カコジョ!~冴えないおじさんが超絶S級美少女になって無双!?~

青星青

第1話

 授業中だというのに教室はがやがやと騒がしい。

 そんな様子もおかまいなしに、教壇に立つ高校教師、山田武やまだたけしは淡々と授業を進めている。 時おり、「静かにするように」との鳴くような声で呼びかけるが生徒は一切聞く耳を持たない。それどころか「むくろうぜー」などと細身の外見を揶揄やゆした陰口を叩く始末だ。陰口ならせめて聞こえんようにしろ、と、怒りを抑えてすました顔で授業を続ける。

 さらに、職員室に戻れば二回り以上年下の体育教師、本堂がうるさく声をかけてくる。

「山田先生、先生のクラスの生徒達うるさいですよ。ああいう子らはビシッと言ってやらないと。僕の言ってることわかりますよね?」

「はい、すみません」

「そんなんだから生徒に舐められるんですよ」

「はい、すみません」

 とりあえず、壊れたロボットのように謝ってやり過ごしている。下手に逆らえばねちっこい説教が長引くだけなので心の中で歯ぎしりをしている。


 くたびれた顔で武はため息交じりに家のドアを開けた。

「ただいまー」

 疲れ切ったか細い声を出した。電気がついているのは、帰りがてら確認済みだが返事はない。リビングに入ると奥さんはテレビをぼーっと見ており、娘のリカはスマホをいじるのに集中している。

「ただいまー」

「あら、あなた帰ってたの。そこに晩御飯用意してるから勝手に食べてね」

 食卓机にサランラップをした晩御飯が用意されている。部活の顧問やら担任を受け持つクラスの生徒の進路のことだったりで毎日帰宅が遅くなってしまう。

 ソファでスマホをいじっていたリカは、武がリビングに入ってきたのに気づくと、すっと立ち上がり部屋を出ていこうとした。

「ただいま」

 改めて声をかけたが、リカはスマホをいじりながら、武の横を素通りした。思春期真っ盛りの娘のことだから、こんな扱いは慣れっこだ。そう思いながらも、ため息が漏れた。

 風呂に入り、晩御飯を食べるというルーティンを終えると二階の書斎へ向かった。

 デスクと椅子と本棚しかない、ネットカフェの一室のようなこじんまりとした空間だが、武にとっては唯一気を落ち着かせられる場所だ。

 ふーっと一息つくとスマホをいじり、ユビッターという文書投稿アプリを開き、慣れた手つきで文字を打った。

『二十二時から配信始めるよー♥』

 普段の自分、山田武だったら絶対に使用することのないハートマークを使用した。ここから山田武は消失する。スマホを自分が映る位置に固定して『カコジョ!』というアプリを開き、手際よくいつもの設定をして、配信サイトのウィーチューブを開いたら準備完了。開始前から一万人が待機している。

「どっこいしょ。皆さんどうもこんばんわ~」

 五四歳のおじさんから発せられるはずがない、澄んだ可愛らしい声が画面から聞こえる。

 画面には可憐な美少女が満面の笑顔を振り撒いている。現実の世界では、おじさんがスマホに向かって、笑顔で喋りかけるという通報案件である。

 挨拶しただけでコメントが殺到して目で追えないぐらい流れていく。始まってすぐ三万人近くが視聴している。


 若い世代の間で、顔を変えるアプリが流行ってると知り、興味本位でやってみたのが始まりだった。カコジョは顔変身アプリで、性別から、年齢、なんだって変えることが可能だ。最初は単純に若返らしたり、仙人のような髭を生やしたり、金髪ロン毛にしたりして遊んでいた。色々操作するうちに、男性から女性の顔にも変身できると分かり、さっそく試してみるとワンタッチで女性に変化した。

 男性の時は、おでこからてっぺんまでハゲあがり、落ちくぼんだ目、年季の入ったしわだらけに、けたほほで生徒からは陰で骸と呼ばれている。そんな自分の姿が、ウェーブのかかったロングの髪の女性顔になるとそれなりにイケてる。アプリの効果でかなり引き上げられているが、少なくとも武はそう思った。

 もっと可愛くなるのでは、と思い夢中でいじっていたら、アイドル並みのルックスを持つ若手清純派女優みたく可愛くなった。こんなにかわいいのだから多くの人に見てほしいと思いユビッターに登録した。超絶美少女の名前は悩んだ末にムクロとした。陰でそう呼ばれてるのは知っていたし、呼ばれて嫌な名前だからこそ好きになれるよう名付けた。

 最初はピースしてるだけの写真をあげる程度だった。そんな面白みのない写真にもかかわらず、多くの反響があり、かわいい仕草を研究して色んなポーズの写真をあげる度にバズるようになり、ユビッター界隈で一躍人気者になった。

 そこから、エスカレートした。カコジョを使えば、静止画だけでなく、アプリを起動させた状態なら、声も自分好みに変えてリアルタイムで動きも連動させることができる。スマホもろくに使いこなせなかった人間が、今ではユビッターはおろかカコジョの機能をフルに使いこなし配信できるまでになった。


「ということでー、今からみんなの悩み相談するね~」

 画面の美少女が眼鏡をかけた。

『眼鏡姿かわいい』『眼鏡たすかる』

 コメント欄が称賛で一斉に埋まる。実際は、おじさんが老眼鏡をかけただけなのだが。この配信の持ち味は、高校生らしき美少女が、なぜか長い社会経験を積んでるかのようなベテラン感で親身になって回答をしてくれることや時折見せる美少女なのにおやじっぽい言動がかわいいと評判を呼び、ユビッターで集めた人気にさらに火が点いた。


 ウィーチューブをやり始めの時、広告収益すら断っているというのに、コメントを読んでほしいがためにコメントと共に投げ銭する者が現れた。

『ムクロたん、結婚しよう!』

「しませーん!私のためにお金を遣わなくていいから!自分のために使いなさい」

 ムクロが怒ると『オコかわいい』と更に投げ銭が飛んできていた。

「投げ銭には反応しません。本当にやめてください」

 そう言って、本当に投げ銭に無反応になると投げ銭はされなくなった。後に投げ銭システムを停止できることに気付いたので停止しておいた。

 お小遣いはひと月一万円と決して高くないが、趣味もなく、仕事が終われば直帰する武にとって、お金を使うことがなく貯金できてしまうほどなので現状で満足していた。むしろ、若者が虚像のためにお金をもらうことに後ろめたさがある。職場では、生徒や同僚の教師から舐められ、家に帰れば、娘からないがしろにされる。そんな自分が配信すれば数万人の視聴者から『かわいい』、と言われることがただただ気持ちよかった。

『何歳?』

「千五十四歳」

『草』

 リスナーからたまに個人情報を探る質問が飛んでくる。そういう時は適当にはぐらかしている。とにかく顔を変えるのがおもしろかったので、しわを消し、痩けた頬もハリのあるみずみずしい肌に設定にしているので、リスナーの多くはムクロのことを高校生ぐらいに見ているのだろう。だから、みんないい意味で軽々しく遠慮なくコメントをくれるので、武も気兼ねなく、職場や家庭での自分が嘘のように明るく気さくに話すことができている。

 こんなバカみたいなやりとりをしているのが楽しかった。


 しかし、そんな幸せな日々は長く続かなかった。うっかり、配信を切らずにカコジョの設定だけを終わらせてしまった。すると、配信には見知らぬおじさんがドアップで映りこんでしまった。すぐ、気づいて配信を切ったものの時既に遅し。コメント欄は『詐欺だ!』、『オヤジに転生してしまった……』などと大荒れしていた。

 ユビッターを震える指で操作すると、大炎上していた。『キモイ』という辛辣な言葉も容赦なく飛びかっっている。

 耐えきれなくなりスマホの電源を落とした。生徒や娘から武が言われる分には平気だが、今投げつけられているひどい言葉の数々はムクロに向けられている。虚像なのに、武が言われる以上に身を切り刻まれる思いだ。とりあえず、寝て起きたら今日のことは夢だったことにならないか、などと放心状態でいると部屋をノックする音が聞こえた。

「はっ、はひっ?」

 普段ノックされることのない部屋に来訪者が現れたことに驚き変な声が出た。

「ねえ」

「えっ!な、なにーっ!」

 ドアを開いていないが声の正体はリカだ。娘から話しかけられるなんて、三年ぶりぐらいではないだろうか。嬉しさというより戸惑いの方が大きく怒鳴り気味になってしまった。

「そんな、大きい声出さなくてもいいでしょ。お母さん寝てるんだし」

 リカは書斎に入らずドアの前でうずくまって話している。

「すまん、すまん、つい。それで、なんだい?」

「パパは、ムクロちゃんだったの?」

「…………!!」

 娘の口からそんな言葉を聞くことになるなんて夢にも思わなかった。しかも、久しぶりの会話がこれか……。などと色々と頭の中を巡り言葉が出ない。多分今、化け物でも見たかのようにひきつった表情になっている。

「……黙ってるってことはやっぱりそうなんだね。配信見てたから」

「リスナーさんだったのか」

「うん、っていうか、パパの声でリスナーさんとか言わないでよ。気持ち悪い」

 娘の辛辣さは相変わらずのようで安心した。

「カコジョ!使ってたの?」

「えっ、どうして、わかった?」

「そりゃわかるよ。ウチらの間でも流行ってるし。でも、あんだけ使いこなしてる人いないし、すごいじゃん」

「うむ。まあな」

 娘に褒められるなんて少し気分が晴れた。

「なんかホント今でも信じらんない。口下手なパパがムクロちゃんだなんて。パパって陰キャでおもしろくない人だと思ってたから、それが、元気で明るくてかわいいムクロちゃんと同じだなんて……うん、やっぱ違うか。そんなはずはない」

 いや、同一人物なんだけど、と娘の現実逃避にツッコミを入れたかったが水を差すようだし心にとどめた。

「パパがどうするつもりなのかわかんないけど。このままフェードアウトは嫌かな。それだけ言いたかった。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 まさか、これがきっかけで娘とこんなに話すことになるなんて思いもしなかった。身バレしてしまったショックと娘と話せた嬉しさで感情がよくわからない。このまま消えるか、それとも配信をするか決めかねている。今夜は眠れそうにない。



 翌朝平静を装って、いつも変わらない様子で職員室に入った。

「山田先生、えらいことになりましたね!」

 うるさい声が近づいてきた。

「はい?なにがですか」

 ぶっきらぼうに答える。今日は特にこのうるさい男を相手にする元気がない。

「何って、ムクロちゃんのことですよ」

「な、ななななんで、君が知ってるんだ!」

 さすがに、本堂も空気を読んで、声を潜めて聞いてきたものの、武の声が職員室中に広がるくらい声が上ずった。

「知ってるも何も見てましたから。ネットニュースにもなってますし」

 本堂がスマホの画面を見せてきた。

「はあっ!ネットニュース?」

『悲報、超絶人気ウィーチューバーの正体はおじさん!』という見出しで記事が書かれており、目線にモザイクが貼ってあるものの間違いなく武の姿だった。

「素人が、昨日の今日でニュースになるのか……」

 髪をぐしゃぐしゃに搔きむしろうと手を頭にやったが、そんな毛量が存在しないことに手をやってから気付いた。事態の深刻さを目の当たりにして動転している。

「そりゃ、ウィーチューバーの中でもトップクラスかつミステリアスな存在でしたから。まさか、山田先生がムクロたんだったとは」

「はい、すみませ……、ってムクロたんって……」

「それで折り入って、お話があるんですが」

「はい、なんでしょう」

「ムクロたんの水着写真もらえませんか?」

「……あのー、昨日の配信見てたんですよね?」

「もちろん!古参ですから全て見てますよ」

「だったら、ご理解いただけきたいんですが、カコジョってアプリの力で女性に変身してるだけなんで、水着のおっさんの写真なんていらんでしょう?」

 子どもを諭すように言った。古参とか意気揚々と聞いてもないことを言ってくることもだが、水着写真をくれなんてどうかしているので正直引いている。

「何を言ってるんですか?女子高生のムクロたんのが欲しいだけなんで」

「君が何を言ってるんだ。女子高生って認識してるなら、なおさら危ないよ」

 ましてや、自分の水着姿なんて考えるだけで吐き気がする。とんでもないガチ恋勢に出くわしてしまった。

「こっちは投げ銭もしてるんですから、応えてくれてもいいじゃないですか」

 お前が投げ銭で求婚してきたヤバいヤツかーっ、と確信したところで、「すみません、授業があるので」とそそくさとこの場を立ち去った。

「カムバーック、ムクロちゅわ~ん!」

 自宅に帰ったらお前は速攻ブロックする。固く心に誓った。というか、今しとくか。


 三年生の教室の前に来た。日々授業の邪魔になる程の騒がしさのクラスというだけでも腹痛のタネとなっていたが、今日はさらにおじさんが美少女として配信していたという格好のエサをぶらさげてしまっているため、腹痛が百倍になっている。

 教室の中に入ると、いつものように立ち歩いて喋っている生徒達が、いつもと違い、武が入るとすぐに席に座って話を聞こうとしていることだった。武が何か言うのを今か今かと待っている様子だ。

「さて、今日の授業を始めま……」

「先生、やめないでください」

 そんな話を聞きたいんじゃないと言わんばかりに生徒のひとりが話を遮った。

「えっ、先生はやめないけど?」

「いえ、先生はやめてもらってもどっちでもいいですけど、ムクロちゃんをやめないでください」「そうだよ、身バレしたくらいで。先生やめても、ムクロはやめんなよ!」「ムクロちゃんの授業だったら聞くから!」

 生徒たちが口々に武の周囲によってきて訴える。

「君たち……」

 先生としての自分をないがしろにするクソガキどもをぶちのめしたい気持ちを抑えつつ、ムクロがこんなに支持されてることに驚き身バレし過ぎ、と思った。


 結局身バレしすぎて授業にならなかったので、今日は早退させてもらった。帰り道も知らない人に「ムクロちゃんはムクロちゃんなので変わらず応援します」などと声をかけてもらった。匿名のネットでは激しく叩かれているのに、実際に会う人達は意外なほど温かく迎えてくれたので余計に自分のしたことの罪悪感にさいなまれた。

 早退したなんて奥さんにバレたら小言を言われかねないので、近所の公園のベンチで時間をやりすごすことにした。

 時間が有り余っているので、昨日の配信のコメント欄とユビッターのコメントを見ることにした。震える指でユビッターを操作する。

 ユビッターに送られている返信コメントを前日分から読み始めた。やはり、見るに堪えない文面が並んでいる。それもものすごい量が。やはり見るんじゃなかった、とスクロールする指を止めようとした。

 しかし、悪いコメントばかりが目についていたが、その中にわずかに応援のコメントがあった。

 しかも、スクロールすればするほど辛辣なアンチコメントを凌駕して応援コメントが埋め尽くしていた。『それでも、好きだ』、『めげずに頑張ってください』『転生してんだから前世は関係ない』転生やら前世やらよくわからないコメントもあったが、応援してくれている気持ちは伝わり胸が熱くなった。

 帰宅して間もなくいつも配信する時間に近づいた。急いで配信の準備をして、いつものようにユビッターで「配信始めます」とコメントした。

 頬をパンパンと勢いよく叩いて気合を入れた。「よしっ」一息ついて配信を始めた。

「どっこいしょ、皆さんどうも、こんばんわー」

 画面に現れたのはムクロである。緊張しながらも、平静を装いいつも通りの挨拶をした。一気にコメントが流れる。

「今日は昨日の件についてお話ししないといけないと思い配信しています」

『引退?』という言葉がコメント欄に溢れるが、老眼鏡をつけてないので武には全く見えていない。コメントの言葉に気持ちを乱されないよう老眼鏡はかけないことにした。

「このまま黙って配信をやめてしまおう……という気持ちでした」

『やっぱり』『身バレしたもんな』などとコメントが流れる。

「醜態をさらして謝罪しようかとも思いました。でも、ムクロの配信を見に来てくれていた人はおっさんを見たいわけじゃないと思ったのであえて、最後までこの姿を貫いていこうと考えました。このネットの世界においては、この姿が自分なので。昨日の件で裏切ってしまったと思うかもしれませんが、みんなを騙して楽しもうという気はありませんでした。ただかわいい女の子になれたことが楽しかっただけで。現実に居場所がなかった自分にとって、ここが居場所になっていました。居心地の良い時間をくれてありがとうございました。これからは、現実の世界でがんばります。ありがとう!」

 一方的にありったけの思いをぶつけ元気一杯の笑顔で最後の配信を切った。思いの丈を吐き出し、余韻に浸っているところにノックの音が聞こえた。

「お疲れさま。ありがとう」

 リカが一言伝えた。

 後はこのアカウントを消すだけだ。それで、全て終わる。

 分かっているのに、消去ボタンを押せない。いいことも悪いこともつまったムクロを消すことなんてできなかった。


 翌日、ムクロ(魂はおっさん)とおじさんであることを明かした上で、いつもの時間にいつも通り配信する武の姿があった。最速の引退撤回はもちろん騒ぎを起こしたことの謝罪をした上で。身バレしたことで吹っ切れた武は、現実の世界でも良い方向に少し変わった気がする。

 そして、配信の時間が始まった。

「どっこいしょ。皆さんどうもこんばんわ~」

 武にとって当たり前の日常が今日も始まる。





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