ライダーズ・ハイ
木浦 功
第1話
ドウウゥゥー……
早朝の市街地に排気音が広がり溶けて消えてゆく
並列4気筒1000ccのエンジンからリプレイスマフラーを通って吐き出される排気音は 静かだが頼もしくも心地の良い低音を響かせる
ここの所 週末の天気に恵まれなかった事もありバイクに乗れなかったが 今日の天気予報は快晴 夏日になるとの事 空は薄く雲が懸かっているが晴天で 暑くなる気配を体に感じる
久しぶりのバイクに心が踊る 早くあの場所へ あのステージへ と 逸る気持ちをなだめ 意識してゆっくりと丁寧に走る
結婚して子供が産まれ 家や地域の事
それなりの役職の仕事 流行りのキャンプや釣りにも手を出してしまった事 等を言い訳にして バイクに触れる時間は目に見えて少なくなっていた
バイクを降りた仲間やバイクに乗れなくなった仲間も居るが 私は乗り続けている 泊りがけのロングツーリングはおろか日帰りのツーリングもほとんど行かなくなっていたが 夏の早朝に峠をバイクで走る これだけはやめられずにいる いわゆる“朝駆け“というやつだ 行き先はビーナスライン バイク乗りの聖地とも言われている美ヶ原へと通じる高原道路だ
結婚前から乗っていた事もあり 妻はバイクに理解を示してくれている
20代で乗り始め 何台か乗り継ぎ
大型2輪の免許取得と同時にブルーのカワサキZX-9R C型 に一目惚れして購入 休みのたびにそこら中走り回った 10年 15年と乗り続け 9Rにこれといった不満がある訳ではなかったが 次々と発売される新型のバイクに目が行くようになっていた
それに気付いた妻は「新しいバイク欲しいんでしょ 買い替えても良いよ?」と言ってくれたが中々踏ん切りが付かずにいたのだが ある時一台のバイクに目が止まった
フルモデルチェンジした カワサキのニンジャ1000だ カワサキお得意の
昆虫顔 カマキリを連想させるライト周り フロントカウルからタンク テールへとつながるボディライン これだと思い 20年乗ったZX-9Rを手放し購入に踏み切った
ボディカラーはブレイズドグリーンという深い緑色と黒のツートンカラー
50歳手前の男が乗るに相応しい色だと思っている
ニンジャはZX-9Rとは大きくキャラクターが異なる ZXシリーズは速く走る為のバイクで ニンジャは気持ち良く走る為のバイクといったところか その走りを言葉で表現するなら ZXはハードブレーキングからスパッと向きを変えVの字にドンッと加速する感じ
対してニンジャはセルフステアですうっと向きを変えUの字でグググッと加速する感じだ ニンジャの醍醐味と言えばやはりこの加速だと思う スムーズな中にもカワサキ特有のゴリゴリ感が感じられる
キャラクターの違いもそうだが 20年乗り続けたZX-9Rの見慣れたメーター周りや体に染み付いた感覚が中々抜けず 借り物のバイクのようなしっくりこない感じだったが 最近ようやく私の体と気持ちがニンジャ1000を新しい相棒だと認めてくれたようだ
市街地を抜けて峠の旧道に入る センターラインの無い 見通しも余り良くない道なので慎重に走る クネクネと曲がりくねった道をしばらく走ると信号付きの交互通行のトンネルがあり 赤信号で止まる ふうっと息を吐き出し体の力を抜く さあ 楽しいバイクの時間だ トンネルを抜けてビーナスラインに合流する 自宅から約30分 この環境でなければ私もバイクを降りていたかもしれないなと ふと思う
いつの間にか空は真っ青な夏空に変わり 陽射しを体に感じる様になっていた
ブレーキの効きやタイヤのグリップを確認しながら徐々にペースを上げていく 不安はない 行ける それなりのスピードからアクセルオフと同時に軽くブレーキを引っ掛け左にダイブ ハンドルはこじらない 視線はコーナーの先の先へ 出口が見えた所でアクセルオン リヤショックが沈みタイヤが路面をつかむ アクセルワイドオープン! ドウウゥゥーッと排気音がアクセルに応え 重量級の車体が加速する
前へ! 前へ! 「気持ち良い!」
狙い通りの弧を描けた時の気持ち良さは何物にも代えがたい 速さではない
バイクを操る楽しさ
ブレーキ バンク アクセル
ブレーキ バンク アクセル
楽しくて 気持ち良くて 何度も弧を描く 三峰の手前から視界がパッと開け 晴れ渡った青空の下に雲海が広がって見える 正に雲上のワインディングロードだ
この先は上り下りの起伏が大きくなり路面がうねっている箇所もあり注意が必要だ
と 前を行く2台のアメリカンバイクに追い付いた あおるでもなく すーっと近づいて行くとウィンカーを出して左に寄ってくれた 「お先にどうぞ」という意思表示だ 道路の先を確認し すっと追い越し「ありがとう」の意味を込めて左手を軽く挙げて加速する
今度は対向車線を数台のバイクが走って来る 私が手を挙げると向こうも手を挙げて応えてくれる 手をぶんぶんと大きく振るライダーもいる ビーナスラインにツーリングに来てテンションが上がっているのだろう 当然顔も名前も知らない同士だが「お互いご安全に ツーリング楽しんで」という意味を込めて手を挙げている 私はこうしたライダー同士のハンドサインのやり取りがとても気に入っている
その道路と景観の素晴らしさばかりではなく ライダー同士の繋がりを感じる事ができるのも ここがライダーの聖地と言われる理由の一つだろうと思う
ここから美ヶ原へと通じる道は見通しが良いとは言えず 景色を楽しむというよりはワインディングロードを楽しむ区間だろう 美術館の手前にはつづら折りの上り坂区間が待ち構えているがニンジャは余裕のトルクでグイグイ上ってくれる 上るごとに夏空が近づき 陽光が輝きを増す
美術館に着くと駐車場にはすでに何台かのバイクと車が停まっていた 私も一息入れようかとも思ったが止まらずに走り続けたいという気持ちが勝り 停まっているバイクを眺めながらUターンし 今来た道を戻り始めた
ここまでは基本上りだったが 帰りは当然下りがメインになる 車重もありスピードが乗り過ぎてしまう事に注意しながら走る 上りよりも低いギアでエンブレを効かせる つづら折りを下って ふうっと上半身の力を抜く 夏のビーナスラインは開放感のある見通しの良い道をイメージする人が多いと思うが 木々の緑色や空の青色よりも黒色の占有率が多い場所が意外と多い
道の両側を濃密な緑色の木々で覆われ木の下側や路面には真っ黒な影が落ち青空は木々の間から顔を覗かせる程度で 明暗のコントラストによって路面の状態が確認しづらい所もあるのだ
時折すれ違うライダー達にハンドサインを送りながら駈け下って行く 今日は調子が良い 人車一体というやつだ
右に左にコーナーを抜けてヘルメットの中でニヤリと笑い 一人悦に入る
私より速いライダーや上手なライダーはごまんと居るだろうがそんな事は関係ない 今 この時間バイクに乗っている事が嬉しいんだ
バイクに乗る理由を探すようになったのはいつからだろう? ツーリングに行ったとして 車が多くて気持ち良く走れなかったら? 雨に降られたら?暑かったら? 寒かったら? 交通事故に会ったら? だったら乗らないほうが良い
じゃあ何故バイクに乗るの? バイクを乗りこなす事が楽しいから? スピードを出すと気持ち良いから? バイクで遠出する事が楽しいから?
暑い寒い疲れたと文句を言いながらも笑顔で話す仲間が居るから?
そんな考えもワインディングでは全てが消える ブレーキ バンク アクセル ブレーキ バンク アクセル… バイクで走る事 思考はただその一点に集約される
バイクで走る事が楽しくて嬉しくて
バイクで走れると言うことがどれだけ贅沢で幸せな事か
来たときに通った分岐を通り過ぎ今度は霧ヶ峰方面に向う 多くのライダーがイメージするビーナスラインは 霧ヶ峰~車山~白樺湖 区間だろう こちらの道は特にキツいコーナーも無く景色を楽しみながら流して走るのに最適な道だ
逆を言えば速さ自慢のライダーなら相当なスピードで走る事が出来るだろう
だがそのスピードに2乗してリスクも高くなると言うことを決して忘れてはならない 観光地でもあるビーナスラインでは思わぬ動きをするバイクや車も少なくない コーナーを抜けた先に車やバイクが停まっていたり Uターン中の車に車線を塞がれた事も一度や二度ではない
バイクに乗っていると話すと決り文句のように バイクは危ないよ いい歳してまだ乗ってるの?もうやめたら?
と言われるが そんな事はバイクに乗り続けている私の方が良く知っているし考えてもいる と言い返してやりたいが 不毛な議論をしたいとは思わないのでいつも適当にごまかしている
八島湿原を通り過ぎた先 霧ヶ峰までが私の定番の朝駆けルートだ 霧ヶ峰の駐車場もすでに多くの車やバイクが停まっていた
私はそれらを横目に通り過ぎ スキー場にポツンと置かれている自販機の横にゆっくりとバイクを停めた 慎重にサイドスタンドを下ろしバイクを降りる グローブとヘルメットをはずして大きく深呼吸すると 高原の爽やかな風が吹いた
「気持ち良い!」
自販機で缶コーヒーを購入し バイクの近くに腰をおろす カキンッとプルタブを開け冷えたコーヒーをのどに流し込み 大きく息を吐き出す
「うまい」
この一口だけはどこでも買える缶コーヒーが至高の珈琲となる
視線を上げると晴れ渡った夏空とシーズンオフのスキー場が広がっている
そして ふいに訪れる静寂の時間
ライディングで緊張していた体がじわーっとほぐれるように力が抜けていく
夏の陽光が降り注ぎ 風が渡りざあぁっと木々を揺らす
耳の奥でキーンと耳鳴りがしている様な 時間の流れがゆっくりになった様な
不思議な それでいて心地良い感覚
久し振りに感じる ライダーズ・ハイ
ゆっくりと目を閉じ その心地良さに身を委ねる…
と バイクの排気音が聞こえ 目を開けると目の前を通り過ぎて行った
時の流れが正常に戻る
時間にすればほんの1~2分 ライダーだけが知る事のできる不思議な感覚は消えてしまった
私はコーヒーを飲み干し「そろそろ帰るか」とつぶやいて立ち上がった
空き缶をくず入れにカシャンと投げ入れバイクにまたがる ヘルメットとグローブを着けていると 山肌に反響して遠くバイクの排気音が聞こえてきた
「…フォォーーン……ン…」
(もう帰るのかい?…)
そしてもう一度
「フォォーーン オンッ…オンッ……」
(来いよ、走ろうぜ… )
私は光の中にバイクで飛び込んで行った…
あとがき
私は2つのライダーズ・ハイを知っています 1つは山川健一先生の小説の中のライダーズ・ハイ もう1つは浅田弘幸先生の漫画の中のライダーズ・ハイ どちらも私の中にずっと残っていて 今回私なりに表現して見たいと思いこの話しを書きました 稚拙な文章ではありますが 3つ目のライダーズ・ハイになれたかも知れない と思っています
最後まで読んで頂いたあなたに感謝を
ライダーズ・ハイ 木浦 功 @bmatsuyama
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