父娘(おやこ)の作法

嵯峨嶋 掌

いつものふたり

 雨の雫の音をき消すほどの怒声、罵声は毎度のことで、この父とはあいも変わらず相手を言い負かそうと必死なのである……。


「だ、か、ら、できちゃったんだもん、いまさら、あれこれ、蒸し返しても、しかたないじゃん」


 あくまでも娘は強気である。

 どのように言いつくろっても、父には通じない。言い訳できないときは、居直るにかぎる。それを娘はかけて学んできた。

 けれども父としては、まだまだ心もとない、親離れしていないので、余計に気がかりの厚みというものが増していく。

 だから、ほら見たことか!というシーンが多くなる。父としてはハラハラドキドキして当たり前なのだ。


「おまえなあ、あれほど、って言っただろうが! できちゃった? そ、そんな、ば、ばかなっ!」


 怒り心頭に発するとはこのことであったろう。

 父はもぞもぞと体を震わせた。

 その一方で、急に娘は黙り込んだ。こうなれば持久戦だ。父の怒りが溶けるまで我慢比べだ……と、娘は唇を噛み締める。


 父の小言はまだ続いている。

 そして、ため息まじりに、ほんの少し声のトーンを落とした。


「なあ、おまえ……ちゃんとクリームつけて肌の手入れしないと、そのニキビ、目立ちすぎだぞっ!」


 こうしての日常が続くのだった。


                👣



 浮気にせよ、なんにせよ、記者会見をひらくまでもなく、人は言い訳をすることで、なんとか自分の立ち位置を懸命に保持しようとする。

 つい数日前、ニキビができたことで父にこっぴどく叱られた娘は、反撃の機会をひっそりこっそりとうかがっていた。

 この十年というもの、この父と娘は、いつも二人きりで暮らしてきた。

 いや、暮らす、というのはほんの少しニュアンスが実相とはかけ離れたものであるかもしれない。この二人が、どこに住み、父はどんな仕事にき、年収はどの程度で、また娘の年齢は? などといったは、この際、無視スルーしておこう。なぜなら、そういったことは、人の一生において、たかだか数値化できる程度の属性でしかないのだから。

 いずれにせよ。

 この父娘おやこが置かれている数奇な情況というものを浮き彫りにすることは、まだしばらくお待ち願うとして、ここで、ただ一つだけ確かなこと、すなわち、十一年前に父の配偶者、つまりは娘の母が家を出ていったという事実だけは、読者みなさんも知っておいてさしつかえないであろう。


「……いや、だからね、もう、そんな昔のこと、いまさら蒸し返すなよ。ママが出て行って、離婚の原因をつくったのは、確かに、おれのせいだよ。それで、おまえには苦労をかけた、ああ、そうだよ、わかってるさ、でもな、何度でも言うけど、あの時は本気だったんだ……本当だよ、あのときは、自分が地球外生命体だと信じて疑ってなかったんだ」



                👣👣


 この娘は、ことあるごとに、

「なんかようわからんけど」

と、語尾に付け足すワンフレーズを忘れない。口癖といっていいのか、習性化しつつあった父と娘ののなかでの、ある種、掛け合いのような馴れ合いのような、そういった言葉のやりとりを愉しむひとときが、この二人にとってはなにかしら日常に埋没しかねないマンネリズムからの脱却を無意識下で企図きとしていたのかもしれなかった。


「で、いつ、気づいたの?自分が地球外生命体じゃないってことに?」


 茶化すように娘は言う。この会話は、もう何百回も、父娘おやこの間で交わされてきたものの、そう問われるのを期待している自分に気づきつつも父は、ほんの少しだけ顔にしゅをのぼらせて、

「いや、はっきり言って、まだ、気づいてないかも。地球人っていう自覚はあまりないんだ、今でも……なんか、ようわからんけど」

と、答える。いつものことだ。


「でもさぁ」と、娘は続ける。これもいつもの掛け合いだ。

「……パパが地球外生命体だとすると、あたしって何? 地球人のママとの間にできたハーフ?ハイブリッドかな。なんか、ようわからんけど」


 すると、父は待っていましたとばかり、ややもすれば飛び上がりそうな気分の高揚こうようを抑えつつ、ぼそりと応じる……。


「あのな、ママも地球外生命体という可能性は否定できないだろ?うーん、ひょっとすれば、ママはAIロボだったかもな。よう知らんけど」


               👣👣👣



「どこの誰が言ってるんだ? ええ?なんて、言っている? いつの話だ? おまえ、聴いたのか? 見たのか?」


 父は譲らない。一歩も引かない。なにも足さない……って、お酒の話ではなく、この十年、ときには父娘おやこは別行動をとることもあり、数日ぶりに会うと、互いがもち寄った見聞を披露し合うのである。


「だ、か、ら、ママに会ったの。あたしをチラ見しても全然気づかなかったし……なあんか、ふ、く、ざ、つ……」


 体をくよくよさせながら娘はつぶやく。


「で? おれのこと、みんなでくさしてたのか?」

「ううん、同窓会だったみたい……で、ママがね、言ってた、『あの人、宇宙人みたいだった』って。そしたらね、『あはは、宇宙人というより、いつも宙に浮いてたって感じよね、みんな言ってるし』って、誰かが相槌あいづち打ってた……」

「だ、か、ら、どこの誰だ? そんなこと言った奴は?」

「そんなの知らない。パパも行けばよかったじゃん、同じクラスだったんでしょ?」


 娘が言うと、父は急に顔色を変えて、うつむいた。あまりいい思い出はないらしい。そのことを察した娘は話題を変えて、

「あたし、ホラーを書きたい」

と、言った。

「才能あるかも。みんな言ってるし」


 自慢気に娘が笑うと、いきなり、父は……


「おまえに、ホラーなんて、書けるわけないだろ!」 


 あきれ顔で父が言った。

 そして、娘の顔をのぞき込んで、ふいに哀れむような顔つきになった。


 娘は作家をめざして、すでに十年……

 あえて父は叱咤してきた。娘のネタづくりのために、昼となく夜となく、町中を駆けめぐって人間模様を観察してきた。

 娘のために……と、この父は父なりに応援してきたつもりだった。

 けれど。

 この十年で、あまりにも世の中は変わりすぎた。現実に、あり得ないことが起こりすぎると、日常それ自体がホラー化してしまい、たしかに、ホラーを書くのは難しいかも・・・・と、父は慰めの視線を娘に注いだ。


 すると、娘はつぶやいた。


「ねえ、パパ、もう十年ったわ。そろそろ、あたしたち、考えなきゃね」

「何をだよ」

「お互いに、そろそろ、親離れ、子離れ、したほうがいいんじゃない?」


 一瞬、口に出そうかめようか迷った娘は、それでも意を決して、ついに父に向かって言った。


「……だって、この十年、あたしたち、まったく修行できてないしね。この前、先輩に会ったとき、散々、嫌味を言われちゃった……『おまえら父娘おやこは、一体、今まで何を習ってきたんだ!・・・・もうかれこれ、おまえらは背後霊歴十年だぞっ!』って。ようわからんけど」 

               (了)             

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父娘(おやこ)の作法 嵯峨嶋 掌 @yume2aliens

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