フランとの語らいと深まる謎
「悪いな、色々手伝わせちまって」
「何を改まってそんなこと……ああ、確かにここなら僕も食料とか要らないけど」
「やっぱりそうなんだな」
ボイドが持ち帰った品々を三人がかりで決まった場所に片付け終えると、夏の終わりの短い陽は早くも沈みかけていた。
夕食を作る、と言ってボイドはキッチンに向かい、フランデュールはレリナと共に談話室へ戻った。
夏と言えど夜は冷えるためか、フランデュールは暖炉の前にしゃがみ、手慣れた様子で小枝や
これからは一気に冬が来る。もっと南の地方では秋と呼ばれる、広葉樹がその葉を赤や黄色に染めていく美しい季節がやって来るが、ここでは夏が終わればすぐに冷え込むようになるのだ。
レリナがいた浮上大陸の大樹の国の領地では、秋の気候を再現できるよう調節されていた。それに大樹の国のエルフは寒さに弱かったため、冬が来ても雪が降ったりしないように、妖精たちの力を借りて気温の調節をしていた。
反対に氷の国の者たちは暑さに弱く、追い払われた冷気は彼らの領地で引き受けられていた。
レリナからすれば冬は恐ろしいまでに寒い場所だが、かの国はもともと魔力が薄かったため、魔力の濃い浮上大陸では寒さなどまるで気にならなかったと、フランデュールは作業をしながら語った。
「レイディアナ様も、この場所では寒さがさほど気にならないのではありませんか?」
「そうね。実際ここに来て二度は冬を過ごしたけれど、ボイドほど寒さは気にしたことがないわ」
書庫やその周辺の森では、妖精たちがあちこちで輝きながらふわふわと漂っている。森を出れば息をするのさえ苦しく感じるほど魔力が薄い地上で、この一帯だけは魔力が濃いのだ。
なかでも一番濃いのが書庫の中なので、かつて灯り役として連れて来られたのであろう妖精たちは、そのほとんどが書庫の中に住んでいる。
レリナ自身、寒いのは苦手で雪など触りたくもないほどだったのだが、この森に来て最初の冬は、初めて見る真っ白な雪に覆われた景色を、ただ美しいと思いながら眺めたものだ。
ようやくオレンジ色の火が、ゆらゆらと揺れながらも安定して部屋を暖め始めると、フランデュールは入り口近くに立ったままのレリナを振り返った。
「さて、話が止まっていましたね、レイディアナ様。ここに来た理由をお話ししますよ」
「……ええ、でもその前に頼みたい事があるのだけど」
「何でしょう? あっ、暖炉はさすがにまだ暑いですか?」
「いえ、それはいいの。じきに冷えるしボイドには必要なものだし。ただその……」
そこでレリナは口籠ってしまった。頼みたいことはあるのだが、一体なぜそんな事を自分が望むのか、よく分からなかったのだ。
両手の指をぎゅっと組み、どうしてかひどく緊張しながら、レリナは考え込んだ。
言いたいことは決まっている、だから言えばいいだけのことだ。それなのに、それを口に出すのが少し怖くもあった。
そんなレリナの肩の上に、ぴょこんとアレックスが飛び乗って来た。
どこか好奇心を感じさせる小さな目をぱちぱちさせながら、細い根のような手を伸ばしてペタペタとレリナの額を叩く。すると反対側の肩にもう一匹、頭に花の咲いているリリーという名の
リリーは手を伸ばしてアレックスの手を引っ張ると、振り向いたレリナの前でぺこりとお辞儀した。
まるで「彼女には彼女の事情があるんだから邪魔しないの」とたしなめるようなその姿に、レリナは知らず知らず微笑んでいた。
同時に仲の良さそうな二匹の様子に、どこか
フランの顔をもう一度見上げる。レリナより背の高い彼の
けれど雪は、冷たいようでふわふわと柔らかで、触るとほろほろと崩れ、その下の土を凍らせないように守りもするのだと、この二年の間に知った。
穏やかな紫色の瞳は春を告げる小さな花のそれに似て、優しい目元も昔と変わりない。そんな彼とこれから冬を迎えるのなら、とレリナは自分を
フランの瞳をしっかり見つめる。まっすぐレリナの目を見て続きを待っている彼に、胸元に手を当てて軽く礼をすると、思い切って口を開いた。
「フランデュール。私もあなたの事をフランと呼んでも構わない?その、ボイドのように」
「えっ、あっ、もちろんですよ! では私も、これからはレリナとお呼びしましょうか?」
「そうして欲しいわ。ここでは私たちの身分は何の意味もないし、国だって関係ない。だからここでは、私たちは対等でいたい……のよ」
「ふふ、構いませんよ。私はこれまで氷の王の側近としてしかあなたと接して来なかったんです。ですからこれから色々とお互いの事を知り合いましょう。今はまだ難しいかも知れませんが、ボイドを見ていればそのうち気楽に話せる日も来ますよ」
「ええ、そうだと嬉しいわ!」
勢いよく頷きながら、レリナの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
薄暗がりの中でも、白い清らかな花びらが舞うようなその笑みを目にして、フランは一瞬、驚いたように息を呑んでいた。
レリナはまるで気付いていなかったが、これまで国同士の付き合いの中では一度も見せたことのない、いや見せた事はあるが、それは全く別の者に向けられていた、心の底からの笑顔だ。
それを真正面から受けたフランは、何かを思い出したかのようにふっと眉をゆるめると、レリナに手を差し出した。
「さ、ボイドの事でも話しましょう。ここに来られたのは彼のお陰ですからね」
にこりと笑いながらそう言われて、レリナは肩の上のアレックスとリリーに感謝を込めてそっと撫でると、談話室の火の側に座った。
フランとボイドが知り合ったのは一年と少し前の春だったという。
商人たちに混ざって各国を旅していたフランは、ある商人の護衛をして路銀を稼ぎながら旅をしていたボイドと偶然出会ったのだ。
その異様な風体から、すぐに彼がオークと呼ばれている種族、つまりエルフが大陸と断絶している間にこのイズワスに現れた種族だ、とフランは気が付いた。
「レリナも驚きませんでしたか? 人間たちの言葉通りなら、彼らは大陸の南の端に住んでいて、そこから出て来ないと言われている種族なんですよ」
「ええ、確かに驚いたわ。毒草の多い密林で竜と同居しているって聞いたし、実際に行ってみたこともあるけれど、森と共に生きている昔のエルフみたいで……」
言いかけたところでレリナは、以前からオークに対して感じていた懐かしさのようなものを思い出した。
言葉にしてみたことで気が付いたのだが、彼らの生活は獣を狩り、植物を採集し、火を
かつてエルフが気候を制御しつつその辺りに住んでいた頃は、あちこちに石造りの建造物が作られていた。彼らはそれも管理しながら利用していた。しかしそれ以上に森を荒らすようなことはせず、集落をつくりながらも、生活は細々としたもので、助け合いながら生きていた。
人間とは薬草や珍しい動物、彼らが家を作るのに使う木材など、ごくわずかに取り引きがあるのみだ。
その在り方は、大陸上の他のどの種族より乱暴だと言われる一方で、遥か昔のエルフや妖精のようでもあるのだ。
「やはりレリナもそう思いますか。私もそこがとても気になって、実は旅をしながら何度もボイドに聞いてみたんです。ですが、彼らがどこから来たのかさえ当のオークたちも知らないと言いますし、記録も無いそうなんです」
調べれば調べるほど不明な点が多く、フランはオークという存在が気になりつつも、手詰まりになっていた。
それに彼の旅の目的は本来、全く別のものだ。
フランが調べていたのは古来の知恵である薬草についての知識である。
魔力の薄くなったこの地上では、どういう理由でか病や怪我を治す方法を魔法に頼っていた。そのせいで人間たちの国では、魔法使いばかりが権力を握っている。
フランの目的はその状況を少しでも変えることだという。
「でも今となっては、この二つの目的は最初から深く関わっていたのかも知れません」
「最初から関係があった?」
急に切り替わった話に、レリナは少し身を乗り出した。
今の話を聞いた限りでは、ボイドに薬草の知識を教えたのはフランなのだろう。
だが彼は、人間の国の在り方を一気に引っ繰り返してしまうような、そんな野望を抱いているようには見えない。
むしろ穏やかに、魔力が減って苦しむ地上の者たちの助けになろうとしているようだ。
「ボイドに魔法が効かないことは知っていますか?」
「知ってるわ。攻撃も無効化されるし、魔法の治療も薬も効かないし。オークは元々そう言う体質の者が多いって聞いたわ」
「そうなんです。ついでに言えば毒も効きにくい体質なので、妖精やエルフとは違う普通の生物でありながら、あの密林で生活できている。それなのに、少し量を増やせば薬草は効くんです。そんなに都合よく生存できる存在が急に現れたのは、どこかおかしいと思いませんか?」
改めてそう問われると、レリナは確かに奇妙だという気がした。
オークは一見すると差別されているようで、生きていくには有利すぎる条件を体に備えているのだ。
「……それはつまり、地上の魔力が薄くなったから、それでも生きられる彼らが生まれたと、そういう事なの?」
「おそらくは。そして彼らの在り方は、同時にエルフにも似ている。まるで地上を荒らす人間たちに対して、残された南の地を守ろうとしているように、です」
言い終えると、フランはそっとキッチンの方を向いた。
ここで食事をとる必要があるのはボイドだけだが、彼はなかなか料理が終わらないらしく、そこから出て来ない。
それはきっと、久しぶりに再会したフランに、そしてレリナにもご試走しようと余分に料理しているからなのだろう。
そんな無邪気な優しさを持つボイドが、フランやレリナに自分たちの出自を意図的に隠すとは思えない。
ならば彼らの言う通り、オークたち自身はその事をまるで知らないし、きっと自覚も無いのだろう。
「なんだか、ますます分からなくなってきたわ。ボイドはどうしてここにいるのかしら」
地上に流れる魔力は、魔力によって生きている者にとっては、ある種の運命へ導く力でもある。
偶然この近くを通りかかり、偶然森蟲の言葉を聞くことができ、そして偶然アレックスと出会ってここまでやって来た。
ここまで重なれば、それはもはや偶然とは言い難い。
レリナであればこれは運命だと断じることが出来るが、ボイドは魔力を無効化する体質だ。果たして同じことが言えるのかどうかは分からない。
「僕にもまだ分からないんです。でも彼がここに留まって、あなたを手伝うと決めたのは、きっと森蟲たちに頼まれたからというだけではないのでしょう」
だからボイドに呼ばれてここへ来たのだ、というフランに対して、レリナの頭に浮かんだのはアルドの姿だった。
彼も魔力の薄くなった地上で、どこへでも平気で行くことが出来た。
かと言って魔導書を調べた時に見たような、元は魚であったとか、実は竜の子であるとか、そんな話は荒唐無稽だと思っていた。
しかしフランの話を聞いてみれば、それらの記述にも少しだけ、アルドの出自や行き先に関するヒントが隠れているような気がする。
アルドもまたレリナの知るただ優しいエルフ、それだけではなかったのかも知れない。
そう考えると、少しの不安と共に、彼の事をもっと知りたいという思いが、期待と共に湧き上がって来ていた。
眠る楽園の旅人たち しらす @toki_t
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