第10話

一週間が経った。彼女はあれ以来連日のように僕と昼休みを共有していた。

僕たちの交わる日常のその全ては、昼休みの一時、その短い時間の中に集約されると言っても過言ではない。

僕たちはただ、そんな距離を保っていた。

彼女は昼休みを迎える直前になると、決まってメールを送ってきた。


「今日行くから売店行っちゃダメだよ」


そう…


彼女は連日のように僕の分の弁当を持参するようになっていたんだ。

特に頼んでいたわけではない…

その全ては彼女の親切心…


だからこそ無下に断ることなんて出来なかった…

ただ、それに伴って申し訳ないと思う気持ちが少しずつ心に堆積していくのだ…


とはいえ、僕はシンプルに受動的だったと言える。

何だかんだと言ってもそのご相伴にあずかっていたのだから。


僕はある日彼女に言った。


「いつも500円でパンを買ってるから、その500円渡そうか?」

と…

微小の後ろ暗さは完全には否定できなかった…


彼女はケタケタと笑っていた…  


「お弁当屋さんじゃないんだからそんなのいらないよ」


そう言って僕の申し出を一蹴したんだ…

まあ、そこまで言うなら…  

取り立てた追及はせずに僕は全てを受け入れることにした。


そんなある日の放課後、クラスメイトたちは帰宅するもの、部活動に向かうもの、様々ではあるが僕は教室に一人残り描きかけの紫陽花の絵を描いていた。

6月に入ると街のあちこちで紫陽花を見かけることが多くなった。

今日描き上げてしまうつもりでいつもよりペースを上げてペンを走らせる。


すると突然、隣のクラスの女子がスタスタと教室に入って来て口を開いた。


「神木くんは白石さんと仲良いの?」


話したこともない女子の口からなぜそんな問いかけがくるのかさっぱりわからない…

て言うかどうでもよかったけど…

なので冷静に答える。


「うん。 そうだよ」

そう言った自分が何だか誇らしく思えた。

「そっか。 つあ、さっき靴箱の所で白石さん神木くんのこと探してたよ」

その女子はどこか信じられない、とでも言わんばかりの表情を浮かべていたが、それだけ告げると早々と踵を返し教室を出て行った。

どうしてそれをわざわざ知らせてくれたのかはさておき、一体彼女は何で僕を探していたんだろう…  という微かな疑問が胸中に広がる。

その思いから、僕は絵描き用の手帳を片付け、彼女に訪ねるべく鞄の中からスマホを取り出した。

すると今になって気付いたが彼女から2通のメールが届いていた。

いずれも20分前のものだった。 メールを開く。


「今どこ? もう帰った?」


明らかに僕を探していた…

ずっとサイレントにしていたので全く気付かなかった。

今までこんなことはなかったのでもしかしたら何か急用があったんじゃないか、

僕は慌てて彼女に返信をした。


「今教室にいるよ。 何かあったの?」


彼女のことだからすぐに返信が来るだろう。

僕はディスプレイを眺めた。


だけど、何分経っても彼女からの返信はなかった…

でも、考えてみればそれは当然だった…

恐らく彼女は部活動に励んでいる頃だろう。

返信など来るはずがないだろう。


なのに… なのにだ…


物音がしてふと顔を上げると、さっきのクラスメイトの女子のように、彼女がなに食わぬ顔でスタスタと教室に入って来たんだ…


え???  

彼女は、目を丸くして驚く僕を無視して  「返事遅すぎでしょ!!!」

とぶつぶつ言いながら後方の窓際の僕の席まで来ると、前の席の椅子に股がるように後ろ向きに座った。

僕の机と彼女が座る椅子の背もたれを隔てて向かい合う形になった。

何か違和感しかないこの情景に不思議な感覚を覚える…

彼女は、ムッとした表情で僕を見つめている…

「何してたの?」

いやいや… それは僕の台詞なんだけど…

そう思ったけど威圧的な彼女の言葉に僕は押し黙る…

代わりに僕は今のこの経緯を淡々と説明していた…

不本意ではあったが、必然的に絵描き用の手帳を彼女に見せる運びとなった…

背もたれに左肘を乗せると、頬杖をつきながらペラペラと手帳をめくって僕の絵を初見する彼女。


「すごいじゃん!!! うまいよ!!! 才能あるんじゃない?」

僕の顔は見ず、あくまで絵を見続ける彼女は声を弾ませて言った。


「ありがと。 でも才能はないよ。 もっと上手な人なんてたくさんいるし…」

彼女は顔を上げた。

「出た… ネガティブ男…」

「謙虚にそう言ったつもりなんだけど… 」

彼女はなぜか笑っている…


なので僕も、 ハハハ… と控えめに彼女に合わせて笑った。

意味もなく…


「嘘だよ。 ところでさっき言ってた紫陽花ってこれ??」

先程まで僕が描いていた紫陽花のページを開く彼女。


「そうだよ」

「良い感じじゃん。 どうして紫陽花なの? 好きなの?」

「いや、そうじゃないけどただ直感的に描きたいって思ったんだ」

「つお、まるでアーティストみたいなこと言うね。素敵」

涼し気な顔で彼女はニッコリ笑う。


「僕をからかってるでしょ?」

「まっさかね~」

飄々と濁す彼女は笑顔から一転、今度は何か思いついたような表情を作る。


「紫陽花もいいけどさ、今度は百合の花描いてよ」

「ユリ?」

「そう、ユリ。ササユリのほうね」

「いいけど、どうしてユリなの?」

不思議と快諾に至る自分の心が先だった。


「ありがとう。 実は私ね。 7月15日が誕生日なの。それにこの日はササユリの日でもあるんだ」

楽しそうに話す彼女の瞳が輝く。



「だからユリなんだ」

「うん。 じゃあ約束だからね? 絶対描いてよ?」

「うん。約束するよ」


彼女は満開に咲く花のように麗らかな笑みを顔一杯に充満させた。


彼女がそこまで望むなら、まあ仕方ないか……

なんて思いに駆られた。


その時、不意に一つの疑念が舞い戻ってきたので、僕は躊躇なく訪ねた。

「ところでどうして君はここにいるの? 部活は?」

「…」


何言ってるの? と言うような表情で首を傾げる彼女。


その表情に今度は僕が首を傾げる…

「休んだとか…?」

「違うよ。 部活には入ってないの」

あっさりと口にした。

その瞬間、僕は自分の勘違いに気付いてしまった…

彼女のような人なら、当然部活動に励んでいるだろうと勝手な想像をしていた…

しかしそれは、僕の勝手な推察にすぎなかったのだ…


彼女は付け加えた。


「意外でしょ?」

言って微かに口角を上げる。


「う、うん… 意外だったかな… 君のような人は高校生活全てを謳歌してるイメージがあったから…」

彼女はクスッと笑った。

「それ、よく言われるんだ」

表情は微かに緩んでいたけど、彼女の目がなんとなく悲しそうに見えたのは気のせいだろうか…

彼女は言葉を継いだ


「でも、考えてみて。 部活に入っていないからと言って、高校生活を謳歌してないことにはならないでしょ…?」

「まあ… そうだね…」

「部活に入ってた方が絶対楽しいって言う人もいたけど、私は今のままでも十分謳歌してるよ」

「そっか…」

何も言えない…


「うん。 結局さ、人は見た目通りじゃないんだよ。 何が良くて何が楽しいかなんて人それぞれ違うんだからさ。 私は私だから。 それに今が一番楽しいよ」


誇らしく語る彼女の瞳が揺れる。


どうして彼女のような人が部活に入らないのか、それはわからないけどやっぱり彼女は僕が思っている通り聡明かつポジティブで愉快な人だった。

そんな彼女に感覚されているのも事実だったけど。


その後、彼女は突然突飛的な提案をぶちかましてきた…


「この後一緒に帰らない…?」


あまりに唐突過ぎて、僕は  「え…?」 と言って狼狽したように目をしばたたかせた…


「え!  じゃないよ。 そのために探したんだから」

さも当然であるかのように言う彼女。


これまでずっと、僕たちの交わりの全ては昼休みの一時、広く見れば学校内、に集約されていたはず… なのに彼女が今僕に問うた現実は、それを根底から揺るがすものであった…

とは言え、よく考えてみればそれだけのことでもある。


進捗する僕たちの交わりを今さら阻む意味も理由もなかった。

なので僕は、 「わかった。 一緒に帰るよ」

なんて言っていた…


だけど内心パキパキと凍り付くように胸が硬直していたのだ


「じゃあ、そうと決まれば行こうよ」


彼女が無邪気に催促するので、`図らずも僕は帰宅するはめになった…


結局、当初決めていた紫陽花を描ききる、という目的は果たせなかった… 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕らの色🌸明日の光 ちゃんちむ @shin3150

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ