なるほど。
獅子身中の虫を狙った仕掛けだったんですね。
六千という数は外に置くには微妙でも中から動かれては厄介でしょう。
さて、いよいよ義貞が最後の賭けに。
作者からの返信
大多和さん、高師直の一族という時点で、もう「仕込み」だよなぁこの人と思わざるを得ません。
足利としては、鎌倉陥落・幕府撃滅という大功を立てたいという狙いはあったんでしょうが、ここは新田義貞にそれをやらせて、自身は鎌倉幕府の官僚機構をゲットする方を選んだのでは。
つまり、幕府の人たちの「怨み」は新田義貞に向かわせておいて、「救い」は、最後の執権・赤橋守時の義弟の足利高氏の方へ向かわせるために。
さて、そんな足利の政略・戦略的な思惑はさておいて、新田義貞、その成長した戦術能力=与えられた状況を活用する能力を駆使して、分倍河原の決戦へと挑みます。
ありがとうございました。
編集済
大兵の(笑)大多和義勝を間諜に送りこむ。
さすがは足利高氏、大博打に打って出ましたね。
どういうものか大河というものに本能的な畏怖を抱いているわたしは、電車の窓から眺める多摩川や利根川の川幅と水量が怖く思われてなりませんが、当時の武将には川も合戦の好材料だったのでしょうね。
そういえば謙信と信玄が5回戦った場所も、犀川と千曲川の合流地点の川中島だったことが思い出されます。
作者からの返信
足利高氏、伸るか反るかの大勝負の時には、勝ってしまう男ですからね。
負けても盛り返すところが高氏の真の恐ろしさではありますが^^;
多摩川水害訴訟の原因となった水害の映像を見ると、恐怖を禁じ得ません。
現代に至っても、川は「龍」なんだなぁと思わされます。
さて、この新田義貞と幕府軍の武蔵野の戦いが川を舞台にしているのは、馬が大量の水を必要とするので、川を制した方が有利だったから、とも言われています。
拙作においては川=防衛線と述べていますが、これはその方が字数を稼げる(少なくできる)からで、馬の飲料水……とかちょっと書けなかったからです^^;
川中島については、むろん、武田と上杉の勢力が接する地点だったというのが大きいでしょうね。
ありがとうございました。
編集済
こんにちは、御作を読みました。
うわあ、大多和さん、高一族からの出向だったのか。こんなところにも仕込んでいたのか……(^◇^;)
今では「天下取りの動機」としては、疑問視されている、今川了俊が見た「家時の置文」ですが……。
義家云々は捏造だったかも知れませんが、おそらく「北条から天下を取り戻せ」という文自体は有ったんじゃあないかなあ、と私は思っています。
北条家との仲が拗れた尊氏の高祖父、足利泰氏の時代から、少しずつ少しずつ勢力を伸ばして、家を整理して、東北から九州に至るまで種を蒔いた。
その収穫期が、ついにやってきたのでしょう。
でも、果たして尊氏が望んでいたのかは、わからないんじゃないかなあ。
本作中でも書かれてますが、尊氏は新田義貞が鎌倉幕府を終わらせるのでも構わない、そう判断していたふしもありますし。
面白かったです。次回がクライマックスかな。楽しみです。
作者からの返信
大多和さん、「相模」の三浦一族に潜り込まされた時点で、高師直の差し金とお察し下さいとしか言いようが無いという……^^;
ホントは、本命の千寿王のために動くのが筋だったんでしょうね。
拙作では高氏の切り札みたいにしましたけど^^;
「置文」については、「文」というか家訓というか、悲願みたいなモノが伝わっているんじゃないかと思います。
でなきゃ、今川とか一色とか斯波とか、全国に触手を伸ばさないでしょうし^^;
でも尊氏がその「置文」についてどう思っていたかというと……彼に兄・高義がいたという時点で、距離を置いていたのかもしれません。
あるいは兄・高義が亡くなり尊氏が次期当主になって知らされて「ええ……」とか思っていたのかも。
そんなバックグランドがあったからこそ、尊氏は「やる気がない」、「足利家という存在を懐疑する」、複雑な足利家当主になったのでは、と思います。
ありがとうございました。