが通る道であると思うので、ここではあえて省略する。いずれまた、どこかで書く機会もあるだろう。本稿はオタク旅である。


 本格的なダリ・ツアーはスペイン旅行の3日目からスタートした。

 バルセロナの駅から、朝早くにフィゲラス行きの電車が出発するので、朝は近くでパンと飲み物を買って駅で食べる。

 日本以外ではどこでもそうかもしれないが、スペインも、電車はいい加減だ。そもそも、日本のように、電車がきっちりと駅に止まらない。運転手の気まぐれで、少し行き過ぎたり、行かなかったりする。つまり、乗るところがどこになるか分からない(当然、印などついていない)。だから、みんな真ん中に集まる。


 時間に関しても、少し遅かったり、少し早かったり。みんな、さも当然のように乗り込むのが凄いというか、怖いというか。日本ではパニックになるだろう。

 ガイド氏の話で、最初「10番ホームです」と言われてそこで待っていたら、発車1分前ぐらいになって「間違えました、1番ホームでした」というアナウンスがあった、という。なんともはや、ホラーである。


 さて、フィゲラスに到着。フィゲラスはフランスに程近い町で、ダリの生誕地である。明るい日差しに白い壁が映える、美しい町だった。ダリ美術館は、不思議な金色の卵が乗った少し大きめの建物だ。バルセロナにもダリに関する美術館があったが、あそことは比較にならない大きさであった。美術館そのもののデザインがすごいチャーミングだし、あちこちにダリのオブジェがあって不思議。

 ここにはダリの棺もある。大広間に色の違うところがあって、確かに棺のような形をしている。しかも、そこに人が足をつける…つまり、我々はダリの死体を間接的に踏んでいるのである。それがダリの遺言だったという。

 不思議な感覚だった。

 D氏は興奮しまくり、写真撮りまくり(写真はOKであった)。私は、絵の写真を撮ってもしょうがないでしょ、などと嫌味めいた事を言うのだが、D氏はとまらない。学芸員もまたダリのマニアで、早口のスペイン語でダリのことを語る語る。ダリの葬儀に参列した、という話を得意げに語っていて、それは確かに貴重だが…。結局、3時間も美術館に居座ってしまった。


 美術館といえばグッズだが、例の「曲がった時計」が、本当にそういうデザインで販売されていたのには、もうもう、感激。その場で震えてしまった。壁にかけられるような巨大なものから、腕時計にデザインされたものまで様々だった。


 さて、ほんの少しではあるが、スペインの食べ物について語ってみよう。

 スペインも、他の欧米諸国と同じく、前菜、メイン、デザート、という大まかなくくりはある。珍しいのはタコを食べるというところだろうか。ここはイタリアと似ている。

 とくに、昼食は一番重きを置いているらしく、だいぶ長い時間をかけてフルコースを食べるようだ。

 量も多く、ほとんどの日本人の方々が「多くて食べられなかった」と、帰国後に不満を述べることとなる。体型の違いとはいえ、確かに向こうの人はたくさん食べる。


 ガスパチョという名前の、トマトをベースにした冷たいスープがあるが、私が食べたところではかなり深い皿に盛られていた。前菜だけでお腹いっぱいだ。

 あるいはパエリャという混ぜご飯というかピラフというか、そんな感じのお米料理があるが、これも前菜のくくりである。


 それと、変わっているのは、スペインの人はだいたい22時すぎに夕食を取る、ということ。そのくらいの時間にならないとお店は開かないし、人もまばらである。

 レストランにいくと、どこもテーブルに液体が入ったビンが置かれてある。オリーブオイルかと思い開けてみると、少しアルコールのにおいがする。これはリキュールで、消化を助けるために置いてあるのだという。

 なるほど、ご飯を食べたらもう寝るだけだ。そういえば、食事をした後でホテルに入ると夜の0時をまわっている、ということがよくあった…。

 しかし、それなら早い時間にご飯を食べれば良いのではないか、という疑問を抱えつつ、次の話へと。


 4日目、フィゲラスからカダケスへ。

 カダケスはとてもとても小さな漁村だ。ヨーロッパの田舎町、という風情である。バスが1日、2,3本しか出ないとのこと。避暑地として使われた町で、夏はにぎやかだというが、私たちが訪れた季節は冬、ひっそりとしていて、なおかつ寒くてコートを着込む。置き忘れたようなビーチパラソルや、ヨットがあって、余計寒々しい。


 昼食はパン屋でボカディージョを購入。フランスパン的なパンに、アンチョビをはさんだだけのもの。固い歯ざわりと、特有の小麦の香りが凄い。日本にある柔らかいパンとは大違いだ。

秋風に身をかじかませ、ボカディージョをかじりつつ、「卵の家」へと向かう。


 「卵の家」は、ダリがガラと過ごした別荘兼アトリエである。カダケスから10分程度歩いた、Port Lligatというところにある。拝観するには予約が必要で、冬季は休館だとか。ここで数多くの傑作が生まれたのである。

 入ると、古い洋館特有の、かび臭いようなにおい。あちこちに剥製があって驚く。ホッキョクグマの剥製とか、白鳥の剥製とか。あと、階段が多かったのが印象的だった。エレベーターは無理だったとしても、足は痛くならなかったのだろうか、と心配になる。


 カダケスからフィゲラスへ戻る。

 バスが一日に数本しかないので、この時はタクシーを使ったが、これが大失敗であった。乗っていたのは白髪の気のよさそうなオヤジだったが、このオヤジ、車に乗るとばんばんぶっ飛ばすのである。人を乗せたタクシーが、道を百キロ以上で走り、前に走っている車なんかお構いなしで追い越す。ましてや山道である。なんだか周囲の空間が回っているような…。と、気づいた頃にはもう酔っていたのであった。しかしくじけてはいけない。一時間ほどして、カタルーニャ州の中でも田舎中の田舎(と思われる)、プボルに到着すると、私はオヤジと握手するぐらいの余裕を見せる(気のいいオヤジなのだが…)。しかしまだ世界が回っているようだ。


 着いた頃にはもう昼を過ぎ、昼食となる。メインがでかいソーセージと豚肉のソテーで、味付けは無し、というなんとも素朴なものであった。相変わらず量は多い。

 ついでに、喉が渇いていたのでサングリアを頼む。ワインをオレンジジュースなどで割って、細かく切った果物を混ぜたもの。その店のオーナーらしきオヤジが、ワインを容器に入れるのが見える。いきなり、瓶詰めのオレンジジュースを容器に流し込み、それから細かく切った果物をどぼどぼと入れ、ぐちゃぐちゃにかき回していた。おいおい大丈夫かよと心配したものの、味は爽やかでおいしい。うーん、あれだけ粗雑に作っておきながら…。いやその粗雑な作り方でもおいしくできるということなのか。

 お目当てのプボル城へと向かう。ガラ・ダリ城とも呼ばれるこの城は、ダリが妻であるガラのために買った城である。城のあちこちに、昆虫のような長い足をもった象(ダリいわく“宇宙象”。『聖アントワーヌの誘惑』という作品にも登場している)や、ワーグナーの顔が彫られた石(ダリはワーグナーが好きだったらしい)など、ダリらしいモチーフの造形物が大量に置かれていた。

 最終日、バルセロナからヒースロー空港へ。そして、ヒースロー空港から日本へ、というルートである。私とD氏も、トランクの紛失を気に病んでいたがそんなこともなく、無事成田に到着。


 こうしてダリ漬けの日々は終わった。ダリが生まれた場所に行き、彼と同じ空気を吸った。いや、ダリだけではない。フィゲラスやカダケス、そしてプボルは、ダリ抜きにしてもとてもとても心安らぐ場所だった。日本では見慣れている田園風景が、海外ではこんなにも違うのか、と感じた。抜けるような空とオリーブの緑のコントラストは、今でも忘れることが出来ない。だからだろうか、今でもオリーブを食べると、私の頭の左の辺りがうずくのである。


 それでは、皆さんも良い旅を。


 …


 あ、そうそう。

 ダリに関しては、国内なら福島県の諸橋近代美術館(http://dali.jp/)が、330点という強烈な数のコレクションを誇っています。興味のある方はどうぞ。


(初掲:「ぶらりオタク旅」)

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