第十八話 忠告
アルヒはぼんやり考え事をしながら廊下をメリハリもなく歩く。
悩み事をするなんて、自分でも珍しいと思うし、すれ違いざまにベネットやリアムにも茶化された。
原因は、感動の再会を果たせたはずの妹グレースだ。
会った時から言葉にできない違和感を感じていたが、先程ようやく違和感の正体に気づいたのだ。
端的に言えば、この会えなかった半年の間に、グレースは変わってしまっていたのだ。
人は変わるとよくいうものの、彼女はアルヒの知っているグレースとはかけ離れていた。
グレースはアルヒを
兄であるアルヒにさえも手が負えないような、やんちゃな女の子のはずだったのだ。
なのに、何が彼女をあそこまで変えてしまったのだろうか。
アルヒがそばにいない半年間で、彼女に何があったのか──。
「おい、
「え、ああ。……バージルか。珍しいな」
後方から声を掛けられ、振り返るとそこには懐かしい親友の姿があった。
「何が珍しいって?」
「あ、いや。何でも。それで? 俺に話しかけたってことは用があるんだろ?」
ここ数年、バージルの方から話しかけられることはなかったので珍しいと思ったのだ。だが、前回会った時も彼からだったし、そんなことを言ったら話すのをやめられそうなので言わないでおく。
やはりバージルはアルヒに話したいことがあるようで、ついてこいと言わんばかりに顎をしゃくる。
案内されたのは、しばらくの間バージルが寝泊まりすることになった部屋だった。位置としては、アルヒの部屋の隣の隣だ。
「まあ、座れよ」
とバージルが指さしたのは椅子の方で、彼自身はベッドの端に腰かけた。
アルヒは椅子の背もたれの方をバージルに向け、脚を開き背もたれに上半身を預けて座る。
「バージルが元気そうで安心したよ。グレースとエリーは戦争に参加したって聞いたし、もしかしたらお前も……って思っててさ」
その言葉にバージルは目線を下に向けると、低い声で呟いた。
「──俺はあの戦争には参加しなかった」
「聖女の護衛なのに?」
アルヒは目を丸くし、彼を問い詰める。
彼は脇に置いた剣の鞘に触れると、聞き取れないほど小さな声で、
「俺は……人を殺すのは嫌いだ」
彼の告白に、アルヒは驚かなかった。
彼は、本当は参戦すべきだったと考えているのだろう。
しかし、それは違う。アルヒに言わせれば、それは最も良くない選択だ。
「そっか。安心したよ、バージルは変わってなくて」
「俺も、お前が全く変わってなくて驚いたよ。悪い意味でな」
ここで、ようやくバージルが顔を上げ、偉そうな笑みを浮かべた。
そんな彼の様子に安堵しつつ、アルヒは肩を竦める。
「はいはい。ガキのままで悪かったですよーっと。それで、話は?」
アルヒは珍しく、自分から本題に入るように仕向ける。
このまま昔話に花を咲かせてもよかったが、わざわざ部屋に連れ込んだということは大事な話なのだろう。
ならば、さっさと話に移るべきだろう。この後の午前訓練まであまり時間がないのだから。
バージルは頷くと、神妙な面持ちで話し始めた。
「お前も知っているだろうが、俺は聖女様の護衛のためにここについてきた」
「それは、自分で志願して?」
「ああ。お前に伝えたいことがあってな。それに、今の聖騎士団では……いや、何でもない。言った通り、お前に頼みがあるんだ。──今回、聖女様は張り切っている。寧ろ、張り切りすぎだともいえるくらいに。だから、お前には兄として彼女のことを見守ってやってほしい」
「それは当たり前だけど……張り切り過ぎってのは? 俺にはそうは見えなかったけど」
「聖女様は、前回の戦争で心に深い傷を負われた。直接の原因は知らないが、少なくともお前のことは関係しているはずだ。お前に、自分はできるんだってとこを見せようと必死になっている」
そう言われて、やはりアルヒは首を傾げずにはいられない。
もちろん、グレースがいつもと違うのは認知している。
だがそれは、以前より落ち着いているようには見えても力が入っているようには見えないし、張り切る必要性もわからない。
しかし、実兄であるアルヒよりもグレースを理解していると言わんばかりに、バージルは確信を持った声と表情で訴えた。
「見ていれば自ずと分かる。とにかく、妹なんだからお前がしっかり見張っておけ。万が一彼女が暴走したとして、止められるのはお前か、第3王女殿下しかいないんだからな」
「むー」
アルヒは修練場の真ん中で元気に動き回るグレースを眺め、眉間にシワを寄せながら唸る。
彼女はエリックと汗を流しながら楽しそうに拳を交えている。そこにバージルが言っていた様子は感じられないし、特段危なっかしいようにも感じない。
もちろん、あまり乱暴なことをして怪我をしたら大変なので心配ではあるが、エリックなら気を遣ってくれるはずなので問題はない。
「問題なのはこの後だな」
今は準備運動として各自修練場で体を動かしているが、この後は世界樹の保護圏外──つまり、悪魔や魔獣の生息する地に出ることが予定されている。
そこではもちろん、魔獣と戦闘になるだろう。なのでアルヒがちゃんとグレースを守らなくてはいけない。
「アルヒクン、やけに浮かない顔だね?」
階段に腰掛けるアルヒに背後から声をかけたのは、金髪を汗で濡らしたベネットだった。
ベネットはタオルで汗を拭きながら模擬剣を腰から外して地面に置くと、すっとアルヒの隣に座った。
「──ベネット先輩。先輩は、グレースが張り切ってるように見えます?」
アルヒが目線をグレースに戻してそう聞くと、彼は肩をすくめた。
「さあ? ボクにはどうにも。ボクは普段の彼女を知らないからね。でも、兄である君にそう見えるならそうなんじゃないか?」
「いや、俺にはわからなくて」
その答えにベネットは予想外だったかのように目を開くと、やがて何かを察したかのようにはにかんだ。
「……事情はよくわからないけれど、ボクにも言えることがあるよ」
ベネットはにこにこと続ける。
「誰でも、兄弟の前では自分をよく見せたいものさ」
「先輩もそうなんですか?」
「いいや。ボクは一人っ子だから。でも、そういうものだろう。君は違うのかい?」
「確かに、グレースの前ではカッコつけたいかも」
「うんうん。そうだろうね。でも、もう一つ」
ベネットは人差し指を立てると、
「誰でも、家族の前では弱さを見せる瞬間があるものさ」
その瞬間、僅かに笑む彼の表情の裏に、いつもと違う何かを見たような気がした。
「それは──」
「お兄様ー!」
エリックを下したらしいグレースが、満面の笑みでアルヒに向かって大きく手を振ってくる。
アルヒは慌てて立ち上がり、手を振り返す。
するとグレースがぴょんと跳んで目の前までやってきた。
「見てた!? 私ね、今──」
グレースが何か言いかける。だが、目線を彼女から遠くの方に移したアルヒはそれを中断させる。
「ごめん、グレース。今はそれどころじゃないみたいだ」
「……っ、どうして?」
グレースの切実な目線を頬に感じながらも、アルヒは遠くの展望台の上を見つめる。
そこには、見張り番を務める護衛騎士がいる。彼の役割は、穢れた大地と接するこの討魔騎士団支部に近寄る悪魔を発見次第、鐘を鳴らして報告すること。
そして、そんな彼が慌ただしく鳴鐘のための紐を握ったと言うことはつまり──。
「──来る」
「お兄様?」
グレースの疑問を掻き消すように、辺り一帯に鐘の音が鳴り響く。
その音と同時に、訓練をしていた騎士全員が展望台の方向に走り出した。
アルヒは腰の剣に触れながら、振り返ってグレースを見る。
「グレース、待っててって言いたいところだけど……」
「ううん、これって悪魔が来たってことなんでしょ? 私、このために来たんだもん。行かなきゃだめ」
グレースは唇をきっと結んで、覚悟を決めた顔をしていた。この顔をしてしまえば、アルヒが何を言おうと彼女は意見を変えようとしない。
「だよな、分かった。──でも、無理だけはするなよ」
グレースは返事をしないまま前を向くと、誰よりも早く走っていく。
アルヒは一抹の不安を覚えながら、彼女の後を追った。
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