異世界に召喚されたら手からカレーが出た

高葉

本文


 気がつくと、辺りは見知らぬ場所だった。

 六本の精緻な細工の施された円柱が立ち並び、見た事のない巨大で豪奢な絨毯の敷かれた大広間のような一室。大きなステンドグラスが囲むその部屋は、王宮のようでもあり、教会のようでもある。まるで、ファンタジーの世界に入り込んでしまったかのような光景に、俺はしばしの間ぽかんと馬鹿みたいに口と目を開いている事しかできなかった。


 自分の身に、一体何が起こったのかがわからない。状況を理解するために、必死に鈍い頭を働かせる。つい先程まで、俺は自宅で料理をしていたはずだ。そうしたら確か⋯⋯足元に突然幾何学模様の円陣が広がってここに⋯⋯。


 ようやく立ち直り始めた思考で、改めて辺りを見回し、息を飲む。


 俺は、多くの人に囲まれていた。

 それも、極めて異様な格好をした人たちにだ。


 鎧を着込み剣を携えた騎士のような人たちに、どこぞの魔法学校のように黒いローブを纏い短い杖を持った人たち。再び脳が混乱し始めた。一瞬コスプレ集団か映画の撮影か何かかと思ったが、絶対にそうではない。というか、全員まず日本人ではない。


 何より極めつけは――何か王様っぽいの居る。


 部屋の奥、数段せり上がった壇上には、偉い人が座る感じの椅子に偉い感じの貫禄ある老人が座っていた。頭には冠を乗せており、白髪も髭もふっさふさだ。


 俺は眉間を指で摘みゆっくりと揉みほぐした。


 ⋯⋯⋯⋯なるほど、夢か。


 そう考えるのが最も妥当だろう。集団ドッキリという線もなくはないが、特に有名人でもない一般人にわざわざこんな手が込んだドッキリを仕掛ける意味がわからない。

 夢、これはそう夢だ。いつから夢だったのかちょっとわからないが、きっとうたた寝でもしてしまったのだ。じゃなきゃこんな訳わからん状況になるわけがない。


「おお⋯⋯成功したか」


 自分を納得させていたら、王様っぽい人が低く深みのある声で、感嘆したかのようにそう呟いた。揉みすぎてそろそろ痛くなってきた眉間から手を離し、顔を上げる。

 静まり返っていた周囲は、次第にざわつき始めていた。皆が俺を見て、何事か囁いている。中には口元を震わせ感極まったように涙を流している人も居た。


 ⋯⋯オーケー決めた。とりあえず成り行きを見守ろう。未だ何が起こっているのかわからないが、俺は喋らないぞ。こういう訳わからん状況に陥った場合、下手に動くべきではない。眉間ヒリヒリするし夢なのかどうかもわからなくなってきた。


「よくぞ、やってくれた。我が娘カリエスよ。大義であったぞ」


 王様っぽい人が厳かに立ち上がり、そう言ってこちらに歩み寄ってくる。そして、俺と少し離れた位置で祈りを捧げるように跪いていた、瀟洒なドレスを纏った女性の肩に手を置く。カリエスと呼ばれた女性――娘だから王女になるのだろうか、その人が顔を上げる。


 わあファンタジー。


 金髪碧眼の見目麗しいその面貌は、現実離れしており思わずそんな間抜けな感想を抱いた。


 特殊メイクかな?


「はい、お父様」


 多分王女っぽい人が立ち上がって美しい笑みを王様っぽい人に向ける。王様っぽい人も一度微笑んで頷くと、再び表情を引き締めて俺の方へ向き直った。


「遠い異世界から我らの声に応え、お越し下り心より感謝する勇者殿よ」


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯あ、俺?


 しばらく間をおいて、恐る恐る自分を指差すと、じっと俺を見ていた王様っぽい人は厳かに頷いた。

 

 なるほどなるほど、どうやら俺は異世界の勇者らしい。意味がわらかねぇ。


 しかしそろそろ何か声を発するべきだろう。明らかに話しかけられてしまえば仕方ない。とりあえず、俺以外は何が起こっているのか理解しているらしいし。


「⋯⋯えっと」


「余はこの国の王」


「あはい」


 ごめん被った。声も小さかったね。掻き消されたね。ごめんなさいどうぞ続けて。

 俺は再び口を閉ざして王様っぽい人の話を静かに聞くことにした。


「レカエマン・スキエレカ・ラーレイスカ23世。勇者殿よ、この国を、いや、世界をどうか魔王の手から救っていただきたい」


 無理だと思います。


 そう思ったが、とりあえず口に出さずぐっと飲み込んだ。


 ⋯⋯うーん、どうやらこれはあれだな。人違いってやつだな。この人たちは勇者とやらを呼ぶつもりだったらしい。呼ぶというよりこれでは拉致だが。だから多分何か、手違いでもあったのだろう。じゃなきゃこんななんの取り柄もないくたびれたスウェットの⋯⋯スウェットだよおい。そういや部屋着のままだから当然だけど人前に出る格好じゃないよ。大丈夫かこいつら。こんな奴を勇者と間違えてるけど大丈夫か。その綺麗なお目々は節穴か。


 まあ、状況は未だに意味不明だし、俺をここに拉致した技術も不明だし、この人攫いたちが何を言っているのかも不明だが、相手を間違えたんだということはわかった。


 勇気を出して、それを伝える事にしよう。


 何か縋るかのような瞳を俺に向けてくる周囲を一度見回して、小さく深呼吸する。そして王様――ラーレイスカ陛下とやらに向き直った。


「あの⋯⋯大変申し訳ないんですけども、多分、誰かと勘違いなさっているかと思うのでわたくしは帰らせていただきたく⋯⋯」


「そんな事はありません!」


「⋯⋯⋯⋯」


 なんだっけ⋯⋯カリエスさんだっけ。


 カリエス王女が、俺の言葉を遮って急に大声を上げると、駆け寄ってきて両手を握ってきた。


 ⋯⋯喋らせろやこら。


 せっかく丁寧に丁寧に失礼のないように穏便に済ませようとしたんだ。喋らせろやこら。こっちはこんな訳のわからない所に連れて来られてんだこら。ずっと我慢してたけどそろそろイライラしてきてんだこら。キレるぞこら。

 ちょっと度を越した美人だろうが何をやっても許されると思うなよこら。そんな涙目の上目遣いを向けられてもまあ悪い気はしないけどこら。不用意な発言は控えるべきだなこら。


 とりあえず、俺は握られた手の柔らかな感触を感じながらまた口を噤んだ。


「私たちの声に応じて下さった貴方様こそが、選ばれし勇者様です!」


 じゃあやっぱ違うわ。

 応じてないもん俺。飯作ってただけだもん俺。


「それに、私は貴方様を一目目にした瞬間に感じたのです! 運命を!」


 本当に? 毛玉だらけのスウェット男に?

 その綺麗なお目々はやっぱり節穴かな?


「まあまあまあ⋯⋯はい、わかりました。はいなるほどまあそうだとしまして、ね」


 俺は盛り上がっているカリエス王女の両肩に手を置いて、とりあえず落ち着かせるように自分から遠ざける。現段階で理不尽でなんの嫌がらせかわからない状況に非常にイライラしているが、事を荒立てない為に暴言は吐かないでおこう。


「まずここはどこですかね?」


「ここは勇者様の世界とは別の世界メリターク」


 なるほど。


「そしてこの国は、人族の暮らす最も大きな国、ラーレイスカ王国です」


 なるほどなるほど。


「ふざけんな」


「あいたっ」


 ごめん、暴言を我慢したせいで一緒に手が出た。


「王女殿下に何をッ!」


 周囲が殺気立ち、思わずカリエス王女の頭を軽く叩いてしまった俺は、慌てて両手を上げる。


「誤解ですッ!! 今のは私の世界では親しみを込めた一般的な挨拶なんですッ!! 敵意はありませんッ!!」


 そして、必死に声を張り上げて言い訳する。クソ、こんな理不尽な事があるかよ。


「落ち着くのだ! 勇者殿もこう言っておられる!」


 俺の言い訳と、ラーレイスカ陛下の声により周囲は落ち着きを取り戻す。もうなんか泣きたかった。


「臣下の非礼を詫びる。どうか許して欲しい勇者殿」


「⋯⋯こちらこそ」


 まあ⋯⋯いくら苛つこうが、頭のおかしな事を言われようが、いきなり手を出したこっちが悪いだろう。いや、悪いか? 悪くなくない俺?


「ふざけんなっ」


「あいたっ」


 釈然としない気持ちでいると、そう言われながらカリエス王女に頭を叩かれた。


「ふふ、これが勇者様の世界では親愛の挨拶なのですね」


 クソかわいいけどクソイライラする。

 はにかむカリエス王女を見て、煽りかと思った。


 しかし自業自得でもあるので、俺は怒りを堪えて彼女に笑みを返しておく。人を拉致しといて笑ってんじゃねぇぞこらおいこらお前。


「⋯⋯あの、もし本当に、ここが⋯⋯その、別世界だとしたら、何で言葉が通じるんですかね⋯⋯」


 流石に夢ではないことくらいもうわかっている俺は、力なくそう訊ねた。まったく悪い夢だ。


「それは、翻訳魔法のおかげです」


「便利っすね」


 もう驚かないよ。


「⋯⋯もとの世界に戻る方法は?」


「申し訳ございません⋯⋯それは⋯⋯魔王を倒さなければ⋯⋯」


 なんでやねん。

 いやなんでだよ。

 どんなシステムだよ。


 おい、心苦しそうに眉を歪めて肩を落としてんじゃねぇぞ王女こら。国王もお前おいこら。なんて事やらかしてくれてんだこら。良心の呵責とかなかったのかこら。


「ふー⋯⋯」


 目を閉じ、大きく息を吐き出して気持ちを落ち着かせる。


 まあ、まあいい。

 考えてみれば俺は別に元の世界に特別な未練はない。両親は早くに他界したし、兄弟もいない。友達は居るけれども、親友と呼べる相手がいたかは微妙だ。恋人も居なかった。仕事先には多少申し訳ないが、俺が居なくとも別に会社は回るだろう。俺は、元の世界ではごく普通の一般人で特別な人間ではない。

 とはいえ、生活は安定していたし不満があったわけでもなかった。なのに突然こんな世界に呼び出された事には怒りが沸くが、こうなってしまったものはもう仕方ない。前向きに考えよう。


 そうやって無理矢理自分を納得させ、再び目を開ける。カリエス王女が心配そうにこちらを覗き込んでいた。ぶん殴っていいだろうか。


「⋯⋯俺は、元の世界だとただの一般人ですよ」


 そもそも魔王倒すってなんだよ。ゲームかよ。俺が勝てるわけねぇだろせめてコントローラーをよこせ。


「大丈夫です! 勇者様にはこの世界に渡った際に、特別な力が与えられたはずです!」


「リアリー?」


「リアリー!」


 すげぇな翻訳魔法。

 イングリッシュもノープロブレムじゃないか。


 それよりも、特別な力だと?

 大いなる力には大いなる責任が伴うんだぞおい。よくわからん貰い物の力なんて普通に嬉しくないんだが。 


 カリエス王女は、両手を広げて女神の様な微笑みを俺に向けた。今ならその立派なおっぱいを触っても許して貰えそうだ。また挨拶ということにしてしまおうか。いや、流石に厳しいか⋯⋯。


「さあ! おっしゃってください! ステータスオープンと!」


「なんで?」


「⋯⋯そうおっしゃらずに、さあ!」


 質問に答えろや。

 まあ確かに今のは意地悪だった。

 ごめん、おっぱいの事考えてたから。


 どこまでもやる気が出ず、周囲のテンションとあまりにも大きな隔たりがある俺は、渋々言われた通り口を開く。


「ステータスオープン」


 ⋯⋯本当にゲームみたいな世界だな。

 俺は自分の前に表示されたいくつかのウィンドウのような物を見てそう思った。


 ご丁寧に『森田雅也モリタマサヤ』と、俺の名前が表示されている。


 指で軽く触れてみると、どうやらタブレットのように操作できるらしい。ぎこちなく動かしながらも、表示されている文字列を読んでみる。


 レベルまであるのか。

 どうやったら上がるのか知らんけど。どうせ危険が伴うだろうし上げる気もない。

 当然ながら、何もしていないからレベルは1だ。ということは、これは特別な能力とやらではないだろう。


 レベルの下にあったステータスとかいう見てもよくわからん能力値はスルーし、更にスクロールする様に読み進める。


 すると、とある項目を見つけた。


 なるほど、これだろう。

 ウィンドウのようなものには、スキルという欄が存在した。


 さて、いつの間にか植え付けられた何を根源としているのかすらわからん不気味な贈り物は――


「⋯⋯⋯⋯」


 与えられたらしい力を確認し、俺は眉間を指で摘んだ。どうやら、ここまでの怒涛の展開で疲れておかしくなっているらしい。

 眉間を揉みながら頭を軽く振って、俺は気持ちを切り替えてもう一度自身の能力を確認した。


 《全自動カレー製造機》


「⋯⋯⋯⋯すぅーーーーー」


 再び眉間を揉みながら、歯の隙間から細く長く息を吸い込む。


 確かにカレー作ってたけども。

 ここに来る直前まで、カレー作ってる途中だったけども。


 はい詰みました。

 クソゲーじゃねえか。


 いやまあ凄い能力だよ?

 どうやら俺は手から様々なカレーを生み出せるらしい。

 無から有を生み出す。凄い力だ。もう二度と食料には困らないだろう。


 でもこれでどう魔王と戦えと?

 勇者に与えられる力? これ?


 しかも説明を読んでみると、1食分出した後は、10分程インターバルを置かなければならないらしい。これじゃ効率悪すぎて質量攻撃も現実的ではないだろう。一切戦闘の役には立たなさそうだ。


 やはり俺は、勇者などではないらしい。


 しかしどうしたものか⋯⋯。


「勇者様! 一体どのような力をその身に宿されたのですか?」


 カリエス王女がきらっきらした瞳をこちらに向けてそう訊ねてきた。ラーレイスカ陛下も、周囲の人間も皆が期待に満ちたような眼差しを向けてくる。俺は返答に窮した。


 いや、なにその⋯⋯魔王とやらと戦っているのであれば、食糧問題なんかもあるだろうし、まったく役に立たないどころか優れた力になるとも言える。ただし魔王は絶対に倒せない。そもそも、カレーというものがこの世界には存在しているのだろうか。伝わるのだろうか。伝わったとしても、リアクションが怖い。


 だから呼び出す相手絶対に間違えてるんだって。


「はぁ⋯⋯」


 俺は悩みに悩んだ末、一つ息を吐いた。複数のウィンドウが勝手に消える。どうやら一定時間操作しなければ自動で閉じるらしい。便利だね。


 もういいや、もう面倒くさい。正直に言ってしまおう。誰が悪いかと言えばこいつらが悪い。


「どうやら⋯⋯カレーを、手から出せるみたい、ですね」


 不思議そうにこちらを見ていたカリエス王女に、自分で言っていて頭がおかしくなりそうな答えを返す。


「か、れー⋯⋯?」


「あ、カレーっていうのは、食べ物のことで――」


「そんな事はわかっています!!」


 あ、カレーあるんだ。


 愕然としたように目を見開いたあと、堪えきれないかのように大声で俺の説明を遮ったカリエス王女は、その場にへたりと座り込み俯いた。


 周りを見てみれば、皆が彼女と同じようなリアクションをしている。顔を手で覆っている者もいれば、膝を落としている人もおり、中にはあまりのショックに気を失ったのか、倒れ込んでいる人も居た。


 なんかすいません本当。


 多分、俺を異世界から呼び出すのは簡単な事ではないのだろう。なのに偏見にも程があるが、やってきたのは「ナマステ」とか言いそうな奴だ。立場が逆なら俺もそうなる。


 でも悪いのはお前らだかんな!

 俺は悪くないからな!


「なん⋯⋯と⋯⋯」


 そう思っていると、ラーレイスカ陛下が膝を落とした。口をパクパクとさせながら、こっちを見ている。俺はさっと顔を逸らした。


「そんな⋯⋯まさか⋯⋯」


 首をゆっくりと横に振りながら、ラーレイスカ陛下がうわ言のようにそう呟く。


「⋯⋯もはや⋯⋯貴方は勇者様ではありません⋯⋯」


 うん、だから最初からそう言ってる。

 俺は悪くねぇ!!


 俯き肩をわなわなと震わせながら、カリエス王女がぽつりと声を漏らす。


「――神様ですッ!!」


「は?」


 そして、勢い良く顔を上げると、涙を流し両手を胸の前で組みながら感極まったようにそう言った。俺は脳がバグを起こしたのかと思った。


「こうしてはおれん! 宴の準備だああああああああああああッ!!」


 ラーレイスカ陛下が、膝を落としたまま両手を掲げ、天を見上げながら咆哮する。サッカーのシュート決めた人みたいになってる。


 途端に騒がしくなった周りを混乱しながら見回すと、皆、喜びを全身で表現していた。抱き合って涙を流したり、アメフトのタッチダウン決めた選手みたいに踊っている人もいる。何だその巧みなダンス。何だそれムカつくな。鎧をガチャガチャ言わすな。


 まさに、狂喜乱舞ってやつだった。初めて見たかもしれない、生の狂喜乱舞。


「主よ⋯⋯感謝致します」


 何が起こったのかわからず呆然としていると、そう言いながらカリエス王女が立ち上がった。


「ヘーイ! 神様ヘーイ!」


 何だそのテンション。

 キャラ変わってんぞおい。


 そして、跳ねるように両手を上げながら俺へと近寄ってきた。


「ヘイヘーイ!」


 こいつ、イカれやがった。

 俺は自分の前で、両手を上げたままそう声をかけてくる彼女を見ながら、恐怖を覚えた。


「ヘイヘイヘーイ!」


 しつけぇ。


 カリエス王女はどうやらハイタッチを催促しているらしく、応じない俺にウィンクしながら何度も声をかけてくる。仕方なしに、俺は両手を上げて彼女と合わせる。


「ヘイ! ビシバシグッグ! ガッガッピン!」


「まってわかんない。そのブラザーとやりそうな練習必須のハイタッチはわかんない」


 俺がまったくついていけない熟練者のハイタッチをカリエス王女は繰り出してきた。俺の脳もイカれそうだった。


 そのまま、彼女もアメフトチームのようなダンスを踊り始める。


「まてこら」


「あいたっ」


「王女殿下に何をッ!!」


「やかましいわ」


 流石にキレてキレキレのダンスを踊るカリエス王女の頬を叩く。周りがハッとしたように再びそう言ってきたがもう知らんわ。お前らが何なんだよ。


「説明をな、説明を寄越せ。何だお前らは、何でそうなった。何でイカれたのかまず説明しろ」


 俺が怯まずそう言うと、周囲は静まり返り顔を見合わせる。カリエス王女が頬に両手を当てたまま、俺を信じられないような目で見てきた。


「⋯⋯だって、カレーですよ⋯⋯? それ以上の説明が、必要なんですか⋯⋯?」


「必要不可欠だわ。お前らにとってカレーって何なんだよ」


「神です」


「どういうこと!?」


「カレーは、神の創造した料理なのだ」


「待って陛下。真面目な話? 顔はマジだけどそれ真面目な話? この世界ではカレーって神が創ったの?」


 俺は、いつの間にか立ち上がって厳格な表情を浮かべていたラーレイスカ陛下に、頭痛を覚えながら訊ねる。


「いや、違うが⋯⋯」


「何なんだよ! じゃあ何でんなこと言ったんだよ!」


「比喩表現というやつだ」


「その厳かな顔をやめろ! 腹立つ!」


「本当はですね、カレレ・カレレレーという料理人が――」


「いらねぇ! もう説明いらねぇ! 名前だけでお腹いっぱいだよ!」


「カレーも食べていないのにか」


「やっかましいわ!!」


 俺は、肩を激しく上下させながら、大きく荒れた息を整える。そして、怒りのままに再び声を張り上げた。


「もう何なんだよお前ら! 何なんだよこの世界! 魔王と戦ってんだろ! カレーで喜ぶなよボケがぁッ!!」


「無理を言うな」


「どこが!?」


「其方は神の力を手に入れたのだぞ」


「これだぞ!!」


 ブチ切れて能力を使い、両手にカレーを出してラーレイスカ陛下の前に突きつける。俺の両手に直に乗ったカレーライスは、湯気を立てているが手に熱は感じなかった。というか、手からカレーが出るって本当にそのままの意味かよ。皿に盛られた状態とかじゃないのかよ。


 辺りには、カレー特有のスパイスの香りが広がり、ラーレイスカ陛下は目を見開いて懐に手を差し込む。そして、一枚の皿を取り出した。


「ここに」


「何で皿持ち歩いてんだよもう!!」


 至極真剣な表情で促され、俺は皿にカレーライスを盛る。もうヤケクソだった。


「お父様、ここはこの国1番のカレー舌を持つ私が」


「カレー舌って何だよ!」


「うむ、ファーストカレーコンタクトは其方が相応しい」


「ファーストカレーコンタクトって何だよ! お前ら絶対今思いついただろ!」


 俺の目の前で、ラーレイスカ陛下がカリエス王女に皿に盛られたカレーを渡し、彼女は懐からスプーンを取り出す。そして一度瞳を閉じると、次の瞬間にはカッと見開いた。


「いざ、カレーオフ」


「ティップオフか!? それともキックオフか!? なあ何とかけてんの!?」


「さあカリエス、スプーンをまずは口の中で温めていく」


「お前は何なんだよジジイ!!」


 突然すっと側に現れ、黒ローブのジジイが実況を始め、俺は頭がおかしくなりそうだった。


「やはりこの辺りは流石ですね。殆ど唾液をスプーンに付着させておりません」


「だから!?」


「初歩的な技術だが、だからこそ如実に差が表れる部分だ」


「お前が解説すんのか陛下!!」


「おっとしかしここで、カリエス選手の手が止まった」


「選手!? 何の!?」


「これは一体どうしたというのでしょうか。普段の彼女ならば見られない躊躇うような姿です。早くしないとマウスカレーの効果が薄まってしまうぞ」


「待って! 専門用語使わないで! わかんない!」


「無理もない。スキルにより生まれたカレーライス。幾千もの修羅場を」


「カレー食ってきただけだろ!」


「超えてきたカリエスだからこそ、ファーストカレーオフをどの位置から行うか迷うのは道理」


「策士策に溺れたという事でしょうか。ここに来て豊富な経験が仇となった!」


「もうお前ら本当は日本人だろ!」


「しかし、しかし流石はカリエス選手! 迷ったのはほんの一瞬でした!」


「だいぶ喋ってたけどな!」


「ほぅ⋯⋯」


「感嘆の息を漏らすな!」


「再び動き出したカリエス選手。おーっとぉ⋯⋯これはぁ?」


「はよ言えや! ためんな!」


「バードダイブ! バードダイブの体勢です! 最も基本的で、最も難易度の高い手法を、初めてのカレーライスを前にして選んだぁッ!!」


「傲岸不遜、大胆不敵、剛毅果断⋯⋯!」


「何っ!? 何!? 俺でもわかんない四字熟語ある!」


 カリエス王女は、スプーンを指3本で摘むように持つと、カレーライスの上に持ち上げ中心に運んだ。そして、鋭く息を吐き出しながら真っ直ぐにルーとライスの境い目に一切のブレなく差し込む。


「いったああああああああカレーオフぅううううううううううう。これはかなりの芸術点が期待できますね!」


「誰が採点してんだよ!」


「さあ、しかしここからが難しい所ですよ。少しでもズレてしまえば、カレーダウンを取られますからね」


「だから専門用語を出してくるな!」


「⋯⋯美しい」


「やかましい!」


 カリエス王女は、差し込んだスプーンをクルリと回転させ、綺麗にライスとルーをくり抜くように掬った。あんなものがカレーライスを食う際の基本であってたまるか。


「カレーダウンなし! カレーダウンなし! 一切のカレーダウンなし!」


「何なんだよカレーダウンってぇ!」


「減点どころか加点が入る領域です! やはり! やはりやはりやはりカリエス! カレーライスに置いて彼女の右に出る者なし! 絶対王者ここにあり! やはりカリエス強かった!」


「ねぇええええ! 説明してえええええ!」


「さあ、完璧を超える完璧を見せつけたカリエス選手! 果たして彼女を待つのは、一体どんなカレンパクトか!」


「カレーとインパクトか!? なあ! カレンパクトってそうなのか!?」


「いざ、実食です!」


「そこもなんかカレーとかけろや!」


 実況のジジイの声と共に、カリエス王女はその艷やかな唇を開き、スプーンを口内に運んだ。

 瞬間――


「うっ」


 目を見開き、その場に崩れ落ちる。先程まで固唾を飲んで見守っていたギャラリーにどよめきが広がった。


「何だ⋯⋯! 何があった⋯⋯!」


 俺に教えてくれ。


「勇者殿⋯⋯! 王女殿下に何をした⋯⋯!」


 知るかよ。


 ねえ、ていうかこれは今もう真面目な流れなの? 空気切り替わったの? それともまだふざけてるの?


「まて! もしやこれは⋯⋯」


 ラーレイスカ陛下が周囲に待ったをかけ、カリエス王女の側にかがみ込み、自身も懐からスプーンを取り出した。そして、震える彼女の手に未だ持たれていたカレーライスを掬い口へと運ぶ。良く食えるなあんた。俺が言うのもなんだけど、毒だったらどうすんのあんた。


 目を閉じ咀嚼し、カレーライスを飲み込んだ陛下は、得心がいったかのように深く頷くと立ち上がった。


「勇者殿は何もしておらぬ! これはそう⋯⋯このカレーライスはそう⋯⋯甘口であったのだ!」


 だから何だよ。だから何だよ。


「カリエスは辛口が好み、この反応も無理はなかろう」


 無理はあるよ。

 好みじゃなかっただけで大げさなんだよボケ。

 ばーか、ばーか。


「カレーライスは、辛えものなのです⋯⋯」


 お前も中身日本人のおっさんだろ王女。やかましいわ。


 ふらふらと立ち上がったカリエス王女は、未だカレーライスの皿を抱えたまま口元をナプキンで上品に拭う。


「しかし⋯⋯辛さを除けば、非常に美味なカレーライスです。点数はそうですね⋯⋯9.2といったところでしょうか。私好みの辛口になれば、満点がついてもおかしくはありません」


 体操かな?

 100点満点にしろや。


 カリエス王女の採点にどよめきが上がる中、俺は何処までも冷めた気持ちでそんな事を思っていた。


「勇者殿、甘口以外のカレーは出せぬのか?」


 知るかボケ。

 確か様々なカレーを出せるスキルだし、多分出せるけど知るかボケ。


「勇者⋯⋯いえ、神様どうか⋯⋯!」


「くるなくるな! 擦り寄ってくるな! わかった! わかったから! ステータスオープン!」


 カレーライスを陛下に手渡して、こちらに歩み寄ってくるカリエス王女を両手で制止しながら、俺は再び自身のスキルを確認する。


「あー⋯⋯えーっと⋯⋯レベルが上がれば出せるみたいですね⋯⋯」


「誰か疾く勇者殿に魂を差し出すのだ!」


「待って、怖い。陛下、怖い」


「早くしろやカス! おい! そこのお前! お前でいいお前だお前! さっさと――」


「やめてやれやボケ」


「あいたっあいたっ」


 俺は豹変した王女の頬を、2回叩いた。


「王女殿下に何をッ!!」


「何なのお前らの忠誠心! 助けたよね俺!?」


 すると、王女に指さされていた者にまで睨まれる。もう二度と止めてやらないからなクソ!


「はぁ⋯⋯えっと、レベル2で中辛、レベル3で辛口、その後はシーフード、ビーフ、チキン、バター、キーマ、ベジタブル⋯⋯とにかく、最終的にはありとあらゆるカレーが出せそうです。一応」


 大きく息を吐いたあと、スキル説明を読みながらそう言うと、大気が震えるほどの歓声が上がった。もうやだこの世界。感極まったようにカリエス王女が抱き着いてきたが、おっぱいの感触も今や俺を癒やしきれはしなかった。


 現実逃避しながらぼんやりとスキル欄を眺め続ける。


「⋯⋯ああ、これは面白い。カレーうどんも出せるみたいですよ」


 俺はカレーうどんは大好きだ。要求レベルは高いが悪くない。


 しかし、俺の予想を裏切り、周囲のリアクションは微妙なものであった。皆が微妙な表情を浮かべて首を傾げている。


「あ、はい⋯⋯」


 俺に抱きついたまま、カリエス王女が興味無さそうにそう呟いた。何だよ、カレーうどんの何が悪いんだよこら。


「ああ、もしかしてうどんがない⋯⋯」


「いえうどんはあります」


 あるんかい。

 だったら何なんだよその反応は。


「ただ⋯⋯カレーうどんは汁が付くじゃないですか⋯⋯」


 付かないように食えよ。

 それだけの理由でカレーうどん嫌ってんのかよ。何なんだよもう。


「じゃあ⋯⋯カレーパンは⋯⋯」


「カレーパン!?」


 訊ねようとすると、王女はばっと俺から離れて距離をとった。ああ、おっぱいが⋯⋯この世界最後の癒やしが⋯⋯。

 しかし、何故皆はそんなに俺を睨んでいるのか。明らかに憎悪の篭もった瞳で。

 カレーパンも出せるみたいだから訊こうとしただけなのに。


「カレーパンなど、あり得ぬ!!」

 

 陛下が何か言った。どうやらカレーパンは禁句だったらしい。禁忌の食べ物なのだろうか。もうどうでもいい。


「見損ないました!! カスッ!!」


 そこまで言う?


 さっきまでデレデレとくっついて来ていたカリエス王女は、顔を醜悪に歪めて俺に唾を飛ばしてきた。情緒どうなってんだこいつ。


「こいつを捕えろッ!!」


 そこまでやる?


 陛下の声と共に周囲の人間が俺へと一斉に迫ってきた。何やら呪文を詠唱している黒ローブも居る。俺は迷う事なく脱兎の如くその場から逃げ出した。


「あいたっ」


 一目散に駆け、ついでに王女に平手打ちをかまして両腕を身体の前で交差させてステンドグラスの窓に突っ込む。


 どうやら、随分と高い建物の中に居たらしい。外に飛び出した俺の目の前には、異世界の雄大な景色が広がった。砕けたステンドグラスもキラキラと舞うその光景は、こんな狂った世界なのにとても美しく、俺の目からは何故だかちょっとだけ涙が零れ落ちるのだった。







 その後、俺は走った。アテもなく、ひたすら走って走って走って逃げた。とにかくこの狂った世界から、逃げ出したくてたまらなかった。

 異世界へと召喚された特典は、どうやらカレーを出す能力だけではなかったらしく、俺の身体能力は異様な程に高くなっていた。そのおかげで不慣れなサバイバルでも苦労する事はなく、半分野生化したような生活を送りながら、あのイカれた国から遠ざかった。道中、何か変な生き物に襲われる事もあり、それを倒している内にレベルも上がったらしい。今ではカレーパンもカレーうどんも出せるようになっていた。


 そして――


「ほう、お主が人間共が召喚したという勇者か」


 魔王に捕まっていた。


 どうやら、いつの間にか人族と敵対しているという魔族の領域に入り込んでいたらしい。あれよあれよと言う間に捕らえられ、魔王の前に連れてこられた。


 しかし⋯⋯思っていたよりも魔族は優しいようだ。捕まった時俺のスウェットはもはや布切れ状態で、ほぼ全裸だったのだが、魔族の皆は上等な服を与えて着せてくれた。伸び放題だった髪や髭も整えられ、噂は聞いてるよ、大変だったねと優しく声をかけてくれた。俺はまた、涙が出た。


 確かに魔族は角やトゲ、ヒレみたいなものや牙や爪を持っていたり、獣毛が覆っていたりと、人らしくない容姿の者も居るが、基本的には二足二腕であるし、ちょっと個性的な人間だと思えば怖くない。言葉も通じるし、何より温かい。魔族って温かいんだ。


 俺、魔族側につくよ。もう人側には帰りたくない。


「はい、ですが敵意はありません。人族にしか」


 魔王城の大広間で、俺は大きな椅子に腰掛けた魔王様の前に跪いていた。魔王城の内部は不気味な⋯⋯ドラキュラ城のような内装だが、ここは温かいんだ。


 腰の辺りから小さなコウモリのような羽を生やした、銀髪の少女――魔王様は満足そうに微笑んで脚を組み替える。八重歯がチャーミングだ。


「そうかそうか、では、我の臣下となり、このパーレンカ魔導国に尽くすと良い」


「仰せのままに」


「ふぅん、中々にういやつじゃ。能力も申し分ないしの。可愛がってやるぞ」


「有難き幸せ」


「では早速じゃ、お主の能力を見せてもらおう」


「何を致しましょうか」


「カレーパンじゃ。カレーパンを出すのじゃ」


「え」


 俺は、嫌な予感がして顔を上げる。すると、魔王様は恍惚としたような笑みを浮かべていた。


「くくく、まったく良い拾いものをしたのぅ。カレーパンの良さがわからぬ愚か者どもめが。目にモノを見せてくれよう」


 そして、そのまま高笑いする。


 あーなるほど、こっちはカレーパン派なのね。


 俺は何故争っているのかを理解し、力ない笑みを浮かべる。


 はー⋯⋯まったく⋯⋯ 


「世知がれー・・・なぁ⋯⋯」


 そして、そんなしょうもない事を呟いてしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界に召喚されたら手からカレーが出た 高葉 @kamikire

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ