引き際も見事な戦の感性。
狭山の堀兼は野菜直売所も多く、今も真っ平らな地が多くて、兵をまとめるには絶好の地でもあるなと眺めたりしております。
敗戦から気の緩みが出ているであろう北条軍に、どのような奥の手が弾けるか楽しみですな☆
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
義貞の野性の勘というか、これまでの合戦で学んだ成果が出てきていると思います、引き際。
狭山の堀兼ってそういう土地なのですね、知りませんでした。
何しろ、地図とにらめっこして書いていて、フィールドワークをまるでしていないので^^;
この北条軍総帥の北条泰家、南北朝時代も暗躍する曲者です。
しかしおそらく初陣なので、「明日、つづき(追撃)をするか」と慎重策を採ったしまったのでしょう。
でも、ここで義貞に時間を与えてしまったことが、運命の分かれ目となるとは……^^;
ありがとうございました。
分倍河原から狭山だと相当な距離。
逃げに逃げまくったんですね。
敗戦後に味方しようという奇特な三浦の一族ですが、高氏の息がかかっているというのが……。
背に腹は代えられないから手を組むんだろうな。
作者からの返信
小手指原より北に戻されてる新田義貞。
しかもこの逃走中に武蔵国分寺を焼いちゃってるし。
でも、分艦隊ではなく分隊を抽出して逆撃を与えるとか、戦術的に巧緻を極める逃走をしているところが凄い。
さて三浦の大多和さん、本当は千寿王の方に行くつもりだったのではという考えもあります。
でも鼻が利く男のようで、ここは新田に加勢した方が、鎌倉を潰せると踏んだのでしょう。
そもそも、三浦は宝治合戦で北条にこてんぱんにやられた恨みがあるので、より直接的に鎌倉をぶっ潰したいという欲求があったのではないかと思います。
ありがとうございました。
自ら殿を務める新田義貞、武将の鑑ですね(あるいは逆かな?)。
巨漢……ですか。ぬうっと立ち塞がれたら圧迫感があるでしょうね。
府中から所沢まで後退とは、どのくらいの労力なのか気になります。
敗走者が頻出するなか、敢えて参戦した三浦勢の意図や如何に?
作者からの返信
これ実際は、義貞自身が別動隊を組織して、横合いから強かな一撃を与えたらしいのですが、ちょっとそれだと大将らしくないので(少なくとも「拙作の」義貞らしくないので)、殿をやらせました^^;
「巨漢」は、大多和という姓からの想像です。
割と安易で申し訳ありません^^;
この時の義貞は、今まで稼いだ距離が帳消しになるくらい北に戻されています。
ついでに武蔵国分寺も焼いちゃうくらい泡を食っています。
……でも、稲村ケ崎に黄金の太刀を献じて、干潮に乗じて攻め入るまで、この時の義貞は神がかっておりますので、ここからです。
三浦さん、何でここから参戦したかは、次回、明かされます。
ありがとうございました。
こんにちは、四谷軒様。御作を読みました。
へえ、大多和義勝。そんな人物がいたのですね……。
北条氏は勝ち続けてきた一族です。
比企梶原畠山三浦……、多くの家が彼らに敗れ、足利家に保護された。
北条は勝利し続けることで恨みを育て、宿敵を育て続けたと言い換えることも出来るでしょう。
北条義時と足利義兼は、奥州藤原を討伐したツーカーの戦友ですが、そんな黄金の記憶は血塗られた現実が塗りつぶした。
ならば、溜まりに溜まった因縁が清算されるのも道理。なんちゃって(°▽°)
空気の読めない人がねー、ただ強いだけの、とんでもなく強い人が足利と北条の因縁なんて知ったことかと、やっちゃうからねー。
どうやっちゃうのか、次回が楽しみです。面白かったです。
作者からの返信
大多和義勝さん、実は養子です。
三浦の一族である大多和、ここに養子に来た彼の実家……これが問題です。
やっぱりお前かよ、と言いたくなる出自です^^;
執権北条家は内訌、あるいは争覇の戦いを繰り広げて勝ってきました。
一方で足利家は源家の元締め(頼朝の系統は置いておいて)として、力を蓄えてきました。
ある意味、頼朝が生きている間はみんな幸せだったんでしょうね。
でも不世出のリーダーが亡くなり、その後継者も絶えたら、そりゃあもうバトルロワイアルなんだろうなぁ、と(笑)
北条家としては、足利家を先鋒にして承久の乱に勝ったというジンクスを大事にしていたらしいんですけどね……それが高氏出陣という、後世からすると「それやっちゃアカン」をやってしまい……^^;
まあ、おっしゃるとおり、「そんなの関係ねぇ!」っていう、上州の空っ風みたいなあんちゃんが、鎌倉までロケットで突き抜けてしまうという大番狂わせが起きちゃうんですけどね(笑)
ありがとうございました。