拡張らーめんの歩み
岸本健之朗
拡張らーめんの歩み
はじまりは一軒のラーメン屋さん。もうもうと立ちこめる湯気のパーティクルが薄暗い照明の光によって浮かび上がる。狭い店内には美少女キャラやロボットのアバターがひしめき合い、一心不乱にラーメンを啜り続けています。彼らはラーメンの味や食感を現実さながらに体験することができました。栄養の摂取こそできないものの、それは間違いなく史上初のVR空間での「食事」と言えるものでした。二〇二二年にリリースされた第一世代VRMMOはまだまだ発展途上。広大な宇宙を舞台としたゲームは当初さまざまなフィクションで描かれた理想像には及ばず、がっかりしたプレイヤーからは「コレジャナイ」と酷評されましたが、地道なアップデートを重ねることで少しずつプレイ人口を増やしていき、何だかんだで十二年ものあいだ愛され続けることとなりました。実際に遊んでみてはじめて人々は「VRMMO」という夢の着地点を知ったのでした。そんなゲームシステムの中で簡略化された食事という行為に願いを託した者がおりました。彼女は「仮想空間でラーメン、食べたい!」という欲求にひたすら従った結果、ある一つの暫定的な答えに辿り着いたのです。それは本気のままごと、究極の「食べるフリ」でした。数人のフレンドがそれに巻きこまれました。そこには啜る者同士の濃厚な共犯関係によって成立するフィクションとしてのラーメンがありました。しかしながら場の雰囲気が茶室みたいになったところで実験は中止。あくまでもラーメンが食べたい彼女は、さらなる試行錯誤を繰り返すうちに、技術開発の沼へと沈んでいきました。まず最初に試したのがセンサー付きのどんぶりとれんげ。3Dスキャンによって現実世界のラーメンをVR空間にテイクアウトという手法です。なかなかこれは良かった。というのも、本来の味わいをそのまま反映させられるからです。膨大な処理負荷によって映像がカクついた途端にどんぶりごとひっくり返して指を火傷するまでは本当に素晴らしいプランのように思われていました。この次に考えたのが「啜ること、それすなわち波動である」ということです。彼女は理想的な「ちょいカタ」の口当たりを波形パターンとして記録し、かぎたばこのように口に含んで使うシリコン製の小型デバイスに搭載されたアクチュエーターを介して伝達することで、プロのススリストたちも唸るほどの啜り心地を実現しました。しかしこれで解決するのは食感についての問題のみ。一部からは「味の抜けたガムみたい」という辛口意見も寄せられます。彼女にとって味を妥協することとは取りも直さずラーメンという概念そのものに対する裏切りでした。このままではいけない、そう思った彼女は山に籠りました。日に三度の荒行。そこには過去も未来もなく、ただ無限に引き伸ばされた麺のような思弁だけが存在していました。完飲、そして目の前には空のどんぶり、渦巻き模様。彼女は悟ります。曰く、「わたしがラーメンだ」と。ここで言う「山」とはつまり二郎系。新たな方向性を見つけた彼女は、研究所へと舞い戻り、パソコンに向かうと一つのプログラムを組み上げました。さまざまな文様に含まれるモノミス的構造から生じるシナスタジアを通じて、特定の味や食感、匂いを惹起するとんこつの文法。「雷文MOD」と名付けたソフトウェアを試験的に実装した個人サーバーには大勢のプレイヤーが集まりました。そしてそれこそが「拡張らーめん」の一号店。もうもうと立ちこめる湯気のパーティクルが薄暗い照明の光によって浮かび上がる。狭い店内には美少女キャラやロボットのアバターがひしめき合い、一心不乱にラーメンを啜り続けています。VR空間での食事を可能とするプログラムはほどなくしてオープンリソース化。さまざまな大手IT企業が躍起になって手に入れようと目論んだ「秘伝のスープ」はいともたやすく全世界に拡散したのでした。しかしこれは一種の宣戦布告でもありました。それすなわち——ついてこれるか。多くの人々が従来のVRに欠けていた「食」を、雷文MODから派生したシステム群によって補綴することに夢中になっているあいだ、彼女はさらなる飛躍を遂げていました。VRでラーメンはもう古い。これからは物理法則を超えたラーメンを電脳空間で実現しなくてはいけない。ええ、そうです。言葉を啜ったってかまわない。それはラーメンです。あるいは彼女の歩みを記した文章か。数百年のときを経てオープンした当店ではコンピュータデータ化された創業者をふんだんに練りこんだラーメンを提供しています。一口ごとにずぞぞっとよみがえる彼女の思い出。ちょっぴりくすぐったいような気もしますが。そういうわけで、わたしはいまこうしてあなたに啜られているのです。
拡張らーめんの歩み 岸本健之朗 @kishimoto0627
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