旅行の記録

朱雀辰彦

その1 ボマルツォの怪物庭園

 今年(2007年)の2月であるからまだ1年経っていない。私は大学の卒業旅行として、伯父とイタリアに2週間ほど行ってきた。今回は特にボマルツォの怪物庭園を訪れたことについて、記憶を頼りにつらつらと記してみたい。


その1 ボマルツォの怪物の世界


 ホテルでビュッフェ形式の朝食をとる。イタリアはどこのレストランに入っても、料理がおいしくてついつい食べてしまう。正式なレストランでは、パスタは第二の前菜にあたり、パスタを食べる頃にはお腹がいい感じになってしまうのだが、メインもおいしいのでついつい半分ぐらい食べてしまう。

 フロントでお願いしていた車に乗り込む。ローマ市内から、ヴィデルヴォ州にある小さな田舎町ボマルツォまでは、約1時間。途中、バール(イタリアにはどこにでもある喫茶店+コンビニのようなところ)で運転手とエスプレッソを飲み干し、直行。ローマに着いた時は雨が降っていたので心配していたが、その日は快晴だった。

 ボマルツォの街中に入ると非常に狭く入り組んだ道が続く。ずっと進むと緩やかな下り坂になっており、それを抜けたところに左に曲がるよう示してある看板があり、そこを進むとようやく入り口が見える。


 さて、本論、すなわちそろそろ目的地の紹介をしようか。

 私が目指していた場所は、名前を「怪物庭園」(il parco dei mostri)、または「聖なる森」(il sacro bosco)という。怪物庭園という和名の他にも、怪獣庭園、怪園、という表記もあるらしいが、mostriとは英語でいうmonsterのことだから、間違いではない。あまりにもマイナーすぎて、訳が確立されていないのである。


 もちろん、イタリアのガイドブックにはほとんど載っていない。私が確認出来たのは、『地球の歩き方 ローマ編』の、もちろん正式な紹介ではなく、余裕があったら行ってみましょう、と言いたげな記事だけであった。一応公式ホームページ(http://www.bomarzo.net/)や、mixiのコミュニティ(http://mixi.jp/view_community.pl?id=180177)もあるというのに、知名度は非常に低い。16世紀に作られてから、ずいぶんと忘れ去られていたが、フランスの作家、マンディアルグの著書で有名になったそうである。日本に始めて紹介したのは、そのマンディアルグの著書を訳した澁澤龍彦であろう。また澁澤は自著の中でもこの庭園を紹介し、荒俣宏もまた、エッセィでこの庭園のことを書いている。澁澤龍彦、荒又宏という人名からして、悲しい事だが、この庭園がメジャーになることはおそらくあるまい。


 入り口を過ぎると駐車場があり、小さな小屋のようなものが建っている。庭園の管理事務所だと思われる。そして、土産物屋でもありトラットリア(パスタやピッツァだけを出す店。日本における定食屋のようなものか)でもあるらしい。そこに入って、オヤジから切符を買い、小さな地図を渡されて中へ入る。私が行った時、部屋の中では2人のオヤジが談笑をしていた。

 のどかな牧場や、木々が生い茂る細い道を抜けると門があり、そこにはスフィンクスの像が見える。それをくぐるといよいよ怪物庭園の始まり。


 最初の道では、戦っている2人の巨人、巨大な亀、ペガサスなどが出迎えてくれる。しばらく歩くと、「傾いた家」なる建物も見えてくる。文字通り、全体が斜めになっているという奇妙な建築物だ。もちろん他の怪物と同じく石造りである(実際に住処として作ったのではなく、オブジェ的な物だと思うが)。くらくらしてくるので注意しながら中を見学してみたい。また狭いので背の高い人は注意(私も頭をぶつけた)。

 その「傾いた家」の脇には階段があり、のぼってゆくと、突然目の前にネプチューンが横たわり、その傍らにはニンフと巨大な魚が口をあけてぐったりと寝そべっている。その広場の右手には、兵士を鼻で虐待しているゾウや、犬、そして、ライオンと戦う不思議な顔つき(ディズニーのアヒルみたいである)のドラゴン。この辺りで、私はニヤニヤしながら写真を撮りまくった。

 それらを後にすると、いよいよ、この庭園のメイン(?)となる石像が姿を現す。「地獄の口」と呼ばれる像で、その名の通り、地面から首だけ突き出している、巨大な人間の首の像である。その口は人間がすっぽりと入れる大きさで、奥には小部屋があり、舌に見立てたテーブルもあって、さながら休憩室といった感じである。昔の人は、ここでコーヒーでも飲みながら庭を眺めていたかもしれない。口の周りには「Ogni pensiero vola」(全ての思考が吹き飛ぶ)と書かれている。

 丘を登ると、今度は2体の怪物が出迎えてくれる。下半身に鱗が生えた女性、そして、下半身がドラゴンの女性。ギリシャ神話にはよく登場するモチーフであるが、何を指し示しているのかは分からない。それを抜ければ、ごく普通の小さな教会のような建物も見えてくる。その頃には、既に庭園内をほとんど見終わった形になっている。後は、普通に歩いてゆけば、前に歩いていた小道へと戻ることが出来る。


 その2 蒐集のアラベスク


 さて、庭園を見ていると、湧き上がる当然の疑問がある。

 誰が一体何のために、このケッタイな庭園を作ったのだろうか?


 元々この地方は、オルシーニ家という貴族の所有で、ヴィチノ・オルシーニという名前の当主の代に作られたという。彼にはジュリアという名前の美しい妻がおり、庭園の中にある教会のような建物は、実は彼女のための霊廟であるらしい。


 ジュリアはとてつもない美人であり、言い寄る人物も多かったのだろうか。猜疑心と嫉妬心に苦しんだオルシーニは、いいアイデアを思いついた。彼女を守るために、周りに様々な怪物を住まわせたのだ。つまりあそこにあるのは怪物ではなく、妻を守るガーディアンだったのだ!

 …しかしあんな変な怪物たちに守らせてもなあ、という気はするのだが。


 あるいは、こんな説もある。

 オルシーニ家の当主は好色な人物が多く、領内の民の娘を何人も屋敷に奉公に出させ、彼女らを陵辱して楽しんだという。そうなると、怪物の庭園は、秘密のプレイの場所だということになる。まあ…「いかにも」な話である。


 私も、ヴィチノ・オルシーニがなぜこのような建物を作ったのかは分からないが、ただ1つだけ言えるのは、彼はこの手の怪物が大好きだったのだろう、ということだ。オタクだから、というわけではないが、好きなものを蒐集するだけでは飽き足らず、彼は、自分が好きな物を集めて巨大な庭園を造ってしまう、というトンデモないことをやってのけた。自分の脳内世界を現実に作ってしまったわけだ。そういう意味では、ここは彼だけの理想宮なのであろう。フランスのオートリーヴというところ(ここも田舎だ)に、郵便配達をしていたシュヴァルという老人が、一人で作ったという、石作りの奇妙な建物があるが、奇しくも「理想宮」という名前だった。

 彼らが作った自分だけの世界も、主を失った結果、こうして我々の目で見ることが出来る。当然、それは、一部の同じ趣味の人にしか受けないかもしれないが。主を失ってしまっても、怪物たちはその庭園をかたくなに守り続けている。

 いや、主と同じ趣味の持ち主を待っているのかもしれない。


 シュヴァルの理想宮、タイガーバーム・ガーデン、ボマルツォの怪物庭園などなど…といった、普通の観光客では気づかない、奇怪建築物たちはこれからも、そういう奇妙な物が心の琴線に触れる人たちを魅了する事だろう。


3 理想の庭園…?


 庭園を見終わって、小さな管理事務所に戻り、お土産を物色する。例の大きな顔の形をした灰皿など、グッズもいくつかあるが、それほど豊富ではない。むしろ、この土地で作られたジャムや蜂蜜、トマトソースなどの特産品が並べられており、こっちの種類の方が多い。本末転倒だ、という人もいるかもしれないが、私は、グッズを大量に作っても売れ残ってしまうのでは、と邪推してしまう。年間に訪れる人はどのくらいなのか、とか、収益はいくらなのか、とか、日本のガイドブックにしっかりと載せるよう提言してはどうか、とか。

 だいたい、私が1時間近くかけて歩き回ったというのに、他の観光客とすれ違わなかったのだ。こんな田舎にあるのだし、イタリア国内でもあまり知られていない観光スポットなのではないか、と考えたが、人の話では、幼稚園児が遠足で訪れる事もあるという。きっと人間性豊かな大人になるだろう。

 話がそれた。

 私はガイドブックを4冊購入。その買いっぷりに驚いたのか、奥の方からオーナーらしき中年男性が顔を覗かせると、にこやかな笑顔で何かを持ってきてくれた。

 なんと、怪物庭園のポスターである。

 それも、「地獄の口」、「兵士を鼻でいたぶる象」、「アヒル顔のドラゴン」、の3枚!

 嬉しい悲鳴をあげつつ(本当にあげたわけではないが)、ありがたくいただいた。

 帰る頃にはもうお昼を回っていた。午前中をずっとこの庭園を見るために使ってしまったが、非常に達成感はあった…まあ、一緒に居た伯父は迷惑したと思うけれど。


 いや、本当に旅は楽しい。ましてや、同じ趣味を共有するオタク同士となると、さらに楽しくなるだろう(今回は違った)。こういう妖しげな奇怪建築物もまた、素直な気持ちで眺めることをオススメする。なんでこんなモノを作ったのだろう、と、建築した人物に思いを馳せると同時に、どうしたわけか、現代人の心に失われたはずの豊かさが…



 いや、やっぱり、同じ趣味を持つ人にしかおすすめしない。


(初掲:「ぶらりオタク旅」)

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