(4) 「炎の冠山」へ
わたしは山道を、少し急ぎ気味に登っていた。
温泉や食事、そして事前の準備をしている間に、結構時間が経ってしまった。
少しずつ日が傾きだしている。涼しくなってきたのはいいけれど、早く登ってしまわないと、夜になってしまう。
道沿いに歩き始めると、少しずつ登り坂になっていく。
ここまでとは違い、街道から外れた、整備されていない山道。
ただ、狭い山道だけど、落石や倒木に塞がれたりしておらず、あまり雑草も茂っていないので、案外歩き易い。
これなら、藪をかき分けて歩かなくて良いし、蜂や蛇、その他の虫や野生動物に襲われる心配も少なそうだ。
だけど、それは……この道が今でも使われているということ。誰かが手入れしているということを意味する。よく見ると、轍の跡まである。
この道が手つかずなのであれば、登るのは大変だったと思うけれど、出てくるのは野生の動物くらいで、何者かに出会う心配なんて無かったのだけれど。この状況だと「道を使っている何者か」との遭遇を警戒しなければならない。
そして、この道を使っている「何者か」と言えば……
そんな事を考えながら山道を歩いていると、突然、少し開けた場所に出た。
目の前には、結構大きな洞窟の入り口の様なものが見える。
そして、入り口の両側には、木の棒を持った、小柄な影が二つ。
ゴブリンたちだ。
しまった、と思ったけれど、もう遅かった。人影に気付いたゴブリンたちの視線が一斉にこちらを向く。
ここがゴブリン洞の入り口で、この二体は門番というところだろう。見つかってしまった。
あわ良くば出会わずに迂回したいと思っていたけれど、やはり無理だったようだ。
ゴブリン。この世界のあちこちの洞窟に住んでいる魔物。人間よりは少し背が低く、緑の肌に、長い耳を持っている。
洞窟を拠点にしていて、周辺の村々や旅人を襲ったりする。
それだけではなく……。特に、わたしの様な女の子には、危険極まりない相手。
わたしはどちらかといえば「普通の女の子」ではないけれど、それでも警戒しなければならない相手だし、もし油断して捕まってしまえば、その先の運命は「普通の女の子」と同じだ。
「トマレ!」「ナニモノダ!」
わたしを発見したゴブリン二体が、濁った声で一斉に怒鳴った。
魔物の声を聞くと、心の準備をしていても、やっぱり怖くて足がすくんでしまう。
「ナニシニキタ、ニンゲン!」
ゴブリンは縄張り意識が強い事でも有名だ。
「え、ええと、あの……」
口ごもっているうちに、ゴブリンたちは棒を構えながら近づいてきた。
まずい、このままだと、捕まってしまいそう。
だけど……わたしには切り札があるのだった。
わたしは慌てているのを気付かれないようにしながら、素早く手を胸元に伸ばして、ポケットから紙の束を取り出した。
その動きを見て、ゴブリンたちが一斉に身構えた。攻撃魔法の護符でも取り出そうとしていると思ったのかもしれない。
しかし、わたしが出そうとしているのは、そんなものより、今の彼らに、もっと、もっと効果があるものなのだった。
「こ……これを見て下さい!」
わたしは取り出した紙の束を、ゴブリンたちに突きつけた。
「!?」
怪訝な目で見るゴブリンたち。しかし、描かれているものを見た瞬間に顔色が変わる。
「!! ソ、ソレハ……!」
「……わたし、山の上に行きたいんです」
ちらちらと「それ」を見せながら言った。
「通してくれたら、これを差し上げますよ」
そう言いながら、紙の束をゴブリンたちに差し出す。
それは……
「オンセン!」
「……そう、温泉の無料券(エール一杯付き)! これと交換でどうですか?」
麓で買っておいた温泉無料券の束をちらつかせながら、ゴブリンたちに言う。
わたしの言葉を聞いて、ゴブリンたちがわっと沸き立った。
「オンセン!」「シカモ、えーるマデツイテル!」
その声が洞窟の中に聞こえたのか、中から追加でゴブリンが何体も飛び出してきた。
「オンセンケン!」
「えーるモタダ!」
「ナンダッテ!?」
結構な数のゴブリンが出てきて、ちょっとした騒ぎになる。
温泉無料券を持つわたしを取り囲んで、騒ぎ出すゴブリンたち。
何体ものゴブリンに取り囲まれてびくびくしてしまうけれど、少しずつ心の余裕が戻って来た。
改めてよく見ると、ここのゴブリンたち、余所で見た事のあるゴブリンよりも格好が小綺麗な様な気がする。
やはり麓で聞いてきた通り、温泉好きのゴブリンたちのようだ。
そして、それだけではなく、情報によると、この洞のゴブリンたちは……
「……お前たち、お待ちなさい」
その時、洞窟の中から、ひときわ通る声がした。
ある意味、この場面には場違いとも言える、声。
ゴブリンの濁った声とは違う、鈴を鳴らした様な、澄んだ少女の声。
その声が響いた瞬間、ゴブリンたちの騒ぎがぴたりと収まる。
そして一斉に、声の出所である洞窟の入口を見た。
「!!」
その声の主だろう、洞窟の奥から人影が進み出て来た。
それは、小柄な少女の様に見える。
その姿を見て、ゴブリンたちがざわめく。そして、一斉に跪いた。
「りりサマ!」「りりサマ!」
「道を開けなさい、お前たち」
洞窟から出てきた、りりさま、と呼ばれている少女が命じると、門番のゴブリン二人がさっと道を空ける。
少女は、ゴブリンたちの間を通り抜けて、わたしの前に立った。
わたしより、頭二つ分くらい小さい。ゴブリンたちと比べても、一回り小さな女の子。
よく見ると、少女は人間ではない。
雰囲気は小さな少女、といった感じだけど、ゴブリンと同じ、緑っぽい肌に白い髪をしている。
そして、肌や髪の色以外はほとんど人間と区別が付かないけれど、よく見ると僅かに耳がゴブリンと同じく横に長い。それに、小綺麗だけど、ゴブリンたちと同じ感じの服。
間違いない。
ゴブリンの女王……ゴブリリだ。
ゴブリンの世界に、ごく稀に生まれる、珍しい女王個体。
普通の女ゴブリンとは異なり、まるで人間の少女の様な姿をした、生まれながらの女王として生まれてくるゴブリンだ。
ここは、その、ゴブリリが率いている部族。麓の店で聞いたとおりだった。
りり様、と呼ばれている少女……ゴブリリは、わたしを見上げながら言った。
「これは、あなたのプレゼントですか?」
「はい、これと交換で、わたしを頂上まで通して欲しいんです」
温泉券を差し出す。それを見て、少女の目が輝いた。
「わかりました。おんせんのけん、ありがたく受けとります」
わたしの手から温泉無料券を売り取りながら、少女が言った。
そして、嬉しそうに券をかざして見る。
「わたし、おんせん、大好きなの」
やっぱり。麓の温泉の立て看板。あの看板に何故かゴブリン語が書かれていたのは、そのためだったんだ。
ゴブリン語と名前はついているけれど、実際に文字が読めるのは、かなり高位の、頭の良い個体のみだ。あの文字はゴブリリに……彼女に向けた案内だったんだ。
「この先、通っていいです」
やはり、麓の温泉で聞いていた通りの「温泉ゴブリン」だった。
温泉が大好きな女王が治める、ゴブリンの群れ。
酒場のおばちゃんによると、女王であるゴブリリの影響か、群れ全体が温泉好きになってしまった結果、すっかり麓の人々と馴染んでしまったらしい。
人を襲うどころか、山で採集した薬草などを取引して、温泉の入浴代を稼いだり、様々な商品と交換したりしているらしい。
まあ、あんなに素晴らしい露天風呂に入れるのであれば、気持ちはわかる。
やはり、温泉好きに悪い者はいないのだ。
「これを持って行きなさい」
少女はそう言って、懐から出した、不思議な縞模様の入った布切れを渡してくれる。おそらくこれが通行証代わりなんだろう。わたしは受け取った布を袖に巻き付けた。
「ところで、山の上に行って、どうするんですか?」
少女……ゴブリリが聞いた。
そう聞かれると、ちょっとだけ困る。いきなり夢の話をしても信じてもらえないだろうし……
「ええと……山の頂上の景色を見たいんです」
そう言うと、少女を初めとして、ゴブリンたちは一斉に頷いた。
「ワカル」「カンムリ、ケシキ、キレイ」
「そうですね。かんむり山の、ほのおはきれいです」
ゴブリリの言葉。やはりこの山の頂上には何らかの「炎」があるらしい。
果たしてその正体は何なのだろうか。答えが待っている頂上は、もうすぐだ。
「気をつけて」
「ありがとう、さようなら!」
手を振って、ゴブリンたちと別れて山道を登っていく。
……………
ゴブリン洞があったのはちょうど山の中腹あたりで、そこから先の山道は狭く、険しくなっていった。
麓までの道はゴブリンたちが整備していた様だけれど、どうやら上の方はあまり使われていない様だ。
道は所々藪で塞がれているので、踏み分け、かき分けながら上がっていく。それだけでなく、気をつけないと脚を滑らせてしまいそうな、ある意味ゴブリンたちよりも危険な山道を慎重に登っていく。
山を登るにつれて、風が強くなってくる。そして、少しずつ日が落ちて来た。
次第に涼しくなってくるのだけれど、険しい坂道を上っているので、やっぱり暑くてたまらない。
山登りの疲れで、手足が重く、息も荒くなっている。
一休みしたいところだけれども、かなり日が傾いて来ている。こんな状況で日が暮れてしまうと大変だ。もうひと頑張りしよう。
わたしはへとへとになりながらも、頂上を目指して登っていく。
……そして、ようやく山道を登り切った先に、待っていた景色。
わたしはそこで……「さきのゆめ」で見た夢の景色を、見ることになるのだった。
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