五年目 春分 桜始開【さくらはじめてひらく】

春と世界の産声と植物人間

「生存者はいないだろうけど、感染者がいる可能性もあるよなぁ。でも物資とか取りに行ってなかったから色々余ってるかもしれないな」

 玲は背負っていた散弾銃を手に持ち、しっかりと装弾数をチェックした後に要塞の門を潜る。要塞と言っても玲が崩壊させてから一年以上経っているここはもはや森のように変化していた。それも全ては感染者の成れの果て、人樹が辺りを覆いつくしているからであり、中にはフェンスに食い込むように生えているものすら確認できる。

 暗闇とはいかないまでも、日中でありながら人樹の作り出す陰で辺りは昏々としている。これは本当にはぐれがいるかもしれないと悟った玲は、鞄からスキー用ゴーグルとバンダナを取り出し、それを顔に装着した。いざということに備え、腰に差しているナイフを固定しているボタンも外し、鹿革のホルスターに入っている拳銃の安全装置も外しておくことにする。

 耳を澄ませながら、ゆっくりと茂みをかき分けながら要塞の中に入っていくと、多少なりとも物が散乱しているものの、ほとんどの薬や弾丸、生活に使えそうな道具などが多く残存していることが様々なテントで確認できた。食料を保管していたであろうテントには、生鮮食品などは置いていないものの、缶詰などが多く保管されており、その量は街にあったであろうものを全てかき集めてきたのではと思うほどであった。

「こいつらが溜めこんでたのか。通りで保存食がほとんどないわけだ。というかこんなに物資の収集をしていたのによく街中で鉢合わせしなかったな」

 と、玲は過去を振り返りながら一つの缶詰を手に取ると、がたんと物音が響く。その音に驚いた玲は缶詰を放り出し、すぐさま音のした方へ銃を向けた。そこには骨を咥えた野犬がおり、じっと玲のことを見つめている。

「動物の感染はほとんど見られなかった。でも犬と猫とネズミは感染の可能性がある」

 あの研究所で見た感染者は人間以外に三種類おり、それが今玲の告げた三種類の動物だった。すぐに襲ってこないことと、これだけ長い間、変異していないことを想定すればこの犬は感染していないということは十分に理解できる。しかし万が一のリスクを考えると、どれだけこの犬が嬉しそうに尻尾を振っていたとしても、仲間として受け入れるのは難しい。それならばいっそ、と引き金に指を掛けた玲に対して、犬が一つ「わん!」と吠え、骨を置いたうえでお座りをした。

 その姿を見た玲はスキー用ゴーグルを外しながら溜息をついて、鞄の中から鹿の干し肉を取り出し、犬に差し出してみる。良く訓練されている犬だった。玲が肉を差しだしてもお座りをしたまま動かない。そこで玲は「よし」と言ってみると犬は嬉しそうに玲の元へ駆け寄ってきて、その鹿肉に飛びついた。一瞬でそれを平らげてしまった犬は一度ぺろりと口の周りを舐めた後、もう一度「わん!」と玲に向かって吠えた。

 犬に目線を合わせるように座り、頭を撫でてやると「くぅーん」と冴えなく鳴いたので、「一緒に来るか?」と尋ねた。犬は話が分かっているかのようにまた「わん!

!」と吠えたので、玲は立ち上がり、犬に来いと命じた。

「わんわん、にゃーにゃー。イヒヒヒヒ」

 すると犬も同じく立ち上がり、玲の前へと躍り出る。後ろを振り返りながら尻尾を振っているのをみるに、どこかへ連れて行こうとしているのだろうか。急ぐ必要もないかと思い、玲はその犬についていくと要塞の中で、人樹に侵されていない少し開けたところに案内される。そこにはこの犬のために作られたであろう犬小屋と、犬用の飲み水を入れていたであろうボウル、そしてその脇にはしっかりと区画整備された畑らしきものが並んでいた。

 長らく手入れされていなかったから、だいぶ荒れてはいたが、じゃがいもとキャベツが弱弱しく育っているようだ。

「野菜だ……。キャベツと、じゃがいもか?」

 玲はまだ幼いキャベツの葉を撫でて、「こいつなら種が獲れるかもしれない」と呟く。じゃがいもの方も土を掘り返してみるとごろごろと小ぶりではあるが沢山のじゃがいもが現れたので、当面肉以外のものが食えるかもしれないという期待に胸を躍らせる。

「キャベツは種を取らないといけないから来年からだな、農業やってみるか」

 そう意気込んだ玲は犬小屋に入っていった犬を見て、その犬小屋に犬の名前であろう札が掛かっているのを見つけた。しかしその札は血や泥で擦れ、既にもうどんな名前が描かれていたのか判別することが出来ない。

「新しい名前も必要だよな。あとお前の家も移動してやんないと」

 玲は犬の命名は後にして、取り敢えずじゃがいもとキャベツの株を拠点の近くに持ち帰ることにした。


 犬は帰り道もしっかりと玲の後をついてきた。まるで長年付き添った相棒の様に振舞う犬に、既に愛着が湧き始めていた玲は思いの外、多くの収穫があったことに顔を綻ばせる。

 しかしその時だった。先程までちゃんと後をついてきていた犬が急に立ち止まり、辺りをきょろきょろと見渡し始めた。まだ犬のしぐさから彼らが何を伝えようとしているのかわからないながら、それが警戒に近しいものであることに気付いた玲は、ゆっくりと銃を手に取り、同じく辺りを見回す。すると犬は一つ「わん!」と吠えてから拠点とは違う方へ凄まじい速さで走っていってしまった。

「おい待て!」

「かけっこ、おいかけっこ、いや鬼ごっこ? イヒヒヒヒ」

 慌てて犬を追いかけていく玲を呼んでいるのか、犬は定期的に自分の位置がわかるように「わん!」と吠えた。そのため姿が見えないながらも犬の後を追うのは容易で、目的のものを見つけたであろう立ち止まっている犬に簡単に追いつくことができた。

 犬は尻尾を振りながら、くんくんとあの人樹から落ちた赤い実の匂いを嗅いでいた。実の周りに果汁が飛び散っていない以上、まだ野犬やネズミなどに喰われていないのだろう。玲はその赤い実を見て、先程まで良く動かしていた足をぴたりと止めてしまう。

 今まで落ちていた赤い実は全て無視してきた。自分が見つける前に他の動物に喰われてしまっているのでは、もうどうしようもない。自分のせいではなく、ただに運がなかったのだと自分に言い聞かせるために。

 何よりこんな世界で、この数の全てを救うのには無理があるからこそ、その全ての赤い実が消えてしまうまで、無視し続けるつもりだったのだ。

 気付いていた。あの赤い実から飛び散っていたのは果汁などではない。

 玲はゆっくりと犬と赤い実の元に近づいていき、その赤い実を拾い上げる。ずっしりと腕にかかる重さを感じたと同時に、中で動きを感じた玲は、捲れ上がっていた果皮の一部を剥いてみると、そこにはちょうど産まれたてのような赤ん坊が寝転んで入っていた。

 玲はそこで一つ溜息をつく。その後何かを、覚悟を決めたかのような顔で、赤ん坊の顔を見つめ、その子供に、「おはよう、いい朝だろ?」と尋ねた。


 長い、寒い冬を越えた人類に新たな春が来たようだった――。




 植物人間の救い方――本章 完。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

植物人間の救い方 九詰文登 @crunch

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ