最終話 あなた色に染めて
バーでレイさんからの伝言を受け取ってから一週間ほどが経ったが、私はまだレイさんに会えないでいた。
もしかすると意図的に避けられてるのかもと勘ぐってしまいそうになるが、レイさんはきっとそんなことをする人ではないだろう。いっそのことバーのマスターに私の連絡先を預けて渡してもらった方が早いように思えた。
そんなことを考えながら、会社の廊下をぼんやりと歩いていると、向こう側から数人の集団が何やら話しながら歩いてきたので、道を譲るように壁に寄った。そして、そのままやり過ごそうとしていたが、そのすれ違う集団の中にレイさんの姿を見つけて驚いてしまった。しかも、首から掛けている社員証はゲストのものではなく、同じ社員であることを示していた。
声も出せずに口をあんぐりさせていると、レイさんは人差し指を立てて自分の口元に当てながら、私に向けてニコッとあの悪戯っぽい笑顔で微笑んだ。
そこでレイさんの「近いうちにまた会うかもね」という言葉の真意を知った。きっと私の住所を調べるために鞄の中を見た時に私の社員証を見て、同じ会社に勤めていると知ったのだろう。
そういうことなら、私は探す場所をただ間違っていただけだった。
しかし、そんなこと分かるはずもない。
昼休みになり、同僚の昼食の誘いを断り、最寄りのコンビニに向かった。そこで何を食べようかと商品を眺めながら考えていると、隣に立つ人から消臭スプレーと消しきれなかった煙草の香りが混ざったような匂いがふわりと漂ってきた。それだけで私には誰だか分かってしまう。あえて、顔を向けずにいると、
「私にとても会いたがってるって、マスターに聞いたよ」
少しだけ体を近づけ、小声で私にだけ聞こえるように話しかけてきた。
「そうですけど、まさかこんな近くにいるなんて思わなかった」
「だから、近いうちに会うって言ったでしょ?」
レイさんはそう言うとクスクスと小さく笑う。そして、何も言い返せない私に言葉を続ける。
「そうやって、わき目も振らずに一直線になりすぎるから、男を見る目がないんじゃないの?」
「でも、あなたは私が今まで付き合ってきたようなダメな男とは違うでしょう?」
「まあ、そもそも私は女だからね」
あっさりと即答され、私は思わず隣に視線を向ける。レイさんは楽しそうな表情を浮かべていて、そんな顔をされては文句も言えない。実際その通りだから、文句の言いようもないのだけれども。
「私、レイさんともう一度ちゃんと会って話したかったんです」
「私は話したくなかったわ。だって、侑香さん、しつこそうだから離してくれなさそうだもの」
「ひどい言い方ですね。でも、私を夢中にさせたレイさんが悪いんですよ。その責任、取ってくれますよね?」
「責任?」
レイさんが今度は真っ直ぐに私に視線を向けてくる。それを受け流しながらサンドイッチを手にして、先に持っていた飲み物と共にレジに足を向ける。レイさんも私に続けて会計を済ませ、コンビニを出て、手近な場所にあったベンチに並んで腰かけた。
そして、先ほどまでの会話の続きを再開させる。
「レイさんが煙草の匂いのするキスをするのが悪い」
「それで私にどう責任を取れと?」
「私はもっとしてほしい。そして、同じ煙草を吸ってた人との記憶をレイさんに塗り替えて欲しい」
「なるほどね。でも、塗り替えるのではなくて、私色に染めていいならいくらでも責任を取ってあげるよ」
「本当に?」
レイさんの言葉に私の心と表情はいっきに明るくなる。しかし、レイさんはそんな私を変わらない表情で見つめ返してくる。
「そうやって、すぐに期待するから、ダメ男に引っかかるんじゃない?」
レイさんはからかいの言葉を口にすると笑みを浮かべる。本当に一筋縄に行かない相手だなと思いつつ、からかわれたことに対してはムッとしてしまい、つい表情を歪めてしまう。
そんな私のころころと変わる表情にレイさんは悪戯っぽさと優しさが同居しているあの笑みを浮かべながら、そっと手を伸ばして頭を撫でてくれる。
それだけで会えなかった時間も、からかわれたことも水に流せてしまえそうだった。
「侑香さん、チョロすぎない? 大丈夫?」
「それは好きな人にだけなので、しっかりした人が相手なら問題ないはずですけど」
「それって、私、責任重大すぎない」
「責任、取ってくれるんですよね」
「もちろん。男に二言はないよ」
「レイさん、女じゃないですか」
「そうだね。だけど、私は思ってもないことは言わないから」
私とレイさんは、顔を見合わせて笑い合った。それからそっとレイさんの社員証に手を伸ばす。レイさんは拒絶しない。私は裏返しになっていたそれの
そして、私は知りたかったものを手に入れる。
「じゃあ、これからよろしくね。
「ええ、こちらこそ。
「それでよかったら、今晩、あのバーに行かない? マスターにもちゃんと会えたって報告しないと」
「そうね。そのまえにご飯でもどう? バーの近くに私のお気に入りの店があるのよ」
「あの泣かせた男に教えてもらったお店?」
「いや、ちゃんと私が見つけた店」
「じゃあ、すごい期待しとくね」
私とレイさんは同時に噴き出し、至近距離で笑い合った。
通行人や隣のベンチに座る人からは変な目で見られているかもしれない。しかし、今だけは気にならなかった。
隣にいる人の
私の心と過去は、ゆっくりとレイさんの色に染まり始めた――――。
思い出の香りを、あなた色に染めて たれねこ @tareneko
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