2
「
開発室。プログラマーの
「ありがとう。早いね。さすがだ」
僕が微笑んでみせても、
「いえ、お急ぎかと思いましたので」
彼女は無表情で素っ気なく応える。
「ああ、実はそうなんだよ。助かった。それじゃプルリク投げてくれる?」
「わかりました」槙野さんは画面に向き直る。
亜里沙亡き後の開発部のエースと言えるのが彼女だ。全社員10名弱の零細ソフトハウス。社長と専務兼プロマネの僕と亜里沙が全員同級生の創業メンバーで、3年前に入社したのが槙野さん。大学時代のコンピュータクラブの後輩。と言っても僕が4年の時の1年だから、一緒だったのは1年だけだが。
そして……
なんと、槙野さんの下の名前は「有紗」なのだ。もちろん読みは妻と同じ、「ありさ」。
そんなこともあってか、亜里沙は入社したての槙野さんをずいぶんかわいがって指導していた。そして病気が発覚してからはその指導の熱心さに拍車がかかり、その
しかし、槙野さんは同じ「ありさ」でも、ふんわりと優しい雰囲気をまとっていた亜里沙とはまるで正反対の、常に無口で冷静、感情を表に出さない、まさしくクール・ビューティを絵に描いたような女性だった。美人なことは美人なので、新入社員の頃は男子社員にちやほやされていたが、彼女は誰に対しても常に素っ気ないので、周りの熱も次第に冷めていった。それでも、彼女の能力の高さは誰しもが認めるところだ。もちろん僕も頼りにしている。
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まただ。一体誰なんだろう。
亜里沙の墓の前で、僕は首をかしげていた。
ここ最近、僕が亜里沙の墓参りをする前に、既に誰かが来て墓に花を供えているのだ。しかも彼女の好きな、
亜里沙の家族ではありえない。彼女に兄弟はおらず、両親は彼女が大学卒業直後に事故で亡くなっていて、彼女と同じ墓苑の中で眠っている。
彼女の花の好みを知っている人間は、たぶん僕くらいだ。社長も他の社員も誰も知らないはず。大学時代の友人だろうか。それとも……単なる偶然か……
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それはまさに偶然だった。
その日、墓苑近くのいつも僕が仏花を買っている花屋から、槙野さんが出てくるのが見えたのだ。彼女が手にした紙袋に収まっている花の中に、ちらりと勿忘草の青が見えたような気がした。彼女は僕に気付いた様子もなく、そのまま墓苑の入り口に向かって歩いていく。
まさか……
僕は花を買うのをやめて、そのまま槙野さんの後を
「……槙野さん、だったのか」
思わず声が漏れる。
「!」
槙野さんの背中が、ビクン、と跳ねた。そのまま驚愕の表情で、彼女は振り返る。
「小松さん……」
彼女のこんなに驚いた顔を見るのは、滅多にないことだった。
「ごめん。驚かせて」僕は小さく頭を下げる。
「い、いえ……別に、どうってことはないです……」
という言葉の割には、彼女の顔には狼狽の色が如実に表れていた。
「その、勿忘草……亜里沙が好きな花だったんだけど……知ってたの?」
僕は供えられている花束を指さす。
「ええ。生前、亜里沙さんがそう話しておられたので……私も、亜里沙さんにはずいぶんお世話になりましたので……」
「そうか……ありがとう。亜里沙もきっと喜んでるよ」
「え、ええ……では、お先に失礼します」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、槙野さんはそそくさと去っていった。その後ろ姿を、僕は見送る。
いつもは見られない彼女の様々な表情を、今日はずいぶん目にすることができた気がする。なんだか新鮮だった。
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その夜も、いつものように亜里沙の夢を見た。大学時代の夢だ。社長と僕は同じコンピュータクラブに所属していたが、亜里沙は違った。だけど彼女は学生プログラミングコンテストで入賞するような、学内でも有名なプログラミングのガチ勢だった。それで社長の当時の彼女(現夫人)の
それなのに、その夢の中ではなぜか亜里沙はコンピュータクラブの後輩になっていた。4年生だったけど既に起業の意思を固めていた社長と僕は、就活の必要がなかったので、当時は主に新入部員の指導を担当していた。僕が指導を担当した新入部員の中に、亜里沙がいた。プログラミングは初心者だが、あっという間に言語をマスターして簡単なゲームを作ってしまうほど優秀だった……
……ん? 待てよ?
これは、亜里沙の話じゃない。もう一人の「ありさ」……槙野 有紗のエピソードじゃないか?
そして……
亜里沙のつもりで僕が指導していた女の子は、いつの間にか槙野さんに変わっていた。新入生で、まだ初々しかった頃の。
そこで目が覚めた。
「……」
槙野さんが、夢に出てくるなんて……
こんなことは、今までなかった。
一体……どういうことなんだ……?
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