二曲目 『ノスタルジア』 いきものがかり
今晩は皆さん。今宵もこの『さよならのプレイリスト』にお越しくださってありがとう。
この番組は、ゲストの皆さんの「あの時言えなかった”さよなら”の代わりに言いたかったこと」を、歌に合わせてご紹介していきます。
パーソナリティは私、月夜野ヒズミです。今晩もどうぞお付き合いください。
夜桜が見ごろを迎えたころ、雨が降っていた地域も多かったですね。残念なことに桜の花は雨に打たれるとしぼむように散っていってしまうもので、無残な姿で夜露と泥にまみれた桜を踏みしめた方も多かったのではないでしょうか。
桜という花は暫し別れの代名詞として使われます。散る姿の儚さも、春という出会いと別れの季節に咲くことも、なんとも美しい淡い色合いもすべて、まるで青春の終わりを彩るために作られたような花のような気さえしてきます。
今宵のゲストさんはそんな桜にまつわる言えなかった”さよなら”を抱えているみたいですね。早速メールを読んでいきましょう。
ラジオネーム≪うさぎごや≫さん。
――月夜野さん、今晩は。
今晩は。メールありがとう。
――満開の桜が、雨に濡れて縮まっているのを眺めていたら、思い出したことがありました。どうしても誰かに聞いてほしいけれど、身近な人には誰にも言えない話なので、私の代わりに”さよなら”を夜空に流してもらえませんか。
――その年、私には恋した人がいました。
人生を何周もしたかのような深い考え方の持ち主で、明るく活発な外見とは裏腹に常にいろんな考えを巡らせては自分を苦しめる人でした。はじめはただの仕事仲間だったのに、仕事の合間の雑談から酒を酌み交わしながら話をしていくうちに、考え抜かれたその人の頭の中に入り込みたいと思うようになりました。
その人の頭の中を、自分への愛で満たしたいと思ってしまったのです。
なんて利己的な恋心なんだと自分でも思います。けれど、私はそんな欲求をその人に持ってしまってから、自分の頭の中がその人で満たされてしまっていて、相手に同じように思ってもらうことが恋愛なんだと思っていました。
――そんな私に対するその人の態度は、いつも幼子をあやすような優しさがありました。愛されることを渇望していた私はとうとうある夜、卑怯な言い方でその人へ思いを打ち明けました。
その日は新年度の初めの週末で、二人とも仕事でクタクタになっていました。多くの話を交わしながら、酒を飲むスピードが上がっていきます。酒のせいで赤くなったその人の頬を見つめ、胸を高鳴らせながらどんどん酒を追加してしまったのを覚えています。普段は思慮深く酒に溺れることのないその人も珍しく勢いづけてグラスを空にしていき、店を出るころ二人の脳は溶けたようにドロドロになっていました。
散り始めた桜並木を酔い覚ましに歩いていた時、無言でその人の手のひらをつかみ、「好きになってほしいと言ったら、どうする」と言ったのです。
「どうもしない。君を好きになるかどうかは、私が決めることだから」その人は手を振り払うことも、握り返すこともせず、まっすぐ私の目を見つめていました。
瞳に映る夜桜は感涙してしまうほど美しいものでした。
まだ酔いが残っているだろうその人の頬に、私は吸い寄せられるように唇を寄せました。一瞬の間ののち、桜色の唇にも、続けて口づけました。その人は逃げることもなく私を見つめていましたが、私が手の力を緩めると表情を変えることなくまた歩き出しました。
――その日から、二人の関係性は少し変わりました。恋人同士になったわけではありません。「好きになるかどうかは私が決めること」とその人が言ったように、口づけたからと言って両想いになったわけではなかったのです。恋をしている自分と、恋心を向けられているその人の間には、今までになかった関係性ができたのです。
私はその人と会うためならどんな約束も放り出して時間を作りました。頭の中は常にその人のことでいっぱいでした。仕事の間も、用事を作ってはその人の傍にくっついていました。姿の見えない時間は寂しいと思い、恋しい気持ちがとげのように心の中をさし続けているような感覚に襲われました。けれど私の頭の中がその人で満たされるようになればなるほど、その人との距離が開いていくような感じもしていました。
それは私の感覚の話ではなく、現実に起こっていることだと気づいたのは、その人と会話ができなくなってからでした。少しずつその人からの連絡は減り、職場で姿を見かけることがなくなり、ついに私が部署を異動して完全に会う機会を失ったのです。それでもその人に会いたくて、私は連絡を続けていました。
――そんな時、久々にその人から飲みの誘いがありました。内容を確認するまで浮かれていた私でしたが、開いてみると二人きりではなく、職場の同期数人と飲むから来ないか、という内容だったのです。私は大変がっかりしながら、それでもあの人に会えるなら、と了承しました。
当日、私は胸を躍らせながら指定の場所に向かいました。案内された場所にはすでに数人の顔見知った人間が集まっており、私はその中からすぐその人を見つけました。
けれどその人の隣には既に、別の同期が座っていました。前々からお互いに顔見知りではあったものの、あまり得意なタイプではないと何となく感じていたので、最も避けたい相手ではありました。しかしその人と同期は最近読んだ本の話題で盛り上がっており、自分の入れない話題で楽しそうに笑っていることに大いに嫉妬しました。仕方なく比較的仲の良い同期と酒を酌み交わしていましたが、酔った勢いというのは怖いもので、盛り上がっている二人の話題に割り込みたくなってしまいました。同期がトイレに立ったタイミングで席を奪い取るように座り、その人が目を丸くしているのを無視して「何の話だったの?」とにこやかに切り出しました。戻ってきた同期も驚いていましたが、大人しく私が座っていた席に移動してくれました。その人は「何、びっくりした」と言いながら以前と変わらない態度で話していた内容を教えてくれ、私のお勧めの本を聞いてきました。以前と同じように話せることが嬉しくて、鼻の穴を膨らませながら私は語り始めました。
ところが私が話し出すと、私の席に座った同期も相槌を打ったり、会話に口をはさんできました。それだけでなく、私の仲のいい同期にも話を振り、二人きりの会話にしないようにしてきたのです。私は軽く同期を睨みつけましたが、向こうはそんなことに気づきもせずに話を盛り上げています。不愉快になった私はトイレに立ち、戻ってきたときには案の定席は奪い返されていました。
帰り道も散々でした。傘を忘れた私はその人に近づき「傘に入れてよ」と言いましたが、「忘れたならあげるよ」と言われそのまま手渡されてしまったのです。その人は雨の中を素早く潜り、集団の先頭にいた傘の群れの中に消えました。私はただ、その人が明るい歓楽街の中を抜けていく様を見ているしかありませんでした。
皆と別れた帰り道、自分の足に夜露にまみれてぐちゃぐちゃになった桜がまとわりついて不快な思いになりました。ぐちゃぐちゃになっているのは桜だけじゃなく、泣くまいとしながら溢れる雫を抑えられない自分の顔も同じでした。一晩中、雨はさらに強く強く私の体を濡らしました。
――その翌週の月曜日、他部署である私の職場を訪れたその人は、今まで世話になった礼と退職が新年度の頭にずれ込んでしまったことへのお詫びを口にして、鮮やかに去っていきました。それが私がその人を見た最後の思い出です。
――あの日の桜並木で見た瞳の中の夜桜は、私の中で淡い思い出として咲き続けていました。
けれど花の命は永遠ではない。私は次に進むために、花を散らさないといけないのです。
『好きになってほしい』ではなく、『好きだ』と伝えなくてはいけなかった。たとえ想いが実らなくても、卑怯なやり方でその人を失望させることはなかったでしょう。
連絡先は、とうに変わってしまっています。私には今大切にしてくれる人がいて、昔に戻ってやり直すことは出来ません。どこかで会っても今度は、互いに見て見ぬ振りをするのでしょう。
――月夜野さん、どうか私の代わりに、あの夜桜にさよならを伝えてください。桜が散る様をこの目で見ることは出来ませんが、夜空に散る桜の花びらは、きっと美しいことでしょう。
貴方の物語、しっかりと読ませていただきました。美しく儚い桜のような貴方の恋は、実らずに今夜夜空へと散っていくのですね。
星のように夜空を彩る花びらを、貴方は繰り返し桜の季節に思い出すのでしょう。さよならを言った思い出と、別れるとは限らない。季節が巡るたびに色褪せても、消えることはないんです。
忘れなくていいんですよ。
さよならしても、思い出が消えるわけではないのだから。
今宵私からはこの曲を贈ります。
寂しがることを怖がらないで。どうか空を見上げて、満開の夜桜を貴方の瞳に映してください。
いきものがかりで、『ノスタルジア』。
さよならのプレイリスト 末広八 @suehiro-hachi
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