ドラゴンが現れたらしい
悲鳴とも取れる叫び。心の底から助けを乞う声。冒険者時代、俺も何度味わったか分からない心臓の奥を抉って来るような悪寒。
冒険者ギルドの扉を破るようにやって来た男は、そのままカウンターの目の前にまでやって来て、肩で息をする。顔には未だ恐怖が残っているかのような引き攣りっぷりで、ちょっとの冗談すら通じなさそうな空気だ。余程怖かったのだろう。――それこそ、コイツも死と隣り合わせだったくらいまでには。
「やられた! 出たんだよ、ドラゴンがっ!!! まさかあんなチンケなダンジョンに沸くだなんて……俺が何をしたってんだっっ!!? だから俺は嫌だって言ったんだよぉッッ!!!」
「落ち付いて下さい。まずは状況説明を。貴方の名前は?」
「デレックだッ!」
受付嬢はこういった緊急対応にすら慣れてるのか、男の焦りとは対照的にどこまでも冷静だ。その声に男も幾分か我を取り戻したのか、思い出すように語り始める。
「アーノルドがリーダーの4人パーティで、水晶の洞窟に向かったんだ。で、アイスリザードの鱗が必要だったからギルド依頼で要求された分を取って、後はそのまま脱出して終わり……になる筈だったんだ」
……筈、か。ならここからが本題、という訳か。
「探知能力のあるガインツ爺が『少し奥に脆い壁がある』って言いだしたから、それをアーノルドが思いきりブッ壊したんだ。……そしたら、奥には卵が何個かあって、アーノルドはアイスリザードの卵だろうって思ったんだろうよ! でも……」
「――『だろうよ』? まさかそれは……」
思わず近くにいた俺も、口にしてしまっていた。
「俺はアイスリザードにしては卵がデカすぎると思ったんだよッ! なんか嫌な予感がしたから早く帰るぞって言っても、卵を持ち帰るくらい1分ありゃ十分だろってまるで聞きゃしねえ! ……そしたら、そしたら……! ……ああッ!! 一番後ろにいたガイツが急に現れた青いドラゴンに一気に食われて! 出口を完全に塞がれてたから逃げ出す事すら無理でッ!! 思い切って飛び掛かったアーノルドも爪で真っ二つにされて!! 俺は……俺はァッ!?!!」
デレックは最後まで事の顛末を言い切れず、そのまま蹲ってしまう。……これは、しばらく冒険者としては立ち直れないかも知れないな。下手すりゃそのまま引退だ。
「分かりました。――それでこのギルドに先に緊急用の救難信号を送り、その後自力で脱出したのですね。生き残りは貴方以外には……?」
「し……知らねえ! 俺は悪くねえ!! ただ生きる為にやった事なんだ!! そうしないと緊急脱出用のアイテムすら使うタイミングすらあったか分かんねえんだぞ!!!」
……何か噛み合わないな。コイツの言い方だと、まるで不可抗力で結果的に悪い事をしてしまったみたいな……。そういえば、さっき4人パーティだと言ったな。メンバーは今ここにいるデレックと、真っ先に食われてしまったっていうガイツ。……それに、リーダーのアーノルドだっけか。これで3人。
「……まさかお前! 残ったもう一人のメンバーを犠牲にして一人逃げて来たのか!!」
「し、しし知らねえよ! 大体女だかヒーラーだか何だか知らねえが、あんな鈍くさい職業でランクも低いヤツの面倒なんか見てられっかよ!!」
……間違いない。通りすがりで俺も一瞬だけ顔を見たが、どう見たってあのパーティの中じゃダントツで若かった子だ。
「脱出用のアイテムは使えたんだろう!? 魔法使いなら目くらましの魔法の一つでも使って、不意打ちをしたタイミングでアイテムを使うくらいの余裕はあった筈だ!」
「知らねえよ! 俺は悪くねえ! ただ生きる為にやった事だッ!!」
くそっ。これ以上は埒が明かない。少しでも生存確率を高めるのならば、確かにコイツのやった事は最も確率の高い行動だったかも知れないが、それでも一人の若い子を犠牲にした上での命であるのに違いはない。
「――どうやら緊急任務を発行する必要がありそうですね、これは」
この険悪な空気を最初に打ち破ったのは、彼女だった。
「その女性が死ぬ瞬間を、貴方は目の前で見届けましたか?」
「へ? ん、んなの知らねえよ……。俺はただ逃げたくて必死で……」
「なら彼女は確率は低くとも、まだ生きている可能性はあります。それに生息域に指定されていない種族のモンスター、しかも危険モンスターの一種であるドラゴンが出現したとあれば、それに関する簡易調査も必要となります。場合によってはダンジョンランクの引き上げ、最悪一時閉鎖処置を施さなければなりません」
確かにその通りだ。今もなお、こうしている間にも他の冒険者達がそのダンジョンに潜り、同じ目に逢っているかも知れない。対応は早ければ早いほど、その分被害や犠牲も最小限で済むだろう。
そうして俺が思っている間にも受付嬢の手続きは進み、――そして。
『緊急依頼任務を発行しました。内容は氷晶の洞窟に出現したと思われる、ドラゴンの個体確認と遭遇パーティメンバーの救出及び生存安否確認。そして周辺調査。なお任務は救出を第一優先とし、ドラゴン討伐の可否については問いません』
受付嬢の音声が機械的な反響をしてギルド内全体に響き渡る。そして総合受付掲示板にも大きく貼り紙が出される。
だが――。その緊急任務に対して、意欲的な動きを見せる者は誰一人としていない。まあ当たり前だ。何しろ相手が相手。ドラゴンとあればAやSランク冒険者ですらおいそれとは手を出しづらいのは当然である。個体差にもよるが、成長しきった成体竜ならばSランクでかろうじてソロ討伐可能な範囲といった所で、パーティ単位ならば最低Aランクのメンバーが2人は欲しい。
まあ当然、冷静に解説している俺も適わない一人であるが。全盛期の時はAに近いBランクだったが、現状Cランク止まり。ドラゴン討伐なんて夢のまた夢である。ただ……。
「探索して生存者の確認をするだけならば、話は別になってくる……。さて、どうしたものか」
そういえば……。一つ気になるのは、さっきからフレアが妙に大人しい。こんな騒ぎになって、野次馬よろしく何事かと首を突っ込んできそうなものだが……。ふと横を見ると俺の隣にいたはずのフレアは居なく、何処に行ったのかと見渡すと、出口のドアに手を掛けていた所だった。
「おーい待て待て! フレア何処に行くんだ?」
「あ、パパ。えっとね、ママが早く行けって言うから行くとこだったのー」
「そうか、ママ……ってのはイザベラの事か。ちなみに……何処にだ?」
やばい。猛烈に嫌な予感はするが、ひとまず聞かない事には何も分からない。
「えーとなんだっけ、『ひょーしょーのどーくつ』?」
「そうかそうか。フレアもやっぱり分かってたか。じゃあ急いで俺も……」
って待てええええい!!! イザベラお前まさか、ドラゴンをフレアに狩りに生かせるつもりじゃないだろうなあ!? ならんならん!!!! Eランクの分際でいきなりドラゴンなんか狩ってしまった日にゃあ、俺達の存在がにまばゆく輝く太陽のように明るみになるだけじゃないかあ!!
【あなたの頭の中うるさいわね。言葉にしなさいよ】
「お・ま・え・がっ! 言い出したからだおるぅおおぐぁああ!!」
【ほらほらそんな熱くならない。みんなこっち見てるじゃないの】
ぐぐぐぐ。湧き上がる怒りをどうにか堪えて、ひとまず外に出る。冒険者試験でも冷や汗ものだったのにこれ以上変な理由で注目されるのは迷惑極まりないッッ!
「それより……! お前は一体どんな理由でフレアに早く行けだなんて言ったんだ!?」
【ねえ。アナタは運命力という力はあると思う?】
「う、うんめ……? いきなり何言いだすんだよ!」
【私が伝説の悪魔たる所以はね、内包している絶対的魔力でも、絶世の美女すら凌駕する圧倒的美力があるからでもない。全ては、私を始めとするあらゆる者を取り巻く運命が糸のように『視える』からなのよ】
運命が……糸のように……? なんだそりゃ。自分は未来を予知する、偉大な予言士であるとでも言いたいのか。
【予言士やそれを基にした予知能力は、あくまでその先をぼんやりと写す、或いは見通す事で、他者より先に予知し、文字通り予言する程度の力よ。運命力というのは、己の運命そのものを引き寄せる力。時の流れに決して飲まれず、自らの宿命を手繰り寄せ、時には絶望すら超越し、何より己が己としてたらしめる為に、無くてはならない必要不可欠な絶対概念を確立させる力】
成程……。つまり、何を言ってるのかよく分からんが。
【要するに、アナタやフレアちゃんがこの先幸せな未来を掴み取りたいのならば、今は黙って私の言う事に従いなさい。……ってコト】
「……なんだよその分かり切った言い方は」
【別にアナタが信用する気がないのなら、黙ってここで私達が帰って来るのを待ってるといいわ。ただし、その先にアナタが真に望んでいる未来は訪れない……かも知れないけれどね】
……くそ。くそ……くそっ! なんなんだコイツは。俺の何を知ってるって言うんだよ。こんな得体の知れない悪魔もどきなんかに弄ばれた先に、俺の望んだ……。
「ねえパパ、一緒に行こうよ。ほらほら、ボクこれ持ってるからちゃんと『いらい』を受ける『ぎむ』があるんだよー?」
それは……依頼受諾書か。しかも緊急用のって事は、ちゃっかり正式に受諾したって事かよ!
「……畜生めが。……イザベラ! フレアを連れ回したからには、最後まで責任はしっかり取ってもらうぞ!」
【そんなの当然よ。私が運命を感じたからには、約束された未来があると断言するわ】
確かにここまでイザベラが断言するのは珍しい。――が、実際問題行った先にどんな運命が待ち受けているかは、分からない。
鬼が出るか蛇が出るか。……いや、出たとしても竜か。とにかく、ここまで来たらもう行くしかない。
***
――寒い。とても寒い。この洞窟が氷で閉ざされた洞窟だから? ……違う、そうではない。
理由は簡単だった。あの人に置いて行かれた私が、目の前の竜に尻尾で薙ぎ払われて壁に強く打ち付けられ、更にはその上から氷の息を吐かれて、全身の感覚を完全に失ってしまったからだ。
目の前がぼうっとする。さっきまでは聞こえていた竜の唸り声も、何も聞こえない。かすかに感じ取っていた洞窟の冷たい温度も、今ではもう何も伝わらない。だから、分かった。
私は――もうすぐ死ぬんだって。結局、冒険者として何も成し遂げられなかった。
生まれてすぐ魔物に両親を殺されたらしい私は、教会が運営する孤児院に引き取られ、そこで成人するまで後からやって来た子供たちの面倒を見ていた。成人後は僅かに素質のあった回復魔法を始めとする聖魔法の技術を磨くために、何より冒険者として稼いで孤児院に恩返しをするために、私は慣れない事でも積極的に取り組んでいった。……つもりだった。
でも、臆病な性格は冒険者になったからと言ってそう簡単に改善されるものでもなく、むしろ周りの冒険者達が魔物に対し物怖じしない人達ばかりなのを見ると、私はそれに対してより萎縮してしまい、肝心の魔力も大して成長の兆しが無く、魔力が伸びなければ治癒士として伸びしろが無い。
それはつまり、冒険者としての素養が皆無であるという事。結局私は大人になってから2年経っても初期ランクの一つ上、Dランクまでしか実力を伸ばせず、それに焦って結果を求めるあまり、最終的にこんな惨めな最後を迎える羽目になった。
(情け……ない……なぁ……。わた、し……)
最後の意識すら、途切れそうになる。さよなら、みんな。別れも言えず、こんな薄暗い場所で終える事になって――ごめんなさい。
最後に視界の隅に映ったのは――、卵を大事そうに身一つで守る、竜の姿。私はそれを見届けて、瞳を――閉じた。
俺の息子は伝説のサキュバスとして生まれ変わる 朝夜 @asayoru1234
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