さよならのプレイリスト

末広八

一曲目 『靴紐』高橋優

 今晩は皆さん。今宵もこの『さよならのプレイリスト』にお越しくださってありがとう。

 この番組は、ゲストの皆さんの「あの時言えなかった”さよなら”の代わりに言いたかったこと」を、歌に合わせてご紹介していきます。パーソナリティは私、月夜野ヒズミです。よろしくお願いいたします。


 この番組も始まって早三か月、いまだに私の名前に慣れないリスナーの方々がいらっしゃるようですね。よくコメントいただきますよ、変な名前!!ってね。

 おっしゃる通り変な名前ですが、もちろん本名ではございません。どんな本名か知りたいって?それを教えちゃあ、せっかくの夜が台無しでしょう。


 そんなこと言ってないで、今宵も”さよなら”をご紹介していきましょう。


 メールありがとう、今宵のゲストのラジオネームは、≪頑張れギター少年≫さんですね。

 ――月夜野さん、こんばんは。

 はい、こんばんは。

 ――いきなりですが、私の言えなかった”さよなら”の話を聞いてください。


 プロフィールを拝見すると、≪ギター少年≫さんは先日高校を卒業した学生さんでいらっしゃるようですね。応募フォームぎっしりにエピソードを書いてくれました。私とゲストの方を繋いでいるのはたった一枚の紙ですから、これだけ仔細に書いてくれるのは嬉しいですね。


 ――私と彼は…いわゆる、幼馴染です。隣の家に住んでいて、親同士も仲が良くて、小さいころからしょっちゅう家族ぐるみで旅行とかもしてました。小学校から同じ学校に通っていて、最初のころは手を繋いで登下校していました。

 小さな彼はとても泣き虫で、ちょっと意地悪して私が早歩きすると「行かないで」と言って泣き出すくらい弱々しい男の子だったんです。今思い出すとひどいことしてるなあと思うんですけど、当時から私は彼のことが可愛くてたまらなかったんでしょうね。


 ほほぉ。お転婆な女の子だったんですね、ゲストさんは。


 ――学年が離れていることもあり、ちょっとずつ距離ができてきたなあと思ったのは彼が中学に上がったころです。それまでは夕飯に招いたり招かれたりする機会も多かったのですが、学年が上がるとなくなっていきました。

 私は私の青春を謳歌していたので、彼がひらいてしまった距離を寂しく思っているなんて思わずに、それどころか彼のことをしょっちゅう忘れて日々を楽しんでいたのでした。


 ――私は中学、高校共に軽音部に入っていました。楽器は嗜むくらいしか上達しませんでしたが、歌うことはどんどん好きになり、どんどん上達させたいと思って励むようになりました。文化祭のステージにも立ちましたよ。普段の大人しい私からは考えられないくらい、のびのびと歌っていたと思います。


 あら、素敵ですねえ!


 ――高校一年生の文化祭、彼がステージを見に来てくれていたことは私の親から聞かされました。

 私のことをよく知っている人に新たな一面を見られるのはとても恥ずかしかったのですが、楽しんでくれた、という話にとても嬉しくなりました。

 彼が私を見る目が変わったということは、知る由もありませんでした。


 ――私が中学で軽音部に入って歌い始めたときから、彼は私が音楽を楽しむ姿に興味を持ち、あのステージを見てからは一緒に舞台に立ちたいと思って楽器を猛練習していたんだそうです。それを聞いて私は嬉しかったのですが、やはり思い浮かべる彼の姿は小学校の帰り道でべそをかきながら私の後をついてくるあの小さな背中のままなのでした。


 ――同じ高校に彼が入学してきたときは、驚きながらもどこかでこうなることがわかっていた気がします。いつからか私は、彼の奏でるアコースティックギターの優しい音色に乗せて、心行くまで歌いたいとさえ思っていたのです。

 幼馴染という関係は周囲に冷やかされるものの、姉と弟のような私たちのやり取りにだんだん周囲も特に何も言わなくなっていました。

 私は受験勉強の傍ら部活には欠かさず行き、彼と顔を合わせるうちに確信した彼の好意に気づかぬふりを続けていました。

 答え合わせをするのが、何となく怖かったのです。


 ――高校最後の文化祭の日、私は彼とユニットを組んでステージに立つことになっていました。

 最初で最後のステージを全力で楽しもうと私も彼も大いに張り切り、この時ばかりは受験勉強そっちのけで部活に全力を注ぎました。顧問の先生は私の担任でもありましたが、よい息抜きになるだろうと温かく見守ってくれていましたし、それぞれの両親も大変ステージを楽しみにしているようでした。

 彼にとって一大決心をかけた大舞台であることを、私は知る由もなかったのです。


 ――ステージに上がってお客さんの顔が見えると、彼はすっかり緊張してしまっているようでした。

 1曲目、彼は震える手でギターを一生懸命鳴らしていましたが、全体のテンポがやや速く私は少しリズムを崩してしまいました。焦った2曲目でも何か所かミスがあり、彼はすっかり参ってしまったようでした。

 合間のMC、私が話題を振っても目を泳がせながら相槌を返すばかりで、どこか上の空です。私の笑顔もだんだんこわばってきます。

 傍から見ればただの気の弱い2人がMCに困っているだけに見えたでしょう。想定外の事態から立て直そうと一瞬会話に間が空いたところ、体育館の後ろのほうから思いもよらぬ声が飛んできたのです。


 ――「しっかりしろよ!!告白するんだろ!!」


 ――声の主は、彼のクラスメイトでした。頭の中が真っ白になりました。どこか遠い場所からはその声を皮切りに、彼に向かって、そうだそうだ、男だろ、根性見せろなどとヤジが突き刺さる勢いで飛んできていました。


 ――「やめて!!」


 ――マイクを通さなくても、体育館中に響き渡る声でした。ステージの上だけ明るいせいで、声を発していた彼らの姿は見えなかったのですが、おそらく唖然としていたことでしょう。ぴたり、と体育館の音の波が止まって静寂が訪れたのがわかりました。私は我に返り、慌てて次の曲に移ろうとしました。

 しかし、いつまでも彼のほうからギターの音が聞こえてこないことに気づき、振り返りました。

 彼は怒りと悲しみの混じった表情でこちらを睨んだ後、乱暴にギターを外して舞台袖へはけていきました。私はわけがわからずに彼を追いかけましたが、その背中はどんどん私を置いていきます。

 すっかり大きくなって、少年から大人に変わりつつあるその背中に、私はとうとう追いつくことができませんでした。


 ――文化祭が終わると、私は彼と会うことがなくなりました。部活は引退し、受験勉強にひたすら向き合うなかでも彼に向けられた背中は私の中に残り続け、時々図書館から見える下校中の彼の姿を見ては胸が苦しくなるのでした。何度か謝ろうと思ったのですが彼のクラスに行っても取り次いでもらえることはなく、偶然すれ違うふりをしようにも徹底的に避けられていて、廊下ですれ違うことはおろか下駄箱で遭遇することすらなくなっていました。


 ――彼と話せないことを心に引っ掛けながら、私は部活に充てていた時間を受験勉強につぎ込みました。無事サクラサクを受け取った私はこの春から、都心へ出て一人暮らしを始めることになりました。当然、彼と偶然に会えるような距離ではありません。


 ――そして、卒業式の日が訪れました。

 

 ――仲の良かった友達や後輩と最後の挨拶を交わしたり、連絡先の交換をしたり、卒業アルバムに寄せ書きしたりとやるべきことは意外と多く、帰る前に音楽室に寄ろうと思いついた時には既に日が傾いていました。

 私の通っていた学校の音楽室は西側に窓があり、夕方になると眩しいので大抵人がいる時は電気がつけられ、カーテンは締め切られています。ドアから夕陽がこぼれているのを確認して手をかけた時、中から声が聞こえてきたのです。


 ――「先輩の見送り、行かないの」

 

 ――「…関係ない」

 問いかける声の女の子は誰だかわかりませんでしたが、答える声は紛れもなく彼のものでした。音を立てないようにそっと中を覗くと、窓側を向いて机に腰掛けた2つの影が見えます。声をかけられないでいたこの半年で、彼の背中はますます逞しく、大人に近づいていました。

 「ふーん。あれで良かったの、文化祭」

 「…うるせぇよ」

 2人の間には少し距離がありましたが、机に置かれた小指はあと何ミリかで触れ合いそうで、まだギリギリ触れていない、そんな距離を保っています。

 「長かったんだねえ、あんたの初恋」

 「…そうだな。でももう、終わったんだよ」

 「あんたの気持ちは、それで踏ん切りつくわけ?一生懸命追いかけてたのに、随分あっさりしてるね。この半年間ずっと引きずっててさ」

 「つけるしかねーもん。あの人明日、東京行っちゃうし。あの人にとってはずっと…俺は、小さな近所の男の子のままだったんだ」


 ――ずきり、と胸が痛くなりました。思わず、俯いてしまいます。


 ――「大人になって追いついて、追い抜いて、男として見てもらいたかったのに…スタート地点から不利すぎたんだ。同じ部活に入ってやっと毎日会えるようになってもずっと…俺は幼馴染の可愛い弟分のままで、大人として、恋愛対象として見ることをこの人自身が避けてるんだって気づいた。文化祭のステージであんなことになって…やっと物理的に距離が空くから、きっと、忘れられるようになる」

 


 ――指先が震え、こめかみがジンジンと痛くなりました。彼の声はだんだん弱々しくなっていき、背中は震えていました。私はその背中を抱きしめてあげたくなり、ドアにかける手の力を強めたのですが、顔を上げると二つの影が重なっていることに気づきました。


 ――「忘れさせるから」


 ――呆然とした彼と、強い意志を持った彼女の瞳が、互いに惹きつけあっています。私はそっとドアから手を離すと、その場を後にしたのでした。


 ――もしあの時に戻れたなら、と思う瞬間は何度もあります。ですが、その時にもし彼の思いを受け入れていたとしても、私は彼に対して『小さな男の子の背中』を振り切って接することはできなかったのではないかと思います。私が彼に抱いていた気持ちは一種の愛情には違いありませんが、恋心として実をつけることはありませんでした。

 私は彼の初恋だったのかもしれませんが、彼の心はきっともう次の花を咲かせる準備ができているはずです。私は彼に何も言わず立ち去ることを選びました。


 ――月夜野さん。私の言えなかった“さよなら”を、代わりに夜空に流してください。

 私も前に、進まなくちゃいけないのです。


 ゲストさん。あなたの物語を教えてくれて、ありがとうございました。

 彼と過ごした日々のことは、忘れたり、水に流してしまうようなことではありません。その時の気持ちは紛れもない本物で、あなたが持っていても良い宝物です。名前をつけなくてはならないものでもありません。

 あなたが彼を愛していた、大切に思っていた、それはあなた自身の土台にあったことを、どうか忘れないでくださいね。


 そしてもしこの物語がギター少年の彼に届いていたら。

 あなたが相手を想い、自分の中に積み上げてきた軌跡は、どんなに思い出と距離がひらいても消えるものではないのです。時にはあなたに苦い思いもさせるかもしれませんが、あなたを勇気づけてくれることもあるでしょう。


 今宵私からはこの曲を贈ります。

 思い出の紐をしっかりと結んで歩む、そんな2人に幸せの星が降り注ぎますように。


 高橋優で、『靴紐』。

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