その5 恐山・遠野
昨年(2010年)の8月の24日から28日まで、友人のQPさんと東北旅行に行ってきた。
具体的に言うと、仙台から北上し、岩手、青森と三県に渡って旅行してきた。新郷村にある「キリストの墓」を訪れたことは『ぶらりオタク旅16』に書いたので、今回は、その後の話をしようと思う。
8月26日
新郷村を離れ、今度は三沢市へと向かう。自衛隊の基地がある場所だが、別に私は自衛隊や軍事ファンではない。私が何故ここに来たのかというと、寺山修司記念館に行きたかったからだ。大学生の頃に『田園に死す』という映画を見て以来、恥ずかしながらファンになってしまった。
寺山修司、という名前は魔術的な雰囲気があるが、同時に麻疹のような意味合いもある、と思う。寺山修司が好きです、というと、多くの人は「あー」と言って、ニヤニヤ笑う。いかにも、若い頃にはいろいろあるよね、という笑みである。
まるで憑き物に取り憑かれたように、1ジャンル1作家を買い漁るという人がいる。この本を読んでいる方々も身に覚えがあるかもしれない。「かぶれる」とか「はまっている」などというが、寺山修司の存在というのは、そういう「かぶれる」に十分すぎる存在なのだろう。
昼頃、猫又という地名(たまたま)にある中華料理屋でラーメンを食べる。おばあちゃんが1人でやっている店で、出てくるのにかなり時間がかかった。
寺山修司記念館は、車でしかいけないような変なところにあった。寺山修司の生い立ちを辿りつつ、天井桟敷のポスターやオブジェが周囲を彩る。まあ青森まで来て行くようなところではないかなあ、と思った。私が期待しすぎていたのかもしれないが。
その後は交代に運転しながら、順調に下北半島を北上していく。
六ヶ所村に来たところで、QPさんが寄り道を提案した。六ケ所村といえば核施設、目的は再処理施設PR館だ。時間はあるので行ってみることにした。周囲は風力発電のプロペラがたくさんあり、まるでSF小説の一風景のようだった。
上は展望台で、下は原子力発電やプルサーマルの説明を、模型を使って説明する施設である。
「プルトニウム饅頭でもないですかね」とQPさん。
「プルサーマル饅頭もあるかもしれませんね」
「廃棄処分された饅頭を再利用するんですか?」
「賞味期限がちょっと」
という酷い会話をする。残念ながらそれらしいお菓子はなかった(当たり前だ)。そういう茶目っ気があっても良さそうな気もするが…いや無くていい。
段々日も暮れていく。それに逃れるようにどんどん北へ向かっていく。
本州最北端の大間町に着いた。堂々と「本州最北端」の文字とマグロ形のモニュメントがある。そう、大間町はマグロ漁の町として有名で、「大間のマグロ」といえばブランドものだ。
ものの本によれば、本州四端(東西南北)の中でも、もっとも観光地化されているという。マグロのTシャツがあったがなんだか馬鹿馬鹿しいのでやめておく。一部にはウケそうだが、一部にだけウケてもしょうがない。
ホテルにチェックインし、町でおいしいマグロを食べながら酒でも飲みますか、という楽しい話になる。いいですね。まあもちろん、ホテルの中で食べる気は毛頭なかったし、観光客向けのものでなく、地元の人が食べるような料理を食べてみたかった。
ホテルから周辺の地図をもらって、18時半頃に外に出ると、辺りは一面真っ暗闇で、街灯があるぐらいである。私の田舎でもここまで真っ暗ではない。小さい道などは全然見えない。それどころか、住宅がほとんどで、ご飯を食べられそうな店も無かった。一軒は我々が止まるビジネスホテルチェーンのホテルの横にある。どうもホテル直営の店らしいが、QPさんによると、ホテルの関係者を接待する施設なのではないか、とのことだった。ということはかなり良い値段であろう。もう一軒は町の中程にあるお寿司屋さんだが、これもかなり値が張っていた。時価は怖いですよ、とQPさんにアドバイスされる。
大間のマグロは、もしや、大間町ではほとんど消費されず、築地に行ってしまうのではないか。だから、大間町ではあまり食べられていないのではないか。
更に、漁師町だから夜は早いのではないか・・・などと想像を膨らませる。
しばらく歩くと居酒屋が一軒ある。とりあえず入ってみると、メニューは東京でも食べられるようなものばかり。マグロはあるが時価だというのでパス。相談して、1時間ほどで店を出る。しばらく散歩しようと思い、ぶらぶらと歩き始めた。我々の他に歩いている人などいない。それこそゴーストタウンのようだった。
QPさんが海の方に歩き始める。見ると、大きな船が止まっていた。ああ、あれが函館まで行くのだろうか。船のその先には、光って見えるものがある。函館の町の光なのだろうか、などとぼんやりと考えた。夜だからか若干肌寒く、まだ行ったことのない北海道という場所が、非常に近く感じられた。北の大地は近い。
8月27日
亡き母の真っ赤な櫛を埋めに行く恐山には風吹くばかり (寺山修司)
ホテルにて簡単なバイキングを取って、大間から出発する。今日の目的地は恐山だ。実は今回の旅行で恐山行きを希望していたが、スケジュールが難しく無理かもしれない、というQPさんの話で、半ば諦めていた場所だっただけに、私の喜びはひとしおだった。
恐山、という名前の山はなく、カルデラ湖を中心とした8つの山々の総称である。曹洞宗の寺だが、周波の垣根を超えた得意な信仰がある。下北半島では昔から、
「人は死ねばお山さ行ぐ」
と言い伝えられてきた。つまり恐山は魂の集う霊山であったのだ。山岳信仰の残る山は、山形の出羽三山や奈良県の大峰山が知られているが、恐山はそのおどろおどろしさに惹かれる人も多いのだろう。映画『田園に死す』でも、OPに恐山の風景が印象的に登場している。
ナビに「恐山」と打ち込むと、今まで来た道を戻って、むつ市から恐山へ向かうルートが出た。しかし、同じルートを辿るのでは面白くない。いろいろ検索してみると、反対側(西側)の佐井村というところから、薬研温泉を通って向かうルートがある。通行禁止、とあったが、詳しく調べてみると冬季間のみらしいので、その道で向かうことにした。
ところが、これがびっくり。 住宅街を抜けると舗装されてない道に入り、そのままずんずん進む。砂利道ばかりである。ひたすら周囲の風景は森ばかりで、放浪しているような気分になってしまった。
走っている時に、がさがさと音がしたので見ると、ニホンカモシカが飛び出してきたのには驚いた。写真を撮ればよかった。 周囲は樹木が涼しげで美しい。対向車も来ないので、思わず車を止めて小休憩もする。
さて恐山。
着いた頃は晴れていたが、少し雲が出てきたかと思うと霧雨のような感じになった。周囲は硫黄の強烈な臭いがする。あちこちに「~地獄」という看板が見え、積まれた石、それに囲まれた地蔵、風車がぽつぽつと点在している。ふっと、目を閉じると、「ひとつ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」と、『賽の河原地蔵和讃』を口ずさみそうな雰囲気だ。
ああ、どこかで見たような風景だな、と思った。見たことがないはずなのだが。
ところどころ硫黄がむき出しになっており、写真を撮っている人も大勢いた。本当に硫黄の結晶って黄色いのね。もっと近寄ってみようと思ったが、「危険」という看板も出ていたのでやめておいた。白人の方もおり、もしかしたら鉱物でも研究しているのか、と思った。
宇曽利湖という名前のカルデラ湖もある。天と地の境目というか、あの世とこの世の境目というか、最果ての風景のような気がする。
むつ市に戻り、和食屋さんに入って簡単な定食を食べる。この後は遠野に向かう予定なのだが、もともとの計画には入ってなかったので、遠野で泊まれそうな場所を探す。駅前にビジネス旅館があるというので、そこに電話して予約する。
その後八戸まで一気に下って、レンタカーを戻すと八戸から新幹線で盛岡まで向かう。釜石線に乗り換えるが、快速「はまゆり」が出ているというのでそれに乗る。社内でビールなどを飲みつつ、周囲の風景を眺める。だんだんと森が多くなり、ああ、田舎に入ってきたなという気分になる。前回も書いた気がするが、最近はこの田舎の何でもない風景が妙に心地よい。見知った田舎ではダメだが。
19時ごろ遠野に着く。
なぜかジンギスカンの店が多かった。調べてみたら、1955年に安部(あんべ)梅吉という人が安部商店を開き、そこでジンギスカンを売ったという。当時は衣料不足で、各家々で羊を飼っており、肉が入手しやすかったらしい。
年間消費量は北海道並みということで、本州で最もジンギスカンを食べる地域であることは間違いあるまい。
旅館を急に予約したのだが、なんとかなる。ただ、夕食無しにして外で飲もうと思っていたが、なぜか夕食つきになっていた。取り消すことも出来たが、あまり外に食べるところが無いようなので、旅館で食べることにする。豚しゃぶなど出て、日本酒で乾杯。しかしよく飲んでる2人である。
8月28日
けっこう豪華な朝食をいただいて、駅前に向かう。レンタカーの情報を得るためだ。観光案内所があって、レンタカーの話をすると8時半からやっているところがあるという。そこで軽自動車を借りて、まずは早池峰山へ向かう。
遠野市は山に囲まれているが、その中でも早池峰山、六角牛山、石上山のいわゆる遠野三山が有名だ。それは、柳田国男のあまりにも有名な『遠野物語』に記されているからだろう。
大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神三つの山に住し、今もこれを領したまふゆゑに、遠野の女どもはその妬みを恐れて今もこの山には遊ばずといへり。
「遠野物語」
早池峰神社に参拝する。
小さな神社だが、創建の伝承が面白い。
早池峰神社の創建は大同元年(806)、来内村(現在の上郷町)の猟師藤蔵が早池峰山頂において神霊の霊容を拝して発心し、参道を開いてその年の6月18日、山頂に一宇を建立して神霊を祀ったという。
この手の話だと、開山した人間はすごいお坊さんというのが普通だが、猟師が開山したとは珍しい。明治時代までは寺だったらしく、仁王像がそのまま残っている。
車で走っている最中、携帯電話が圏外になって驚いた。
次に、「山崎のコンセイサマ」を見に行く。
わざわざ見に行かなくても、と思ったが、QP氏が楽しげなので半ばしぶしぶである。
いわゆる「性神」で、これは「山崎のコンセイサマ」と称される。御神体は男性器をかたどった石である。明治以後、「神道神話」が形成されていく段階で、いわゆる「淫祠邪教」と称され、破壊されたものも多々あったという。戦後、掘り出された「コンセイサマ」もあったらしい。性神信仰でいえば名古屋の田縣神社が全国的に有名である。
(私は御神体を撮影しない主義なので、そのものの写真はナシ)
ついで伝承園に行く。オシラサマや民具などの展示がある。 オシラサマについては知っている人も多いだろうが、馬と女性との婚姻譚に、蚕の起源が絡むという話で、オシラサマは養蚕の神である。
昔ある処に貧しき百姓あり。 妻はなくて美しき娘あり。 また一匹の馬を養ふ。 娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦に成れり。 ある夜父此事を知りて、其次の日娘に知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。 その夜娘は馬の居らぬより父にたずねてこの事をしり、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首にすがりて泣きゐたしを、父は之を悪みて斧を以て馬の首を切り落せしに、忽ち娘はその首に乗りたるまま天に昇りて去れり。 オシラサマと云うはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像をつくる。「遠野物語」
中国の『捜神記』や『神女伝』に起源を求める説もあるが、ほとんどわかっていない。
馬と女性との婚姻というのは、そこはかとなく不気味である。しかも、蚕の飼育に関する話というのも面白いし、オシラサマの祭りのことを「オシラアソバセ」というのも面白い。信仰に多くの禁忌(動物や卵を供えると顔が曲がるという)がある、というのも、非常に古い形の信仰があって、これまた面白くて私なんかわくわくしてしまうんである。
次に「デンデラ野」に行く。
老人はデンデラ野に行く、という、一種の姥捨て山の話。場所は遠野市の土淵という集落で、遠野物語の語り部である佐々木喜善の生家があった。村人が死ぬ時にはデンデラ野に前兆があると伝えられる。
この場所、ネットではよく怪奇スポットなどと言われるが、確かに夜に行くといやな感じがしそうな場所ではある。民家も周囲に無いので、虫の鳴き声しかしないだろう。だだっ広い畑に一本の杭が立っている、という、一種の禅味を感じさせる場所である。小さな小屋がある。もちろん復元だが、ここで老人たちは生活していたのだろうか。
「わざわざ遠野まで来て、俺は何をやっているんだろう」という、漂白気分になること間違いなし。言っておくが褒め言葉である。
このあたりで昼を過ぎたので、昼食をとりに道の駅に向かう。 『美味しんぼ』で出てきた暮坪かぶ(辛いかぶ)を使った蕎麦と、けいらん(餡が入った団子が湯の中に入っている)を食べる。「『けいらん!』っていうマンガって無かったですか」という馬鹿な話をする。
その後、「卯子酉様」に行く。
縁結びの神社として知られているらしいが、御祭神は「卯子酉明神」。明らかに、天神地祇の系統から外れた、アウトサイダー的な神社である。しかし、この名前は干支や邦楽に関係があるんだろうか。左手で赤い紐を結ぶとご利益がある、というので、あちこちに赤い紐が下がっていた。こういうのを見るともうわくわくしてしまう。
遠野物語を観光資源として町おこしをしている遠野市は、やはり「素朴な昔話」として語っていた。「どこどこ村の誰それの妻が河童を孕んだ」という、実名入りの物語に、当時はかなりの反発があったらしい。日本のグリムと称される佐々木喜善もまた、ただの語り部ではなく、もともと小説家志望であった。
探るといろいろ出てくる遠野物語、また読み直してみるとするか。
しかし、遠野は良い街だ。車で走っているうちに、住んでみたいな、と本気で思ってしまった。それは、おそらく違う環境に来たからそう思うのだ、と自分を何度も説得したのだが、なぜだろう、家に帰っても、しばらくあの田園風景が目にちらついて、なかなか落ち着かなかった。1年経った今でも、それは私の心の片隅にあって、時折、私を揺さぶる。惹かれている、というよりは、魅入られてしまったのかもしれない。
(初掲:「ぶらりオタク旅」)
旅行の記録 朱雀辰彦 @suzaku-Ta
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