第6話

 クリスティーネ司教は、約束を破ったわけではなかった。あの男のことはずいぶん惨たらしいやり方で処刑してくれたらしいし、私の病気も本当に治してくれたのだ。


 先生が連れて行かれてから、私は司教の用意した屋敷に預けられていた。今までに見たこともないような、大きな部屋で、先生の家にあるよりも柔らかくて大きな寝台を使わせてもらっていた。お風呂にも毎日入れたし、出される食事はとびきりに美味しかった。

 あのサインをした13日後に、司教は再び私の前に現れた。手には何か大きな荷物を持っていた。そして、約束通り、病気を治す術式を施してくれるといって、私に寝台に横たわるように指示した。

 私は、司教に魔法で眠らされ、目が覚めると、これまで経験したことのない爽快な気分になっていた。

 身体が軽い。頭も喉も、胸も、少しも痛まない。健康であるとはこんなに気持ちの良いことだったんだと、私は嬉しくて、涙が出るほどに嬉しかった。いつも無表情な司教も、心なしか微笑んでいるように見えた。

 「…先生には、いつ会えますか?」

 これを聞くのは、少し気が咎めた。司教は結局、どうして先生を連れて行ったのかは教えてくれなかったし、いつ会えるとも教えてくれなかったけど、そのときの私は、司教をすっかり信じていた。先生が連れて行かれたのだって、きっとちゃんとした理由があって、問題が解決すればまた会わせてもらえるのだろうと思っていた。自分の病気を治してくれた直後に、それを司教に催促するのは、なんだか身勝手な気がした。

 「…あの女は異端です。審問の結果、火刑の判決を受け、先ほど執行されました」

 何を言われているのだか、理解できなかった。さっきまで宝石のように眩く感じていた、司教の彫刻のように綺麗な無表情が、恐ろしかった。あの男のいやらしい笑いの何倍も恐ろしかった。司教の紅色の長い髪が、ドロドロとした血のように見えた。世界が、凍りついた。

 私がサインしたあの書類は、先生が私を無理矢理館に連れ込み、私に淫らなことをしたという意味のことが書かれた告発文だった。

 外法げほうの中には、同性の子供を凌辱することで完成する術式というものがあるらしい。女である先生が女である私を犯したということは、先生が外法の研究をしていた証拠になるのだそうだ。

 クリスティーネ司教は、理由は知らないけど、最初から先生を殺すつもりだった。せっかく病気が治ったのに、それを誰よりも喜んでくれるはずの人はもういなかった。

 「あなたを治すのに、あの道士の心臓を使った」

 錯乱する私に、司教はまるでなんでもないことのように告げた。

 強い魔力を持った道士の心臓は、他の身体が焼けた後も動き続けるものらしい。心臓に溜め込まれた魔力は、生命とはまた別なメカニズムで動いている。先生の強力な魔力を供給する心臓は、普通の火では焦げ跡ひとつ残すことはできない。

 クリスティーネ司教は、ついさっき、その心臓を私に移植したのだ。私の身体は今、先生の心臓で生きている。

 「どちらにせよ、あの道士の運命は決まっていました。私は、あなたを助けたいと思った。だから、助けたんです。あなたが気に病む必要はありません」

 司教はそう言って、愕然とする私を残して、部屋を後にした。


 悲鳴が聞こえた。それが自分の悲鳴だと、すぐにはわからなかった。私の声を聞いてくれる人間は、もうどこにもいない。

 心臓の鼓動が、五月蝿い。

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外法 垣内玲 @r_kakiuchi_0921

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