完全無欠のエレメント〜極度の変態が最強魔術師だった場合〜

瀬奈

第1話

とある田舎の魔術工房。


中世的な雰囲気の都市国家、オーレリアから30キロ程離れた山奥。


錬金術師のアーツ・フォン・バルトラインは、新たな術式の開発に力を注いでいた。


「一枚、二枚、三枚……うぅん、赤が足りない。最近流行りのミント色はインパクトがいまいちだな」


アーツはそう呟くと、使い古しの羊皮紙や実験用の器具が並んでいる机の中心に目をやった。


そこにあるのは、赤、黒、ピンク、ライトグリーン等の色をした、大量の女性用下着。


机に描かれた魔法陣の上に、ショーツやブラジャーが積み重ねられている。


「欲望対象としての下着は錬金対価が低めである、と……」


こまめにメモを取るアーツ。

ふぅ、と息を吐き、白金色の髪をかき揚げると、不意に研究室の扉が、がちゃりと開いた。


「マスター!また都市ギルドから依頼が来てますよ。何やら下着泥棒が頻発してるようで……って」


ノックもせずに入ってきたのは、アーツの弟子イリスである。


イリスはその小柄な身体を、身長と同じくらいはあろうかという長さの魔術用の杖で支えている。

彼女の青い眼は、アーツが何かやましいものを隠そうとしているのを見逃しはしなかった。


「それ、何ですか。マスター?」


「ちょ、ちょっと待てイリスちゃんこれには深い理由が」


アーツは慌てて下着の山を覆い隠すが、時すでに遅し。


弟子は師匠の体たらくを目にしてしまう。

ゴゴゴ……とイリスの金髪が逆巻いていくにつれて、アーツは生きている心地がしなくなる。


「なにか、言い残す事はありますか?変態錬金術師さん」


「な、なぁ。何を勘違いしているんだい?イリスちゃん」


「はい?」


アーツは首元に流れる冷や汗を拭いながら、平静を保った。


「これは大いなる研究なのさ。クロウリーが提唱した多元宇宙と極限エレメントの存在を解明する為のね。例えば……」


アーツはそう言って、下着の山の中から一枚の黒い下着を取り出した。


「このショーツ。一見すれば大人っぽく作られているが、素材は綿でできている。異性を誘惑する為の装飾も極めて少ない」


「それで?」


「つまり、この下着の持ち主は、背伸びをしたいお年頃だってことさ!更には異性とのお付き合いも無い!」


「……それで?」


「こんな可愛い下着をつけているウブな女の子が存在しているなんて、世界が少し良く見えてこない?」


『我、汝が世界に従う者也、我、汝が意思に仇なす物也……』


「イリスちゃん!?どうして上級魔術の詠唱を始めているのかな!?」


『理〈ことわり〉を治めよ!汝が敵に鉄槌〈なまくら〉を下せ!』


詠唱と共に、イリスが手にした杖が鉄製のハンマーに変化した。


「その下着はぁあ!私のやつだぁぁああああ!!!!」



          ○


ギャグ漫画のように腫れ上がった顔をしたこの男が、本当はこの世の錬金術師の中で最も優れた存在であることなど、誰が信じる事が出来ようか。


だがしかし、この変態、じゃなかった、アーツ・フォン・バルトラインこそ、現存する国家の全ての武力を持ってしても尚、それに勝る力の持主なのである。


          ○


「微妙な紹介ナレーションをやめろ!!」


アーツが叫ぶと、荷車を引いていた馬たちが驚く。


「何叫んでるんですか」


イリスがゴミを見るような目つきでアーツを睨む。


「い、いや。こっちの話。しかしまぁ、回復を司る〈木〉のエレメントとは思えない攻撃力の高さだったなぁ」


「有機と無機のエレメント変換はどこかの変態マスターが丁寧に教えてくれましたからね」


「そうね、手取り足取……イテッ」


イリスは今踏んだばかりのアーツの足からつま先を退けると、咳払いをして喋りだした。


「今回のギルドからの依頼は、ずばり、治水です」


「それって下水処理って事でしょ。僕やりたくないなぁ」


「我儘言わないで下さい。マスターみたいな危険人物の市民権を保障してくれてるのはあの都市国家以外無いんですから。それとも、ティレニア様のお願いを断るおつもりですか?」


「ちょっと貸しがあるからって、人を何でも屋みたいにこき使うんだからあの人は」


「錬金術師って、元々何でも屋みたいなもんじゃないですか」


「そうだけど」


「都市が見えてきましたよ、マスター」


イリスが馬上から指を差した、その向こう。山の中腹から景色を望むと、巨大な透明な泡のようなものが、半円のドーム状になり街全体を覆っているのが見えた。


この中にすっぽりと包まれてあるのが、都市国家オーレリアである。


海に面した半島にあるこの街は、大陸全体でも有数の港があり、海上貿易で栄えている。


「〈ウンディーネの涙〉がちゃんと機能してるじゃないか」


アーツは所々光を反射して虹色になるドームを眺め、深々とうなづいている。


「去年から魔結晶化による作物の被害は92%軽減されたそうです」


「試作品を作ってたら、家中が消えない泡だらけになった時はどうなることかと思ったけど……」


「ティレニア様はそのことでマスターにお礼を言いたいそうですよ。オーレリアに着いたらご挨拶に伺いましょう」


「そうなると、またギルドベースにいかなきゃいけないのか。僕あそこ嫌いなんだよなぁ、女の子全然いないし」


「そればっかりか!」


            ○


アーツ達がオーレリアに着くと、到着を待っていたギルドの職員達が、彼らをギルドマスターの部屋へと連れて行った。


中に入ると、ティレニア=マリアージュがアーツ達を待っていた。というよりも、ティレニアは来客用の衣装に着替えている真っ最中だった。

紫に細かな花柄の模様と、レースの着いた”大人用”の下着姿である。


「アーツ⁉︎もうギルドへ⁉︎」


ティレニアは赤面しながらその細い両手で身体を隠そうとするが、バストの主張の激しさを抑えきれていない。


「……我が弟子イリスちゃんよ。よくみてごらんなさい。これが大人のパンツというもので……」


めぎょ、と言う形容詞にしにくい音。つまりイリスの杖がアーツの身体に食い込む音が響きわたった。


それから少しして。


ふたたびアーツの御尊顔。

あれだけの攻撃を受けたのにも関わらず、彼の顔はもうすでに、白金色の髪に鼻筋が通り、深い橙色の目をした印象の良い顔に戻っている。


「……コホン。長旅ご苦労様です」


ティレニアはそう言うと、深々と頭を下げた。

既に着替えを終え、ギルドマスターとしての佇まいを取り戻している。


「まずはアーツ、貴方にお礼を言わなくては。貴方の考案した〈ウンディーネの涙〉のおかげで、私たちオーレリアの暮らしはかなりの苦労が減りました。ありがとう」


「お礼なんていいよ。ただ、家中を泡だらけにした分、あの装置には働いてもらわないと。じゃなきゃ僕のプライドが許さないってだけ」


ティレニアはアーツの言葉を聞くと僅かに微笑んだが、その表情は直ぐに真剣なものになった。


「しかし、魔結晶化の被害は私達ギルドだけに留まらず、大陸中で起こっています」


「知ってるよ。だけど魔結晶化そのものは自然現象だ。完全に抑え込むのは良くない」


「えぇ。けれど、中央領域魔術協会……通称CZMOコズモは大陸全体で〈ウンディーネの涙〉の運用を検討しています」


「なんだって?」


アーツはその顔に現れた不信感を隠そうともせず、

「そんなの現存最強の僕に言わせてもらえば、それは人類のエゴでしかない。それに、あれは僕が作ったものだ。勝手に使うことなんて許さないぞ」


「貴方の主張はわかります。それでも、貴方のような例外的存在の滞在を許可している私達……都市国家オーレリアも公認ギルドとしてCZMOに登録しているのです」


ティレニアの懇願するような目。


「また協会のクソジジイ共に脅されたのか。大体、大陸中であれを使えばエレメントのバランスに影響が出るって言うのに」


「それでも、他の場所で困っている人達を助けることができます。それも貴方の使命でしょう」


「そんなのっ」


アーツは手を握り締めて言った。


「そんなの知ったもんか。僕は僕を認めてくれるオーレリアの街とここの人達を守りたいだけだ」


「あ、あのっ」


2人の会話に、肩身を狭めて座っていたイリスが口を挟む。


「マスターは今、〈ウンディーネの涙〉の広域版を開発中なんです。少しだけ待ってもらえませんか」


「それは本当なの?」


ティレニアが尋ねると、アーツは黙って、小さく頷いた。


「それならそうと先に言ってくれればいいのに。わかりました。あの年寄り共には私から検討するよう伝えておきます。それから……また少し大人になりましたねイリス」


ティレニアはイリスに向かって微笑んだ。


「ありがとうございます!どこかの変態マスターは全然わかってくれませんけど」


女性陣の冷たいブレス攻撃を前にして、アーツは口笛を吹きつつ、ただ肩をすくめるのみだった。



            ○


「オーレリアの酒場には世界の半分の酒が集まる」ということわざが生まれる程、オーレリアの夜の街は栄えている。


アーツ達が宿泊する「トッド・バップ」も、その小さな店構えとは裏腹に、一流の料理とサービスを提供する事で知られている。


その豪華であり豪快な食堂にて。


アーツとイリスは虹色エスカルゴの酒蒸しをつまみつつ、ティレニアからの依頼について振り返っていた。


「それじゃあ、下水処理はしなくて済むわけか」


「そんなに下水処理が嫌なんですか」とイリス。


「嫌だヨォ!特に下水道にいる”G”とか!僕が触れば水のエレメントなんか一瞬で再変換できるに決まってるのに!あいつらだけは消しても消しても湧いてきて想像するだけでもうぇぇぇ」


「何言ってんだこの錬金術師。でもですよ、マスター。事態は意外と深刻なんです」


「なんでぇー?どうしてぇー?」


「この一瞬で馬鹿になるなよめんどくさいな!あのですね、ここ最近、フュマテルマエ……まぁ女性用の浴場の事ですが、浴槽の水が知らない間に血液に変わるという事件が頻発しているらしいんです」


「女性が欲情だと⁉︎」


「そこしか聞いてねぇのかっ!って言うか字も違うし!……で、公共施設が整備されていないとなると、市民の不満も高まりますよね」


「確かにな」


「そして、何が1番問題なのかというと……」


アーツとイリスは食堂の中央に目を向ける。


そこには木板が浮かんでいて、大きな文字で「オーレリアギルド選挙候補者」と書かれている。候補者のリストの中にはティレニアの名前もあった。


「選挙での得票が不利になる、か」


アーツはつまらなそうに、食べ終わった虹色エスカルゴの殻をフォークの先で弄っている。


「ティレニアさんは女性市民の後押しがあって当選しましたからね」

イリスは腕を組んで、眉をひそめている。


「こんな手を使ってまで妨害しようだなんて、最低です。まさかティレニアさんが選挙で負けるとは思えないですけど」


「だがインフラ整備の責任は当然今のギルドマスターにある。となると、このタチの悪い妨害行為の犯人は……」


アーツは殻を口に含むと、宙に浮かぶ木版に向かって勢いよく吐き出しだ。


殻は真っ直ぐに候補者リストに向かって飛び、ティレニア以外の、2人分の似顔絵の描かれた部分に当たって砕けた。


「対立候補の2人のどっちかってことになりそうだな」


つづく。

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