第二夜 神の契り


 こんな夢を見た。




 夕暮れ時の空は、まるで燃えているような色をしている。長い石階段を上った先の、どこか寂しさを感じる神社の境内から、わたしは真っ赤に染められた町を見下ろしていた。傍らには、壮年の男性とその息子であろう少年が立っている。



「貴女は、この町を守る存在なのですよ」



 不意に、男が口を開き、そう言った。わたしは随分と上から降ってきた声に視線を上げ、男を見つめる。その拍子に肩甲骨よりもほんの少し短い長さに伸ばされた黒髪が、サラサラと音をたてて肩口を滑り落ちて行く。わたしは、己の身にまとっている鮮やかな緋色の着物をみとめ、袖口から見える小さな掌を見つめた。それから、静かに、「そう、」とだけ返した。



 十と少しをこえたばかりの小さな身体のわたしは、どうやら神社に祀られている“かみさま”であるらしい。




 小さな手水舎に、木造の拝殿と本殿。それと、簡単な神事を行う舞台。この神社から一望できる小さな町に相応しい、小さな箱庭のような神社。参拝者は殆どなく、わたしは己が神ということさえも忘れてしまっているような存在だった。


 どこかぼんやりとした表情をしたままのわたしに、少年は決意に満ち満ちた瞳を向ける。まるでこの世界でいっとう大切なものを扱う手つきで、少年はわたしの手を握った。



「僕がついています」



 突然の言葉に、わたしはゆっくりと首を傾げる。なんのこと、と問おうとして、その前に男がこう続けた。



「貴女は、婿を取り、初めて神としての役割を取り戻すのです」



 そう、とわたしはもう一度頷いた。細い手足、幼い身体、拙い記憶。そんな不完全な神として産まれたわたしは、人と契って初めて人を守ることができるらしい。なんとも可笑しく、可哀想で、悲しい話だと思った。



「いつ、わたしは神に戻るの」



 男に、尋ねる。男は、優しい声色で「貴女様の御心が定まれば」と言った。こころ、とぼんやりと考えた。いつかわたしがもっと成長し、なにかを取り戻せば、少年はわたしの婿にならなくても良いのかもしれない、と漠然と思った。


 人は、人の理がある。そこから引き抜いてこちらの者にしてしまうには、あまりにも哀れだと思った。



 わたしは、少年を婿に取るのをうんと伸ばそうと思った。少年が成長し、わたしから逃げられる力と知恵がつけば、きっと人の世の中を愛しく思うだろう、と。




 一つ、月が終わった。わたしはまだ少年を婿には取らない。

 一つ、季節が変わった。わたしはまだ少年を婿には取らない。

 一つ、年を重ねた。わたしはまだ少年を婿には取らない。


 少年は、わたしの隣に居続けた。まだ婿には取っていないから、男も少年も神社に住むことは出来ない。だから、日の上がっている時間しか、神社には足を踏み入れなかった。少年は、わたしに婿を取れ、と迫らない。ただただ、静かに、僕が居ります、とわたしの小さな手を、彼の小さな手で握るのだった。



 或る日の夜、わたしは一人で町へと続く階段の上に立っていた。赤い月が町を照らす。わたしは初めて、石造りの鳥居を潜り、神社を抜け出した。

 夜の街には、人ひとり歩いていない。街灯に照らされたコンクリートと白い横断歩道は、まるで作られたばかりのように汚れ一つない。車道と歩道の境目の、真っ白い線を落っこちないように歩いていく。

 わたしがこのままどこかへ行ってしまったら、誰かが困るのだろうか、と思った。寂しい町。作り物の町。箱庭のような町。神が社に戻らないまま。この町の人々は、それを何も知らずに。生贄さえも作らず。そうして忘れていったほうが、幸福なのではないだろうかとさえ思った。



――けれど、わたしはそうしなかった。


 朝日が昇る前に、気が付くと、わたしはきちんとわたしのための神社へと帰っていた。どこかへ行きたいわけではないけれど、ここからはどこにも行けない気がした。




 だから、仕方がないと思った。



 

 いつものようにぼんやりと神社で過ごしていると、少年がやって来た。そうして、幾分か大きくなった彼の手がわたしの手を包み込んで、初めて彼が望みを言った。



「僕と、契りを交わしてくださいませんか」



 わたしは、ここからはどこにも行けない。わたしの婿となる少年も、きっとここから逃げることはしない。可哀想で、可愛い少年だった。仕方がない、と思った。わたしも、少年も、最初から最後まで、きちんと逃げようとしなかった。捕まえて、閉じ込められても文句ひとつ言わなかった。だから仕方ない。せめて、彼の望みを叶えてあげようと思った。



「うん」



 きちんと、最後まで愛そうと思った。仕方がない。可愛いのだから、仕方ない。初めて、少年の身体を抱き締めた。いつの間にか、子供とは呼べないほどに成長していた。仕方ない。胸の中に入れてしまうのだから、うんと大切にしてやろう。



 社の外から、人間の喜ぶ声がする。



 婿も町も人間も、わたしはきっと愛せるようになる。きっと、この愛しいという気持ちを、知るために神は婿が必要なのだろうと。






 そう、思ったところで、目が覚めた


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夢X夜 めあふ @meahu

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