第3話 魔女と機械②
森の中のあちこちから悲鳴が上がる。
赫龍会の力はやはり圧倒的だった。橋上真弓が結界を解いてからは、一方的な鏖殺だ。
そも、魔術とは事前にどれだけの準備をしたかが成否を決める。ゆえにこうした、不意打ちには弱いのだ。
だからこそ魔女は結界を張り、陣地を作り、有利な場を用意する。
しかし今、手塩にかけて用意された陣地も結界も、橋上真弓の魔術殺しの矢によって悉く破壊されていた。
その上、用意したばかりの使い魔はなぜかコントロール不能らしい。魔女たちは逃げ惑うしかない。
「カハハハハ!! 最高だぜ真弓ィ!」
邪視の能力は往々にしてその制御が問題となる。不慮の事故を避けるべく、眼帯等で目を隠す者も多い。
しかし、彼は違った。彼は己の意志ひとつで異能の完全な制御を為していた。それも、混戦の中で敵だけを石化させるという精密さである。
それは尋常ならざる集中を要するだろうに、彼には余裕がある。真弓の細い肩をいやらしく撫で、哄笑するだけの余裕が。
「あー……まったくなんて幸せモンなんだろォなァ。オレァよォ」
人を石に変えながら、男が歓喜にうち震える。その一方で、少女はどん底にいた。
石に変えられた者のなかには、真弓に親しくしてくれた者、真弓をかわいがってくれた者もいた。彼女らは襲撃者の隣にいる真弓を見て、どう思っただろう。
彼女らの石像が砕かれるところを、真弓は見れなかった。憎い仇だったはずなのに、いざその時が来てみれば苦々しい思いしか湧いてこない。
ここは地獄である。
「オメェもそうだろ? 幸せだろォ? 気に食わねェ連中が目の前で死んでいく。石になって、粉々に砕かれていく! 最ッッ高のエンタテインメントだ!!」
そして、その地獄を生んだのは他ならぬ自分自身だった。
――何かの間違いで、私も一緒に石化されたらいいのに。
そう願わずにはいられない。
だが、蛇島は器用な男で、しかも真弓の方をちらりとも見ようとしなかった。
彼女の望みは叶わない。それだけがはっきりしていた。
「はっ趣味わりぃ」
そこに、場違いな少年の声。そして、――ぶぅゥぅん、ぶぅん、ぶぅんというチェーンソーの駆動音。
声も音も背後からで、姿は見えない。
けれど真弓は確信する。どういうわけか、彼がこの場に来たのだと。
▽▲△
「ァア? ンだァテメェは」
蛇島は、敵か味方か分からない相手には石化能力を行使しない。
赫龍会という組織は広大である。当然、構成員の中には蛇島が顔を知らない者もおり、万一仲間を石化させてしまえば、蛇島は処断を免れない。
ゆえに蛇島邪忽という男はその横暴にして粗暴な言動とは裏腹に、その実、慎重な男であった。
そして、その慎重さが今回は功を奏した。
(ンだこのガキ……チェーンソーのブレードで目元を隠してやがる)
鏡、あるいはそれに類するものを利用するのはポピュラーな邪視対策である。邪視は鏡に映る自分自身に作用するものが多い。蛇島は己の異能がそのような性質を持っているのか、検証したことがなかった。ゆえに、蛇島は少年を石化させられない。
(しかしなんだこいつの、この腕……)
チェーンソーになった腕を蛇島は凝視する。
表面に露出したチェーンソーの内部構造、そしてそれと融合するように張り巡らされた血管……無理矢理とって付けたかのような痛々しさがあった。正直、気色悪い。
「蛇島邪忽……だっけ。アンタ、もう少しマトモな娯楽を覚えた方がいいぜ? ゾンビ映画とかスプラッタ映画とかサメ映画とか」
少年の軽口に蛇島は応じない。
「何者だ。なぜオレの名前を知っている」
「……俺の名は
蛇島は言葉を失った。
こんなガキが、こいつが? 会長の甥? 今夜来るという新幹部? 悪い冗談だ。
思考がフリーズして、頭が真っ白になる。
――瞬間、目の前に巫女が現れる。
紅く綺麗な口、艶やかな黒髪。日本人らしい美人顔。だというのに右目は金色に輝き、しかもそこには傷痕があった。蛇島はその形状を見て気付く。銃創だ。しかも銃弾はおそらく、脳を貫通したはずである。なのに生きてる。
本能的に、蛇島は石化を発動させた。しかし、目の前の女は石化しない。
そこでようやく蛇島邪忽は悟った。この女は不死の異能者――神仙だと。
だが、その事実を誰にも伝えられぬまま、彼は死ぬ。彼女の二つ目の異能によって。
◆◆◆
「邪視、というものをご存知ですか」
「見ただけで呪いをかけるってやつだろう」
それは俺達が魔女の棲む森に到着する、少し前のこと。
忌寸鎮は車を停めると、そう話を切り出した。
「魔女の中には時折、邪視に覚醒する者がいます。中でも私のそれは、極めて強力でして……見ただけで、人を殺せるのです」
「おっかねぇな」
「はい。ですから幾重もの封印を施し、さらにその上から呪符を貼り付けることで発動を防いでいます。ですが今回、私はその封印を限定的に解除します」
「なぜだ?」
「先ほどのお話が本当なのでしたら、龍天佑さん。あなたは赫龍会が売春の斡旋を禁じてることはご存知ですよね」
「偉辰はそういうの嫌ってるからな。それが?」
「近年、赫龍会絡みと見られる少女の略取誘拐、及び売春が確認されています。調査の結果、幹部の一人が独自にそうした事業を開始していたことが判明しました。これが、その幹部です」
俺は差し出された写真を見る。蛇顔の男がそこには映っていた。
「名は蛇島邪忽。石化の邪視の使い手です。何人もの警官が石像にされ、その人数分のコンクリートブロックが警察署に送りつけられたそうです」
「つまり穏便に逮捕できないから殺すと」
「ええ。報告書をたくさん書く破目になるので、気は進まないのですが……」
――これも仕事ですから。
そう言って、忌寸は肩をすくめた。
「龍天佑さん。協力していただけますか?」
「何をしろと?」
「蛇島に隙を作って下さい。といっても、その可愛らしい姿で身元を明かせば、それでことたりるでしょう」
「……まあ、確かに」
そして現在。
忌寸の邪視の餌食となった男が、倒れる。俺は蛇島のことを何も知らないが、怯えた様子の真弓を見れば赫龍の幹部に相応しくない男だと確信できた。きっと、忌寸が殺らなければ俺がこの手で切り刻んでいただろう。
「数時間ぶりだな」
「天佑、さん……?」
「ああ。色々あって若返っちまってるけど、俺だ俺。今のところたった一人の、機械の異能者だ」
呆然とする真弓の前に進み、俺は土下座する。
「俺の身内が悪かった。もう二度とお前がされたようなことが起きないよう、尽力すると誓う。許してくれとは言えないが、そいつに代わって俺に償いをさせてほしい」
「そんな、そんなこと……どうして、天佑、さんが……顔、上げてください」
真弓は瞳に涙を溜めながら、俺に笑ってみせた。
「私は、大丈夫ですから」
そんな顔をされては、もう何も言えない。だから俺はこの事件の黒幕の方を向く。
「……さて、次はアンタの番だぜ。忌寸鎮。こいつに、言うべきことがあるんじゃねえのか」
真弓はぽかんとして俺の視線の先を見た。そこには、呪符で目を覆った黒髪の巫女がいる。
「なぜ、気付いたのですか?」
「簡単な話だ。あんたらお社の仕事は監視。なら、今回の事件の全貌をはじめから知っていたとしてもおかしくはねぇ。十数年前、こいつの母が死んだときのことも、ヘクセンナハトの企みのことも、橋上真弓が復讐心を抱いていたことも。そしてなにより、その矢だ」
俺は真弓が手に持っている魔術殺しの矢を指差す。
「俺の知る限り、その矢を入手できる可能性が最も高いのは、国がバックについてるあんたらだけだ」
すると真弓が口を挟んできた。
「違います! これは私が入手したもので――」
「じゃあ訊くが、君はどうやってその矢を手に入れた?」
「それ、は――」
言葉に詰まる。おそらく、自分で手に入れたものだと思い込まされていたのだろう。真弓は不安げに忌寸を見た。忌寸の口元には、微かな笑みが浮かんでいる。
「龍天佑さん、あなたは実に聡明ですね」
「こんな女の子一人焚きつけて、なにがしたかったんだ」
「……『竜の使い魔』計画が実を結びつつあることを知った我々には、その技術を封印する必要が生じました。そのために、最善と思われる策を講じたまでのことです。じき、戦いも終わるでしょう。赫龍会を追い払い、ヘクセンナハトの残存勢力と我々は契約を交わす。ヘクセンナハトは、我々の管理下に置かれる――それで、この事件は落着です」
気に食わないが、決着の仕方としては悪くない。道理も通ってる。
「それで真弓、君はどうする? ……このままこいつらお社の下につくか、あるいは赫龍会に来るか。……まあ、俺んトコは気が進まないだろうが」
「じゃあ、天佑さんのところで」
「曲がりなりにも公務員だ。それも悪くは――え?
正直、いやかなりびっくりした。
「だって私はもう、
真弓の視線の先、そこには砕かれた石像がある。おそらく、ヘクセンナハトの連中だろう。
「それに、裏で色々仕組んでるような人達のトコなんて、普通嫌ですよ」
「これはこれは、ごあいさつですね」
そう言いつつも、忌寸はどこか愉快そうだ。公務員がそれでいいのか。
「あと私、さっきの天佑さんの言葉、信じてますから」
「今日、会ったばかりの男の言葉だぜ?」
「いいえ、私を助けてくれた人の言葉です」
存外、真弓の意志は固いらしい。そこに忌寸が茶々を入れてくる。
「素直に受け入れてあげたらどうですか? 女の子の告白なんですから」
「オイコラ公務員」
仮にも反社だぞこっちは。いいのかそれで。
俺の文句など意にも介さず、忌寸は「それじゃあ、私は契約の準備を進めますので」と言って消えた。蛇島の目の前に出現した時と同じく、禹歩によって音もなく移動したのだ。
「……あー、それじゃあ、とりあえず森の外出るか」
「そう、ですね……」
なんとなく微妙な雰囲気になりつつも、立ち上がり、俺たちは歩き出す。
「なあ、本当にこれで良かったのか? 人を殺すことになるかもしれないんだぞ」
「人なら、もう殺しました」
「……そう、だったな」
説得はどうもできそうにない。仕方ないので形だけの挨拶を送っておくことにする。
「んじゃ、赫龍会へようこそ。若い魔女さん」
「……はい。よろしくお願いします。ちっちゃな機械さん――ていうか、なんでそんな姿になってるんですか?」
「その……お前と別れた直後、八尺様に襲われてだな……」
「はい?」
日が暮れる。長かった一日が、終わろうとしている。しかしまだ、夜はこれからだ。新幹部と、そして新メンバーの歓迎会が俺たちを待っている。
俺の身体、真弓のこれから……不安は尽きないが、どうせ今考えても仕方ない。
俺たちは会話を楽しみながら、赫龍会本部を目指して歩いた。
「……ところで、本部ってどこなんです?」
「俺にも分からん」
(了)
魔女と機械 砂塔ろうか @musmusbi
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