04 決戦への応援コメント
新田義貞。私の好きな武将です(なぜメフィラス構文)
子供の頃に読んだ歴史マンガによって付いた彼のイメージは、「単独で鎌倉を堕とし、後には後醍醐天皇への忠義を違えなかった悲劇の猛将」でした(大河ドラマの太平記は記憶にないんですよね……。時期的には中学生だったんだけどなー)
それが成人して以降知識が増え、またインターネットが一般化するにつれ「日本史好きの間じゃ脳筋扱いなん……? まあ政治力ないし残当かもしれんけど、悪いとこばっかり見ようとしてないか?」と納得しつつもどこかモヤっておりました。
しかし今、御作の新田義貞三部作によって払拭されました!
田舎の気の良い兄ちゃんみたいな義貞が、読んでて楽しかったです! ありがとうございました!
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
ちなみにこの話を書くまでは「新田義貞? ( ´_ゝ`)フーン」という態度だった私です(笑)
何というか、私の場合は吉川英治「私本太平記」に影響を受けて、悪い人じゃないんだけど何かここぞという時にメンタル弱め、という印象でした^^;
それでも、このお話を書くにあたって、いろいろと調べたり考えたりした結果、こんな描写になりました。
少なくとも、鎌倉攻めの時の彼は輝いていましたし、才も運もある、とんでもない武将だと思いました。
……そんな彼を「食ってしまう」、高氏こそが異常で化け物だった、ということで^^;
まあ、それはさておき、田舎のヤンキー(笑)・新田義貞、拙作中では描写していませんが、幕府から「金だせやゴルァ!」と言われてブチ切れて、幕府に不運(ハードラック)を食わせる特攻野郎と化してしまいます。
そこから先は、「”待”ってたぜェ! この瞬間(とき)をよオ!」とばかりに特攻特攻、また特攻により、ついに鎌倉を陥として倒幕達成(笑)
そんな義貞を書いていて、私も楽しかったです。
こちらこそ、ありがとうございました!
04 決戦への応援コメント
通して拝読いたしました。
各話とも、4000字でこれほどの臨場感を出せるのは凄いですね。
こめんとが端的でいちいちカッコ良いためかと思っています。
〆の「いざ鎌倉!」いいですね!
しかし、猪突猛進新田義貞かと思わせて、調査の上で霧を意識した奇襲に、敵側に布陣させた協力者との挟撃。
一介の猪武者ではなかなかに為し得ない作戦な気がしますが、戦場では思考が活性化するタイプなのでしょうか。
確かに、ヤンキー武将達には人気が出そうな大将に思えてきます。
ありがとうございました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
4000字という縛りがあるので、逆にスピーディに話を持って行かないと、すぐ終わってしまうという感じなのです^^;
そのため、コメントとかもスパッとした感じになりました。
「いざ鎌倉」は、ぜひ使いたいと思っておりました(笑)
本来的な意味とちがって、鎌倉へ攻め込むという意味になっちゃいましたけど^^;
分倍河原における新田義貞の策士ぶり。
まあこの時は神がかっていたというのもありますけど、やっぱり「戦場感覚」みたいなのが尋常じゃなかったのでは。
楠木正成も「アイツ(義貞)なら鎌倉陥落できたのは当たり前」という趣旨のコメントをしていますし、少なくとも戦場での嗅覚は凄かったのでしょう。
おっしゃるとおり、ヤンキーな坂東の武士たちからすると、「コイツについていけば勝てる! しかもノリノリだぜ!」とモテモテだったのでは(笑)
こちらこそ、ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
こんばんは、御作を読みました。
かくして新田義貞は魔王鎌倉幕府を倒して、勇者となった。めでたしめでたし。
(別記。なお、勇者が宮廷活動できるか、政治能力のある仲間がいるかは、触れないこととする)
って、感じですね!
四谷軒様の描かれる新田義貞は、実に熱いアンちゃんでしたが、同時に……まるで根回しできてないし、猪突猛進だよね! という彼の在り方をさらりと描いていて、実に巧みでした。
でも後世まで考えたら、武士の鑑みたいな扱いで、めっちゃ勝ち組のような気もしますね。好きに生きて、英雄になった。ならばきっと彼の一生は幸いだった。そう思います。面白かったです。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
北条高時「さあ来い! 実は僕、田楽を見ないと死ぬぞ!」
新田義貞「うおおお行くぞ!」
……義貞の勇気が建武の新政を開くと信じて。
四谷軒先生の次回作にご期待……って、ちゃうわ!(笑)
まあ、田舎のヤンキーが上京して、最強の不良(とその四天王)をぶちのめすという、ある意味王道ストーリーの主人公ですからね、義貞。
で、最強になりました→今度は政治頑張って下さい→「ちがう漫画だよそれ!」と言いたくなったでしょう、義貞(笑)
応募した賞の関係で、4000字という字数制限がありましたので、いっそのこと、速戦即決、速攻の猛将という面をアピールする方向になりました。
たまに鼻が利くという演出をしましたが、まあこの時期の義貞は神がかっていたし……と自分に言い訳をして(笑)、とにかくロケットで突き抜ける義貞を書けて、私も満足でした^^;
無名の御家人だった義貞が、まさかの首府・鎌倉陥落とか、たしかに武士の夢みたいなのを、あの若さでかなえているのが凄いですね。
その後の人生はアレですけど、それはそれで波乱に満ちた人生を送れたというのは、やっぱり義貞の豪運というかキャラというか……「凄い」の一言ですね。
本人的には田舎のヤンキーの気分で生きていたんでしょうけど(笑)
ありがとうございました。
編集済
03 画策への応援コメント
こんにちは、御作を読みました。
うわあ、大多和さん、高一族からの出向だったのか。こんなところにも仕込んでいたのか……(^◇^;)
今では「天下取りの動機」としては、疑問視されている、今川了俊が見た「家時の置文」ですが……。
義家云々は捏造だったかも知れませんが、おそらく「北条から天下を取り戻せ」という文自体は有ったんじゃあないかなあ、と私は思っています。
北条家との仲が拗れた尊氏の高祖父、足利泰氏の時代から、少しずつ少しずつ勢力を伸ばして、家を整理して、東北から九州に至るまで種を蒔いた。
その収穫期が、ついにやってきたのでしょう。
でも、果たして尊氏が望んでいたのかは、わからないんじゃないかなあ。
本作中でも書かれてますが、尊氏は新田義貞が鎌倉幕府を終わらせるのでも構わない、そう判断していたふしもありますし。
面白かったです。次回がクライマックスかな。楽しみです。
作者からの返信
大多和さん、「相模」の三浦一族に潜り込まされた時点で、高師直の差し金とお察し下さいとしか言いようが無いという……^^;
ホントは、本命の千寿王のために動くのが筋だったんでしょうね。
拙作では高氏の切り札みたいにしましたけど^^;
「置文」については、「文」というか家訓というか、悲願みたいなモノが伝わっているんじゃないかと思います。
でなきゃ、今川とか一色とか斯波とか、全国に触手を伸ばさないでしょうし^^;
でも尊氏がその「置文」についてどう思っていたかというと……彼に兄・高義がいたという時点で、距離を置いていたのかもしれません。
あるいは兄・高義が亡くなり尊氏が次期当主になって知らされて「ええ……」とか思っていたのかも。
そんなバックグランドがあったからこそ、尊氏は「やる気がない」、「足利家という存在を懐疑する」、複雑な足利家当主になったのでは、と思います。
ありがとうございました。
02 堀兼への応援コメント
こんにちは、四谷軒様。御作を読みました。
へえ、大多和義勝。そんな人物がいたのですね……。
北条氏は勝ち続けてきた一族です。
比企梶原畠山三浦……、多くの家が彼らに敗れ、足利家に保護された。
北条は勝利し続けることで恨みを育て、宿敵を育て続けたと言い換えることも出来るでしょう。
北条義時と足利義兼は、奥州藤原を討伐したツーカーの戦友ですが、そんな黄金の記憶は血塗られた現実が塗りつぶした。
ならば、溜まりに溜まった因縁が清算されるのも道理。なんちゃって(°▽°)
空気の読めない人がねー、ただ強いだけの、とんでもなく強い人が足利と北条の因縁なんて知ったことかと、やっちゃうからねー。
どうやっちゃうのか、次回が楽しみです。面白かったです。
作者からの返信
大多和義勝さん、実は養子です。
三浦の一族である大多和、ここに養子に来た彼の実家……これが問題です。
やっぱりお前かよ、と言いたくなる出自です^^;
執権北条家は内訌、あるいは争覇の戦いを繰り広げて勝ってきました。
一方で足利家は源家の元締め(頼朝の系統は置いておいて)として、力を蓄えてきました。
ある意味、頼朝が生きている間はみんな幸せだったんでしょうね。
でも不世出のリーダーが亡くなり、その後継者も絶えたら、そりゃあもうバトルロワイアルなんだろうなぁ、と(笑)
北条家としては、足利家を先鋒にして承久の乱に勝ったというジンクスを大事にしていたらしいんですけどね……それが高氏出陣という、後世からすると「それやっちゃアカン」をやってしまい……^^;
まあ、おっしゃるとおり、「そんなの関係ねぇ!」っていう、上州の空っ風みたいなあんちゃんが、鎌倉までロケットで突き抜けてしまうという大番狂わせが起きちゃうんですけどね(笑)
ありがとうございました。
01 敗走への応援コメント
こんにちは、四谷軒様。御作を読みました。
早速負けてるー!? >▽<
前作までの上り調子はどうした?
と言わんばかりの急転直下ですが、むしろ勝ってきた方がおかしいんだよね……。
泰家さん登場ですね。興味深い人物です。
京都六波羅探題に将の大半を派遣して(尊氏に一掃されて)、文官が残った鎌倉の北条家にとって、貴重な前線指揮官もやれる大将です。
陰謀家としての側面がクローズアップされがちですが、疑いなく組織統率能力はあったでしょう。
分倍河原決戦、どのように描かれるのか楽しみです。
面白かったです。
作者からの返信
さすがに多摩川を抜かれたらマズい、というのが鎌倉幕府勢の共通する想いでしょうね。
まだ関戸の関がありますけど、そこまで来られたら、さすがに相模を守れるのかどうか疑われて、延いては執権北条家のガバナビリティはもうアカンと思われるでしょうし^^;
……そんなわけで、幕府軍も必勝を期して「あの」北条泰家を投入。
ガチで強い泰家に、まともに大軍を率いられたら、そりゃあこれまでごり押しとラッキーパンチでやってきた新田義貞も逃げるしかない訳です。
泰家としては、ホントは京へ行って足利と戦いたかったんでしょうけどね。
そうすれば、承久の乱の再演&鎌倉幕府大勝利、泰家執権就任という希望の未来へレディゴーだったかもしれなかったのに……^^;
新田義貞というダークホースが、まさかお膝元の関東を荒らし回るとは、誰にも予想できなかったんでしょう。
足利家としても、千寿王脱走&大軍編成、そして鎌倉へのプレッシャーという考えだったんだろうに……。
さて、そんな状況ですが、義貞も何も考えていないわけではなく、合戦という生き物のにおいへの嗅覚が働きます。
一方で、京で蠢動する、やる気はないけどやる気出すとヤバいアイツが何事かを画策しているようです(笑)
ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
「いざ鎌倉!」
この言葉は鎌倉時代前~中期には、幕府の命で合戦にはせ参じる言葉として使われていたとされていますが、ここで幕府の命脈を尽きさせる新田義貞が使うというのは歴史の皮肉が効いています。
河川の霧を衝いての朝駆けと言う点で第4次川中島の戦いに相通ずるものがあります。
違いは伏兵として置いていた三浦勢を使った挟撃という部分ですが、霧で混乱している最中に挟撃されてはひとたまりもありません。
条件を読み切った新田義貞、勝つべくして勝った戦いですね。
作者からの返信
コメント付きレビュー、ありがとうございます。
新田義貞は、鎌倉陥落までが頂点で、そこから先、建武の新政、建武の乱と落ちて行く……そんな印象です。
そのせいか、「新田義貞の」鎌倉攻めとまでいわれる鎌倉討伐行について、誰も描いていません。
これはもったいないことだな、と思い、また、マイナー好きの悪癖が発動して、このたび、武蔵野賞という機会を得て、書かせていただきました。
で、義貞、神がかり的に合戦がうまい(尊氏相手の戦いは、相手が悪いからアレですけど)。
特にこの鎌倉攻めにおいては、時代の寵児と言わんばかりに、気候も味方して、ガンガン行きます。
で、たしかに、骨惜しみなく陣頭に立ち、殿を務め、機を見るに敏です。
4000字しかないという裏事情もあって、合戦シーン中心になりましたが、逆にそこを濃密とおっしゃっていただいて、まことに恐縮です^^;
さて、いざ鎌倉、この言葉を使いたかったのです。
折角の鎌倉攻めなので、この言葉を逆用(?)すれば面白かろ……と思ったのです^^;
おっしゃるとおり、鎌倉を陥落せしめた義貞が使うと、皮肉以外の何物でもありません(笑)
霧中の朝駆け、これはネタ本の「埼玉の歴史ものがたり」に書いてあったので、そのまま採用しました。
そう言われると、たしかに第4次川中島ですね^^;
しかし、三浦勢の参戦という手札を得て、そしてまた霧の発生を利用して、奇襲&挟撃……まさに神業ですね。
楠木正成が後日、義貞が鎌倉を陥落したのは当然であると激賞しているのも、このあたりにあると思います。
ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
こんにちは。
新田の鎌倉攻め、そして南北朝の両雄の片や深謀遠慮、片や鮮やかな前線の将らしさが垣間見えるエピソードを楽しませていただきました。
大局観や人の寄らしめ方では高氏が勝るようですが、こと戦に於いては義貞も劣るものではなかったのだろうと想像しました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
鎌倉攻め、現場で猪突猛進する新田義貞だけでは何だしなぁと思い、wikipediaに載っていた、高氏の暗躍説も盛り込んでみました。
ちょっとスケール感が出るかな、と思って構成しましたが、そのあたりをお楽しみいただけたようで何よりです。
高氏と義貞、おっしゃるとおり、高氏は名門足利家を率いる立場なので、自然と大局的な物の見方をするようになったんだろうなと推察します。
一方、義貞は野武士のような感じで、「これから成り上がってやる」という気概を持ち、目の前の敵を撃破することにかけては他の追随を許さない男になったのでしょう。
ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
名前は知っている。テストにもたまに出た。
けれど、今ひとつ印象が薄かった新田義貞……。
後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成はクセが強めな印象があり、新田義貞は生真面目で周りに翻弄された気の毒な人って思っていました💦
しかし、四谷軒さんの一連の物語を拝読して、義貞! 戦術戦略に優れた熱い男というイメージに変わりました。
弟の義助とのやり取りするシーンが好きでした。義助のどことなく可愛い感じと義貞の自信満々な感じが、戦場でもちょっと微笑ましくて。
キレのある合戦の書きぶりも流石な、素敵な物語たちでした✨
ありがとうございましたヽ(^o^)
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
そうなんですよね、新田義貞って……。
何というか、サイヤ人たちの中で必死に戦う地球人のような……。
尊氏の下についていれば、もうちょっとまともな生涯が送れた気もしますが、それは義貞としては出来ない選択なんだろうし……。
でも、この鎌倉攻めの時の神懸かり的なムーブは捨てがたいと思ったので、今回、武蔵野賞という機会に書かせていただいた次第です。
鎌倉攻め、運が良かったというのもあると思いますが、やはり義貞の状況と戦機を見抜く目、そしてそこを衝いて突進する推進力はかなりのものだと思うのです。
それを、上州の赤城おろしのようなイメージで書いてみました。
で、そんな超攻撃型にしてしまったので、ツッコミ役として、弟の義助を配置しました。サザエに対するカツオみたいに。
「兄ちゃん勘弁してくれよ」という感じに^^;
そこを微笑ましく感じてくれるとは、ありがたい限りです。
合戦シーンはもう勢いです。
太平記とかに伝わっているので、その辺りから空想して書きました^^;
歴史で教わるけど、あまり詳細が知られていない合戦を改めて学び、私としても、そういう意味でも「素敵」な物語となりました。
こちらこそ、ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
こんにちは。これは、、、コメント残さずにはいられないクオリティです。
高い筆力から戦場の迫力がリアルに伝わってきます。しかし、このシリーズの真骨頂は構成とスピードではと感じてしまいました。圧巻の歴史絵巻でした。
作者からの返信
お星さま、二作ともありがとうございます。
そして、恐縮です。
いやまあ、4000字しかないので、それが作者の焦り(笑)となり、それが構成というかスピード感に繋がったのではと思います^^;
合戦シーンは、今まで観た映画とか大河とかを思い浮かべて、書き起こす感じでやってます。
そのあたりが、迫力というか、多少なりとも、「ああ、戦ってるなぁ」という感じに繋がったのではと思うのです^^;
ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
機を見るに敏。
例えば私のような者が軍を率いた場合、霧中で軍を動かすのは躊躇しそうです。同士討ち。予期せぬ事態が生じても兵を纏めにくい。霧の濃度と晴れる時間は、かなり運。つまり凡将には霧を使いこなせない。ここぞという勝負処を押さえ、自軍の損傷も覚悟できる英断。
新田義貞にはそんな将器が備わっていたのでは、と思わせる戦ぶりでした。
面白かったです!!
作者からの返信
レビューコメント、ありがとうございます!
新田義貞、今この時を、鎌倉という時代を、文字通り斬り伏せて、新時代の先駆けとなった男です。
いろいろと言われている義貞ですが、その旭日の如き輝きを、鮮やかに強調していただいた、名レビューだと思います。
さて、霧の中の奇襲戦。
おそらく、新田勢が小勢(幕府軍に比して)であり、これまでの連戦で苦楽を共にした「仲間」たちだからこそ、できる霧中戦だと思います。
おっしゃるとおり、同士討ちの危険もあり、霧が晴れれば終わるという危険もあります。
でも、小勢ならではの紐帯が同士討ちを防ぎ、苦楽を分かち合ったからこそ、スピード勝負に挑む「度胸」を共有できたかと思います。
……たぶん、義貞には、肌でそのあたりが感じられて、決戦に挑んだのだと思います。
前線指揮官としては、この時代では一級の人材でしょう。
そのあたりを描きたかったのです^^;
ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
完結お疲れさまでした!
いざ、鎌倉!
歴史をかじった者としては、この一言に今後の新田軍が受ける重さを感じます。
でも、今は高揚感たっぷりで勝利の美酒に酔いたい綴っぷりでした☆
面白かったです★★★
作者からの返信
ありがとうございます。
おかげさまで完結いたしました。
いざ鎌倉……たしかに、新田義貞の栄光と転落をこれほど象徴する言葉もないでしょう。
鎌倉に居座る足利尊氏を討たんとして、箱根竹の下で敗北し、そこからが……ですからね^^;
しかしそこは短編の都合のよさ(笑)で、アレなのはカットできるので、今この時は、義貞のカッコ良さを味わっていただければと思います。
ありがとうございました。
02 堀兼への応援コメント
引き際も見事な戦の感性。
狭山の堀兼は野菜直売所も多く、今も真っ平らな地が多くて、兵をまとめるには絶好の地でもあるなと眺めたりしております。
敗戦から気の緩みが出ているであろう北条軍に、どのような奥の手が弾けるか楽しみですな☆
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
義貞の野性の勘というか、これまでの合戦で学んだ成果が出てきていると思います、引き際。
狭山の堀兼ってそういう土地なのですね、知りませんでした。
何しろ、地図とにらめっこして書いていて、フィールドワークをまるでしていないので^^;
この北条軍総帥の北条泰家、南北朝時代も暗躍する曲者です。
しかしおそらく初陣なので、「明日、つづき(追撃)をするか」と慎重策を採ったしまったのでしょう。
でも、ここで義貞に時間を与えてしまったことが、運命の分かれ目となるとは……^^;
ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
3部作完結お疲れさまでした。
夜討ち朝駆け。
定石通りではありますが、自然現象を味方につけた義貞に軍配が上がりました。
この後は、勾当内侍とのプロパガンダもあったりしてパッとしないように見える義貞さん。この時が人生のハイライトだったのかもしれません。
作者からの返信
素敵なレビュー、ありがとうございます。
新田義貞の微妙な立ち位置、しかれども彼の快進撃が無ければ……というところに言及していただいた、名レビューかと思います。
3部作と言われると面映ゆいですね^^;
4,000字という縛りがあったので、連作短編で何とかしようという苦慮の賜物ですので(笑)
さて、実際に霧が出たかどうかは不明ですが(ネタ本の「埼玉の歴史ものがたり」では出たとされていました)、三浦と新田の払暁奇襲挟み撃ち作戦は史実のようです。
このあたりになると、足利としても、新田を支援して、他の有力御家人に鎌倉を陥される前に(結城とかその辺)、足利新田連合が鎌倉攻略の大功を立てたことにしたかったのでは、と今さらながら思います。
義貞さん、この鎌倉攻めが人生の華でしたね。
ここから、建武の乱末期になると、楠木正成に、足利が怒ってるなら義貞の首を出そうとか言われる始末ですし。
勾当内侍は……本当に「いた」として、そういう女性に溺れたとしても、それは仕方ないと思うんですけどね。個人としては。
建武以降、たしかにパッとせず、落魄という印象の義貞さん。
時代の寵児とは、得てしてこういうものかもしれません。
あとは高氏と正成が異常なんだよなぁ……^^;
ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
霧……川の気象条件を利用するとは、まさに頭脳作戦ですね。
川ではないですが、濃霧の恐ろしさを軽井沢で経験しました。
避暑地といいながら、じつは湿気の強い土地柄なので、危うく対向車と……。
武蔵野版4連作の完結、お疲れさまです。
貴作を拝読しているうちに、分倍河原の地名は車窓から見たことを思い出しました。その日はたまたま5月5日だったので、大國魂神社の「くらやみ祭」に参加した氏子衆が法被姿で歩いていたことも……。
作者からの返信
これネタ本の「埼玉の歴史ものがたり」に載っていたんです、霧。
当地ではあまり霧は発生しないので、ちょっとイメージしにくかったんですが、ネタ本のおかげで書けました^^;
霧で見えづらいと怖いですね、特に運転中は。
ヒヤリとされたことと思います。
おかげさまで完結いたしました。
といっても、賞の期間がまだありますので、また何か思いつきましたら、投稿するつもりです^^;
「くらやみ祭」、全然知りませんでした。
なかなか興味深いですね。
でも、何も知らないで見ると、ちょっと怖いかもしれませんね^^;
ありがとうございました。
03 画策への応援コメント
なるほど。
獅子身中の虫を狙った仕掛けだったんですね。
六千という数は外に置くには微妙でも中から動かれては厄介でしょう。
さて、いよいよ義貞が最後の賭けに。
作者からの返信
大多和さん、高師直の一族という時点で、もう「仕込み」だよなぁこの人と思わざるを得ません。
足利としては、鎌倉陥落・幕府撃滅という大功を立てたいという狙いはあったんでしょうが、ここは新田義貞にそれをやらせて、自身は鎌倉幕府の官僚機構をゲットする方を選んだのでは。
つまり、幕府の人たちの「怨み」は新田義貞に向かわせておいて、「救い」は、最後の執権・赤橋守時の義弟の足利高氏の方へ向かわせるために。
さて、そんな足利の政略・戦略的な思惑はさておいて、新田義貞、その成長した戦術能力=与えられた状況を活用する能力を駆使して、分倍河原の決戦へと挑みます。
ありがとうございました。
02 堀兼への応援コメント
分倍河原から狭山だと相当な距離。
逃げに逃げまくったんですね。
敗戦後に味方しようという奇特な三浦の一族ですが、高氏の息がかかっているというのが……。
背に腹は代えられないから手を組むんだろうな。
作者からの返信
小手指原より北に戻されてる新田義貞。
しかもこの逃走中に武蔵国分寺を焼いちゃってるし。
でも、分艦隊ではなく分隊を抽出して逆撃を与えるとか、戦術的に巧緻を極める逃走をしているところが凄い。
さて三浦の大多和さん、本当は千寿王の方に行くつもりだったのではという考えもあります。
でも鼻が利く男のようで、ここは新田に加勢した方が、鎌倉を潰せると踏んだのでしょう。
そもそも、三浦は宝治合戦で北条にこてんぱんにやられた恨みがあるので、より直接的に鎌倉をぶっ潰したいという欲求があったのではないかと思います。
ありがとうございました。
編集済
03 画策への応援コメント
大兵の(笑)大多和義勝を間諜に送りこむ。
さすがは足利高氏、大博打に打って出ましたね。
どういうものか大河というものに本能的な畏怖を抱いているわたしは、電車の窓から眺める多摩川や利根川の川幅と水量が怖く思われてなりませんが、当時の武将には川も合戦の好材料だったのでしょうね。
そういえば謙信と信玄が5回戦った場所も、犀川と千曲川の合流地点の川中島だったことが思い出されます。
作者からの返信
足利高氏、伸るか反るかの大勝負の時には、勝ってしまう男ですからね。
負けても盛り返すところが高氏の真の恐ろしさではありますが^^;
多摩川水害訴訟の原因となった水害の映像を見ると、恐怖を禁じ得ません。
現代に至っても、川は「龍」なんだなぁと思わされます。
さて、この新田義貞と幕府軍の武蔵野の戦いが川を舞台にしているのは、馬が大量の水を必要とするので、川を制した方が有利だったから、とも言われています。
拙作においては川=防衛線と述べていますが、これはその方が字数を稼げる(少なくできる)からで、馬の飲料水……とかちょっと書けなかったからです^^;
川中島については、むろん、武田と上杉の勢力が接する地点だったというのが大きいでしょうね。
ありがとうございました。
02 堀兼への応援コメント
自ら殿を務める新田義貞、武将の鑑ですね(あるいは逆かな?)。
巨漢……ですか。ぬうっと立ち塞がれたら圧迫感があるでしょうね。
府中から所沢まで後退とは、どのくらいの労力なのか気になります。
敗走者が頻出するなか、敢えて参戦した三浦勢の意図や如何に?
作者からの返信
これ実際は、義貞自身が別動隊を組織して、横合いから強かな一撃を与えたらしいのですが、ちょっとそれだと大将らしくないので(少なくとも「拙作の」義貞らしくないので)、殿をやらせました^^;
「巨漢」は、大多和という姓からの想像です。
割と安易で申し訳ありません^^;
この時の義貞は、今まで稼いだ距離が帳消しになるくらい北に戻されています。
ついでに武蔵国分寺も焼いちゃうくらい泡を食っています。
……でも、稲村ケ崎に黄金の太刀を献じて、干潮に乗じて攻め入るまで、この時の義貞は神がかっておりますので、ここからです。
三浦さん、何でここから参戦したかは、次回、明かされます。
ありがとうございました。
01 敗走への応援コメント
分倍河原を突破されると鎌倉まで要害がない。
幕府も後が無いということで最後の総力戦に出てきたということですね。
不利になったらすぐに引けるのも大事な能力。
さて、義貞はここからどう挽回するのか?
作者からの返信
実は、霞ノ関という、多摩川の南岸に関所があったんですが、新田義貞が、分倍河原を抜いた日にそこも抜いています。
おそらく幕府としては、霞ノ関を基地として、対岸の分倍河原へ前進した形かと思われます。
……いずれにしろ、このあたり一帯が、相模を守る最後の防壁だったのでしょう。
10万騎、予備役とか色々寄せ集めたんでしょうけど、北条得宗家としては北条泰家という切り札を切っています。
泰家、中先代の乱とかでも暗躍するヤベー奴ですので。
さて、義貞。
これまでの戦いの経験値でレベルアップしているので、さっさと逃げます。
その逃げ方も上手くなっていますが、ここから倒幕史上最大の決戦をどう制するのか……。
ありがとうございました。
01 敗走への応援コメント
新田義貞。このひと、とても興味深いんです。私の乏しい知見では、後醍醐天皇にいいように利用され、割りと呆気なく戦死してしまった人、というイメージで。顔が見えないのですね。
いち早く鎌倉に侵攻して北条得宗家の本隊を打ち破ったひとですから、戦術眼も人望もある英雄的人物だと思うのですが。高氏、後醍醐、楠木正成という英傑らと比べると、どうも影が薄い感じがしてしまい。
新田義貞という人物がどのような男だったのか。興味津々です!!とても楽しみですっ!
作者からの返信
楠木正成にも、足利尊氏が九州から京へ攻め上って来ると、「尊氏がヤバいから、義貞の首を差し出そう」とまで言われている、酷い扱いの人です。
何というか、戦術能力は一級品だったんですけど、いかんせん、足利の対抗馬にするには勢力が無く……でも後醍醐天皇からすると、他に人がいないという、やはり酷い扱いで、好き勝手されてしまう人ですね。
……このたび、角川武蔵野文学賞という機会を得て、その「顔が見えない」新田義貞について勉強しました。
で、私なりに、なるべく等身大に、上州の一御家人から鎌倉進撃を成し遂げた男を描いてみようとしてみた次第です。
楽しみにしていただいて恐縮です。
ご期待に沿えれば幸いです。
ありがとうございました。
編集済
01 敗走への応援コメント
今回はいきなり「敗走」からですか。(^.^)
物語の大逆転が期待されるプロットですね。
作家ゆかりの分倍河原は府中市に位置するんですね。どおりで記憶にある名称だと思いました(あのあたりには多少の縁がありますゆえ)。
ウィキペディアによると(笑)、幕府軍は壊滅的打撃を受けた……と。
次回が楽しみです。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
もうちょっとこう……開戦からやりたかったんですけど、いかんせん4,000字なんで、いきなり「敗走」です(笑)
しかし新田義貞も、この状況からよく勝ちを掴みに行けたなと思います。
ちなみに分倍河原、私は京王線沿線に馴染みがあったので、ちょっと懐かしい名前です。
行ったことは無いんですけどね^^;
さて、義貞。
どのようにしてここから逆転できたのか……乞うご期待と言わせていただければと思います^^;
ありがとうございました。
04 決戦への応援コメント
南北朝時代好きなので、前々から読みたい!と思っていたのですが、此の度ようやく読むことができました。
戦前は楠木・北畠の後塵を拝し、戦後は尊氏再評価の流れでいまいちパッとしない新田義貞(笑)
あの義貞がなんとも格好よく描かれている!!
人間臭さも相まって私は新田義貞わりと好きなので、読み応えがありました。
師直とか尊氏とか、チラっと出てきただけですけど、読者に爪痕を残す感じの描写でそこも面白かったです。
ただ、四谷軒さんの描写にあるように、やっぱり義貞の鎌倉攻めは、結局尊氏の手のひらで踊った感があるなーというのは感じますね。
作者からの返信
お星さまの数々、そしてたくさん読んでいただき、ありがとうございます。
南北朝を中心とするあの時代の殺伐さとわかりづらさが好きです。
その時代の中、新田義貞って、たしかにイマイチな印象ですよね(笑)
でも、彼がいなければ、あの鎌倉を陥落させることはできなかったでしょうし、その功績というか活躍は、描き甲斐があるのではないか、と思い立ち、書いてみた次第です。
特に鎌倉攻めの頃の義貞はアゲアゲなんで、書いていて楽しかったです^^;
師直と尊氏は、この時代を描くのならば、出したかったので、ホント頑張って、チョイ役でもインパクトを与えるっていう感じに書かせていただきました。
だから「爪痕を残す」という言葉、とても嬉しかったです。
義貞の鎌倉攻め、ホントは尊氏が、義詮を名代にして、足利家の手で成し遂げるはずの作戦だったのでは……と思ったのです。
だって、三浦(大多和)の裏切りって、師直のしわざですし。
そこをうまく「喰った」のが義貞で、でも鎌倉攻略後は、そりゃあ天下の足利家の仕切りで「御恩」がないと、御家人たちも納得いかないワケで、義貞はフェイドアウトしていったのかもしれません^^;
ありがとうございました。