第23話 魔女
■その23 魔女■
炎と煙に飲み込まれるのも、時間の問題だった。
窓が勢いよく外から開けられ、風と共に一羽の漆黒の鳥が入ってきた。
窓から入る風にのり、鳥が部屋の天井を一周すると、充満し始めた煙がかき消された。
「時間だよ」
そして、部屋の中央で風をまとった鳥は、一人の老婆に姿を変えた。
灰色のローブで頭から爪先まで覆われた躰は、腰のところでくの字に折れ曲がり、その背格好には大きすぎるのではないかと思えた杖は大小様々な石が埋め込まれ、それを持つ手は寒さが厳しい時季の枯れ木のようだった。
「レオン、時間だ」
フードから溢れる癖の強い色あせた緑の髪と、その下にある、垂れ下がった瞼に半分埋まった濁った緑の瞳で、イネスはレオンを見つめた。
「お前は、何を望む?」
それは、シオンがまだ幼かったあの日、父に手を引かれてこの村、死んだ街だった時に来て、聞いた言葉だった。
そうか・・・父は、『母が消えないこと』を願ったのか。
と、シオンはこの言葉を聞いたあの日から今日までの父や母のことが理解できた。
「魔女・・・それは、ソフィアなのか?」
声を発したのは、床に座り込んだままのマチルダだった。
「器はね。
あんた等が口にする魂や心がその器にとどまっている・・・言うのも変だがね、そういったものも備わっているかは知らないよ。
なにせ、初めて作ったのだからね、ミイラなんてものを」
イネスはもともと垂れ下がった瞼に半分隠れている目をさらに細め、たるんだ口元を不気味にゆがめた。
「ミイラ・・・死後(エバー)保存(ミング)ね。
書物で呼んだことがあるわ」
腰を抜かしたアデイールを、慌ててエヴァが支えた。
「ミイラ・・・わたくしはてっきり、人形を飾っているのかと・・・」
リュヤーに羽交い絞めにされたマチルダの体から、ガックリと力が抜けたのが分かった。
「ミイラは基本、風通しが良く湿度の低いところで作るんだがね。
私の宝石の力と、生薬で何とか出来たよ。
初めての作品には見えないだろう?十年以上、経っているんだ。
で、レオンよ、お前は何を望む?ワタシとお前の間柄だ、最後にかなえてやろう」
イネスは笑いながら、枯れ枝のような指でソフィアを指さした。
「イネス、私とお前の間柄だ。
二つ、願いたい」
ソフィアの月色の髪に顔を埋めながら、レオンは呟いた。
「最後の最後で、欲を出してきたね。
まぁ、聞くだけは聞こうじゃないか」
その間にも、炎はその勢いを弱めることなく下から上がってきた。
どんどん上がる室温と、恐ろしい程の炎の音に、リュヤーはマチルダから手を放しドアを閉めた。体が自由になったマチルダは座ったまま、焦点の合わない顔をレオンに向けた
「イネス・・・私亡き後、子供達を導いてやってくれ。
今までの様に影ながら、今まで以上に親密に・・・あの日、私に黒死病について教えてくれたあの日から、この子達はお前の子供でもあるだろう?」
黒死病について、全ての知識の始まりはイネスだった。
シオンとギャビンが、魔女狩りでソフィアの膝元で怯えていた夜、レオンはイネスと取引をして得た黒死病に関する知識を国王に報告に行き、病は魔女が原因ではない事、ソフィアは魔女ではない事を人々に知らしめ、騒動を治めた。
あの日から、黒死病に関する研究が始まった。
一度、病で死んだ町を使って。
「お前の命が消えるその時まで、どうか、導いてやってほしい。
そして、もう一つは・・・ソフィアを魔女にしないでくれ」
開け放たれた窓の外から、炎の音と共に争う声や金属がぶつかり合う音が聞こえた。
「村人と街の人たちだ・・・外にも火がつけられている」
ソフィアとレオンに気を使いながらも、エヴァはベッドの上から外を見た。
「『ソフィア』とは、古代に栄えた王国の言葉で『英知』や『賢明』を意味するのさ。
知識を魔力にする魔女には、ピッタリな名前だろう?」
「ソフィアは、私の愛しい者で、シオンの優しい母親だ。
魔女ではない」
ワタシも甘い。
そう笑いながら呟くと、イネスは懐から小瓶を取り出し、レオンに手渡した。
「対価は、適当に頂くよ。
これは、魔女ではないワタシからのプレゼントだ。
持ってお逝き」
エヴァには、それが何か見えた。
レオンが口づけをし、ソフィアとの間に抱え込んだ小瓶には、液体に包まれた深い青の眼球が二つ入っていた。
「さて・・・お前たち、自分の命は自分で守るんだよ。
ワタシはあの馬鹿どもを片付けるからねぇ」
言うが早いか、イネスはアデイールの結い上げた髪を、ナイフで襟元から切り取った。
「・・・えっ・・・」
悲鳴を上げるより、何事が起きたかと固まったアデイールの頬に、サラサラと短くなった金の髪が落ちてきた。
「アデイール、この髪はお前からの対価だ。
ここから生きて出られたら、何でも願いを聞いてあげよう。
さて、お前はどうするんだい?エヴァ」
「シオンと一緒に、ここを出る」
半熟者が。
と口の端を不気味に上げて笑い、その身を黒い鳥に変えて窓から出て行った。
「えー、本当に自力で逃げるのか?
さすがのオレも、四階から飛び降りるのは無理だな」
言いながら、リュヤーはエヴァの隣に立ち窓の外に足場になりそうなものや、下に棚や段差がないか確認したが、絶望的だった。
「私の部屋に、避難用の縄梯子がある。
それが駄目でも、壁に隣接して大木が立っているから、伝って逃げよう」
その言葉に、リュヤーは小走りにドアの前に立ち、ドアノブに手をかけた。
「あっつつつつ!!!
これ、時既に遅し!ってやつじゃないよな?」
赤くなった掌を激しく振りながら、辺りを見回した。
「これを」
そんなリュヤーに、レオンが懐から小さな蓋つきのガラスの入れ物を差し出した。
「ラベンダー軟膏だ。
本当なら、流水でしばらく冷やしてから塗ったほうがいいんだが、塗らないよりはましだろう」
傍にいたエヴァが受け取ると、レオンは軟膏と一緒に、自分とソフィアの赤いリボンをとって渡した。
「さぁ、行くがいい」
何か言いたげなエヴァに、レオンは一瞬微笑んで、軟膏と二本のリボンを持った両手をそっと押した。
「生きるんだ」
それが、レオンの最期の言葉だった。
シオンに向かって放たれた言葉だったが、その一言にアデイールの瞳に力が戻った。
スッと立ち上がると、呆けたままのギャビンの頬を思いっきり叩いた。
「行くわよ」
もう一発、更に強く叩く。
叩いたアデイールの手も、ジンジンと痛かった。
「立ちなさい」
慌てているリュヤーは、叩かれっぱなしのギャビンを担ごうとしたが、やんわりと止められた。
「走れる」
ため息をついて立ち上がると、ギャビンは自分のマントを取ると、素早くアデイールを頭からスッポリ包み込み、肩に担ぎあげた。
即座にリュヤーがドアを蹴って開けると、アデイールを担いだギャビンが飛び出し、次にギャビンを真似てマチルダをマントで包み、肩に担いだリュヤーが出た。
シオンは鳥の姿になったエヴァを懐に抱き、部屋を出る間際にレオンとソフィアを振り返った。
笑っていた。
その微笑みは優しく穏やかで、シオンの記憶にはないものだった。
■
炎は邸を呑み込んだ。
過去の記憶も品々も、美しく咲き乱れた花々も、これからも続くはずだった未来も、狂暴な炎に総て飲み込まれた。
敷地の外では、祭りの後に異変に気が付いた村人と、街からの侵入者たちが使い込まれた農具を手に争っていた。
「愚かな者たちよ」
その声は、邸を包む業火より低くしわがれ、大地を揺るがすように人々の心を震わせた。
「己で考えることも想像もしない、愚かなる者達よ」
邸の一番高い部屋から飛び出してきた闇色の鳥は、大衆の頭上でローブをまとい、大小さまざまな宝石を埋め込んだ大きな杖を手にした老婆と姿を変えた。
「この邸跡は、ワタシが頂こう。
奥深き森から出でて、病が萬栄しこの跡地に、我が城を築こう」
「・・・旦那様は・・・」
何処からともなく呟かれたその声はとても小さく、恐怖に震えていた。
「旦那様?
ああ、食ったよ」
短い悲鳴が其処かしこから上がり、数名の女性が倒れた。
「ここの夫婦は、私の腹の中さ」
「これは・・・この髪はアデイール様のだわ!!」
逃げだした使用人が、老婆からハラハラと落ちてきたモノに気が付いた。
恐る恐る手に取ると、それは美しい金の髪だった。
「・・・魔女だ」
「魔女だ!」
「魔女だ!」
争っていたのを忘れたかのように、人々の怒りと恐怖は老婆に向かった。
手にしている武器を掲げ、口々に恐れと怒りの言葉を吐き出した。
「そうさ、私が魔女だよ。
お前たちは長い年月、見当違いの者を呪っていたのさ。
お笑い種だねぇ」
人々はその言葉に戦意委を失い、街からの侵入者達は罪悪感が生まれたのだろう。
お互いの顔を見あいながらも最後は俯いて、中には膝を崩して泣き出す者もいた。
「愚かな者達よ。
今、ワタシは気分がいい。
お前たちのおかげで、上手い食事ができたからねぇ。
お礼に、賭けをしようじゃないか」
業火を背に、魔女の笑みは闇そのものだった。
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