猫によって何故か上手くいく話

草森ゆき

猫によって何故か上手くいく話

 マフラーが飛び掛かってきた。首からぶら下がるイヤホンコードのせいだと思われた。

「ギャアアア!!!!!」

「ニャアアア!!!!!」

 我々の悲鳴はマッチングし、揃って椅子から転げ落ちた。なにしてんねんと呆れる母の声を聞きながら、せっせとコードをまさぐるマフラーの背中をばしばし叩いた。真っ黒の尻尾が左右にぴしぴし揺れていた。


 マフラーは我々鐘城かねしろ家の愛猫である。

 兄が急に拾ってきて、数秒で皆が骨抜きになった。なんせ愛くるしいのだ。小さくて真っ黒な生き物が、ガタイがよく190cm近い兄にだっこされているだけで国宝級だった。お目目がうるうると丸くて倍ドン愛くるしく、兄と私と母は膝を付き合わせてスーパーキュートなネームをつけなければならないと案を出しあった。その間に国宝級黒猫は我が家の洗濯物で遊んでいた。私が彼氏にもらった青いマフラーをズタズタにしながら楽しげにみゃんみゃん鳴いていたため、名前が決まった。

 マフラーと呼ばれた鐘城マフラーはニャンと鳴いた。愛くるしかった。私は見る影もない彼氏のプレゼントを抱き締め咽び泣いたが、猫の愛くるしさには負けていた。


 鐘城家は中々杜撰だった。父が亡くなってから杜撰な母は杜撰に過ごした。兄は社会人だったし私も大学四回生で、子育て期間は終わったも同然だったため杜撰でも問題はなかったが、杜撰さはやはり父の不在=世話を必要とする甘えん坊の不在から来ていたらしく上手いことマフラーがそこにおさまった。

 この話をデートがてら彼氏に聞かせた。プレゼントを破壊された報告を兼ねていた。彼氏はマフラーがマフラーをヤッてしまったことについて大変渋い顔をした。

「そういうわけでプレゼントは死にました」

「何回も言わなくていいよ」

「現物見る?」

「見ない。来年また新しいやつ、渡す」

 彼氏はとてもかわいい野郎である。わさわさと頭を撫でるとマフラー扱いするなと怒られた。

 せっかくなのでそのまま彼氏を鐘城家に連れ込んだ。母はいらっしゃいと朗らかに笑い、膝に乗せたマフラーをゴッドファーザーのように撫でていた。マフラーはかっと目を見開き彼氏を見つめた。彼氏はなぜか身構えた。数分経って、マフラーがぷいと視線を反らして欠伸をした。母の膝の上でごろごろと丸まり目を閉じたので、触ってもいいらしいと彼氏に告げた。頷いた彼氏はマフラーの耳をつつき、すばやく噛まれた。

「痛い!」

「コラ! あかんでマフラー!」

 母の怒声にマフラーはピュッと走り出して食器棚の上に隠れてしまった。彼氏は噛まれたところを驚いた顔で見つめていたが、私が近寄ると大丈夫だというアピールのように背筋を伸ばした。母がため息をついた。ごめんなあと彼氏に言って、私たち二人を交互に見た。

「あの子がめちゃくちゃにしたマフラー、紅山あかやまくんからの誕生日プレゼントやったらしいやん。そっちもごめんなあ」

「ああ、いえ、」

「男友達にプレゼントするん偉いなあ。あんたもちゃんと返しなや」

 彼氏と一瞬視線を合わせたが何も言わずに頷いた。母は明朗に笑い、食器棚の上に向かって呼び掛けてから、私と紅山の飲み物を入れてくれた。


 兄は知っていた。私がうっかり紅山といちゃついている時に部屋へと入ってきたのだ。兄は紅山をふつうに気に入っていたので遊びたかったらしい。

 マフラーも、まあ、知っている範囲に入った。私がうっかり紅山といちゃいちゃ電話をしている時に部屋へと入ってきたのだ。猫がふつうに扉を開けて来るとは考えもしなかったため、だいぶ驚いた。ニャンと元気に鳴いたマフラーはすっかり自分のものにした紅山からのプレゼントを引きずっていた。とても憎いが、やっぱり愛くるしくて紅山には申し訳なかった。

「オカンやったら、言うても気にせんと思うけど」

 兄がデカい体を揺らしながら部屋に入るなり言ってきた。

「そういうわけにもいかんやん。兄貴はまあ、うん、キモいとか言われんで助かったけど」

「今時そんなん言うやつおらんやろ」

 おるんやって。おらんって。おるねん、おった。ほんまにか? ほんまに。

 ううん、と兄は唸る。唸りの直後、がちゃっと扉が開いて身構えるが入ってきたのは黒い塊、我が家のかわいいマフラーちゃんだ。

 マフラーはベッドに座っていた兄の膝にぴょんと乗る。とても可愛い。だが話は続けようと一旦扉を閉めて向き直る。兄は苦笑し、膝のマフラーを撫でながら息を吐く。

「おれはなあ、弟が弟やったらなんでもええねん。おれやって、こんなデカいからか知らんけど変に避けられたりするんや。おかんのボディーガードにはええけど、ほら、親父が逝ってもうてから、おかんはやっぱり寂しそうやったやん。おれもお前もひとりでなんでもするけど、親父はおかんに世話してもろて悦ってるタイプやったやんけ」

「兄貴ほんまおとん嫌いやな」

「嫌いやわ、あいつが一番おれにビビってたし」

 自分より20センチほど背が高くガタイもいい息子にビビる気持ちはわからいでもないが言わない。

「いやさっきもゆうたけど親父以外にもビビられるわ、お前とか」

 言わなかったがバレる。

「でもええねん、おれはともかくお前の話や。紅山くんと付き合っててラブラブやねんっていつおかんに言うねん」

「言われへんわ」

「なんでやねん」

「おかんにこれ以上苦労かけられるか。心労でまた杜撰になられたら、ゴミ屋敷に戻る」

「それは、……そうかもしれん」

 私は頷き、兄も渋々頷き、膝のマフラーはくあっと欠伸をする。話は終わりだ。お互い無言になるが兄は出ていかず、なぜかと言えば当然膝の黒い塊が兄の行く手を阻んでいるからで、退かしてやろうかと手を伸ばしかけるが静かな声で止められた。

「ええよ。マフラーはおれにビビらんし」

 部屋から出ていかせたかったが、そう言われては無理だった。マフラーはぐるんと丸くなり、深い呼吸をし始めた。寝る気だった。数分後には寝息らしきものが聞こえてきて、私も兄もつい笑った。


 父は確か動物嫌いだった。だからこそ逝去したあと、兄はマフラーを拾ってきたのだろう。兄にはビビり、母には甘え、私は眼中になさそうだった父は、それでも鐘城家のために働き続けた。あれは惰性だったのか家族愛だったのか知らないが、母が母でいるために必要だった男に違いはなかった。

 兄はある日、マフラーを急に連れ帰ったように彼女を急に連れ帰った。母も私もしばらくフリーズしていたが、マフラーだけが彼女さんの足元にまとわりついて遠慮なくマーキングをキメていた。猫好きらしく、兄とも猫の話題で仲良くなったとのことだった。母も兄も彼女さんも嬉しそうで私はなんだか死にたくなったが、顔に出さないよう必死に耐えているとマフラーに飛び掛かられた。またイヤホンだった。三人は笑って、私も結局笑って、ここに紅山もいるといいなあ、と思った。

 思いながら過ごして彼女さんが帰ってから、爆弾発言が入った。

「あんた、また彼氏の紅山くん連れて来なや」

 バッキバキに固まる私と兄の前で母はひょいとマフラーを拾い上げ、肩に乗せながら朗らかに笑った。

「あの子ええ子やし良かったやん、大事にしなや」

「えっ? はっ? なんで知って?」

「マフラーがあんたの部屋勝手に入るやろ。そんで扉開いた時に、イチャイチャ電話しとったん聞こえたわ。ラブラブ過ぎて恥ずかしかったって、なあマフラー?」

「うぐ……」

 死にたい。私の呻き声に近い呟きに、母は笑い声を上げた。肩からぶら下がる黒い尻尾が、ゆったり左右に揺れていた。


 顛末を紅山に話すと、なんとも渋い顔をした後に、今度挨拶に行かないととまじめくさった声で言い、マフラーの好物はなんだと聞いて来た。

「えー……なんやろ、首からぶら下がるイヤホン?」

「魚とかじゃないのか……」

「だってあいつマフラーやで? ほんまになんでも食うねん、紅山のマフラー食ってマフラーって名前になった食いしん坊ちゃんやねんて、めちゃくちゃかわいいけどめちゃくちゃ愛くるしいけどなんでも食いよる」

 紅山は二回瞬きを落とした。そうか、と納得したように言ってから、私の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。

「じゃあたぶん、マフラーが食ったんだな」

「なにを?」

「鐘城家の、なんか、問題みたいなやつ」

 世話のしがいがなくなり杜撰になった母はしゃきんとして、デカさ故にビビられまくる兄には彼女ができ、同性愛者だと言えなかった私はあっさり受け入れられた。それらはたしかに、紅山の言う通りなのかもしれなかった。

「……猫って凄ない?」

「人間にはない能力だろうなあ」

 紅山は笑い、煮干しでも献上するかとマフラーへのプレゼントを決めた。きっと喜ぶだろう。喜ぶどころではなく狂喜乱舞の飛びかかり芸が拝めるだろう。黒い弾丸に突撃されて慌てる紅山を想像すると楽しかったし、なんだかすごく久しぶりに、気兼ねなく爆笑してもいい気がする。猫は正義だ。






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