十年前、設楽さんとここへ来たときには、まだ池の囲いはしっかりとその役目を果たしていた。僕はそこにもたれかかって、すぐ隣で水面を眺める設楽さんに長い話をしたのだ。兄さんの死を誰かに語ったのは、そのときが初めてだった。

 兄が一昨年死にました。そう切り出してから口をつぐむまで、どれくらい言葉に詰まっただろう。雲にふさがれてはまた陽射す空を見つめながら、僕は涙を垂れ流したままで話し続けた。その間、設楽さんは何もしないで横にいてくれた。そして話し終えた僕の肩を軽く叩いた。なんだか苦しくて、僕は喉の奥で唾を飲み込んだ。それからも二、三回設楽さんと会うことはあったけれど、互いにあの池の前で話したことなど覚えていないかのように振る舞うだけだった。

 肌寒いような気がした。地面に触れた爪の隙間に土が挟まっている。そろそろ帰らなければいけないと思うのに、立ち上がる気は起こらない。唇の左端から顎にかけての皮膚がかすかに引きつり、すぐ治る。空高くに見える黒い点は鳥だろうか。よくわからない。

 僕は兄さんにとって死の瞬間まで常につきまとう翳りであれたのだろうか。そうやって想像している間はなんとなく落ち着くから、僕はこれまで何度もこうしてきた。どんな形でもいい。心のどこかで僕のことを考えていてくれたのだと思いたい。

 瞠った目が乾いていく。虚しいのか、虚しいような気がするだけなのか、それもよくわからない。僕ばかりが成功し、自分はちっとも芽が出なかったころ、兄さんもそんな感覚だったのだろうか。


  ◇◆◇◆◇


 なんて思ってくれるだろうか。

 脚が痺れている。それを理由にここから動かずにいてもいいような気さえする。いつのまにか、陽の赤が空全体に移っていた。口を開けるとひとつ咳が出る。眠たいようでもあるし、痛いほど目が冴えているようでもある。身体の末端が重く冷えている。

 なぜ私じゃないのだ。思い描けばこんなにも鮮明で、曖昧になっていくのはむしろ現実のほうであるのに。なぜすべて彼なのだ。地に手のひらを叩きつける。跳ねた土のかけらが頬にぶつかる。彼もそうするだろうか。私への態度を、言葉を、行動を後悔し、それを憤りに変えるだろうか。肌に食い込んだ小石の痕を見て、どうしようもなく全身の力が抜けていくのを感じるだろうか。

 息を吐こうとして、叫びのような音がか細く漏れた。彼もそうなるだろうか。情けなく思うと同時に、ふっと諦めがついたような気になるだろうか。その途端、いとも簡単に立ち上がることができてしまうだろうか。服についた汚れを払いながら、ごめんね、とこぼすだろうか。あまりにもするりと落ちたその言葉に自分でも驚き、すぐに悔いるだろうか。死んでしまいたいな、という思いを心によぎらせて、そして忘れるだろうか。


  ◇◆◇


 なんて、考えてくれるのだろうか。

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