夏の終わりに

さーしゅー

夏の終わりに

「明日、夏祭りに行かない?」


 八月三十一日の夜九時、ど平日の夜遅く。俺は誰もいない河原で、スマホの光を見つめていた。


「いいよ」


 白く眩しいチャット画面は、たった一言の返事を映す。今思えば相当トチ狂った提案だったと思う。だけど、彼女の回答はたった一言の承諾だった。

 

 俺はスマホを力なくおろすと、代わりにあたりを見渡した。白い残像がぼんやりと霞む河原は、殺風景でつまらない。月明かりに照らされた分だけ、川の流れが見えて、地面には青々と雑草が伸びている。

 

 面白くない河原の景色を諦めて、今度は空を見上げた。


 この空は世界のどこまでも続いているというけれど、今見上げても暗くてよくわかんなかった。月明かりが眩しいせいで、星が一つも見えなくて、ただひたすらに黒が続いていた。

 

 でも、明日になったら、そんな空の向こうに彩花あやかはいるのだろうか。

 

 俺はしばらくの間、面白くもない空を眺め続けていた。

 

 * * *

 

 彩花が海外へ留学することは、噂でも聞いていたし、夏休み前に本人からも聞いた。

 

「私、八月が終わったら……海外に行くから……」


 一学期の最終日、セミのうるさい真夏日のこと。学校から一人帰っていると、後ろから懐かしい声がした。下向きがちに紡がれた言葉に、俺が戸惑っていると、彩花はさらに続けた。


「昔は、夏祭りとか行ったよね……」


 彩花は恐る恐る顔をあげた。しばらく目があうと、目をキョロキョロさせながら、口をゆっくり開けて…………。


 でも、その口から何も聞くことなく、固く閉ざされてしまい、視線も下にそれる。結局彼女は、次の言葉を残して、早足で去ってしまった。


「昔……」


 彩花の後ろ姿を眺めながら、俺は思わずつぶやいた。

 

 今は昔、二人は幼馴染と言えるような関係性だった。お互いの家に遊びに行ったり、一緒に登校したり、一緒に夏祭りに行ったり……


 今は昔。たぶん色々なことがあったのだと思う。思春期の微妙なすれ違いだったり、児戯じぎに類する友達関係だったり、性別が違うという事実だったり。


 色々なことがあった結果として、今がある。学校ですれ違えば目を逸らすし、距離も取る。近所で出会ったとしても、どうせ返ってこない挨拶をかわすのがやっとのこと。


 そんな疎遠とも言える日々が、二年近くも続いていた。

 

 だからこそ、わざわざ声をかけてきたことを、どう解釈すればいいか戸惑っていた。特に二言目。俺は言葉の意味を理解できなかった。いや、理解するだけの勇気がなかったんだと思う。


 これまでの関係性に、これまでの自分の態度。今更と言うべき恥ずかしさだったり、もう終わったことだという諦めだったり、様々な感情をごちゃ混ぜにした結果、今年の夏祭りはベットの上で過ぎてった。


 そして後悔を残したまま時は過ぎ、あれだけ長かった八月はあと二日になっていた。

 

 夏休みが一つの思い出へと消えゆくことは、喪失感そうしつかんにも似た寂しさがあった。いくら願ったところで時が止まることはなくて、いつの間にか日常へと戻ってる。そして、いつの日か振り返ることで、思い出になったことを受け入れるのだろう。


 それはあくまでも一般論でしかない。だけど、強制的に終わってしまうのだから、それ以上やりようが無いのが現実である。



 でも、俺は諦めきれなかったんだと思う。


 

 時は止まらないけれど、思い出にもくだらない。


 俺はスマートフォンを手に取った。今更ながら、できなかったこと、諦めきれなかったことにしがみつくよう、文字を打つ。


「明日、夏祭りに行かない?」


 なんの前置きもなく、空のトークに投げか

ける。


 最初から期待なんてしていなかった。こんな馬鹿げた提案を誰が受け入れてくれるだろう。チャットから数秒、答えはすぐに帰ってきた。


「いいよ」


 手からするりと落ちた驚きは、床と鈍い音を奏でる。 


 しばらく唖然としたのちに、震える手で拾うと、「出発の準備があるから、遅くででよければ」と来ていたので、そのお願いを承諾し、河原での待ち合わせを取り付けた。

 

 そして今に至る。

 

 * * *

 

 月と一面の黒を眺め続け、しばらくが経った。肩が凝って、口の中もカラカラと乾いてきたので、今度は下を向いた。


 準備していた、青いビニールシートに、クーラーバック、花火セットが月明かりに照らされている。

 

 夏祭りと言ったのだから、せめてらしいものを準備しなければならない。とりあえず大詰めの花火セットを二つ買った。


 夏の忘れ物と言わんばかりに、ワゴンセールで大安売りしていたからつい二つ買ってしまったけれど、よく考えてみれば多すぎるような気がするし、もし彼女が来なかったあかつきには、激しく燃える面倒なゴミにもなってしまう。今になって、二つ買ったことを後悔しはじめていた。


 そして、他の夏祭りらしいものは用意できなかった。りんご飴なんて夏祭りの屋台以外で見たことないし、綿菓子なんてもってのほか。唯一フランクフルトだけ買ってみたはいいものの、よく考えたら調理器具がなくて、食べられないことに気がついた。


 だから、クーラーバックにはコンビニのおむすびとか適当な食べ物が入っている。


 だけど、それらは全部無駄になりそうだった。

 

 もう一度、スマートフォンをつける。まぶしい光の中では、約束の時間からニ十分過ぎたことを示している。俺は大きなため息を吐いた。


 彩花はいくら嘘を吐こうとも明日にはどこか知らない異国にいる。要するにウソの一つや二つは痛くもかゆくもなくて、からかい放題だということだ。もしかしたら、今も物陰で嘲笑ちょうしょうと共に観察されているかもしれないし、明日学校に行ったら、「身の丈知らずの痛い奴」と噂になっているかもしれない。

 

 俺は地面に向かって、もう一度大きなため息を吐いた。べつに何かつらいこと吐き出したわけではなくて、ただ単にそうしたいからそうした。


 すると、足元の雑草の中に、一瞬ポツリと丸い光が見える。一瞬「ホタル?」と思ったけど、時期的にありえなくて、俺は目を拭った。だけど、その光は無くなることなく、ポツポツと増えていき、次第に辺りを照らし始める。俺は思わず、顔を上げると…………そこにはぼんやりと大きな光が見えた。



 これは幻想だ。



 ざわざわと騒がしい人混みに、ずらりと並ぶ、色褪せたカラフルな屋台。それぞれから美味しそうな匂いが混ざり合って、その独特な匂いが漂う。屋台の少し足りない光量が逆に眩しくて、ふわふわと幻想的な雰囲気を抱かせる。


 あふれんばかりの人混みを唖然あぜんと眺めていると、ふと二人、見覚えのある少年少女を見つけた。片方の少女は両手に抱え切れないほどの食べ物を抱えていて、それでも満足してない模様。そして、彼女を追いかける少年は、人混みに逸れないように必死についていく。


 俺は衝動的に、彼らの後を追っていた。


 少女は食べるのに満足したのか、やっと落ち着くと、今度は少年の態度が悪くなった。少し言葉遣いが荒かったり、少女と視線が合わせなかったり、少し距離を取ったり。たぶん、朱い花の髪飾りが、なんだか大人びて見えて恥ずかしかったのだろう。俺には手にとるようにわかった。


 少年の横柄な態度に少女はもちろんムッとして、二人の雰囲気はだんだんと悪くなっていく。思わず止めたくなったけど、あくまでも部外者。黙ってみていると、後ろからヒューッと風切り音にも似た音と共に、バンッと大きな音がした。


 上を見上げると、そこには大輪の花火が咲いていた。


 真っ暗な夜空に、一点の光が上がり、点を中心に幾多の光の放物線が、花を生む。一つ二つと夜空を彩っては消えていく。彼らの視線も花火に釘付けになっていて、次第にいさかいも忘れていく。そして、一番大きな花火が咲き誇り、残像すら消えて夜空が静まり返ったとき、ようやく夏の思い出へと溶けていく。


 

 花火が消えた空から視線を落とすと、いつの間にか大きな光は無くなっていた。


 目を擦っても、ホタルのような丸い光も無くなっていて、それが遠い夏の思い出だとわかった。たぶん、緊張がとけて、ぼーっとしていたんだと思う。


 何にもない河原に「夏祭り」と言って呼び出してがっかりされるのが怖かったとか、久々にあって何を話せばいいのか分からなくて怖かったとか、ずっと好きだった彼女に会うのが怖かったとか、そんな不安から解き放たれて、ホッとしたんだと思う。


 俺は目を擦って、頬を叩いた。


 たぶんこれもいい思い出だ。


 恥ずかしくて誰にも言えないけれど、自分の中に一生残り続ける大切な思い出。何も無いのに、この景色を目に焼き付けると、俺は帰る支度をした。


 どうせ激しく燃えるゴミであるなら、一本くらいは火をつけてみようかなと思ったし、たくさんの食べ物があるから、一人食べて帰っても良かった。だけど、何もしないことが思い出のような気がして、それらを全て諦めた。


 俺は、全てを抱えると、スマホの懐中電灯で足元を照らした。青々と生えた雑草の中に忘れ物がないかをしっかり確認した。


 そして、荷物も思い出も忘れ物がないことを確認して、俺は土手へ向かった。

 

 俺の心はなんだか軽くなっていて、不思議と彩花が来なかったことを悲しくも思わなかった。それは、彼女が遠い人となって、物理的にも精神的にも諦めがつくからなのかもしれない。

 

 清々しい気分で土手を登る階段に足をかけたその時、突然ヒューッと風切ったような音がした。


 そして、大きな音とともに、土手の上に、繊細な放物線を描くように開いた大きな花。ありえない! と、思わず俺は目を擦り、目を凝らす。徐々に合った焦点は花火を映さなかったが、代わりに最も幻想に近いを光景を目に映す。

 


 俺は、抱えていた全てを落とした。

 


 土手の上、月明かりを背に、その輪郭は滑らかな曲線を描く。僅かな光でも、あでやかだとわかるような着物。麗しい黒い髪には、一輪の朱い花が咲いている。


 そして、髪の下には、ずいぶんと大人になった懐かしい笑顔が咲いていた。

 

 彩花は裾を踏まないよう、一歩ずつしなやかに降りてくる。そして、目の前まで来て、立ち止まると一言。


「夏祭り、行こっか」


 彼女は、微笑みながらそう言った


 * * *

 

 俺は再び河原に戻ると、ビニールシートを引いて、二人並んで腰掛けた。彩花は遅れたことを必死に謝ってくれた。どうやら、出発の準備に手間取ったらしい。


 彩花はクーラーバックに入っていたコンビニおにぎりを食べながら、川を眺めていた。誰もいない平日の河原に、ただ一人異彩を放つ浴衣姿の少女。何度目を擦っても、その幻想は消えない。


 さすがにじっと見過ぎたのか、「あんまり見られると恥ずかしいよ……」と彩花は苦笑いをしながら、頬を朱に染める。

 

「でも、久しぶりだね……」


 彩花は落ち着いた声で、そう言った。


「うん」


「てっきり、嫌われているのかと思ってた」


「俺も避けられてるから、近づかない方がいいのかと思ってた」


「お互いすれ違いだったんだね……」


 彩花は空を見上げた。どこか遠くを見ているようで、その先には彩花の明日があるのだと思う。二人は思い思いに空を見上げた。

 

「ねえ……私のこと、どう思ってた」


 彩花は空から俺に視線を移すと、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。朱く染まった頬に、小刻みに泳ぐ目。最終的には、川の方に目を逸らす。これは演技かもしれない。最後の最後まで、懐疑心かいぎしんは付きまとった。だけど、これが演技だったとしても、この選択に後悔はなかった。


「ずっと前から、好きだった」


 とたんに、彩花は顔を手で覆う。下を向いて声にもならない声を漏らす。指の隙間から覗く彼女の目には大粒の涙が伝っていた。


「私も……好きだったんだよ……」


 悲痛な声だった。やり切れない何かを嘆くような涙声。


「でも、もう手遅れなんだよ。私明日から遠いところに行っちゃう……」


「故郷が寂しくなっちゃうから連絡だってできないようにしたの。まだ夏祭りの日ならキャンセルだって間に合ってたのに……私の勇気がなかったから…………」


 夏祭りの日、それは俺が誘い損ねたあの日だった。ダメなことくらいわかっていても、俺はつい、慰めを口にした。


「でも、夢を追うのならしょうがない……」


「そんなんじゃない!!」


 髪を乱雑になびかせて、前のめりに声を出した。彼女の涙が宙を舞う。


「別に、海外に行くのは大学生からでもよかった……そんなに慌てたことじゃなかった!! だけど……今の状況を変えたくて…………」


 今の状況。たぶん俺との関係性。一学期最後の二言目は俺への「助けて」のメッセージだったのかもしれない。


「私は一歩踏み出せなくて、でも、一歩踏み出してくれた。だけど、遅かった。全部遅かった……」

 

 彩花は俺に抱きついてきた。やるせない思いの分、痛いほどギュッと抱きしめられる。胸にうずくまる彼女はとても小さい。まるで懐かしいあの子にそっくりだった。俺は彼女が泣き止むまで、ずっと頭を撫でる。

 

「ごめんね……」


 俺から離れた彼女は、気まずそうに目を下に逸らす。その目はまだ赤く腫れている。


「ううん」


 かける言葉が見つからず、逃避するように口にした。


「花火やる?」


 俺は大詰めの袋を二個抱えた。彼女はとても大きく頷いた。

 

* * *


 花火をはじめた時、彩花はまだ悲しさを引きずっていたけど、小さな火花を振り回しているうちに次第に笑顔が咲いていく。もちろん、あの時の花火よりは全然大したものじゃないけど、それでも二人は楽しく笑っていた。


 結局、あっという間に時は過ぎ、線香花火さえもやり尽くし、あと打ち上げ花火一個となった。花火セットは二つで多すぎるどころか全然足りなかった。

 

「最後だね」


 そう言う彩花は口は思いっきり笑っていた、だけど、まゆは寂しそうに下がっている。たぶんこれを打ち上げたなら、もう帰るのだと思う。そうしないと行けなくらいには十分に遅い時間になっていたから。


 そして、帰ってしまえば彩花の日本での生活は終わり、俺の夏休みも終わる。せっかく好き同士だとわかったのに、明日からの毎日には何の影響も及ぼさない。


 それこそ、今この時間はただの幻想だった。


 俺は花火を少し離れた地面にセットしながら、彼女に叫んだ。


「もしさ、夏が終わっていつも通りの日常に戻ってから、飽きるくらい何度も何度も繰り返してさ……もしまた八月になったら、また会わない??」


 彩花は、笑っていただろうか。暗くて表情はわからなかったけれど、大きく頷いたように見えた。俺は彼女が笑っていたと信じて、最後の花火に火をつける。


 

 夏を終え、飽きるくらい永延と続く毎日が始まった。

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夏の終わりに さーしゅー @sasyu34

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