第24話 新しき『生』・新しき『道』
■その24 新しき『生』・新しき『道』■
夜の闇に空と水平線が溶けあい、海上を進むキャラック船を導くのは、月と星だった。
高波にも船体の安定を保てる巨体は、静かな水面をユラユラと進んでいく。
船と船員は十何年、何十回と航海を経験していたが、今回隣国への初の航海となった者が三人いた。
慣れた船員たちは夕飯を済ませ、明日への活力を復活させるために就寝した者や、酒を酌み交わしている者と色々だった。
そんな者達を包むのは、波音とそれに溶け込む様に奏でられているレベックの音色だった。
それを奏でる者はメインマストの袂で、胡坐をかく長身の青年だった。
バランスよく筋肉の付いた体を近衛兵によく似た制服に包み、耳にかかる位の髪はサラサラとしたアーモンド色。
元はシャープなフェイスラインや均整の取れた顔だが、今は全体的に腫れ、治りかけのくすんだ痣が所々に残り、口の端もまだ切れた後が痛々しい。
切れ長の二重の瞳もまだ腫れ、目じりはどす黒い痣があり、半分ほどしか開いていない。
そんな瞳が、向かってくるランプの前でアンバーに輝いた。
「ギャビン、持って来たよ」
薄茶色の肌を同じような制服に包み、硬そうに見える黒のベリーショートと、見た者に意思の強さを連想させる、黒くて太い眉と奥二重の黒い瞳。
ギャビンより身長はないが、がっしりとした体格のリュヤーは片手にランプを持ち、もう片手に二人分のセルヴォワーズの入ったジョッキを持っていた。
「隣、いいかしら?」
リュヤーの影から、白く線の細い体を同じ制服に包んだ者が姿を現した。
サラサラの金のショートカットと、細い弓状の眉を薄い唇が神経質そうに思わせるその風貌は、気品が漂いこの船にあまり似つかわしくはなかった。
声変わり前の少年よりも落ち着きはあるものの、どこか甘みのある声に尋ねられ、ギャビンはレベックを弾く手を止めず、ゆっくりとうなずいた。
二人はギャビンを挟んで座った。
「ギャビン、髪、伸ばすの?」
炎の中、夢中で逃げている時に、自慢の髪は焼け焦げてしまい、長さを整えてのこのスタイルだった。
「どうかな」
短く呟いて、そっと目を閉じた。
髪を伸ばし始めたのは、ソフィアを気になりだしてからだった。
髪の長さは、ソフィアへの気持ちそのものだった。
「アデイールこそ、伸ばすの?」
リュヤーはギャビンの分のセルヴォワーズを足元に置き、自分の分を飲み始めた。
「アデイール・アレジは、イネスに髪を切られた時に死んだのよ。
実際、切られた髪、お父様に遺髪として差し出されちゃったし」
イネスの手から零れ落ちたひと房の髪は、使用人の手からリアムに渡され、リアムから父である国王に形見として献上された。
「え?それでいいの?」
「いいの。
私、決めたのよ。
お姫様の私は死んだままでいいの。
お姫様のアデイールは、あそこで役目が終わったのよ」
レオンはイネスに『子供達を導いてくれ』と頼んだ。
それは、シオンだけでなく、ギャビン、リュヤー、リアム、もちろんアデイールも含まれていることに気がついた。
そして、イネスは『アデイール』を亡き者としたのだ。
「これからは?」
「私、魔女になるわ」
その返答に、リュヤーは口に含んだセルヴォワーズを噴き出し、ギャビンはレベックを弾く手を止めた。
「アデイール、魔女って・・・」
セルヴォワーズが気管支に入ったのか、リュヤーは激しくむせながら聞いた。
「魔女よ、魔女。
イネスは言っていたでしょ?魔力は知識だって。
私は、この航海が終わったら、イネスから多くの事を学ぶつもりよ。
魔女の弟子入り、ってところね。
学んで、一人でも多くの子供を・・・人々を助けてあげたいの。
綺麗ごとかもしれないけれど、私も、一歩違えば淘汰されていたのかも知れない。
・・・国の現状が少しでも変われば、生き残るチャンスがあるかもしれない。
それによって、また違った問題は起こるでしょうけれどね。
だから、お姫様じゃもう駄目なのよ。
幸い、まだ嫁ぎ先も決まっていなかったし、国の力を借りた方が楽なら、お兄様がいるし。
それに・・・イネスも魔女の、森の変化を望んでいると思うのよね。
そうじゃなかったら、あの子に『エヴァ』なんて名前は付けないわよ」
だからか。
だから、この航海についてきたし、ドレスではなく自分たちと同じ征服なのか。
と、二人は脱力しつつも納得した。
「エヴァの名前の意味って?」
「『命』
『生きるもの』
そんな名前を付けて、人々への呪いの言葉も教えず、真実だけを教えて育てた子を、森の外に出したのよ?」
変化を望んでいる。
そう、アデイールは思っていた。
「なるほどね。
・・・気高い我らが姫君、ショートも似合っているよ。
うなじが色っぽい」
小さなため息とともに何かを吹っ切ったのか、ギャビンはいつもの軽い調子で言いながら、襟足と襟元の間にチラリと見えるアデイールのうなじを触ろうと手を伸ばした。
「はい!ギャビンの!」
そんなギャビンに、リュヤーは足元に置いておいたセルヴォワーズを押し付けた。
「・・・はいはい。
悪戯はしませんよ~」
必死なリュヤーの顔を見て、ギャビンは素直にそれを受け取り、ニヤッと笑って喉に流し込んだ。
「あれ?
アデイール、その耳飾り・・・」
キョトンとしたアデイールの耳に、ランプの光を反射する小さな石があるのにリュヤーは気が付いた。
「ああ、これ?
エヴァが収穫祭の夜にくれた石よ。
あの混乱の中、確りと握りしめていたみたい。
よく見たら、アクアマリンだったの。
航海や旅行中の事故や災害から身を守ってくれたり、人生の壁や暗闇に迷った時、新たな希望の光をもたらしてくれるんですって。
今の私にピッタリでしょう?
加工の仕方を教わって、自分で簡単な耳飾りにしてみたの」
似合うでしょ?
と、両耳の後ろに両手を広げてポーズをとるアデイールが、いつも見せる大人っぽい表情とは違い、年相応の少女に見えて、二人は可愛らしく思った。
「宝石と言えば・・・
あの光景は、凄かったなぁ・・・」
リュヤーの脳裏に、数日前の早朝の光景が今でも焼き付いていた。
あの悪夢のような夜、何とかシオンの部屋から避難梯子で脱出した後、隣の研究棟で手当てをして、一晩をそこで過ごした。
早朝、シオンの姿がないことに気が付き、そっと探しに出ると、邸の焼け跡に立っているのを見つけた。
声は、掛けられなかった。
何時もなら、朝露で濡れている薔薇に囲まれ、その香りや花を堪能しているはずだった。
しかし、そこには邸の燃えカスが散乱しているだけだった。
シオンに怒りはなかった。
母と父を失ったことは確かに悲しかったが、何より、精魂込めて育てた薔薇や他の花たちが燃えてしまったのが悲しかった。
世話をした分だけ答えるように咲いてくれた花々も、エヴァとの甘い時間も、全て消えてしまった。
膝から崩れ落ち、燃えカスごと土を握りしめ、悲しみと喪失感が、シオンの瞳から涙となって流れ出た。
そんなシオンの頭上を、一羽のコマドリ程の大きさの鳥が飛んできた。
それは目が覚めるほどの若葉色の羽と、赤い小さな嘴を持った鳥で、シオンの前で小柄な少女の姿になった。
褐色色の肌で、すんなりと伸びた足が汚れるのも構わず膝まつき、涙で震える大きな体を、その小さな両腕を目一杯広げて包み込んだ。
豊かに波打つ若葉色の髪をその大きな背中につけ、ヱヴァは体の中に響く涙の音を聞いた。
「シオン、こんなにも花々を愛してくれて、ありがとう。
大丈夫、あの子たちは、次に命を繋げられる」
目が覚める程、きらめく緑色の猫目を優しく閉じてささやく声は、まるで母親の様だった。
「書物も、花々も、父も母も・・・すべて・・・燃えてしまった」
静かな嗚咽だった。
「シオンは、生きている。
レオンが、生かしてくれた」
いつの間にか、親子らしい触れ合いも会話もなくなり距離を感じていたが、あの人なりに母を愛し、自分を守ってくれていたのだと分かった。
「レオンはやソフィアは、シオンに命を繋げた。
そして・・・」
するりとシオンから離れると、エヴァは下を向いてウロウロし始めた。
「エヴァ?」
そんなヱヴァを、シオンは泣き顔のまま見つめた。
「あった。
・・・シオン、その顔、皆に見せた事、ある?」
何かを手に取り、シオンを振り返った瞬間、ヱヴァはくすくすと笑いだした。
「大の男が、みっともないか?」
慌てて服の袖で煤矢や土で汚れた顔を拭くと、ヱヴァが駆け寄り、拾ったものを見せてくれた。
「いいや。
悲しい時に涙は出るものだろう?
花の宝石だ。
あそこまで愛されて大切に育てられてから、きっと出来ているだろうってイネスが」
小さな手の中には、ルビー以上に燃える赤色の球体が二つあった。
「花の宝石・・・」
「石の宝石のように強い守りの力はないけれど、香りや視覚は十分楽しめるし、お茶に入れて花本来の栄養も取れる。
装飾品にも細工出来るから、今度の航海の荷に積めばいい。
もちろん、ほおっておけば、新しい芽が出る」
「・・・イネスが?」
シオンは泣くことも忘れ、小さな石を一粒摘まみ、太陽に向けて覗き込んだ。
傷や曇りはなく、その色はどこまでも鮮やかだった。
「レオンの仕事は無くしてはいけないと」
それは、シオンも重々承知していた。
遅くない未来、父と共に船に乗ることになるだろうと思ってはいた。
しかし、それは村の公衆衛生面がある程度確立し、他の者でも難なく仕事が回せるようになってからだと思っていた。
「シオン・・・見て」
エヴァの声に促され、一粒の花の宝石から目をそらした。
瞬間、あたり一面いたるところで色とりどりの石が、太陽の光を反射していた。
「これが全部・・・」
「シオンの愛の結晶だ。
あと、これはイネスから」
エヴァはそう言って、シオンの手に瞳サイズの青い宝石を2つ乗せた。
「目は
あの時、イネスはレオンに返していたよ。
瓶に入っていたから、チラッとしか見えなかったけれど・・・シオンと同じ色だった」
手のひらに乗ったブルーダイヤモンドをギュッと握りしめるシオンは、複雑な顔をしていた。
そんなシオンの頬を、エヴァは優しく撫でて、軽く耳たぶを引っ張った。
そんな動作に誘われ、シオンはエヴァの口元に耳を寄せた。
シオンの耳にこっそりと囁くと、エヴァはパッと周囲を見渡して声を張った。
「リュヤー、居るのだろう?
手伝ってくれ」
何時から気が付いていたのか、エヴァは大きな声でリュヤーを呼ぶと、自分も近いところから花の宝石を拾い始めた。
■
『愛の結晶』って、使い方が違うよな・・・
と、リュヤーはセルヴォワーズを飲みながら思い出して、心の中で突っ込んでいた。
「でもさ、被害は邸だけでよかったな。
シオンの部屋に置いてあった書類だって、大切な物はリアムが持って逃げて、鎮火後、研究棟にしまってくれてたんだって?」
「逃げるが勝ち。
王子様が丸焼けになっちゃ、さすがに王も黙ってないでしょ」
ギャビンは再びレベックを奏で始めた。
「あの火事、イネスはうまいこと利用したわね」
あの運命の夜、イネスが人々に提示した『掛け』は、邸からシオンが生還できるかどうかだった。
炎の中で命を落としたら、邸の跡地と言わず村は魔女の物となる。
シオンが生きて出てきたら、大人しく森に帰る。
というものだった。
人々は業火に飲まれている邸を前に絶望し、そんな光景を見て、イネスは笑いながら姿を消した。
何とかシオンの部屋から脱失したが、それを知らない人々は、無駄だと分かっていても、懸命に邸の火を消すことに団結した。
おかげで、研究棟や村は無事だった。
「とりあえず、今回の航海中に、村の事は整えておいてくれるって、お兄様が言っていたから、新世界を楽しみましょう」
そう言うと、アデイールは両手で欠伸を隠し、甲板に寝っ転がった。
今までは、はしたないからと出来なかった事だった。
星や月の見え方が、いつもと違った。
ちょっと角度を変えただけで、こんなにも違うのかと、アデイールは感心した。
「終わった事には後腐れなし・・・女って強いな」
アデイールを真似て、リュヤーも甲板に仰向けになった。
そんな二人に挟まれて、ギャビンはほんの少しレベックの音量を下げ、メロディーもテンポを落とした。
「馬鹿ね。
まだ何も終わってないじゃない。
むしろ、これからが私達の時代よ」
そう、この航海がスタートだ。
「そうか・・・そうだな」
同じ空を見ているはずなのに、アデイールには自分とは違うものが見えているのではないかと、リュヤーは思った。
その同じ夜空の下、三人の少し先の船首に、長身の青年が立っていた。
高々と掲げている目印のランプの光が、月や星々よりもキラキラと髪を輝かせていた。
それは太陽のように美しく、外側に向かって跳ねている癖毛を、申し訳程度に赤いリボンがまとめていた。
夜の闇と海が溶け合う空間をジッと見つめるその瞳は、朝の海の様に深い青だった。
そのランプを目印に、一羽の鳥が夜の海を飛んできた。
コマドリぐらいの大きさなのに、その翼はとても力強く、ランプの明かりで美しい緑の羽と赤い小さな嘴が見えた。
「シオン」
青年の頭上でクルリと回転して、鳥は首に赤いリボンを巻いた少女の姿になった。
豊かに波打つ若葉色のショートカットと、目が覚める程の美しい緑の猫目。
ぽってりとしたピンク色の唇で嬉しそうに青年の名前を呼び、鳥の羽のマントから伸ばした褐色の腕を青年に伸ばした。
「お帰り、ヱヴァ」
青年は自分に向かって伸ばされた腕を優しく取り、肉付きの悪い小さな体を確りと抱き留め、コツンと軽くお互いの額を合わせた。
そんな二人を遠目で見ながら、ギャビンは曲調を少し甘めに変えた。
「俺は・・・一つ終わったよ」
「初恋は実らないってジンクス、知ってる?」
囁くように呟くギャビンの言葉を、アデイールは聞き逃さなかった。
「しばらく、月色の髪と青い瞳はやめておくよ」
アデイールに返され、ギャビンは自虐的に笑い、レベックを奏でながら囁くように歌いだした。
それは、夜の海に溶け込んでいった。
終
エヴァ~森の娘~ 三間 久士 @hisasi-mima
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