第6話
家の奥で、飯豊は所在無げに座っていた。どこからか漏れてくる光が男の影を僅かに地面に落としている。
外で、いねは
飯豊も力仕事の手助けすると申し出たのだが、
「おっちゃんは、ゆっくりとすわっていてけろ」
といねに言われ、仕方なしに家の中で座っている。
視線をうろうろと動かし、
突然がさっ、と音がして夕の赤い光が差し込んできた。慌てたように手を擦るのをやめ、飯豊は光の差してきた方を振り向いた。
いねが立っていた。
「おっちゃん、湯だ。飲みなされ」
眩し気に男は女の顔と手に持っているかわらけを交互に見た。赤茶色のかわらけからは白い湯気が立っている。
「ああ、すまん」
掠れた声で答え手を伸ばし、受け取ったかわらけはずっしりと重く
湯をそろそろと口に含んでいる飯豊のそばで暫くそれを黙ったまま眺めていたいねは
「おっちゃんは、どうするだか?故郷へ帰るだか?」
尋ねた。
「ああ、まあ、な」
煮え切らぬ口調で返答をすると、飯豊は半分ほど飲んだ湯を地面に置いた。
「考えなされ。ここにおれば土も貰える。吾らもおる。一緒に暮らせばいい」
いねは、確信ありげにそう言った。
「そうすれば、おっちゃんも耕す土地がもらえるでねぇか」
「吾は土など耕したくね」
ぶっきらぼうに飯豊は言い返した。
「あれ、そげなもったいないことを言うでねぇよ。吾らにとっては土は命の
いねは、諭すように答えた。
「山も良いし、
だがちらりといねを見ただけで、無言を貫いている飯豊に首を傾げ、
「おっちゃん、家族はいねぇだか。その・・・」
いねが訝し気に問うと
「昔の事は忘れた」
飯豊はそっぽを向いた。
「そうけ・・・」
呟いて飯豊の飲み残した湯を取ると、外に行って捨て戻ったいねは、
「まあ、おっちゃんの好きにすればいいけど、でもよく考えてけれ。うちらはおっちゃんがいてくれた方が嬉しい」
と言ってから、
「そう言えば・・・」
と独り
「おっちゃんは、国主様の最期を見届けるのがここにおる訳の一つだと言っていたな。残りはなんじゃ?」
「汝は知らなくていいことじゃ」
飯豊は
「それが済むまではここにいるお積りか?」
いねは真剣な目をして膝を乗り出した。しかし、
「だから・・・汝が知らなくても良いことじゃと言っておる」
苛立ったように返答をした飯豊を見て、
「おっちゃんは、吾のことが好かんか?」
いねは哀し気な声を出した。
「んな事はね・・・」
飯豊は不愛想に呟いたが、
「だって、なんも答えてくらっしゃらね」
いねが袖で眼を拭くのを見て飯豊は慌てたように、
「泣ぐな」
と口走った。
「泣いて、ね」
いねは袖に目を当てたまま、立ち上がり出て行った。だから、
「吾は・・・いったい、娘っ子あいてに何をやっているんだか。それも・・・」
と口籠った飯豊の呟きを聞いていない。
夕食は
日が落ち、磐根といねは入り口の近くで、飯豊は奥で横になった。
「いね、おっちゃんと喧嘩でもしたのか?」
磐根がぼそぼそとした声でいねに尋ねた。
「なんか陰気臭かったな、二人して」
「ううん」
いねは小さく首を振った。
「家族はいないかのとか、この地に居るつもりはないかとか尋ねたら、おっちゃん、なんだか機嫌が悪くなって」
「話したくない訳があるんじゃろ。おっちゃんほどの歳にもなればいろいろある」
したりげに磐根は呟いた。
「どんな訳じゃ?」
いねの問いに、
「それは・・・」
磐根は
「わがらねが、誰でも話したくないことはある」
「あんちゃんもか?吾に話せないことがあるか」
いねの声は真剣だった。
「吾はない。汝になんでも話しよる」
磐根はあたふたしたように答えたが、
「なら、なぜおっちゃんの気持ちが分かる?」
いねの問いに、うっ、と磐根は呻いた。
「吾らと・・・一緒に住みたくないんではねが?」
「だども、おっちゃんは吾らが国を棄てようとした時、一緒に暮らそうと言ってくれたでねか?」
いねの反論に磐根は暫く黙りこくっていたが、
「そんなことより・・・」
と、言っていねの胸乳に手を伸ばしてきた。その磐根に、いねは
「だめだ、おっちゃんがおるでねが」
ときつい声で拒んだ。
「だども・・・」
手を
「どこかおっちゃんの家を探さねば」
とぼやいた。
「隣に作れば良かろうに・・・」
と呟いたいねに磐根は曖昧に
「・・・んだな」
と答えた。
翌日、朝いねがいつもより早くめざめると飯豊が荷物を纏めて出ようとしているところであった。
「おっちゃん、出ていきなさるか?」
藁布団に包まったまま、声を押し殺していねは尋ねた。
「ああ・・・起こしてしまったか、すまんの」
掠れた、だが優し気な声で飯豊が答えた。
「どうも汝らと話していると
その声に
「朝餉だけでも食べて行きなされ」
いねは藁を蹴るようにして素早く立ち上がると、
「今から作るから・・・」
飯豊は迷うような眼をしたが、腰を下ろした。それを横目で見るといねは外に出て
そして、家に入ると横目で飯豊がぽつりと座っているのを見ながら、磐根をたたき起こした。
「うん?まだ早いでねか?」
寝ぼけたままの磐根は、
「おっちゃんと一緒に
といねに言われ、目を擦り乍ら飯豊の姿を見た。
「あれ、おっちゃん、どこへ行く?」
「いや、山へ帰ろうかと思ってな」
「そが?」
磐根はそう言ってぼそぼそと頭を掻くと、外に用を足しに出た。
いねが飯を盛ったかわらけを相対に座った二人の男の前に置くと、磐根は飯豊を見て
「おっちゃん、しばらくはあの山におるべ?」
と尋ねた。
「ああ、まあ」
相変わらず飯豊は歯切れの悪い調子で答えた。
「んだら、時々、ここに寄るがよかろうよ」
「うむ」
飯豊は頷いた。
「いねは隣に家を作ればいいと言っておる。その気になったら移っておいでなされ。長がその時何というかは分からんが、いねの土もあるし、吾も耕す場を持っておる。三人ならなんとかなる」
「ああ・・・」
飯豊は頷いた。その答えに磐根はいねをちらりと見た。磐根なりに気遣ってくれているのだ。それにしても飯豊の煮え切らない態度がいねには不思議だった。恨みを抱いていた国主様が死んだというのにこの里にい続ける理由とは・・・いったい何なのだろう?
でも飯豊はそれを教えることはない。それを聞こうとすればするほど、飯豊との間の溝が深くなる、そんな気がいねにはした。
「片付けるべ」
そう言うと二人の男が食い終わったかわらけを手に持っていねは外に出た。朝は明けたばかりである。名も知らぬ
朝一番に起きて出て行こうとしていた飯豊は、出鼻をくじかれたせいか昼近くなっても居残っていて、磐根と一緒に萱を積んでいた。
「おっちゃん、もう良かんべ。休もう」
磐根がそう言って、日陰に腰を下ろした。飯豊も残った最後の萱を屋根に積み終えると、磐根と並んで座った。その飯豊に向かって磐根は頭を下げた。
「いねが、すまんこって」
「ん?」
飯豊は意外そうな顔をして磐根を見た。
「おっちゃんの事を色々聞いて怒らせたようでな」
「怒ってなんかいねぇ」
飯豊は口をへの字に曲げた。
「まあ、勘弁してつかあさい。根は素直な娘じゃけ」
「わかっちょる」
不機嫌そうに答えた飯豊だったが、磐根は構わず、
「親に恵まれなかったわりには素直な娘じゃ。じゃから吾は嫁にしようと思ったで。まあ美人という事もあるが」
照れたように言葉を続けた。
「いねのかか様もきれいなお人じゃったが、どういうわけか、里人と交わるのを嫌っておった。いつかは偉いお人と結ばれることを信じてあの歳になったじゃが。いったいどういう了見だったのかの?その割に若いうちにいねを身籠って、相手も知らん。いねとはずいぶんと違う。顔は似ているが、親子でも似ておらんというところというものはあるようじゃ」
「・・・」
飯豊は黙ったまま地面の石ころを見詰めていた。
「土を耕すのは嫌か、おっちゃん?」
「んなことはね。昔は土を耕すことは好きだった」
「なら・・・なして?」
「吾の・・・思い人が男はもっとやることがあると言ったんじゃ。吾はの、これでも算が得意でここの国に流れ着いた時には、その時の長に取り立てられて国衙の役人に推挙されたこともある。だが、断った。土が好きじゃったからの。だが、そのせいで吾は思い人を失った。それから・・・土を耕すのをやめたんじゃ」
「そげか」
磐根は頷いた。
「やっぱ、色々とあるの」
「冷たい水がよかろ」
磐根と飯豊が戻ってくると、いねは言って家の外にあるかわらけの壺に水を汲みに行った。日陰に置いた壺の中の水はどうしたわけか、夏でもいつも冷たく、暑い日にはとりわけ助かる。そこから水を二杯汲むといねは家に取って返した。
「はい、おっちゃん。はい、あんちゃん」
と座り込んだ二人の男の前に交互に水の入ったかわらけを置くと、
「暑かったでしょが」
いねは二人を
「まず、暑いこと」
磐根は置かれた水を手に取るとごくごくと飲み干した。
「うまい」
磐根の言葉に飯豊も椀を手に取り、口をつけた。
「おっちゃんは、暫く休んでけれ。吾は薪を割るで。出るのはその後でよかろ?」
そう言って磐根は立ちあがり飯豊の肩に手を置くと、外へと出て行った。
「汝の思い人は良く働くな」
飯豊の言葉に、いねは嬉しそうに、
「んだ」
と答えた。
「何よりだ・・・」
遠くを見るような目つきを飯豊はした。
「かか様のことは残念だが・・・。汝には思い人が居って良かったの」
「うん」
いねは素直に頷いた。もし、磐根がいなかったら・・・。母親を捨てて旅に出ようとしていたいねではあったが、母親を嫌いぬいていたわけではない。いや、もし磐根と出会わなかったら、やはりいねにとって母親は一番の人であったに違いないのだ。
「かか様のこと、好きだったか?そうでもなかったか?」
「おらんくなったらやっぱし淋しい。どこかで生きていてくれればいいのだけど。まだ死んだと決まったわけじゃね」
いねは思ったままを言った。
「ん、だな」
「そうだ・・・」
いねは何を思ったのか、家の隅にあった棚の所に行くと、茶色くなった蓮の葉に包まれたものを取り出し、
「これはかか様のもの」
と飯豊の目の前に差し出した。
母が・・・なぜか悪口を言いながら捨てずに取ってあった木の櫛である。木の櫛は贈り主の手で作ったものか、柘植の木の固さに、手を焼いたせいか少し並びが歪んでいる。母はそれにも文句を言っていたが、時折油をつけて磨いていたせいかさびもなく、艶々としている。
「これは・・・」
飯豊は目を見開いた。
「これはかか様も思い人からのものだと思う。いつもさんざ、悪口を言っておったけど大切にしておった。きっとその送り主が吾のとと様に違いないんだけど・・・」
視線を落とし、そういねが言った時、獣の唸るような声が聞こえ、いねは顔を上げた。
「どした。おっちゃん」
怪訝そうに顔を覗き込んだいねの視線を
「吾が・・・お前の思いを汲まんかったばかりに。一度ならずも二度までも」
そう言って飯豊は櫛を握りしめた。
その時、卒然といねの頭の中ですべてが繋がった。おっちゃんは・・・かか様の思い人だった人なのだ。
そして・・・、きっと私のとと様なのだ。
おっちゃんが、むかし時折家の近くに来て見ていたのは・・・あれは妻と娘の様子を見に来ていたのだ。おっちゃんが吾と磐根を国主様の手から逃そうとしたのは、それは望まぬ宮仕えから娘を守ろうとしてくれたのだ。
そしてその事は・・・おっちゃんとかか様が永遠に交じり合わぬ思いを持っている
そんな、もともと考えの違う二人はどうして惹かれあったのであろうか?
かか様はとと様の悪口をしょっちゅう言っていた。それなのにとと様から贈られた櫛を、悪しざまに言いつつも大切に持っていた。とと様はかか様と吾を見捨てて山に籠ったのに吾らの様子を見に山から下りて来ては吾らを見ていた。
だが吾の事で・・・二人は再び見えない形で決裂したのだ。
そして・・・その時にだいだらぼっち様がいらっしゃった。神意を伝えにいらっしゃったのだ。そしてかか様を
外から、のほほんと歌う磐根の声に割れる木の鈍い音が混じって聞こえてきた。くわん、くわん。それがいねにはまるで異界から聞こえてくる、かか様の骨の砕ける音のように思えた。
でも・・・。といねは思った。かか様は吾の心の隅にも、おっちゃんの・・・いやとと様の心の片隅にも生きておらっしゃる。それで、えでねぇか。
そう思いつつ、いねはおんおんと声を上げて泣きじゃくる男の姿を呆然と見守っていた。
だいだらぼっち 西尾 諒 @RNishio
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