HALLOWE’EN ; the fright night

@isako

HALLOWE’EN ; the fright night

 西田摩遊にしだまゆうが昨年のハロウィーンに殺害した人間の数は三十四名に上る。また、人間を除いた被害者について語るのであれば、彼女は、十月一日から十月三十日までの間において、野良猫を十三匹殺している。彼女はその動物殺害について、「予行練習」、あるいは「調整」であったと話した。


「生き物を殺すのには、やっぱり、すごくエネルギーがいるんです。体力の話じゃないです。こころのエネルギーなんです。一つの命を奪うたびに、肩からどっさりとエネルギーが抜け落ちるんです。これはほんとうにすごいんです。最初に殺したのは、捨てられてた猫だったんですけど、それを殺した次の日は、エネルギーがほんとうにすっかり抜け落ちてしまって、わたし、丸一日寝込んで仕事を休んでしまったんです。それで、ひとを殺すのには、もう少し鍛える必要があるなって、思ったんです。こころのエネルギーの総量を増やすというのではなく、命を奪うことについて消費するエネルギーをもっと節約できるようにしなくちゃと思ったんです」


 西田は飲食店における注文システムを管理するソフトウェアの開発・販売を主な事業とする企業に勤めていた。私立大学の文学部を卒業した彼女はその企業の営業部に配属された。大学での成績は中庸といった程度のもので、また現代文学の研究を行うサークルに所属し、人並の付き合いもあった。「一般的な学生」の枠にきれいに収まる平凡な四年間を過ごした。

 一方、社会に出てからの彼女の評価は、素晴らしく輝いていた。一年かけて営業の基礎を学んだ彼女は、次の年度から営業部においてきわめて優秀であると認められるようになる。天職だった。彼女を妬む人間もいたが、いかんせん彼女自身が毒気のない性格であったので、そういう者たちも自然と彼女を認めるようになった。


「わたしは、すごく外面がいいっていうのかな。人前で、相手が、どんなふうにしてほしいかって言うのがよく分かるんです。いまもあなたに合わせてます。どうですか? 顔は地味だけど、ちょっと乗せたらすぐにやれそうじゃないですか? ゲイじゃない男のひとにはだいたいそういう風に合わせます。女のひとはどっちかというと実際的なひとが多くて、見た目とかよりは自分に利益があるかないかで好き嫌いを決めるから、仕事を積極的に変わったり手伝ったりするのがいいです。よく裏表がないひとだねって言われますけど、笑っちゃいます。裏がないひとなんていませんよ。私たちは黙っているだけです」


 西田が初めて人を殺したいと思ったのは五歳のときで、対象は実の妹だった。彼女は、そのころ生まれた妹が両親の愛を不当に自分から略奪しているように感じたと話す。妹は現在、九州にある離島で、夫とともに海中カメラマンとして生計を立てている。妹は語る。


「姉は昔から優しくて、本当に私の憧れでした。のんびりしてるようで、やらなくちゃいけないことはぜったいにかっちりこなすひとです。父も母も、周りのひとたちも、姉を過小評価していると私はずっと思っていました。でも今回のことで、姉のその優秀さが社会を傷つけるかたちで発露してしまったんですから、それは、妹

として申し訳なく思います。もちろん、姉に対してです。姉が社会的にドロップアウトしてしまったことに、家族として私たちには責任があります」


 西田は午前十時ちょうどに自宅アパートを出たと供述している。徒歩で最寄りの調布駅に向かい、そこから三十分で渋谷駅に到着する。渋谷に着くと、歩いて五分のネットカフェのフラットシートをとった。そこはハロウィーンにおける交通規制の対象である文化村通りから一筋それた裏通りにあった。彼女は犯行前からそのネットカフェに計画に組み込んでいた。女性専用ブースがあり、インターネットの使用を希望しなければ身分証明書の提出の必要がない店だった。そしてなにより、ネットカフェが所在する文化村通り付近は彼女の計画していた犯行の現場そのものだった。

 そこが西田の拠点になる。彼女はそこで午後十時まで待機した。次にネットカフェを出るときには、彼女はスーパーマリオの仮装をしていた。大きな髭のついたつけ鼻は、彼女の顔の下半分をすっかり隠していた。


 前述のように、西田はハロウィーンの犯行の前一か月、積極的に武蔵村山市の野良猫を殺していた。その行為は西田曰く「予行演習」あるいは「調整」であったとされる。猫殺しに使われたシェフナイフは米国のアウトドアブランドから販売されていたもので、税込み一万三千円だった。彼女は三度目の猫の殺害から一貫してそのナイフを使用している。ただし、そのナイフが人間の殺害に用いられることはなかった。


「特別な行為ですから、やっぱり、それなりの道具が必要になります。値段の高いものがいいとは言いませんが、どうしても生きているものを殺す道具なので、しっかりとした道具そのものの耐久性が必要になります。それとあと、重さ。ネット注文で購入したナイフでしたが、小さい割には重いものを選びました。わたしは料理をするので分かるんですが、包丁というか刃物には、ある程度の重さが必要なんです。肉を切るのに、その重さが要ります。わたしは犯行において、たいてい刺すくらいのことしかしてないんですが、それでも実際やってみるとわかります。重さがあるナイフだと、ちゃんと肉に刃が食い込んでいくんです。筋肉の力だけじゃなくて、重力も借りるんです。これはだいたい何においても同じことで、自分の力だけで何かをしようとすると大抵失敗します。自分以外の力をうまく使うことができたときに、初めてそれは効果的なものになるんです」


 最初に猫を殺したとき、それは突発的な衝動によるものだったと西田は語る。自宅アパート近くで捨てられている猫を発見した彼女は、それを家に連れて帰る。その時までは家で飼うつもりだったが、猫が買ったばかりのカーペットに糞をして、なおかつその汚れた肛門をカーペットに擦り付けたのを見て、彼女は猫を殺すことに決め、素手でその黒猫の頸を折った。猫の死体は、糞と猫の体液で汚れたカーペットにくるまれ、そのまま市の指定ゴミ袋に入れられ、可燃ごみとして廃棄されている。


「弁護士さんから聞いたんですが、わたしが、生き物のいのちを奪うことに性的な興奮を覚えているのだと考えるひとたちがいるそうです。でも、そんなことはなくて、わたしはいままでオーガズムというものを経験したことさえないんです。……処女です。女の子と、ちょっと、裸で抱き合ったりしたことはありますけど、男性と性的に触れ合ったことは一度もありません。いつかは経験したいと思っているんですが、『今この時だな』っていう感覚になれないので、してきませんでした。……もしかして、ほとんど死刑確定だからもう一生処女のままだろうとか思ってますか? 男性だとわからないのかもしれません。私たちには、セックスの機会なんていくらであるんです。ほんとうにいつだってできます。その時々で、選んだり選ばなかったりしているだけです。基本的には。

 ちょっと話が飛びましたね。強引に話を戻すならば、最初に猫を殺したときは――その子は殺してからナーコと名付けたんですけど――、ナーコのときは、『今この時だ』ってちゃんと思えたんです」


 「調整」の行為は、彼女の家から離れた町で行われた。彼女は、もちろん捜査の手から離れるためだったと話す。


「ナーコを殺したあと、もう一回何かを殺して、この殺すという行為が自分の精神にどういう刺激を与えているのか再体験しなくちゃいけないと思ったんです。興奮というのではなくて、何かを掴んだ感じがしました。どう説明するのが、一番わかりやすいかな……。『あぁ。わたし、これやれるじゃん』みたいな感じでした。

『調整』ですが、まず電車で上北台駅まで行きます。調布から一時間くらいです。分倍河原駅で乗り換えて、立川駅まで。立川からはモノレールに乗って行きます。上北台は終点で、そこから歩いて武蔵村山のほうまで行きます。適当に選んだんじゃないですよ。そこに住んでる〈猫屋敷〉のおばあさんのところに行ったんです」


 武蔵村山市に住まう大貝おおがいみさきさん(仮名)は地域では〈猫屋敷〉の主人として有名だった。大貝さんは自宅の庭に複数の「餌場」を設け、野良猫たちがやってくるような場を作っていた。彼女の家にはいつも野良猫たちがたむろしていたとされる。地域住民はその家を〈猫屋敷〉と揶揄し、疎んだ。猫の糞害などが増加し、市の職員が彼女の家を訪ねたことは少なくない。武蔵村山市は「渋谷駅付近での無差別殺人事件と武蔵村山市での野良猫殺害事件の関連性及び情報開示の必要性が明らかであると判断できるまで、大貝みさきさんの野良猫保護活動と地域住民との確執については、個人情報保護の観点から、お話しすることができません」と表明している。


 大貝さんは現在〈猫屋敷〉を去り、某精神科院に入院している。家族以外の面会ができる状態ではないということで、病院側は大貝さんとの接触を許すことはなかった。彼女は十月半ばから、警察に「猫が攫われている」という通報を行っている。警察は周辺住民からの聞き取りから、大貝さんが統合失調症と思しい言動を数年前から繰り返しており、彼女の夫である大貝おおがいさとしさん(仮名)が亡くなってからそれは顕著であるという事実を知った。そして大貝さんの通報についてその対応優先順位を低いものにみなした。西田摩遊が十二月一日に自首し、すべての犯行についての供述を終えるまで、大貝みさきさんの主張をまともに聞き入れた者はいなかった。


「地元掲示板っていうのかな。あるんです。公衆便所の落書きみたいな、地元のあれこれ不満が、匿名でめちゃくちゃに書かれてるやつ。わたしはあれがわりと好きで、そこで〈猫屋敷〉のことを知りました。これ、本当ならすごく都合がいいなって思って、行ってみて、屋敷のおばあさんにも会ってみたら、彼女のすごく感じのいいひとで、ああ、ここの猫なら殺しても大丈夫かもって。大丈夫っていうのは、つまりバレないってことで、あのあたりの猫はおばあさんと一緒で誰にも存在を望まれてないから、いなくなったって誰も気にしないんです。本当は十月三十日にあのおばあさんを殺して、それからハロウィーンに臨もうと思っていたんですけど、あの日〈猫屋敷〉に行ったら、すごい剣幕でおばあさんに怒鳴られました。おばあさん、わたしが猫を攫って殺してることに気づいていたんです。わたしはすぐに走って逃げました。幸い、わたしがあの屋敷にたまに遊びに行ってたことを見たひとはいなかったみたいです。おばあさんの声って、すごく通るんです。妄想のせいでしょっちゅう叫んだりしている人みたいで、だからご近所さんも特に異変があったとは思わなかったみたいです。殺した猫は多摩湖に投げて捨てました。

 猫を殺している間に、人を実際に殺そうと思うようになりました。初めは〈猫屋敷〉のおばあさんだけを殺すつもりだったんですが、それは失敗してしまったし、失敗してよかったとも思います。ひとり殺したってたいした意味はないし、また人を殺すのだとしたら、ナイフを使うのは不都合だとも思っていたからです。爆弾とか、自動車とか、いろいろ考えて、結局一番いいのは、毒だと思いました。毒を思いついたのは十月の中頃のことだったと思います。それまでは、ずっとナイフで通り魔をするつもりでした。毒の方法を確立してからも、おばあさんだけは、刺し殺すつもりだったんですが」


 西田は十月三十一日の午後十時に、ネットカフェから出て、文化村通りに向かった。文化村通りは前述のとおり、昨年十月三十一日の午後六時から午後十時までの間、ハロウィンによる混雑を想定した警視庁によって交通規制が行われ、歩行者天国の状況になっていた。交通規制が解かれる一時間前の渋谷の繁華街は、ハロウィーンの仮装者でごった返しの状態であり、なおかつ西田が標的とした泥酔者の姿が散見され始める時間帯だった。


「わたしは確かに生き物を殺すことに慣れていましたが、相手は大型動物の人間です。わたしの身長は152cmで体重は52kgですが、たぶんわたしより小柄な児童を相手にしても、その子がちゃんと覚醒していて私を認識している状態だったら、たぶん殺すのにすごく苦労します。それはわかっていました。だからわたしは、酔っぱらってもう寝てるひとたちを相手にしたんです。まず『だいじょうぶですか~』って声かけます。だいたい返事はないです。で、コンビニの袋にいれた500mlのお茶を寝てる人の足の間とかに、そのひとのものだよ~っていうのが分かるように置きます。起きてるひとなら、『ボランティアです~』って言って渡します。コンビニで今買ってきましたよ、って感じを出すとだいたいみんな受け取ってくれました。ホームレスのひとにもあげたりしました。もちろん中には毒が入っています。前もってネットカフェで準備したものです。ペットボトルの底に注射器を刺してフグ毒の水溶液を入れました。セロテープで穴を塞いだら毒入り緑茶の完成です。みんなべろべろに酔っているので、お茶の味なんかわかりません。ありがとう~って言って私の目の前でごくごく飲んでくれるひともいて、私すごく嬉しかったです。

フグは車で江東区まで行って、堤防に捨てられているのを拾って使いました。Youtubeにフグの捌き方の動画があったので、それを参考にして、毒のある部分をより分けて――とくに、肝臓や卵巣を選び出しました――、フードプロセッサで酢酸水溶液と一緒に混ぜ込みました。それを湯せんで温めながらさらに混ぜました。ふぐ毒のテトロドトキシンは酸性水によく溶けるのだと、インターネットにありました。初めは鍋ごと火にかけて、水分をいくらか飛ばしてより濃いものをつくろうとしたんですが、調べてみたところ、無毒化はされないものの加熱処理は毒性を弱めることがあるそうです。沸騰させないように生ぬるい温度で毒成分を煮出しました。そうして有害な成分を含んだ水溶液を作りました。あとはそれをろ過しました。できた毒水に、ろ過したあとのかすを少しだけ混ぜました。これを飲んでほしいわけですからね。茶葉かすが沈殿しているタイプの緑茶に混ぜれば、かすはほとんど茶葉と見分けがつかなくなります」


 西田の配布した「毒入り緑茶」のペットボトルは全部で四十二本あった。そのすべてが開栓され、飲まれた。そのうち三十四の緑茶は、飲んだ人間を、含有するテトロドトキシンによって死に至らしめた。残りの八名は激しい中毒作用に苦しめられたものの、死に至ることはなかった。助かった八名のうち一人、東京都で会社員をしている大塚おおつか真澄ますみさん(仮名)は語る。


「あの日私は、友達とハロウィーンの仮装をして飲みに出ました。マックでチーズバーガーを食べて、ウコンの力も飲みました。もう思いっきり飲もうって話だったんです。あの日は日曜日だったから、次の日も休みをとって、潰れたって大丈夫だねってことにして。それで、午後三時くらいからもう飲み始めたんです。それで結局、日付が変わる前にはべろべろになりました。ちょっと休ませて、と友達に言って道端に座って休みました。たぶん109の裏手、恋文横丁の近くだったと思います。『大丈夫?』って聞かれて、むり~って答えてみたら、それは友達じゃなくて、ゾンビメイクの女の子でした。ちっちゃい女の子でした。でも大人です。それが西田です。もう友達は私を放ってどこかに飲みに行ってたんです。私はそれがすごく悲しくて、地味にショックを受けてたんですが、そうしたら西田が、私にコンビニの袋を渡したんです。そこには、まだあんまり冷えてない感じの緑茶がありました。それを見た途端、すごく喉が渇きました。西田は『ボランティアでお茶配ってるんです~』ってすごく親切な感じで言うんです。私は友達においていかれた悔しさが、西田のおかげでちょっと薄らいで、それでお茶を飲みました。キャップに開けられた痕跡はなくて、新しいペットボトルを開けたときの感触がちゃんとありました。だからそこに何かが入っているとかいうふうには、全然思いませんでした。それにそんな悪意、あの時の私には絶対に想定できなかったと思います。西田はポケットティッシュを配るみたいにしてお茶を渡して、去っていきました。彼女は大きなビニール袋を持っていて、そこにはほかにも何本かお茶が入っていました。私がそれを飲むときには、もう西田は遠く離れていましたが、ちらっと身体をひねって、私がお茶を飲んでいるか確認していました。そのときはなんとも思いませんでしたが、今になったらわかります。私がちゃんと毒を飲んでいるか気になったんです。お茶を飲んでも全然楽になりませんでした。やっぱり飲み過ぎたかなと思ってしばらく道でおとなしくしてたら、急に強い吐き気がしてその場に全部吐いてしまいました。それがかえって良かったのかもしれません。毒を全部は身体の外に出せたんだと思います。でもそのあとはひどい腹痛がして、頭も痛くなってきました。そのあたりから記憶がありません。気づいたら病院でした。戻ってきた友達が救急車を呼んでくれてたんです。ほとんど死にかけてたって友達は言いました。お医者さんも、ただ飲み過ぎただけって感じではないかもしれないと言いました。三日くらい入院しましたが、目覚めた翌日、十一月二日くらいにはかなり元気になっていました。そのときも、あのゾンビのコスプレしていた女の子=西田に毒を飲まされたのだとはまったく考えもしませんでした。あとになって、警察の人が来て、初めて、私のほかにもコスプレした女の子にお茶をもらった人がいたということが分かりました。

 西田はもう死刑がほぼ確定というふうにネットでも言われてます。そもそも無差別殺人で、彼女が直接私個人を憎んでいるというわけではないというのもわかります。彼女はもうどんな形であろうと人を傷つけることはできません。それはよくわかっているんです。でも、私は本当のところ、怖くて仕方ないんです。あれだけの悪意を同世代の女性ひとりが生み出したということが怖いんです。西田は私よりもいい会社に勤めていたみたいです。私は短大卒なんですけど、西田はちゃんと四年制大学にもいって、就職してお給料もらって、税金払ってってしてたらしいんです。調布の、ワンルームじゃなくて、ちゃんとしたマンションに住んでいたんです。車も持っていたそうです。そんな人間が、本気で人間をたくさん殺そうとして、実際にそれを成功させてしまったことが、怖い。人間が、たった一人の人間がそんなことできるんだって、みんなに教えてしまったことが、私には恐ろしくてたまらないんです」


 西田は一時間ほどで用意した毒入り緑茶をすべて配り終えた。十一月一日に日付が変わり、彼女はネットカフェに戻ると、来た時は別の私服に着替え、終電よりも早く家に帰った。犯行の最中に西田にナンパ目的の青年が数名話しかけたが、彼女は毒入りの緑茶を彼らに渡すことはなかった。彼女は、長い会話は彼女を印象付けることになると考え、無視が最適だと判断していた。

 家に帰って、犯行に用いた三つコスプレ衣装(スーパーマリオ、ゾンビ、竈門禰豆子)を自分の地域外のゴミステーションに捨てた。それが十一月一日午前一時過ぎのことである。翌朝午前九時には、それらのごみは可燃物として回収されていた。その時点ですでに十名の犠牲者が発生しており、警視庁はそれら犠牲者の症状の類似性から、飲食店における大規模な食中毒事案の可能性を推察し始めていたことが、関係者への取材から明らかになっている。


 十二月一日午後二時に西田摩遊は調布警察署において自首をした。その時刻に合わせるようにして、いくつかの報道メディアに向けて、自分の犯行について詳細に記述された文章をA4紙十枚分と、そのテキストデータ、そしてその内容をアップロードしたインターネット上のメディアのリストを送付した。さらには動画サイトに自分の顔を映した犯行声明を投稿した。その動画データも、報道メディアに向けての資料の中に同封されていた。封筒には彼女の免許証のコピーも入っていた。警視庁は西田が自首するまで、一連の事件の犯人を同定することはできなかった。若く小柄な女というのは生き残った被害者たちの証言によってわかっていたが、あまりにも情報が少なかった。動画サイトに投稿された動画において、西田は犯行の理由を以下のように語っている。そしてその内容はまったく同じように件のテキストにも記述されており、また法的な手順に沿って行われた彼女の供述においてもそれは変わらない。


「わたしはこの世界に何かを残したいと思っていました。でもわたしには芸術の才能はないし、子供を創ったりするというような気にもなぜかなれませんでした。だからわたしはこの世界に、傷を残そうと思いました。わたしはよくこの世界がひどく脆いなというふうによく思っていたので、その脆さをみんなに見せつけてやろうと思ったんです。全部がすごく簡単でした。本気でやればあっけないものでした。わたしはわたしの悪意を、この世界にしっかり残せたと思います。だから、もういいから、自首しました。それに残ったのは、傷だけじゃないんです。わたしは、わたしの考えたことや、わたしのやったことというのを、ちゃんと文章に残して、世界中にばらまきました。これらはもう消しても消してもなくならないと思います。それは種子であり、火だねでもあります」









参考文献


「フグ毒の抽出と構造」(1959)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nikkashi1948/80/12/80_12_1483/_pdf/-char/ja


「フグ毒の加熱による影響について」(1986)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/shokueishi1960/27/5/27_5_573/_pdf


「フグ毒検査法における抽出操作の簡素化と抽出比の検討」(2020)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/86/5/86_20-00023/_pdf/-char/ja


「自然毒のリスクプロファイル:魚類:フグ毒」(2021.11.9 閲覧)

https://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/poison/animal_det_01.html

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