(5)頂上で見た景色
「炎の冠山」の頂上まで、ようやく登り切った。
「わあ……!」
急に景色がひらけたので、わたしは思わず歓声を上げた。
山の頂上は、なだらかな斜面が広がる、広い場所だった。
広い広い野原になっており、一面、白い穂の草で覆われている。
広がる野原の上をゆるやかな風が吹いて、白い穂がざわざわと揺れていた。
……だけど。
白い穂が一面を覆って、とても綺麗な景色だけれど……
でも、「さきのゆめ」で見た光景とは違う。
ようやく目的地に着いたけれど、とても赤い世界には見えない。というよりむしろ、一面白で覆われている様に見える。
そして、炎の様なものは見えない。代わりに、草の白い穂がゆらゆらと揺れている。
夢で見たものとは、全く違う景色が、そこにはあった。
わたしは、胸の高さまで伸びている一面の穂草をかき分けながら、海のある方に歩いて行った。
少し歩くと、視界に海が見えてきた。
山頂という事もあって、綺麗な良い景色だけれど……やっぱり、あの赤は、炎のような揺らめきは、どこにも見えない。
せっかく、何日もかけて、長い道のりを越えてここまで来たのに……夢の予言が外れたのだろうか。
ここまでの長い旅路、いろいろな事があった。山に登る時もゴブリンと遭遇したり、様々な出来事を乗り越えて来たのに、目的地に着いてみれば、肝心な「さきのゆめ」の景色は何も無かったというのだろうか。
何だか拍子抜けしてしまって、わたしは、ふう、とため息をついた。
「……さて、どうしましょうか」
独り言を言いながら、周囲を眺める。
ここに来るまでに手間取っているうちに、大分日が傾いてきていて、お日様が沈みかけている。次第に空が赤く染まりつつあった。
こうなれば、夕焼けだけでも楽しんでいくかな。
そう思って、海岸に向いた斜面に腰掛ける。
ちょうど西向きで、太陽がそろそろ水平線に沈みそうだった。
「さきのゆめ」に導かれて来たけれど、赤い景色はここにはない。結果的には、単に苦労して高い山の頂上に登っただけだった。
無駄足だったけれど、せめて良い景色を見て、少しでも「元」を取る事にしよう。
白い穂で覆われた山頂は綺麗だし、この高さから見る海も絶景だ。今はこの景色を楽しむ事にしよう。
それにしても、ここで日没となると、この後どうやって山を下りるか考えないといけない。少し危険だけど、夜道を下って夜の山を下りるか、それともここで夜営するか……悩ましいところだった。
(……これから、どうしましょう)
そんな事を考えながら、ぼんやりと景色を眺めているうちに、次第に空の色があざやかな色に、夕焼けに染まっていく。
わたしは、夕焼けが大好きだ。
黄昏時、この時間にしか見ることのできない、このひとときにだけ姿を見せる、異世界の様な光景。
空を赤く染める夕焼けを見ると、その美しさに心を奪われてしまう。
もっと日が沈んだ時間の、紫が濃くなっていく時間帯の空も神秘的で良いけれど、やっぱり空が赤く染まっている時間が大好きだ。
はるか眼下の海、水平線の先に、赤い太陽が次第に沈んでいく。
このひととき、空が夕焼けで真っ赤に染まる。
そして、夕焼けに照らされて、海も真っ赤に染まる。真っ赤に照らされた海の水面が、波で揺られてきらきらと赤い光を映し出している。こんな風景も大好きだ。
「……綺麗な夕焼け、ですね」
独り言を言いながら、ぼんやりと夕焼けを眺めていたわたしは、ふと、後ろを……山の方を振り向いた。
そして……景色が一変している事に気がついた。
……………
「わあ……!」
思わず、歓声をあげる。
そこにあったのは……赤い世界だった。
少し前までの白い草原とは、全く別の色に染まった世界。
風に揺れる白い穂が、夕焼けに照らされて、真っ赤に染まっていた。
ゆらゆらとゆらめくそれは、まるで……赤い炎の様だ。
夕焼けの赤。
夕焼けを跳ねて輝く、海の赤。
そして、夕焼けに染まって赤く輝く、草原の色。赤く染まった草の穂がゆらゆらと揺れて、まるで炎の様に一面を覆っている。
なんて、綺麗なんだろう。
わたしは言葉も無く、しばらくその景色を見つめていた。
そして、草原を足取り軽く歩いて、様々な方向から景色を眺める。
それは……夢で見た景色と同じ。
いや、夢で見たよりも、あざやかで、綺麗な赤だった。
空を覆う赤。そして、海を跳ねた夕焼けの赤が、周りを包んでいる。
そして、空色を映して、目の前でゆらめく穂は、鮮やかな赤色に染まっている。風に吹かれてゆらゆらと揺れる姿は、本当に炎の様だった。
そして、赤に包まれた世界の中、遠くから聞こえる波の音。草原を走る風の音。さわさわと揺れる草の音。
……全てが、夢で見たときよりも、あざやかで、彩り豊かで、綺麗だった。
こんなすばらしい景色は、残しておかないと。
わたしは映石を取り出して、夢中になってその景色を映し撮った。
どの方向から見ても一面の綺麗な赤。映石の頁が何枚あっても足りないほど、様々な方向を、様々な角度を向いて、何枚も何枚も、赤に染まった景色を映し取る。
……やっぱり、「さきのゆめ」で見た景色は本当だったんだ。
ここまで大変だったけれど、この景色を見る事ができて、本当に良かった。
本当に、綺麗な景色。
あの「さきのゆめ」が、何故わたしをここに導いたのか判らないけれど、この場所に連れてきてくれて、夢の様に美しい景色を見せてくれたのは間違いない。
もしかして、「さきのゆめ」が導くものは他にもあるのかもしれないけれど、今は、この夢の様な景色を、心ゆくまで味わう事にしよう。
一通り景色を映石に撮り終えた後、わたしは山肌に腰掛けて、改めて、じっくりと眼前に広がる世界を堪能する事にした。
眼前には、赤く揺らめく景色が一面に広がっている。
山腹に広がる、炎の様に赤く染まった草の穂。一面に赤く染まった地面。そしてその先にある、赤色に輝く海と夕焼け空。この景色を独り占めできるなんて、なんて贅沢なのだろう。
わたしは歩き疲れた身体を休める様に、地面に寝転がって、うんと身体を伸ばした。
……そのとき、こつんと、後頭部に何か堅い物が当たる感触がした。
「……………?」
何だろう。
手を背中に回して、服を探ってみる。
ごそごそと固い物の手触りを探ると、フードの中に、小さなポケットが隠れていた。
そのポケットの中に入っている、何かが当たったみたいだ。
これまで、こんなところにポケットがあるなんて、知らなかった。
ポケットのボタンを外して中を確認してみると、その中から、銀色の光が差し込んできた。
光っている何かを取り出して、かざしてみる。
「これは……」
それは……髪飾りだった。
小さな、星を象った、髪飾り。
手の中で、夕焼けの光を跳ねて、赤く染まった銀色に輝いている。
これまで気がついていなかったけれど、ずっと前から、フードのポケットに入っていたらしい。
その、ポケットから出てきた髪飾りを、じっと眺める。
「……………」
……わたしは、この髪飾りに見覚えがあった。
むかし、ずっとずっと前、幼かった頃からの記憶、心の奥底にある面影に焼き付いている、髪飾り。
(……母様の、髪飾りだ)
わたしはようやく、今回の「さきのゆめ」を見た本当の理由が、分かった気がした。
きっと、この髪飾りのことを、教えてくれるためだったんだね。
気づかなかったけど、この髪飾りがここにいた事を、ずっと一緒にいた事を、教えてくれたんだね。
思い出の中の面影に、久しぶりに会えた様な気分で、わたしは手のひらの中で輝く髪飾りを眺めた。
夕日を浴びて、きらきらと輝く、髪飾り。
赤く輝く世界の中、わたしは、手の中にある髪飾りに……語りかけた。
……あのね。
わたしは、今も、元気に過ごしているよ。
元気に、無事に、楽しく、旅をしているよ。
いろんな場所に行って。
いろんな経験をして、いろいろな人に会って。
いろいろな、綺麗な景色を見て、
様々な、美味しいものを食べて。
そして、時には素敵な温泉に入って。
毎日、楽しく、過ごしているよ。
……だから、大丈夫、だよ。
わたしは、大丈夫。
ひとりでも、やっていけているよ。
だから、心配しなくても、平気。
ひとりでも、わたしは、元気だよ。
……………
「……でも、ね」
わたしは、そっと手のひらの髪飾りを包み込んだ。
「……でも、これからは、一緒に旅をしようか」
わたしは、髪飾りを、そっと自分の髪に取り付けた。
留め金が止まる、ぱちん、という音と共に、髪飾りが、わたしの髪に収まった。
髪飾りが、わたしの髪の上で、夕焼けの光を跳ねて、赤く輝いている。
わたしはそっと、髪飾りに手を触れる。そして、心の中で、改めて髪飾りに語りかけた。
これからは、一緒に旅ができるね。
そこからなら、これからは、同じ景色を見られるね。
そこから、わたしが見る、旅の景色を一緒に見ていてね。
これからも、楽しく旅をしよう。
綺麗な景色を見よう。
美味しいものを食べて、温泉に入ろう。
いろんな人たちや、様々な出来事との出会いを、楽しもう。
「これからは、一緒に……ね」
髪飾りの感触を確かめながら、わたしはもう一度、「炎の冠山」の頂上から見た景色を眺める。
陽が沈んで、夕焼けの色が、次第に変わっていく。
赤い夕焼けに染まっていた景色も、次第に濃い藍色に色彩を変えていく。
風と波の静かな音に包まれながら、少しずつ、少しずつ、夜の色に染まっていく。
それは、夢で見た景色の続き。……どこまでも、どこまでも、綺麗な光景。
わたしは草原に座って、その景色を……いつまでも、いつまでも、眺め続けていた。
夢見る少女 シルフィーナの旅 桔梗屋長月 @nagatsuki_kikyo
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