第21話 壊れていく邸と思い出
■その21 壊れていく邸と思い出■
その集団は、収穫祭の広場からスルスルと影のように個々に抜け出し、最低限の足音と松明の爆ぜる音だけを立てて、村の奥、シオンの邸を目指しながら合流すると、誰ともなく
『魔女を捕まえろ』
『魔女を殺せ』
『魔女裁判を・・・』
『魔女』
『魔女』
と、呪文のように呟き始めた。
そして、赤々と燃え盛る松明が照らし出す顔は、老若男女いるものの、皆一様に鬼気迫るものが見て取れた。
広くはない村の一番奥、シオンの邸はしっかりと正門が閉められていたが、集団は各々間隔を取り、邸の塀を囲んだ。
そんな中、二つの松明がいとも簡単に門を飛び越え、門が少し開けられると、数人が邸の中へと入っていった。
研究棟の裏道から邸の敷地内に戻ってきたシオンは、塀を囲む人々の様子を遠目から見ながら、幼き頃の記憶を思い出していた。
あの時は、まだ街に住んでいた。
今よりは小さな邸だったが、小さいながらも薔薇の庭もあり、病弱だった母も気分が良ければ一緒に薔薇の庭を散歩してくれた。
そんな甘い日々は、街や近隣の村や町に黒死病が流行り、なぜか母が魔女と呼ばれ邸を囲まれた日で終わってしまった。
あの日、邸の外の騒動を治めた父の髪は、それまで白いものは一本もなかったと覚えている。
しかし、病床の母の膝元で、魔女狩りに怯えていたシオンやギャビンの元に戻ってきた父の髪は、真っ白になっていた。
そんな父に、いつもの様に優しく微笑みかけた母の顔が、シオンが覚えている最後の母の顔だった。
焼き払われたこの村に、この邸に生活を移してから、一度も母の姿も声すら聞いていなかった。
「母上」
母は、父の部屋から出てくることはない。
シオンはあの日の母の笑顔を思いながら、父の部屋を目指して裏口から邸の中に入った。ドアが閉まる瞬間、緑の鳥が滑り込み、シオンの真後ろを飛んでいた。
邸の中は、荒らされていた。
磨き上げられた床は数人の靴跡で汚され、元々少ない調度品や花を飾り付けた大小の花瓶もなぎ倒され、破片や水、踏み散らされた花弁がそこら中に散乱していた。
壁も傷つけられ、掛けている絵や肖像画も、無残に切り刻まれていた。
入り組んだ邸の中、何処からともなく聞こえてくるのは、破壊音と使用人たちの逃げ惑う悲鳴だった。
シオンは踏み千切られた薔薇を一輪拾い上げた。
今、この邸に飾っている薔薇たちは、エヴァと一緒に手入れをしたもので、その無残な姿がエヴァの気持ちや、あの甘い時間を踏みにじられた気がして、怒りが湧きあがってくるのが分かった。
「シオン、落ち着いて」
シオンはあまり抱かない怒りという感情に、思わず棘付きの枝を握りしめていた。
その手を、褐色の小さな両手が包み込んだ。
「エヴァ、どうして此処へ」
人間の姿に戻ったエヴァは、そっと薔薇の茎から手を離させた。
「この子たちに、シオンを傷つけさせてはいけない。
これ以上、この子たちを悲しませてはいけない。
その怒りを治めて、シオン」
シオンの手から傷ついた薔薇を取り出すと、棘で傷ついた個所に口付けしながら優しく囁いた。
「大丈夫。
お前たちの主を、お前たちは傷つけていない。
ゆっくり、お休み」
其処かしこに散乱した薔薇の花々が、微かに輝いた気がした。
「シオン、侵入者を止める?
邸の者を逃がす?」
エヴァは手にしていた一輪の薔薇を手にしたまま、呆然とするシオンに声をかけた。
「ああ、邸の者は、それぞれ逃げるはずだ。
それよりも、私の部屋にある書類を守らないと」
エヴァにもう一度名前を呼ばれ、シオンは毒気を抜かれ、いつもの調子に戻っていた。
「私も手伝おう。
ここまで来てしまったのだから、追い返すほうが危ない」
何か言いたげなシオンの口をエヴァは人差し指で塞ぎ、悪戯な瞳でシオンを見つめてにやりと笑った。
シオンに手を引かれ、荒らされた迷路のような邸の中を走った。
途中、大きな階段が現れた。
壁には代々の当主夫婦の肖像画が飾られているが、どれも無残に切り刻まれていた。
肖像画の最後は、まだ若い夫婦だった。
夫は肩下まで伸びた焦げ茶色の髪を赤いリボンで纏め、精悍な顔つきに、青の三白眼が印象的だった。
妻は男と揃いの赤いリボンで、ゆるくウェーブのかかった月色の髪を纏めていた。
顔は分からなかった。
夫の方は無事だったが、妻の顔は目の位置を中心にめちゃくちゃに切り刻まれていた。
まるで、恨みをぶつけられたかのように。
「酷い・・・」
絵を見上げ、エヴァの足が止まった。
「私の父と母が結婚して直ぐの頃らしい。
ここにあって当たり前の物だったが・・・」
切り刻まれた絵を手で撫でるシオンの表情は変わらなかったが、微かに眉間に皺が寄ったのを、エヴァは見逃さなかった。
「父上には、何回か会ったことがある。
イネスの薬を渡したり、薬の対価をもらったりした。
今の白い髪もいいが、茶色の髪も悪くないな。
母上も、綺麗な青い瞳なんだな」
そんなシオンの横に立ち、ジッとその絵を見上げた。
「どうして分かる?」
「青い瞳は、祖先がそうなら子や孫達にも遺伝するが、それが表に出るのは他の色より確率が低い。
弱い遺伝子らしい。
しかも、生まれた時に青くても、年と共に環境次第で暗くなることがある。
けれど、両親が青い瞳なら、子も高い確率で青い瞳になる。
そう、イネスが教えてくれた。
それに、今まで飾られていた人々の瞳は青だった。
これで、シオンの母上の瞳が青でないなら、シオンの瞳も青の可能性は低い」
「・・・母は、生家で唯一青い瞳を持って生まれたらしい。
この国から遠く離れた、海の向こうの国。
小さな村で、畑仕事を生業としていたと、昔、そんなことを話してくれた」
「・・・そうか。
良い絵に魂は宿る。
見えないのは、怖いだろうから」
エヴァは深く切られた妻の手元に、持っていた薔薇を差し込んだ。
「ありがとう、エヴァ」
この絵は、在って当たり前の物だった。
あの日以来、ここに在って、いつもシオンに笑顔を向けてくれる母は、この絵だけだった。
「シオン!!」
荒々しく階段を上がってきた人物は、自分より大きく成長した息子の両肩を確りと掴み、体に傷がないか確認していた。
「どうして邸に戻った?
アデイール姫は無事なのか?」
怪我がないのが分かると、レオンは呼吸を整えながらチラリとエヴァを見た。
金の方眼鏡が鈍く光った。
「先日、研究棟を襲撃した集団が、松明を持ってこっちに来たので、大切な資料を非難しに」
「ああ、その報告は受けた。
森の娘よ、イネスは祭りに来ていたか?」
「わが師の姿は見かけなかった」
そうか。
そうつぶやくと、レオンは背にしていた絵を見上げた。
「・・・シオン、今すぐ邸から出るんだ」
「今、資料を・・・」
「今直ぐだ!!」
階段を上ろうとしたシオンの足を、レオンの張り上げた声が止めた。
「森の娘が大切なら、今直ぐ連れて出ろ!」
「しかし、まだ写しを作っていない資料が・・・」
「お前が生きていれば、何とかなる」
めったに聞かない父親の怒鳴り声に、シオンは戸惑いを隠せないでいた。
そんなシオンの頬にそっと触れ、レオンは囁いた。
「ソフィアから受け継いだその瞳で、もっと多くの物をみるがいい」
「父上・・・」
らしからぬ行動に、自分を見つめる優しい瞳に、シオンの困惑は表情にも現れていた。
「シオン・・・
なんだか、焦げ臭い」
そんなシオンの服の裾を、エヴァは遠慮がちに引っ張った。
「逃げるんだ」
「では、母上を連れて・・・」
「お前の大切な人は森の娘。
私の大切な人はソフィアだ。
私が連れていく」
「それが懸命だ。
シオン、若い命をみすみす危険に晒す必要はない」
少し擦れた、女性にしてはトーンの低めの声が頭上からした。
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