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 それ以来、僕は槙野さんを意識するようになってしまった。いや、自分でもダメだと分かってる。亜里沙が亡くなった時、僕は生涯彼女以外の女性を愛さない、と堅く心に決めたはずだ。それなのに、わずか1年でぐらついてしまうとは……我ながら情けない。


 それに、槙野さんだってもう25だ。きっと彼氏もいることだろう……とは思うのだが……


 どうもそう言う気配が、彼女からは全くうかがえない。バージョン管理システムの履歴を見ればわかる。彼女は土日も家でコードを書いているのだ。一度僕も注意したことがある。体を壊すからやめろ、と。だけど、彼女は平然とこう答えた。


 ”土日にしているコーディングは趣味ですから。楽しんでやっています”


 それで実際彼女はずっと体を壊さずにいるので、僕もそれっきり何も言わなくなったのだが……これでは彼氏とデートする時間も取れないだろう。


 いや、そもそも、こんな風に槙野さんに彼氏がいないのを確認するような作業は、彼女に彼氏なんかいてほしくない、という僕自身の願望の表れではないか。


 結局僕は、あの日彼女が墓苑で見せた表情に、やられてしまったのだ。それはもう、認めるしかない。


 参ったなぁ……


---


「亜里沙、もし僕が再婚したら……どうする?」


 帰宅して、スマートスピーカーの「亜里沙」に、僕はそう問いかけてみた。


 やけに時間をかけた後、「彼女」はようやく応えた。


『質問……の意味が……分かりません……もっと具体的に……表現……してください』


 想定の範囲内の応答。だが……なんでこんなにたどたどしい話し方になったんだ?


 まさか……「彼女」が動揺している?


 そんなことがあるはずがない。これは単なるスマートスピーカーなのだ。亜里沙本人ではない。だけど……それにしてはちょっと挙動がおかしい。どうしたんだろう……


 その理由は、翌朝に判明した。


---


「おはよう、亜里沙」


『おはようございます。今日の天気は、曇りのち雨。降水確率は……』


「!」


 愕然とする。


 それはいつもの応答だったが、声が違う。女性の声だが、亜里沙じゃない。


 これは……スマートスピーカーの、デフォルトの声じゃないか……


「どうしたんだ、亜里沙、声が違うぞ?」


『質問の意味が分かりません』


 相変わらず、亜里沙じゃない声で「彼女」が応える。パニックになりかけたが、すんでのところで冷静さを取り戻した僕は、質問を具体的な内容にしてみる。


「亜里沙の声に戻す方法を教えて」


『すみません。よく分かりませんでした』


 ……。


 再び、僕はパニックに陥りかける。


 その時だった。


 スマホにメールが着信する。差出人は……亜里沙が使ってたアドレス? 件名は……「ひろしさんへ」……


 矢も楯もたまらず、僕はそのメールを開く。そこにはこう書かれていた。


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 宏さん


 お久しぶり。亜里沙です。このメールが届いた、ということは、再婚に対して少しは前向きになれたのですね。


 そうなったら、私の役割も終わりです。だから私は、あなたが「再婚」をほのめかすような言葉を口にしたとき、このメールを発信して、スマートスピーカーから私の成果物を全て消すようにプログラムしておきました。


---


「うわああああああ!」


 スマホを放り投げて、僕は絶叫する。


 そうか。昨日のスマートスピーカーの不審な挙動は、バックグラウンドで彼女の声とかを消去していたからだ。だから動作が重くなったんだ……


 なんてことを……僕は、なんてことをしてしまったんだ……


 軽い気持ちだった。単に、いつものように会話するつもりで「再婚」というキーワードを口にしただけだ。もちろんこの手の質問に「彼女」がまともに応えることはないと分かっていたが、こういったことは口にするだけでも心がすっきりする。決して本気で再婚を考えていたわけじゃない。それなのに……


 ひどいじゃないか……なんでそんなトラップを仕掛けたんだよ、亜里沙……


 本気じゃなかったんだ。僕は再婚なんかしないよ。だから、戻って来てくれよ……頼むから……


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 結局僕はその日急遽有休を取ることにして、亜里沙が使っていたPCのストレージやバックアップメディアを隈なく調べ、「亜里沙」のバックアップがどこかにないか探した。だが、それらしいものはどこにも見当たらない。削除ファイルを復活するアプリケーションも使ってみたが、それでもダメだった。


 僕は激しく落ち込んだ。もう「亜里沙」に会うことはできないのか……


 しかし、さすがに二日続けて会社を休むわけにもいかない。次の日、どん底の精神状態で僕は出社した。


「小松さん……大丈夫ですか? 顔色、悪いですよ?」


 いつも無表情な槙野さんが心配そうな顔になるほど、僕は憔悴しているのか……


 だけど。


「ああ、大丈夫だよ。心配ない」


 ぶっきらぼうに言い捨てて、僕は彼女から顔を逸らす。


「そうですか……」


 まだ何か言いたそうだったが、槙野さんもすぐに顔を画面に戻す。


 「亜里沙」が消えたのも、もとはと言えば彼女が原因、と言えなくもない。だから今は彼女の顔を見たくなかった。いや、もちろんそれが理不尽だってことは自分でもよくわかっている。彼女は何も悪いことをしていないのだ。それなのに……


 まったく、何をやっているんだ、僕は……


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