うちの神様知りませんか?

@hujiru

はじまりの日

子どもの頃、平凡に生きて来た少年が、ある日突然、眠っていた特殊能力を開花させる、という少年漫画の世界に憧れていた。

そんな奇跡が自分の身にも起きるんじゃないかという夢は、高校に入る頃には卒業した。

そういうところも含めて、自分は、平凡な人間なのだろう。

大学時代、周りの友人達に流されるまま取った普通運転免許と、職場で言われて取った宅建の資格ぐらいが、履歴書に書ける技能だ。

子どもの頃の自分が知ったら、つまらない人生を送っていると絶望するだろうが、安定した手取りがあり、こうして、仕事終わりに好物のほうれん草とカニクリームコロッケトッピングのカレーを食べながら、ビールで一週間の疲れを労える生活は、そう悪くはないものだ。

だが、その至福の時間は、空になった皿に、スプーンを置いた瞬間に、突然の乱入者によって波乱をもたらされた。

「よぉ、兄ちゃん、カレー美味かったか?」

隣の席に座っていた男から、唐突な問いを投げられる。

俺とほぼ同時に店に入って、大盛りのヒレカツカレーを注文した男は、その細い身体のどこに入るんだろうか? と、うっかり見惚れてしまいそうな速度で、皿の中身を平らげて行った。

ビールで喉を喜ばせながら、じっくりとカニクリームコロッケを味わっていた俺よりも、当然早く食べ終わっている。

けれど、その男は、席を立とうとはせず、腕組みをした姿勢で動かなくなった。

棚から貸出用の漫画や雑誌を持って来て読むわけでもない。いったい、何をしているんだろう? と気にはなった。

そもそも、男の風貌が、一般人とは思えないものなのだ。黒いTシャツに、筋肉質な脚の形が分かるブラックスキニーという組み合わせは、俺もお世話になる量産店で買えそうなシンプルな服装だが、足元の茶色の……便所サンダルと呼ばれる履き物と、簪で一つに纏めている長い髪が、平凡な一サラリーマンである自分とは、一線を画す存在であることを告げていた。

だが、あまり他人の様子をチラチラ観察するのはよろしくないと、自分のカレーとビールに集中した。

それが、こっちが食べ終わった途端、向こうから接触を図って来たのだ。

こちらを見る気配は全く感じなかったのに、見計ったようなタイミングに、心臓が口から飛び出しそうになった。

「はい、美味かったです」

こういう手合いに関わると、碌なことがない。無視するのが最善策だと解っていたのに、つい素直に答えてしまったのは、男の瞳の圧に負けたからだ。

真正面から見ると、男は、やたらと整った顔をしていた。形の良い大きな瞳に、美しい鼻筋……頑固そうな顎のラインと喉仏の尖りを隠したら、女でも通じそうな美人だ。

美形の睨みは、心臓に悪い。眉間に深く刻まれた皺も相俟って、目茶苦茶に怖かった。

「あんた、神は信じるか?」

自分から聞いておいて、こっちの答えは無視して、違う質問を重ねて来る。それだけでも十分にやばい人間の臭いがするが、続いて投げられた問いのやばさのせいで、人の話を聞かない程度のやばさは吹き飛んだ。

これ以上関わらない方が良い。バッと視線を逸らし、伝票を掴んで立ち上がろうとした。

その動きを、予備動作無く伸びて来た男の左手に止められた。

「まぁ、待てよ。その様子じゃ、信じてねー部類の人間のようだが、今日だけ、ちょっと信じてみろよ」

真正面から見詰められると、男の眼力に気圧されたように身動ぎができなくなる。

カレーのスプーンの置き場所からして、相手も俺と同じ右利きのはずだが、右手首を握る左手は、どれだけ力を入れても振り払えそうになかった。

「叶えてやるから、一つ、願いを言ってみろ」

「…………まるで、自分が神だとでも言いたげだな」

滲んだ汗でぐっしょりとワイシャツを湿らせている怯えは隠して、睨み返す。低くした声で告げると、男はなぜか嬉しそうにニカッと笑った。

「兄ちゃん、解りが早いな。そうだよ、俺は、神だ。だから、早く、願い事を言えよ」

「………………」

これは、完全に、変な電波を受信してしまっている部類のやばい人だ。

一刻も早く逃げたいが、がっちり掴まれた右手がそれを妨げた。

「じゃあ、何か特別な能力が欲しい。異能力者にしてくれ」

できるもんならやってみろと挑む視線を向けて告げると、手錠のような頑丈さで手首を縛めていた男の手があっさりと離れた。

「なんだ、そんなことか」

拍子抜けしたとばかりの口調で呟くと、両手を何か不思議な形に組んで、閉じた唇の中で何か言葉を紡いでいるようだった。

これは、おそらく、真言とか呪とかそういう類のものだと、中学生時代、読み耽った漫画の知識が告げていた。

一応、それっぽいことをするんだなと、冷めた瞳で眺める俺は、真っ当な大人になったのだろう。

だが、逃げる絶好のチャンスをみすみす逃して、男の挙動を見守ってしまうぐらいには、あの頃、キラキラ輝いて見えた世界への憧れの欠片が、胸の片隅に残っていた。

最後に唇の前に寄せて呪文を吹き掛けた二本指が、こっちに向かって伸ばされる。

反射的に仰け反って逃げたが、相手の動きの方が速かった。

とん、と額の真ん中を、揃えた人差し指と中指の先で突かれる。

触れられた場所が燃えるように熱くなり、輝く紋様が浮き出して来る。

なんてことは、勿論、起こるはずがなく、ただ、軽く小突かれた痛みを感じるだけだ。

「よし! これで、お前に、異能が授けられた。礼は、ここの支払いで良いぜ」

「は? えっ、ちょっと!」

待て! という言葉を発する前に、くしゃりと握った伝票を押し付けた男は、便所サンダルを履いているとは思えない俊敏な足取りで、店を出て行った。

「えぇぇぇぇ……?」


なんなんだ、あの男は! と、腹を立てつつも、二人分のカレーの代金(向こうが食べたものの方が高いのがムカつく)を払ってしまうお人好しっぷりが、ああいう手合いを引き寄せるのかもしれない。

がっくりと項垂れながら、アパートへの道を歩く。

途中で、コンビニに寄って、缶ビールと柿ピーでも買おう。こんな夜は、パーッと飲まずにはいられない。

そんなことを考えていた時、ふと目を向けた先に、小さな鳥居が見えた。

こんなところに、神社なんてあっただろうか。首を捻り、どうやら、いつも通る道と一本違う通りに入ってしまったらしいと気付く。

それにしても、自宅から徒歩五分圏内のことを、今まで気付かずに過ごしていたのは、軽く驚きだ。この場所に引っ越して来て、もう一年以上経っているというのに。

自分の生活が、いかに、家と職場の往復だけで成り立っているかを自覚させられ、萎れた肩に感じる重さが増した。

次の休みは、スーパーに買い物に行くついでに、少し散歩でもしてみようか。

そんなことを考えているうちに、神社の横を通り過ぎる位置まで進んでいた。何とは無しに歩調を緩め、鳥居の向こうに続く短い石段を見上げた。

その時だ。

飛ぶような勢いで神社の方から走り降りて来る影が、二つ。

あまりの速さに、人間だとは思えなかった。

大型の獣だ。そう認識して、身構えるよりも早く、先を走る一匹が、石段の半ばぐらいから跳び掛かって来た。

「神さん、やっと見付け…………あんた、神さんじゃないな。あの人を、どうしたんだ?」

人懐っこい犬のようだった顔が、抱き付く瞬前、石化したみたいに固くなる。迫力に圧されて尻餅を付いた俺を、険しさを増した二つの瞳が見下ろした。

言葉も無く固まっている俺に焦れたのか、小さく舌打ちした男が身を屈め、筋肉のみっしり付いた太い腕を伸ばして来る。黒い半袖Tシャツと、袴のように広がったボトムスというシンプルな服装だが、男の全身がバキバキに鍛え上げられていることは見て取れた。こんな相手に攻撃されたら、とても勝てる気がしない。

藁に縋るみたいに鞄を抱え長身の部類に入る身を縮めることしかできないでいると、ワイシャツの襟元を掴んで引っ張り上げられた。

目付きの鋭い男の顔が寄せられて、首のあたりを、くん、と嗅がれる。

「やっぱり、神さんの匂いがする。どこに隠しやがったんだ!?」

カミサン? 妻のことを指すかみさんとは、アクセントの違う言葉に、首を捻る。どちらかと言うと、神様のアクセントに近いが、まさか、神を探しているわけではあるまい……

そこまで考えたところで、脳裏に、自分を神だと名乗る男の姿がフラッシュバックした。

「カレー屋の、便所サンダルの男……!」

喉元を締められて苦しい息の下、掠れた声で呟いた時、それまで黙って成り行きを眺めていたもう一人の人影が、静かに近付いて来た。

「阿形、そんなに凄んでは、話を聞くことはできませんよ。その人も逃げるつもりは無さそうですし、手を離してあげてください」

にっこりと、細身の体躯に似合う柔和な表情で告げる。だが、その瞳の奥は笑っていない。逃げるなという言外の圧に応えて、コクコクと頷いた。

「そうか、悪かったな」

素直に手を離すアギョウと呼ばれた男は、根は悪い人間ではなさそうだ。

もう一人の、同じような黒Tシャツに黒いサルエルパンツを履いて、ニコニコ笑っている男の方が、底が見えない怖さを感じた。

それにしても、今日会う男達は、全身黒尽くめの奴等ばかりだ。

頭の片隅に、某頭脳は大人な小学生探偵の姿がよぎったが、漫画の世界に迷い込んだという夢を見るほどには、大人の理性を失っていなかった。

「では、中でお話しましょうか」

提案の形は取っているが、こちらに選択権は無い細身の男の言葉に従い、鳥居を潜った。


中というから、てっきり社務所のようなところに案内されると思ったが、社殿の前の階段に座らされた。大人しく付いて来たのはやはり間違いだったかと後悔したが、今更逃げられる気はしない。

真っ先に腰を下ろしたアギョウに促され、少し距離を置いて隣に座ると、もう一人の男が俺を挟んだ位置に座った。これは、いよいよ逃げ場が無くなったぞと、背中に汗が伝った。

どこを見れば良いのか分からず前に視線を向けると、社殿の前に、二つ、不自然な石座が置かれていることに気付いた。

本来であれば、上に何かが乗っていそうだが、何が足りていないのか答えが見付かる前に、左側から話しかけられた。

「便所サンダルの男をどこで見たんだ?」

いきなりの本題だが、その方が、有り難い。答えてしまえば、開放してもらえるだろう。そう考えて、カレー屋での顛末を簡潔に語るため、口を開いた。


「うちの神さんが、すんませんでした!」

カレー屋で隣り合わせたばっかりにたかられた話を終えた時、階段から飛び降りて、身を垂直に折って謝罪の言葉を発したのは、アギョウだった。

右側に居たもう一人の男も静かに階段を降り、その隣に立って同じように頭を下げた。

「ご迷惑をお掛けしました」

第一印象よりずっと常識的な反応に、この分なら、立て替えた飲食代を返してもらえるかもしれないという期待が生まれる。

じゃあ……と口を開き掛けた時、先手を打つタイミングで細身の男が言葉を発した。

「あの人が、御代として『異能』を授けたから、あなたから神の匂いがするんですね」

「匂い!?」

そういえば、先程、アギョウからもそんなことを言われた気がする。腕を上げて嗅いでみるが、自分の一日分の汗臭さしか感じない。

「本当に、俺は異能力者になってるんですか?」

そんなわけがないと理性が否定する隙間を縫って、純粋な疑問が口から溢れていた。

アギョウともう一人の男は、息ピッタリのタイミングで顔を見合わせると、同時に大きく頷いた。

「だから、こうして俺達と会話できてんだろ?」

当然とばかりに言われた動揺が、瞬きになる。

「えっと……あなた方は、人間では、ない……?」

「うん、俺が阿形で、こいつが吽形、俺達の本来の姿は、この台座の上に座ってる狛虎だ!」

駆け寄った台座の上をバシバシ叩いて告げるアギョウに倣って、ウンギョウも、もう一方の台座の横にそっと立った。

そうか、何が足りないのかと思っていたら、神社に置いてある、口を開いたのと口を閉じてるの、一対の狛犬か。

いや、今、狛犬じゃなくて、狛「虎」と言ったか?

脳裏に浮かんだ疑問を読み取ったように、アギョウはその顔に、なぜか自慢げな笑顔を浮かべて告げた。

「目をつぶって、三秒数えてくれ」

それで何が解るのかは疑問だったが、とりあえず、大人しく従う。

いーち、にー、さーん……

頭の中でゆっくりめに数えてから、そっと瞼を持ち上げた。

目の前の景色の中に、アギョウとウンギョウの姿は無かった。

代わりに、先程まで空だった左右の台座の上に、それぞれ、口を開いた虎と口を閉じた虎の石像が乗っていた。

網膜に映る映像が信じられずに、パチパチ、と瞬きする。

その二瞬の間に、石の虎達は、再び、筋肉質な男と細身な男の二人組になっていた。

「………………驚きました」

たっぷりの間を取って、カラカラになった喉からその一言を絞り出す。

「珍しいだろ? あの人……ここに祀られてる神さんが毘沙門様だから、その使いの俺達は、狛犬じゃなくて狛虎なんだ」

人懐っこい笑顔でアギョウが説明してくれるが、驚いているのは、そこじゃない。

いや、あのチェーン店でカレーを食べていた男が、毘沙門天だというのも、相当な驚きなのだが。

「我々の界隈では、異能というのは、異なる世界と交流能力のことを言います。だから、あの人は、一応、賽銭分の働きはしたんですよ」

ウンギョウの方が、上手く言葉が出て来ない俺の気持ちを汲み取った説明をくれた。強引に支払わさせられた飲食代を「賽銭」と言われるのは、少々承服しかねるものがあったが。

「分かりました。さっぱり使い道の分からない能力ですが、願いを叶えてもらえたようなので、文句は言えませんね」

ウンギョウの方に顔を向け、求めているであろう言葉を返す。

これで満足だろう。俺はもう帰らせてもらう。そんなオーラを出しながら、横に置いていた通勤鞄を持って立ち上がった。

正確には、立ち上がろうとした。

「待って!」

制止の声よりも一歩早く俺の腕を掴んだアギョウの馬鹿力のせいで、浮かし掛けた尻を、階段に強かに打ち付けることになった。一瞬、尾骶骨が砕けたかと思った。

「痛…………っ、何するんだよ!?」

涙目で睨み付けると、ハッと我に返った表情をしたアギョウが、掴んでいた手を離し、すまなさそうに腕をさすって来る。

そうだけど、そうじゃない。指痕が残りそうな力で握られた腕も痛いが、それ以上に、石段で打った尻が重傷だ。

「乗りかかった舟だと思って、俺達の神さんを探すの、手伝ってくれ! 頼む!」

深く下げた頭の前でパチンと手を合わせて告げるアギョウの無邪気な図々しさに、口が開いてしまう。

「お断りします」

これからはNOの言える日本人を目指すぞ! と、カレー屋のレジで誓ったことをもう実践できたことに、心の中で自分自身に拍手を送る。

まさか断られるとは思ってなかったみたいな、こちらを見上げる男のポカンとした顔に、若干の罪悪感を覚えたが、ここで甘い顔をしては流されてしまう。

心を鬼にして今度こそ立ち上がろうとした時、ウンギョウが静かな口調で告げた。

「良いんですか? あなたは、異界の者達と関わることができる人間になってしまったんですよ。向こうからアプローチをして来た時、独りで対処できるんですか?」

アギョウの方に向けていた顔をギギギ……と軋む速度で、反対側に向ける。

そこには、柔和な顔でニッコリ笑うウンギョウがいた。

「それって、もしかして、呪いとか祟り的な、ヤバい奴らも含まれる……?」

「はい、バッチバチに含まれますね」

「……………………」

言葉を失った俺の背中を、アギョウがバシン! と叩く。

この男(虎だから雄が正しいのか?)の力加減を調整する螺子は、外れているのだろうか。一瞬、息が詰まって、目の前に星が見えた。

「心配すんな! 俺達と一緒にいれば、守ってやれるからさ!」

ドンと胸を叩くアギョウは、とても頼もしい。

だが。

「その代わり、うちの神様を一緒に探してくださいね」

穏やかな笑顔を浮かべたままのウンギョウに、嫌な予感をズバッと言葉にされた。


「神様、あんた、なんつー厄介なもん、授けてくれてんだよっ!」

現在、主が家出中の社殿に向かって、文句をひと吠えした。

ちゃんと夜の住宅街に配慮した音量にしたから、そのぐらいの罰当たりは許して欲しい。


こうして、異能力者となった俺の新しい日々が始まったのだった。

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