十九話 一片の闇

「──よっ、と! これで終わりかな!」


 グレースが狼型悪魔に回し蹴りを食らわせたのを最後に、今回襲撃してきた悪魔は一掃された。

 ほとんどの悪魔は、グレースの活躍により一瞬にして片付けられてしまった。

 アルヒも数体倒したが、グレースはおろかリアムの討伐数にも届かない。兄としては悔しい限りだ。


「しっかし、最近は本当に悪魔が多いな。しかも、前より量が増えてやがる」


 吐き捨てるようなエリックの言葉に、アルヒも頷いて賛同する。

 彼の言う通り、最近は本当に悪魔が多い。アルヒが初出動することになった時も、騎士団支部にいた人員で倒しきれず村に侵攻されてしまうほどだったらしい。

 エリックほど長くここにいないアルヒでも、襲ってくる悪魔の増加は肌を通して感じている。


「国王陛下の話では、私の影響でもっと増えるかもと言ってました。悪魔は聖女を狙ってくるから……」


「グレースのせいじゃないよ。悪魔はもともと多かったし、めちゃくちゃ増えたわけじゃないから」


 アルヒは申し訳なさそうに眉を下げるグレースの頭を優しく撫でる。


「もともとうちの国は聖女が多いしね。今に始まったことじゃないさ」


「それならいいんですけど……」


 アルヒに加えてベネットからフォローが入るも、グレースはあまり納得がいっていない様子だ。

 アルヒがさらなる言葉をかけようと探していると、アルフレッドが剣を収めながらグレースの横に立った。


「悪魔がいくらいようと、俺達が斬ればいい話だ。……ニックス卿両名は残ったやつがいないか探せ。他は各自、持ち場に戻るように。それから聖女様、団長殿と隊長殿が呼んでいる。クリーヴズは執務室に案内してやってくれ」


「了解しましたー」


 アルヒも剣を鞘に収め、敬礼する。

 それからグレースに目線を移すと、今回の一番の功労者である妹は目を輝かせてアルヒに迫ってきた。


「──に、お兄様! 私が戦ってたの見てくれた?」


 褒めてほしそうに頭を突き出してくるグレースの頭を撫でてやりながら、アルヒは心からの賛辞を口にする。


「見たよ、すごいなグレースは。いつの間にこんな強くなったんだ?」


 グレースはアルヒの知る、子供のような笑みを浮かべると、両拳を握って胸を張った。


「えっとね、先生に色々教えてもらったの。あと、エリー様も!」


「へえ、エリーが。……その、エリーは元気にしてるか?」


 アルヒはあの夜のエリーの顔を思い出しながら、声を落として言った。

 グレースはアルヒとは目を合わせられないという風に視線を下に向け、覇気のない声で呟く。


「元気……エリー様はいつも強いよ。私なんかより、ずっとずっと強いの」


 その答えは、アルヒの求めていることの何の一助にもなっていなかった。

 アルヒだって、エリーが誰の力も必要ないほど戦闘面で強いことは知っている。だから、知りたいのはそんなことではない。


「それは──」


 肉体的に強くて元気なのか、精神的に強くて元気なのか。

 後者なら、アルヒは安心できる。そんなことくらいグレースだって知っているはずだ。アルヒがエリーと会えなくなったことに思い悩み、彼女との再会を願う姿を幼い頃から隣で見ていたのだから。

 だが、グレースは明確にしなかった。それがどうしてなのかは分からない。しかし同時に、これ以上エリーに関することを聞いてはいけないような気もした。

 普段は明るい妹の顔をこれ以上曇らせてはいけないと、兄として直感した。


「いや、なんでもない。そうだ、グレースが今まで何をしてたか聞かせてくれないか?」


 アルヒが話題を切り替えると、グレースは勢いよく顔を上げて幸せそうに笑った。


「うん、いいよ! 私ね──」







 それから数日、騎士団支部にはグレースがいる以外何の変哲もない日々が流れた。

 空を斬り、悪魔を斬り、疲れて寝るだけ。


 だがこの日は──この夜は、そんな昼間の市場を通るかのような変哲のなさからはかけ離れていた。


 それはまるで夜道の灯火の下、バッタリ誰かと鉢合わせしたかのように不気味で、じわじわと背筋をのぼってくる恐ろしさだった。


 寒空の下、アルヒは湿りきった手で真剣の柄を握り、乾いた喉で唾を飲み込む。

 その切っ先は、闇の中に向けられている。闇に溶け込んだは、研がれたばかりの鋭い剣を向けるに相応しい。

 しかし、アルヒを含めた討魔騎士8名の誰一人として、その闇を斬ろうとはしなかった。


 闇は無言だった。

 誰も動いてはならないと、息すらもしてはならないと、そう言っているかのようだった。

 周りを気にしないアルヒやグレースでさえ、この場では一言も発することができなかった。


 硬直が続く。

 アルヒは手前に立つオーブリーの後ろ姿を見た。彼は動かない。その背中は普段よりも小さいもののようにアルヒの目には映った。

 グレースを除いてこの場で最も位の高いオーブリーでさえ、禁忌を破る姿勢すら見せない。

 なら、誰がそれをできようか。


 じりじりと、時間だけが過ぎていく。

 アルヒはいまにも力が抜け、剣を落としてしまいそうだった。

 汗で湿った手を握り変えようとした時、空気の震える音が微かに耳に入る。

 誰一人として破ろうとしないこの沈黙を、最初に破ったのは──。


「──迷いは、人間のみが見せる行動です。そして、あなた方は今、迷っていらっしゃる。私奴わたくしめという存在をどう定義づけ、どう処理するか……。その迷いは当然のもの。私奴は否定致しません。そして、私奴はそのような人間を、あなた方を、心の底から尊敬しております。ですから、私奴が導いて差し上げましょう」


 闇の中から人の形を取った影が姿を現す。

 しかし人の形をしていようとも、人の一生を踏みにじり、穢れた大地で生まれるそれを、人は悪魔と呼ぶ。

 闇から歩み寄ってきたそれも、畏怖されるべき悪魔の一種であった。だが、アルヒたちが動けずにいた理由はそれだけではない。


 悪魔は自らの胸に手を添え、もう一方の手を体の後ろに回すと、ゆるりと一礼して頭を上げた。

 そしての、人間のような唇が告げる。


「──迷い子を正しき道に導くのがこの私、ピメネルの天職でございますから」


 羊頭の骨格を頭に被ったその悪魔は、悪魔の中でも最も凶暴とされる六芒星悪魔のその一角、序列第四位の『羊飼』──国王が探しているという悪魔そのものであった。

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七人の聖女と最後の悪魔 猫目もも @nekomemomo

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