最後の言葉

サトウ・レン

最後の言葉

 また、すこし雨が降ってきましたね。こういう時期の、こんな夜雨を小夜時雨と呼ぶ、って知ってましたか?


 あぁすみません。昔から沈黙に耐えられない性質なんです。あなたの個人的な事情に踏み込む気はないので、すこしだけ話に付き合ってもらえないでしょうか。小夜時雨って、私もおとなになってだいぶ経ってから知ったのですが、なんか素敵な言葉で、ずっと耳に残っているんですよ。以前にタクシーの運転手をすこしだけしていたのですが、その時のお客さんから教えてもらったんです。いまと同じような秋と冬の境目にあるような時期の、いまみたいな外が真っ暗になって街灯頼りになる時刻のことでした。……と言っても、この辺は街灯なんて全然ないですが。こういう時期の夜の雨を、小夜時雨と言うんですよ、って。ルームミラー越しのその自分よりもずっと若いだろう女性の姿を見ながら、変わったことを知っているんだなぁ、なんて思ったものですよ。


 えっ、話し慣れてる感じがする、って?


 えぇ実は、彼女から話を聞いた時に、そのエピソード貰った、って思いましてね。仕事上、お客さんと雑談することも多かったので、誰かとお話する時に使えるエピソードを別のお客さんとの会話で得ることがよくあって。もちろん個人的な話は言わないように気を付けていますよ。だからこの話もむかし色々なお客さんに話していたんです。


 あぁ、すでに小夜時雨は知っていましたか……。私の周りで、この言葉を知っていたのは、あなたが初めてです。妹さんから聞いた、と? ふむ。とても聡明な妹さんで。


 では、次はどんな話をしましょうか……。何か、好きな話とかはあるんですか? 仕事の時は、よく野球と政治の話はするなみたいなことを聞いたりもしましたが、もちろんいまは仕事中でもなんでもないので構わないですよ。そう言えば、あの、野球と政治は、みたいな話って、誰が最初に言い出したんでしょうね。


 あまりそういう話はしたくないですか? まぁ確かに私も初対面のひとと喧嘩になるのも嫌なので、やめておくことにします。


 ほう。怪談とか都市伝説とかが好きなんですね。


 共通の話題ができましたね。


 実は私も怪談とか都市伝説とか大好きですし、それだけじゃなくて、オカルト系の話題全般、目がないんです。子どもの頃は思いっきり、ノストラダムスの大予言を信じていましたし、学校の七不思議とかにも憧れがありましたね。トイレの花子さんとか、動く人体模型とか、自分の学校にもあったらいいなぁ、なんて思っていましたよ。勝手に自分の中の妄想で、僕だけの学校の七不思議、みたいなものを捏造していましたよ。捏造、って言うと、悪いことをしている感じがするとは思うのですが、別に誰かに言いふらして楽しむんじゃなくて、ひとりで勝手に妄想するだけなので、もちろん誰にも迷惑はかけていないんですよ。


 怖い話は、私も結構、持っていますよ。長い話から短い話まで、色々と。


 そう言えば、とりあえず私自身の用事が終わったら聞こうと思ってたんですが、あなたはどこを目指しているんですか?


 まだ決まっていない……、と。家出とかですか? ……あぁすみません。個人的な事情には踏み込まない、って言ったばかりなのに。自分でも悪い癖だと思います。


 まぁせっかくのご縁ですから、私のとっておきの怖い話でも聞いていってくださいよ。


 なんのご縁、って?


 怖い話好き同士が同じ空間に偶然いる、というご縁ですよ。


 これも私がタクシーの運転手をしていた頃の話で、先輩ドライバーの方から聞いたんですけど、ね。本当の名前を教えてしまっても問題ないような気はしますが、仮に佐野さん、ということにしておきましょうか。佐野さんは、私がそのタクシー会社に入社した時から、よく私のことを可愛がってくれた先輩で、プライベートでも仲良くしていた唯一と言ってもいいくらいの方なんです。タクシーの運転手って、運転手と乗客の一対一の関係みたいに見えるので、意外に思われる方も多いのですが、ドライバー同士の人間関係も心穏やかに仕事をするうえの大事な要素になってきますから、良好な関係を築けている先輩、というのは、たったひとりいるだけでも本当にありがたかったです。


 佐野さんとふたりで居酒屋に飲みに行った時に、なぁ海坂、こんな話をお前知ってるか、なんてふうに話しはじめたんです。あぁ、海坂というのは、私の本名です。こっちは仮名ではないですよ。


 あぁ雨が止みましたね。小雨が、降ったり止んだりの変わりやすい天気、ってこの季節らしい、って思いませんか。移り気な恋人みたいな雨ですよね。はは、ちょっとくさいセリフでしたね。むかし、私の初めての恋人が学生時代から詩人をやっている女でしてね、こういう言い回しばかり使っていたんですよ。さっき話した小夜時雨を教えてくれた女性とは別の人物ですよ。残念ながら、もう亡くなってしまったのですが、いまも私の記憶に強く根付いているひとです。


 本当に嫌な感じの雨だ。降るか降らないか、はっきりしろよ。……あぁすみません。いまの舌打ちは、あなたに対してではないんです。むかしからの癖で。そう言えば、あなたはなんで、あんな場所にいたんですか。いきなり暗い夜の路肩にひとの姿を見つけて、心臓が止まりそうでしたよ。私もたまにこの道は通りますが、いつもひと気がなくて、ときおり対向車を見掛けることはあっても、それも本当に稀なくらいの、こんな場所に。しかも全然濡れていませんよね。まるで私がここを通るのを狙いすましたみたいな。


 あぁまただ……。本当にすみません。あなたも嫌ですよね。こんな根掘り葉掘り聞かれたら、嫌な気持ちにさせてしまうと分かっているのに。でもあなたのことが気になって仕方ないんです。


 話を戻しますね。佐野さんの怖い話です。


 佐野さんが教えてくれたのは、闇夜の中に消えていくタクシーの話です。


 私がタクシーの運転手になる前、佐野さんがまだ新人の頃の話で、佐野さんはその日、普段は行かないほど遠い距離まで車を走らせていたそうです。そう、ここ和歌山県の、村は……では仮に影野村、としておきましょうか。そういう呼び方にしておくと、適度に怖さが増すと思いませんか?


 もしかしたら、いま私たちがいる和歌山県の、ここかもしれない、ってね。はは。嘘ですよ、嘘。すこしからかってみたくなったんです。


 お客さんを降ろしたあと、佐野さんは溜め息を吐きました。これだけ長い距離を利用してくれるのはありがたいけれど、帰るまでが面倒くさいし、さぼってたんじゃないか、って言いがかりをつけてきそうな先輩もいましたから、こっちとしては悪いことを何もしていないんだから気にしなければいい、とは思いつつも、容易に想像が付く口論が頭に浮かんで憂鬱になったそうです。


 私がその仕事に就いた頃には、佐野さんの時ほど露骨に嫌なことを言ったり、してくるひと、ってのはすくなくはなっていましたけれど、まぁでも彼が大袈裟に言っているわけじゃなくて、そういうひとは確かにいたんだろうなぁ、と思うくらいの悪しき名残りは、やっぱり私がいた時にもありましたよ。


 その帰り道、信号が青になるのを待ちながら、隣の車線に自分と同じ会社のタクシーが並んでいるのに気付いた佐野さんは、不思議に思いました。こんな寂れた田舎町の、会社からも遠く離れた場所に、同僚がいるなんて、と。だからその顔を確認しようと、運転席に目を向けると、見たことのない異様な雰囲気の男がハンドルを握っていたらしいです。異様な、というのは、あくまで佐野さんの主観によるものなので、本当に異様だったのか、もしそうならば、どういうところを異様に感じたのか、その辺はよく分かりません。それは別に佐野さんが意識して語らなかったわけではなく、きっとうまく説明できなかったのではないか、と思います。


 例えば私もタクシーの運転手をしていた頃は、色々なお客さんを後ろに乗せました。やけに怒りっぽいひとや自慢話の多いひと、楽しいお話を提供してくれるひと、と本当に様々です。そんな中で、乗ってきた瞬間から、別に威圧的でもなければ、うるさい感じでもなく、どうしても思わず身構えてしまうような見た目やファッションをしている、というわけでもないのに、乗ってきた瞬間から、あぁ嫌だな、と思ってしまうような、そんなお客さんがいて、そういう印象って当たるんですけど、じゃあなんで、嫌だな、と感じたか考えてみても、うまく言葉にできない。そんな感覚が私にはあって、たぶん佐野さんが抱いた異様さも似たようなものではないのかな、と思っているんです。


 私はどうですか、って?


 そもそも、あなたは私のお客さんではないですよ。……でもまぁ、そうですね。あなたも、私にとっては、異様、なのかもしれませんね。あなたに、私がどう映っているかは知りませんが。


 まぁそんな話は置いておくことにして、本題に戻りますね。


 異様な雰囲気以上に、佐野さんが何よりも驚いたのは、運転手の顔でした。それは別に容姿の話ではありませんよ。


 その運転手を、佐野さんはそれまで一度も見たことがなかったんです。


 タクシー会社は、ひとの移り変わりも激しいわけですけど、それでも大きな会社ならともかく私たちの働いていたところは、全員が全員の顔と名前を一致して覚えているようなちいさな会社でした。そんなうちの会社のタクシーを、まったく知らない顔の男が運転していて、それが異様な雰囲気を外に放っている。


 怖い、ですよね。もちろん佐野さんもそれを見て、背すじにひんやりと冷たいものがつたうような感覚を抱いたそうなのですが、ただ同時に興味も惹かれて、気付いたら彼はそのタクシーを尾行していました。


 佐野さんの話だと、本当に無意識だったらしくて、でもそんな話を聞きながら私は、分かるなぁ、と共感を覚えていました。よく分からないものへの恐怖って、それを見た時よりも、その怖さをよく分からないまま放置してしまう時に、すくなくとも私は、より感じるんですよね。たぶん私と似たところのある佐野さんも同じような感覚を持っている気がします。


 その恐怖を薄めるために、恐怖に近付こうとする。矛盾した感覚です。


 時刻はいまみたい夜で、その車は山道を走り、どんどん人工的な光を失っていく風景の中で、佐野さんは尾行なんて馬鹿なことをした自分を呪っていました。まさに後悔先に立たず、という状況ですね。


 どうです、あなたはいま、どんな気持ちですか?


 無言ですか……。


 あぁ止んでいた雨が、また降りはじめましたね。


 佐野さんがそのタクシーを追い掛けていた時の天候まで、私は知らないのですが、きっと今夜みたいに天候が悪く、視界は悪かったんでしょう。きっと、ね。


 佐野さんは互いのタクシーがともす明かりだけが頼りになっているような気分に陥りながら、すこしずつ暗さの増していく景色の中で、視界の悪さに苦しみながらも走行を続けるうちに、追っていたタクシーを見失ってしまったんです。


 消えたんだ、と佐野さんは私に言いました。


 いくら慣れぬ田舎の夜道だったとしても、見失うような距離ではなかったし、それまで前の車の放っていた光が突然絶えてしまって、夜の闇に吸い込まれていくように消えたんだ、なんて、そんなふうに言うんです。嘘じゃない。信じてくれ。酔って、赤らめた顔で話す彼の表情は、真剣そのものでした。


 後日、佐野さんはあのタクシーのことが気になって仕方なく、職場の同僚に聞き回ったそうです。最初は馬鹿にされるだけだ、と思っていた佐野さんでしたが、意外にも同僚たちは彼の話を真面目に聞きました。聞き終えると、それはベテランのドライバーがほとんどだったわけですが、多くのドライバーが口を揃えて、俺も似たような体験がある、って言うわけです。


 好奇心は猫を殺す、って言葉があるだろ。もしそんなタクシーを見つけても、無視しろよ。そんなふうに佐野さんは話を締めくくりました。


 まぁよくある怪談話ですけど、暇つぶしにはなったんじゃないですか? ほら、私の目的地にも着きました。いまは雨が降っていますね。降るか降らないかの雨だったら、降るほうがいいですね。


 洗い流してくれますから。


 あぁそうだ、ちなみに私は、佐野さんの怖い話と同じような体験をすることはありませんでした。


 当たり前ですよね。だってこれは私のただの作り話なんだから。あなたもすでに気付いているはずだ。まぁでも、全部が全部、嘘、ってわけじゃないんですよ。この怪談の正体は、つまり私のことなんです。


 何が言いたいか、って?


 あの日も、私はこの場所を目指してタクシーを走らせていました。私だけしか知らない私のための秘密の場所です。でもね、それを暴こうとする輩がいたわけです。私のタクシー会社の先輩……そういまの話の主役である佐野さんですよ。どうも私のことを不審に思ったのか、こっそり私の周辺を嗅ぎ回っていることには気付いていました。探偵の真似事でもしたかったのでしょうかね。馬鹿なやつだと思いました。馬鹿な男です。好奇心は猫を殺す、という言葉をきっと彼は知らなかったんですね。


 あの世で、ぜひ覚えて欲しいものです。


 男なんて、殺すつもりはなかったんですが……、生かしておくわけにもいかなかったので。


 さて、じゃあ、ここからが真の本題です。


 ……きょうの朝、俺に電話を掛けてきたの、あんただろ。


 最初から気付いていたさ。当たり前だろ。気付かないほうがおかしい。


 そうじゃなかったら、あんなひと気のない山のふもとでヒッチハイクの真似事なんかするような女を乗せると思うか。


 何が、私はあなたがひとを殺したこと知ってるよ、山の中でひとりは寂しいよ、だ。


 ふざけたこと言いやがって。


 どうやって気付いたのかは知らないが、あんたはどうやってか俺の犯行を突きとめたわけだ。まったく、余計なことしやがって。いまさら命乞いなんてするなよ。俺はいまから死ぬ女のぴーぴー泣く声がむかしから大嫌いなんだ。殺してやりたくなるからな……まぁどっちにしても殺すんだけどな、はは。


 ……あぁ、すみません。取り乱してしまいましたね。許してください。むかしから感情の起伏の激しさが、悩みでして。


 さて、あなたは、私が過去に殺したうちの、どの女性の姉なんでしょうか。さっき言ってましたよね。妹さんから聞いて、小夜時雨を知っている、と。確かに私がかつて殺した女性の中に、小夜時雨の話をしてくれたひとはいました。えぇもちろん、あれに関しては嘘ではなく事実ですよ。ただあんまりにも数が多くて、どんな顔で、どんな人物だったか、あんまり覚えていないんですよ。最初の数人はいまでもしっかりと覚えているんですけど、感覚が麻痺してしまった後に殺したひとは駄目ですね。すこし経つと、すぐに忘れてしまう。


 まぁ別にそんなのどうでもいい話ですね。どうせあなたはいまから死ぬわけです。誰の姉であっても、姉妹揃って同じ山の中で死ねるんだから、本望でしょう。この山には、ね。むかし私がつくった私だけの秘密の隠し場所があるんです。まぁ私が勝手にそう呼んでいるだけの粗末なものですが。


 せめてもの情けです。最後に言い残したことがあれば、どうぞ。



「私に姉なんていないよ。自分が殺した女の顔くらい、ちゃんと覚えておいてね」

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