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それから一週間。
「亜里沙」じゃなくなったスマートスピーカーと暮らす日々にも、だんだん慣れてきた。思えば、たとえ「亜里沙」ではなくなったにしても、それが亜里沙の残した形見であることに変わりはないのだ。だから無下にもできない。
槙野さんとの関係にも、全く変化はない。が……
思いついたことが、一つある。
亜里沙が亡くなる寸前まで、槙野さんは彼女の指導を受けていた。既にプログラマーとしてのスキルは亜里沙と遜色ないレベルと言える。それに、亜里沙は槙野さんに自分の好きな花を教えていた。それくらい心を許していたのだ。
ひょっとしたら……槙野さんなら「亜里沙」を復活させられるのではないか。亜里沙本人から何か聞いているのではないか。だから僕は、この件について一度彼女に相談してみよう、と思ったのだ。
本音を言えば、それをダシにして彼女とコミュニケーションを取りたいとか、そういう気持ちも……ない、とは言えないが……
というわけで、仕事が終わった後、僕は槙野さんを会社近くのカフェに誘った。亜里沙に関する話だというと、彼女は素直に応じてくれた。
---
「……」
僕の話を聞き終えた槙野さんは、うつむいて押し黙ったままだった。彼女のこんな反応も珍しい。彼女が自分から話すことは滅多にないが、こちらから話しかければ、いつも打てば響くように応答を返してくるのだが……
「……小松さん、再婚したいと思う方が、いらっしゃるんですね」
ようやく彼女の口から飛び出したセリフが、これだった。僕は慌てて首を横に振る。
「いや、いないって! ただ、ほんとに軽い気持ちで、再婚したら……って口が滑っちゃったんだ。それなのに……こんなことになっちゃってさ……」
「でも、再婚、って言葉が出てきたのは、きっと小松さんが亜里沙さんを失ったショックから、それなりに回復されたからですよ。それはとても喜ばしいことだと思います」
そう言って、槙野さんは微かに笑った。よく見ないと分からないくらい、微妙に。
「そう……なのかな? いや、それはともかく、どう? 君なら『亜里沙』を……復活させられる?」
「残念ながら、亜里沙さんの声や仕草を復活させるのはかなり難しいです。が……おそらく、違う形で、なら『ありさ』をすぐに復活させられると思います」
「違う形? どういうこと?」
「……」
再び槙野さんは押し黙ってしまう。が、やがて意を決したように彼女は顔を上げ、僕を見つめながら、言った。
「私が亜里沙さんの代わりになるのでは、ダメですか? 私も一応『ありさ』ですから……」
---
「!」
茫然自失。ひょっとして僕は今、逆プロポーズ的なことをされたのか……?
彼女らしからぬ饒舌さで、槙野さんは語り始めた。
「大学1年の時、初心者だった私に小松先輩は優しく教えてくれましたね。今の私があるのは、小松先輩のおかげです。だから……私は、小松先輩のこと、ずっと尊敬してました。そして……好きでした」
そこで彼女は頬を染める。やばい。かわいいと思ってしまった。
それにしても……
小松先輩……懐かしい響きだ。当時彼女は僕のことを、確かにそう呼んでいたっけ……
彼女は続けた。
「でも、小松先輩には野村さんっていう彼女がいることも知ってました。だから私は自分の気持ちを伝えるつもりはありませんでした。だけど……いつか小松先輩に恩返しがしたい。そう思って、今の会社に入社したんです」
そうだったのか……ちなみに「野村」というのは亜里沙の旧姓だ。
「野村さん……いえ、亜里沙さんは、そんな私の気持ちに敏感に気付いていました。『あんたにはあの人は渡さないよ!』なんて、冗談めかして言われたこともありました。だけど……病気になった後で、亜里沙さんは真剣な顔で私に言いました。『私が死んだあと、あの人をお願い。でも、彼の心の傷が十分に癒えるまでは、ただ彼を見守るだけでいい。彼が再婚の意思を匂わせたら、あなたにも伝わるようにしておくから』って……その言葉通りに、先日亜里沙さんのメールが私にもBCCで届きました。それに書いてあった、近くで見守っている人って……私のことなんです」
そうか。あのメールは彼女にも届いたのか……
……ん?
「ちょっと待って。亜里沙からのメールに、そんなこと書いてあった?」
「ええ。ちゃんと書いてありましたよ」
「ええっ?」
慌てて僕は亜里沙からのメールをもう一度開いてみる。
なんてこった。気づかなかった。
あのメールには、こんな続きがあったのだ。
---
あなたのことだから、私が死んだ後、絶対に再婚しない、なんて思い込んでしまうんじゃないか、と心配でした。私はあなたに幸せでいて欲しい。だけど、あなたが再婚せず独りでいることが、幸せとは私にはとても思えません。
だから、私のことは気にしないで、いい人がいたら再婚してくださいね。案外、あなたの近くであなたを見守ってる人が、いるかもしれませんよ。その人はきっと、あなたを幸せにしてくれるはず。
早く気づいてあげてね。そして、天国から見ている私を安心させてください。
亜里沙
---
「……うぐっ」
思わず嗚咽を漏らしてしまう。涙が止まらない。人目もはばからず僕は号泣した。それしかできなかった。そんな僕を、槙野さんは優しく見つめていた。
そうだよ……亜里沙が何の理由もなくあんなトラップを仕掛けるはずがないよな……
僕の幸せが、君の望みか……分かったよ、亜里沙……
でも、今は何も考えられない。だから槙野さんの気持ちに応えることもできない。
だけど、僕はなんとなく感じていた。
そう遠くない未来、僕の家に再び「ありさ」がいることになるかもしれない、と。
二人と一個の「ありさ」 Phantom Cat @pxl12160
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