第22話  ギャビンの望むもの

■その22 ギャビンの望むもの■


 何時からいたのか、階段を上りきったところに、マチルダが燃えるような赤いドレスに身を包み、黒い羽根扇子で口元を隠しながら優雅に立っていた。


「御機嫌よう、レオン。

久方ぶりだな。

なかなか会いに来てくれぬから、わたくしから出向いた。

ソフィアは?あの部屋か?」


 顎を少し上げながら話すその様に、シオンは見下されている感じがした。


いままで数回しか会ったことのないギャビンの叔母が、どうしてここに?


そんな疑問を持ったシオンの腕を、レオンが引いて、早くいけと耳打ちした。


「ソフィアは病床に伏している。

遠慮願おうか」


 大股で階段を上り、部屋に向かおうとしたマチルダの腕を取った。


「・・・ようやく、わたくしに触れてくれた。」


 羽根扇子を持つ手を、大きな手でしっかりと握られた。

マチルダは自分の手首を力強く握る手を見つめて、小さく、とても小さく呟いた。

それは、恋する少女のようにかわいらしいものだったが、誰の耳にも届かなかった。


「そのことなら、ギャビンから話は聞いている。

部屋から出られない程らしいな。

わたくしとソフィアの仲だ。

見舞おうと思ってな。

ユーグ・・・」


 すぐにいつもの調子に戻ると、天井に向かってその人物の名前を呼んだ。

身軽に天井から現れた人影は、何処からか手に入れたのか、レオンの部屋の鍵を開け始めた。

背中が曲がり、ぼさぼさに伸びたごま塩の髪がちらりと見えた。


「ユーグ、開けるな!!」


 レオンがマチルダの手を振りほどき慌ててドアに駆け寄るも、ドアは素早く開け放たれた。


「・・・凄い・・・」


 途端に、何種類もの甘い花の匂いと、香料の混ざった香りが噴き出してきた。

その匂いにシオンとエヴァは思わず顔を背け足を止めたままだったが、レオンやマチルダは躊躇することなく飛び込んだ。

 間を開けず、男の唸り声が聞こえ、シオンの足が動いた。

それを追いかけ、エヴァも部屋に入った


「父上!」


 そこは、この邸を凝縮したような部屋だった。

色とりどりの生花、ドライフラワー、ドライハーブ等は、様々な大きさや形のリースや、大小さまざまの瓶に入れられ、壁や棚、床にと、所狭しと飾られていた。

それらの隙間を縫うように、本が仕舞われていた。

レースのカーテンが引かれ、そこにもドライハーブが下げられていた。

 その女性は、そんな部屋の大きな出窓のすぐ横に置かれたベッドの上に、大きなクッションを背に上半身を預け、窓の外を眺めていた。

ふわふわの色の抜けた月色の髪を腰辺りまで伸ばし、赤いリボンで軽くまとめている。

少しだけ見える頬は、生気が感じられないほど白かった。

細い体をゆったりとした白い寝間着に包むその人は、レオンの妻でシオンの母親の、ソフィアその人だった。

 眠っているのか、その体は微動だにしない。

そんなソフィアの前に立ち塞がるように、血に濡れたサーベルを手にレオンが仁王立ちし、その足元には、背中から今も大量の血を流して痙攣しているユーグが倒れていた。

 シオンの前に立つマチルダは、顔色を変えることなく口を開いた。


「もう、良いではないのか?

その茶番、いつまで続ける?」


 黒い羽根の扇子で、マチルダはソフィアを指した。


「私の命が続く限り」


 レオンが答えた瞬間、シオンの背後からつむじ風のようにレオンに切り込む者が居た。

ぶつかり合ったサーベルの刃は耳障りの悪い音を数回立て、激しく切りあう二人を誰も止めることはできなかった。

 シオンと同じ制服に、大きな体格の割には敏捷な身のこなし。

そして、それに合わせて空中で踊る、癖のない長いアーモンド色の髪。

レオンは足を数歩動かしながら、上手く攻撃を受けていた。


「やめろ、ギャビン!」


 シオンが声を上げた瞬間、レオンの足は広がった血溜まりに取られ、少しバランスを崩した。

その瞬間をギャビンは見逃さなかった。

 レオンは左の利き腕を肩口から大きく切り付けられ、焼けるような痛みで力が入らず、流れる血と共にサーベルが床に転がった。

ギャビンのサーベルがその頭上に構えられた。


「止めて!」

「叔母様、お退きください」


 その刃は、振り下ろされることなく空中で止まっていた。

ドレスの裾が汚れることも構わず、マチルダはレオンとギャビンの間に割って入った。

ギャビンの声はとても冷たく、レオンを映すアンバーの瞳も、いつもの輝きを失っていた。


「足の一つでも失えば、その男も叔母様の元にずっといるでしょう?

それが、貴女の望みでしたよね?

それとも、今更、気持ちも通わせたいとか、綺麗ごとを言うのですか?」

「ギャビン!!」


 シオンはギャビンを背中から羽交い絞めにして、数歩下がった。


「こっちの人は・・・」


 床に身動ぎ一つせず転がるユーグの首元を触り、エヴァは首を振った。


「レオン、もう終わりだ。

終わった時を、無理に繋ぎ止めることは出来ない」


 マチルダは囁くように言いながらレオンに向き直り、取り出したハンカチーフで肩を縛り止血しようとした。


「私が生きている限り、ソフィアの時も流れる」


 手当てしようとするマチルダの手を制し、シオンに羽交い絞めにされたままのギャビンを見て尋ねた。


「お前は、何を望むのだ?」


 特に暴れることなく、逆にギャビンはシオンに体重を預けていた。

ユーグの隣に跪いたままのエヴァは、開け放たれたドアの向こうに、リュヤーとアデイールの姿を確認し、軽く手を立てて二人の足を止めた。


「ソフィアさんをくださいよ」


 落ち着きたというより、投げやりな感じだった。

ギャビンはサーベルを手放すと、困ったような泣き出しそうな顔でレオンに願った。


「それは出来ない」


 即答は、ギャビンの予想通りのものだった。

ギャビンから殺気が消えたのを確認して、シオンは束縛を解き、落ちたサーベルを拾った。


「他の物は何でもくれてやるが、ソフィアだけは譲れない・・・

貴方、いつもそうだ。

たった一人の女を愛するためだけに周りの迷惑を考えず、約束された未来と、未来を約束した女を捨てた。

貴方一人の、たった一回の我儘が、大勢の運命を変えたんだ。

・・・羨ましい」


 最後には、泣きそうな声だった。

 シオンはそんな友人を、初めて見た。

今までギャビンが特定の相手を作らなかったのは、心に自分の母が居たからかと、シオンは納得した。


「邸に火がついている。

急いで逃げないと、手遅れになる」


 崩れるように座り込んだギャビンの腕を、シオンが優しく引いて立たせようとした。


「魔女狩りだ」


 マチルダの言葉を聞いて、シオンとエヴァの表情と動きが強張った。


「あの日、ソフィアが魔女として全ての原因の責任を取ればよかったのだ」

「母は、魔女ではない」


 シオンはギャビンの腕を放し、マチルダに向き直った。

マチルダは凛と立っていた。

燃えるような赤いドレスの裾は血で黒く濡れ、乱れた髪をそのままに、それでも顎を少し上げ、黒い羽根扇子で口元を隠していた。


「魔女さ。

私の婚約者だったレオンの心を奪い、遠い大陸から黒死病を運び、この国に萬栄させた。

お前も幼かったその両目で見たであろう?死んだ町を。

墓場と化したあの町を。

あれは、魔女の所業の他にないだろう?」


 焦げ茶色の一重の瞳が、ジッ・・・とシオンを見つめた。

それは言葉よりも強く、シオンの心に語り掛けた。


「黒死病は、母がもたらしたものではない。

黒死病だけだはなく、流行病と言われるものは共通して、人々の生活習慣が原因だと分かっている」

「それは、『今』だからであろう?

あの当時の者たちにとって、黒死病を流行らせたのは、そこに居る魔女が原因なのだ」


 凛とした声は、廊下で様子を窺っているリュヤーやアデイールにも届いていた。


『魔力とは知識』


 イネスの言葉が、四人の頭によぎった。


『お前たちは、自分の常識から外れたことは全て魔術と呼んでいるがね』


 まさしく、その通りだと思った。

イネスの話を聞いた今、四人は自分の立ち位置を見失わずにその場に立っていることが出来た。


「今夜、ソフィアが魔女として終われば、全てが終わる」


 マチルダの言葉に、レオンが立ち上がった。


「お前はそれでいいのか、ギャビン?

ソフィアを魔女として、全てを終わらせていいのか?」

「だから!今までも、今夜も、何度もお願いしているじゃないか!!」


 レオンに問いかけられ、ギャビンは勢い良く立ち上がった。

慌てて、また羽交い絞めにしようとしたシオンを撥ね退け、再び殺気を漲らせて勢いよくレオンの胸元を掴んだ。


「ソフィアさんを俺にくれって!

ここで、魔女として終わらせるなら、俺が攫って行く」


 瞬間、レオンの頭突きを高い鼻に受け、ギャビンの体が後ろに飛んだ。

その衝撃で、レオンの方眼鏡も飛んだ。


「私も先日言ったはずだ。

一人の男としてそのドアを開けるのなら、容赦はしない。と」


 アンバーの瞳を狂気に彩り、両の鼻からボタボタと血を流しながら、ギャビンは顔を歪めてレオンに飛び掛かった。


「止まれ、ギャビ・・・」


 止めようとしたマチルダはギャビンの腕に跳ねのけられ、エヴァは危険を察したレオンが逃がすために強めに押された。

 華奢な女性二人の体は、もつれながら壁に当たって止まり、上から落ちてきたドライフラワー等で埋まった。

 手負いの男二人はお互いの胸元を掴み拳で殴り合い、部屋中に散乱したドライフラワー等を、二人の血に染めた。

 シオンは咄嗟にエヴァに駆け寄り、二人にたいした怪我がないことを確認して安堵した。


「止めろ!ギャビン!!」


 ゴロゴロと血をまき散らしながら、床の上を上に下にと入れ替わりながら転がり、殴り合う二人を、リュヤーが何とか止めようとしていた。


「シオン!火が上がってくるわ!」


 階段下の様子を見ていたアデイールが入ってきたものの、部屋の惨状に腰を抜かした。


「すまない。

私の部屋の書類を持って、エヴァと先に行ってくれ」


 確かに、微かに炎の音と、焦げ臭さが増したのと、視界に煙が漂い始めていた。


「私もシオンと一緒に・・・」

「アデイールだけでは、書類を運びきれない。

頼む、誰も死なせたくないんだ。

この人も一緒に・・・」


 シオンの視線に促され、隣を向いた瞬間だった。

マチルダはドレスの裾を翻して、数歩の距離を走った。

その身を窓際のベッドの上に投げ出し、身じろぎ一つしないソフィアの上に馬のりになった。


「貴女はいらない!!」


 隠し持っていた短刀を掲げ、乱れた髪をさらに振り乱し、悲鳴とも鳴き声ともとれる声で叫んだ。


「「やめろ!!」」


 それまで床で殴り合っていた二人は、反射的にマチルダに飛びついた。

ギャビンは胴体に、レオンは短刀を掲げた腕に向かって。


 それは、ほんのわずかな差だった。


 三人の体は窓の壁に勢いよく当たり、短剣の刃は、しっかりとソフィアの胸元に刺さった。

 すかさず、シオンはギャビンを、リュヤーはマチルダをベッドから引きずり下ろした。


「ソフィア・・・」


 胸元の短剣をそのままに、レオンはソフィアの背中のクッションを取り、背中から優しく抱きしめた。


「手当てを・・・」


 慌てて駆け寄ったエヴァとアデイールは、細い手を取った瞬間体が固まった。


「おじ様、おば様はいったい・・・」


 短剣は深々と、刃は全てソフィアの体内に入っていた。

しかし、赤い血の一滴も出ず、生気のない白い肌は張りも無く、温もりもなかった。

恐る恐る視線を顔の方へと上げると、穏やかな顔で眠る少女のような顔があった。


「眠っている」


 月色の髪を優しく撫でる手は血に染まり、寝顔を見つめる顔は血を流し、腫れていた。

流れる鮮血が、生気のない肌に落ちると、乾ききった大地が水を吸い込む様に、スっと吸収した。

ポタポタと落ちていく鮮血は吸収され、ほんのりと肌を染め、まやかしの生を与えた。


「頼むから、起こさないでやってくれ」


 レオンは閉じた瞼に、愛おしそうに唇を寄せ、そのままソフィアを抱きしめた。

レオンの肩越しに見えるソフィアの顔はとても穏やかで、ふさふさの薄い金の睫毛の下から、うっすらと青い煌めきが見えていた。


 燃え盛る炎の音や熱もすぐそこまで迫り、流れ込んでくる煙で視界が悪くなり始めたにもかかわらず、誰もがあまりのショックに、動けるものは居なかった。




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