ごんぎつね Lv.999

かぎろ

九尾の狐 VS. 対妖陸戦絡繰人形

 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。


 と狐が家の中へはいったではありませんか。


 こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。


「ようし。」


 兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬をつめました。

 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。

 ごんは、ばたりとたおれました。

 兵十はかけよって来ました。

 そこで「おや」とびっくりしてごんに目を落しました。


「ごん、お前だったのか。」


 兵十の左胸に拳大の風穴が開く。鮮血が飛び散る。


「その体に、九尾のあやかしを封じ込めていたのは。」

「左様。」


 ごんは死んだ。疑いようのない事実である。

 しかしその亡骸からは邪悪な黒い靄が立ち昇っている。

 靄は怪異の姿を成していく。

 ……九尾の狐。

 ごんの体は、おぞましい化物を封印しておくための、地獄の釜の蓋だったのだ。


「きさまら、人の世をほろぼすもの。我れが九尾の狐である。この小狐のせまくるしい体から、ようやっと出られた。」

「ぐ、がはアっ……!」

「心の臓を潰したというに、まだ息があるか。おもしろい。興味がわいたぞ。」


 ごんの亡骸のなかから出現した漆黒の巨狐は、半径九九間九尺の円形範囲内に超重力を発生させる。ぐしゃり、と兵十の体がうつ伏せに倒れた。


「這いつくばりながら、命乞いすることを、ゆるす。」

「オ……。」

「んんん。きこえぬぞ。それよりも、土をなめるによっぽどいそがしいとみえる。むはは。」

「お。ま、え。」

「む。」


 九本の尾を持つ狐は、ふと違和感を覚えた。

 現世うつしよに甦ったばかりで気づかなかったが、人とは、このように頑丈な生き物だっただろうか。

 否。脆いはずである。


「不気味な。く死ね。」

「おまえ、は。」

「なに。」


 超重力を一段階強めたにもかかわらず、兵十は、地面に腕を突いて起き上がろうとし始めた。


「お前は。のろまで、あこぎの、芋っぽりだ……!」

「なんだと。」

「おっかあは言っていた。この村のどこかに封印された、九尾の狐。もしもふたたびよみがえることがあるのなら。兵十、おまえが討たねばなりませんよ、と。」

「まて。何者だ、きさま。」

「おれか?」


 兵十が立ち上がる頃、胸の風穴は完全に修復されていた。


「おれは対あやかし陸戦絡繰人形、つわもの型最終個体、兵十式つわもの・じゅうしき。いまからお前の尾を一本ずついでいく。抵抗してみろ。」

「フン、塵屑ふぜいが。是より本気を出す。きさま如き、我れの敵ではな、」


 九尾の狐の視界から、兵十が消えている。

 背後、家の屋根の上から、声。


「まず一本。」


 狐が振り返る。

 兵十が無造作に掴んでいるのは、千切られた、尾。

 ぶしゅう、と狐の腰から鮮血が噴き出す。


「き、さ、ま……!」

「お前を封ずるべく戦い、散っていった、兄者と姉者たち。つわもの型絡繰人形の壱から九までの無念を、おれが晴らす。いまのは壱兄ィの分だ。次いくぜ。ほら、逃げろよ。」

「殺す。」


 威勢よく殺意を剝き出しにする九尾の狐であったが、魔眼を以てしても兵十の超速移動を追うことかなわぬ。道教神話の縮地術にも匹敵する現象。それは躯体の各部に取り付けられた雷管の爆轟を利用しているのみならず、光学迷彩で周囲の景色に溶け込んでいるからこその幻惑であった。

 目を凝らさねば見えぬうえ、速さは時に音速を超える。

 あれよあれよと尾を千切られて、そのごとに九尾の狐の妖力は弱まってゆく。


 そして終わりが訪れた。


「これが。」


 ぶしゃア、と最後の尾が捥げる。


「九姉ェの分だ。」

「お、の、れ……。」


 見るも無残な姿となった大狐は、ひゅうひゅうと息も絶え絶えに這いつくばっていた。

 兵十は光学迷彩を解除し、狐のもとへと歩を進める。


「呆気ないもんだ。」

「ゆる、さぬ。ゆるさぬぞ。末代まで祟ってくれる。」

「祟ればいい。おれは絡繰、当代限りの命だ。では、ゆくぞ。とどめをさす。」

「心、が……。」


 狐が、譫言うわごとのように漏らす。


「心が、あるのか、絡繰に。家族を敬い、死者を悼む、心が……。」

「【全系統正常】【火器管制装置展開】【十王弾〝閻魔〟装填完了】【十王砲出力向上】」

「くく……ならば……くくくくく……」


 あたかも頬を裂くかのように、狐が歪んだ笑みを浮かべた。


。」

「喰らえ。……なに!?」


 放り捨ててあったはずの九本の尾が独りでに浮遊し、いつの間にやら兵十を取り囲んでいる。それでも兵十は攻撃の動作を止めぬ。狐にかざした掌から稲妻の如き法力を放たんとする。


「無駄だ! おれの十王砲の方が速いッ!」

「速い? 愚かな。きさまは既に術中よ。」

「な……。」


 狐の声がした。

 否。眼前にいて、語りかけてくるのは、九尾の狐ではない。


 彼女は……、

 小柄で痩せこけ、みすぼらしい身なりをした、兵十の母親なのでした。


「兵十。もういいのよ。頑張らなくていいのよ。」

「おっかあ。」

「貧乏暮らしでも、わが子と一緒にいられればそれで幸せなのですから。さあ、膝枕をしてあげましょうね。」


 兵十は膝から崩れ落ちそうになりました。

 いますぐに愛する母親の胸もとへ飛び込んでしまいたい、そんなおもいが浮び上ります。

 復讐のことも、使命のことも忘れて、安寧に浸っていたい。

 そう、そうすればいいのです。

 家に帰って母と笑いあい、川に出てはうなぎを捕まえ、村人たちと助けあう。

 そんなおだやかな日常にもどればいいじゃアありませんか。


「違う。おれのおっ母はもう死んだ。葬式も念仏も済ませた。もう会えないんだ。」

「そうですねえ。」


 母親の姿をしたまぼろしが、にたりと醜い笑みを浮べます。

 くろぐろとした、邪悪な煙が母親を纏います。


「あなたはもう、独りなのです。母親とも、兄とも、姉とも会うことはできません。永遠に独りぼっち。そんな人生に、意味はありますか?」

「やめろ。おっ母はそんなことは言わない。」

「ああ、でも、そうですねえ。元から人形ですもの、人とはかけ離れているから、だアれもあなたを理解しない。その意味では、最初から、独り。哀れですねえ。復讐だの使命だの、ちっぽけなことにとらわれて、あなたは自分の人生をゆたかにできなかった。」

「それは。」


 兵十は、確かにそんとおりだ、と思ってしまったのです。

 己の機能を十全に使いこなすべく、鍛錬の日々でした。

 ほんとうに自分の望んだ生き方ができていたのでしょうか。

 母がいました。友がいました。ですけれど、復讐や使命のことがいつも頭にあるなかで、彼らとほんとうの気持ちで語りあうことはできていたのでしょうか。

 己は、最初から、独りぼっちだったのではないでしょうか――――


「隙を見せましたねえ。」


 母の姿は既にない。

 漆黒の大狐が、兵十の四肢を千切り裂いていた。


「ぐ、ガ……!」

「手こずらせおって。」


 だるまのような形になって宙を舞うその胴に向けて、大狐が強烈な頭突きを見舞う。

 己を支えるものをなくした兵十はたまらず吹き飛び、家に叩きつけられる。壁を次々と壊して、土埃のなかにその身を横たえた。


 囲炉裏のある部屋に、仰向けで倒れている。

 母とふたりで過ごした家の天井を見上げる。


 復讐も使命も果たせない。あの様子では、狐は尾を再生し、やがて元の姿に戻るだろう。一方で、兵十は四肢を失った。超速移動もできなければ、切り札の十王砲も放てない。

 終わりだ。

 日ノ本は災禍に呑まれる。

 そして兵十は、孤独なままだ。


「すまねえ、おっ母。」


 機械の目は、涙をこぼすことはない。

 どうしようもない、人間もどき。


「おれは、独りだ。」








 よたよたと、足音が聞こえる。








「おまえは、ごん。」


 死んだはずの、小さないたずら狐が、よろめきながらも兵十の元へ歩いてくる。


「なぜだ。九尾の狐のやつが憑いていたから、妙な生命力を持っちまったのか? おい、ごん。盗っ人狐め。最期の時にまでお前の顔を見たくない。どこへなりとも消えてしまえ。」


 そこまで言って、兵十は気づく。ごんがなにかを咥えている。

 ごんは、それを兵十の顔の横にそっと置くと、どたり、と倒れて力尽きた。


「ごん。」


 兵十は愕然として、自分の目の前に置かれたものを見た。

 いがに包まれた、それは。

 割れて中の実を露わにしている、それは。


「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」




「…………。」




「そうか。……そうなのか。」




「ごんは、いままでのいたずらを、悪いと思っていたのか。」




「栗や松茸は神さまからの授かりものじゃアなかった。これは一匹の狐の、贖罪だった。」




「ごんは、これまで悲しい生き方をしていても、これから先であれば変えていけると信じた。」




「ひょっとすると……おれも、そうなのか?」




「生き延びることを諦めさえしなければ、運命を変えられるのか?」




「なあ、ごん。いたずら狐のごん。」




「おれは……。」








 突然、家の柱や壁やら屋根やらが一息に吹き飛んだ。青空がひらける。お天道様が、先程まで家があった場所の地面を照らしだす。一帯は焼け野原だ。そうさせたのは、一匹の真っ黒い大狐。

 尾は、まだ短いとはいえ、九本とも再生を始めている。


「さアて。また傷を再生されてはかなわぬ。念入りにすりつぶしておかねばな。」


 と、大狐の視界の端を横切るものがある。


「あれは……我れを封じていた小狐? 無様に死んだはずでは……。まア、気に留めるほどのものでもなし。……いや、待て。」


 油断大敵。大狐は念のため小狐の方を向く。


「そこな小狐! なぜ生きている!」


 脅すような怒号。にもかかわらず、小狐はよたよたと、大狐へと向かってくる。


「なんなのだ? 囮か? こやつに気を取られているうちに、なにかの準備をする腹積もりではあるまいな。」


 大狐が周囲を見回した。

 ぴたりと、小狐が足を止める。

 声がする。


「【十王弾〝秦広〟〝初江〟〝宋帝〟装填完了】」

「……ッ! なにッ!」


 大狐はさらに注意深く索敵する。


「小狐ではない! 家の焼け跡から聞こえるぞ。やはり小狐は囮ッ!」


 口をがぱぁっと開き、眼前に闇の力を収束させてゆく。


「【十王弾〝五官〟〝閻魔〟〝変成〟装填完了】」

「無駄なあがきをッ! 地面ごと抉り抜いてくれるわッ!」

「【十王弾〝泰山〟〝平等〟〝都市〟装填完了】」


 どちらの攻撃が速いかは予測がつかぬ。ゆえに大狐は全力を以て力を溜める。


(十王砲とやらを撃つための腕は引き千切った。だが、おそらく我れが小狐に気を取られている間に片腕だけでも繋ぎ直したのであろう。不覚。だがッ!)


「【十王弾〝五道転輪〟装填完了】【全弾装填確認】【十王砲最大出力】」


「遅いわァ――――――――――――――ッッ!!」


 大狐の方が、速かった。


 闇の濁流が家の焼け跡を蹂躙し尽くしていく。

 土埃と邪悪な燐光が舞い散り、一帯に暴風を巻き起こした。

 そして残されたのは、大きく抉れた焦土と、行き場を失くした電流をバチバチと鳴らす、兵十の躯体の残骸のみであった。


「ふ……。」


 九尾の狐が、嗤う。


「ふふ、は……ははは……! ははははははははははは!!」


「【十王ノ判決ヲ以テ悪シキ妖ニ裁キヲ下ス】」


「……ッッ!?」


 十王砲、全弾発射。

 光の奔流が大狐を吞み込んだ。

 砲撃は小狐、ごんの方向からであった。


「な……なにィィッ!?」


 兵十は歩けない。脚がないからだ。喋れない。頭部がないからだ。

 しかし十王砲は撃てる。

 胴体と、繋ぎ合わせた右腕があれば十分だからだ。


 ごんに背負われて移動した兵十は、光学迷彩を解除する。


「ば、ばかな……! 逆ッ! 焼け跡から聞こえた声こそが……だったのかァッ!!」


(おれは……ひとりで使命に立ち向かっているつもりだった。それでいいと思っていた。)


 兵十の〝心核コア〟が、思考する。


(だけど、おれとごん、ふたりなら……。)


「こ……この、ていど……! い、いかん……強、すぎる……!」


 九尾の狐の体が崩壊していく。塵となり、霧散していく。


「ばかな……ばかなァッ! 我れは妖の王となる存在ッ! こんなところで死ぬるわけがァァ――――――――――――――ッッ!!!!!」


 黄金の絶光に四散した九尾の狐の体は、目に見えない小さな光の粒子となりて、お天道様のおわす天空へと吸い込まれていった。




     ◇◇◇




 その後。

 たっぷりと時間をかけて自己修復機能を走らせ、とりあえず以前と同じ見てくれを取り戻した兵十は、一匹の小狐とともに、旅に出ることにしたという。

 それは、死んでゆくはずだった小狐に生体用塵装置を流し込んで再生・復活させ、不死にさせてしまったことについての償いがひとつ。だがそのような理由は、ごんにとってさえ大したものではない。

 復讐の動機も失った。救済の使命もやり遂げた。

 それでも、生きていかなくてはならない。


「いくぞ、ごん!」

「きゅう!」


 道なき道を走りだす。

 これはひとりの絡繰が生きる理由を見つけるための物語。





 〈完〉

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