最終話 かつて好きだったキミへ
彼女と付き合い始めて、一週間が経過した。
もうすぐ大学の夏季休業期間が終了し、また忙しない日々が始まる。
と言っても、ゲーム、バイト、研究室で満たされた日々の暮らしに授業が追加されるだけだが。
スーパーに訪れた俺は、今日の晩御飯の食材を求めて歩き回っている。
豚肉、キムチ、後は納豆があれば一品になるか。キュウリの酢の物を作るか。あいつが嫌いなものはないだろうか。
この日、俺は二人分の晩御飯を用意することとなった。
いつものように通話を繋いでゲームをしていたら、飯の話題になった。
『残業が長い日は、料理をする気力が無いんだよね』
「社畜は大変だな」
『良介くんもあと一年ちょっとでこうだよ』
「現実を突きつけるのはやめてくれ」
彼女との関係は、あれからさほど変化はない。一週間であってたまるかという感じではあるのだけど、強いて言うなら呼び方が変わった。
俺が優菜と呼び、彼女は良介くんと呼んでくれるようになった。
名前で呼びあえるのは嬉しかったけど、既に橋川に下の名前で樹くんと呼んでいるのがムカついたので、もし今後あいつを呼ぶことがあったら、橋川さんと呼んでくれと言っておいた。
優菜は爆笑して頷いた。
本当に情けないからお願いするのを
すまんな、橋川。お前がどう想っているか知らんが、もう俺の彼女だ。好きにさせてもらう。
閑話休題。
『明日も残業になりそうだから、スーパーのお惣菜コーナーでお弁当を買うかなぁ』
ここ数日長時間残業が続いていた優菜に、提案したのだ。
「なら、明日の晩御飯は俺が作ろうか」
毎日弁当を食べるのは、身体に良くないだろう。
自分の分を作るついでに彼女の分も作ってやればいい。
優菜はお金はわたしが持つからぜひと言ってくれた。
折半でいいよと返して合意し、今に至るわけだ。
メニューは決まって食材も入れた。
食後のデザートにアイスが欲しいな。
アイスは隣のドラッグストアで買った方が安いので、会計を済ませて隣に移る。
アイスってどこに置いていたっけ。店内を徘徊していると、ふととある商品の棚が目に留まった。
長方形の箱がいくつも陳列されている棚。
まあ、あれだ。コンドームだ。
俺は唾を飲んだ。
家には今、避妊グッズは置いていない。彼女はしばらくいなかったし、以前持っていた残りも別れたと同時に捨ててしまった。
──流石にまだ早いとは思うけど。
前の彼女の時は、付き合って三週間でシた。かなり早かった。
お互いにしてみたかったというのもあるけど、ゆっくり時間をかけて距離を縮めようという気はなかった。性欲が勝った。そりゃフラれるわ。
陳列されている物の中で、無難そうな商品を一つ手に取った。
優菜のことは大切にしたい。まだまだそういったことに踏み込む気はない。キスすらしていないしな。ゆっくり関係を深めていけたらいいなと思っている。
だけど、備えあれば
手に取った商品をかごの中に放り込んだ。
家に帰ると七時を回っていた。早速料理に取り掛かる。
作るメニューは豚キムチ。豚肉を炒めて、キムチを放り込んで味を調えたらもう完成。簡単すぎる。
食べ物の好き嫌いについて、優菜にラインで問い合わせたが彼女は何でも食べられるらしく、アレルギーも花粉しか持ち合わせてないらしい。何も問題はない。
ご飯を炊いて、酢の物を作り、付け合わせにトマトを切って、納豆を準備して完成。
手抜きも良いところだが、クオリティには期待するなとは言ってある。
費用もそれなりに抑えたので、大丈夫だろう。
午後八時を過ぎたところで、インターホンが鳴った。
玄関まで行って、扉を開ける。
「お疲れ様」
「ありがとう、ただいま」
「もう飯できてるけど、どうする?」
「本当? 助かる、お腹減ったからすぐ食べたい」
リビングまでやってきた彼女は並べられた料理を見て感心していた。
「思ってたよりもずっとちゃんとしてる!」
「割と手抜きだぞ? 逆にどんなものを想像してたんだよ」
「もっとこう……どんぶりいっぱいに何かを詰め込んでるかと思ったよ」
「その選択肢はあった。てか、一人ならそうしてたわ」
一人分を作るなら豚キムチをご飯の上にのせて終了していた。
自分だけなら皆そうなる。おそらく。
手を洗って、早速食べることにした。
向かい合って手を合わせる。いただきます。味は好評のようだった。まあ、ほぼ市販の味だからな。
「今度休みの日はわたしが作るよ。二人分一気に作った方が食費浮くし」
「本当か? 助かるし、嬉しい。優菜の手料理、食べてみたかったんだ」
「そんなに期待されても困るよ。簡単なものしかできないから」
「彼女の手料理ってのが嬉しいんだよ」
食事を終えると、眠たくなったのか彼女はあくびを漏らした。
「洗い物はこっちでしておくから。家に帰って休みなよ。明日も仕事だろ?」
「いいよ、どうせ帰ったらパピロンするし。ランクSに向けて頑張らないと」
「なかなか遠そうだけどな」
「そんなことないよ」
彼女の腕前を見ると、まだ難しそうだが重ねて否定はしなかった。頑張ってほしい。
食器を水につけると、「そういえば」と思い出した。
「アイス買ったんだけど──あっ」
テーブルの脇に、灰色のレジ袋があった。
「冷凍庫に入れ忘れた」
「あらら」
優菜がレジ袋を拾って、中のアイスを手渡してくれた。カップのバニラアイス六個入り。
「カップのやつを買ってて良かったよ」
「棒のタイプだと、悲惨だったね」
冷凍庫の中に入れておいた。
「食後に食べようと思ったのにな」
「まだ何か入ってるよ?」
優菜に言われて、アイス以外に何か買ったっけと思い返す。
ハッとして、すぐに彼女に制止を促した。
「ストップ!」
時すでに遅し。彼女の手にはしっかりと例の箱が握られていた。
レジでの店員さんとのやり取りで、梱包しましょうかと訊ねられた。
外から見えないタイプのレジ袋だったから、別にいいかと断った。
なんで包んでもらわなかったんだろうな、今になって酷く悔やんだ。
「はい、どうぞ」
優菜は素知らぬ顔で、それをこちらに手渡してくる。
いきなりゴムを買ったなんてバレたら軽蔑されると思ったが、何も反応なし。
逆に怖い。
「あのー、優菜さん?」
「どうしたの?」
きょとんとしている。もしかしてゴムのケースってわかってないのだろうか。
俺の視線に釣られたのか、パッケージを眺める彼女。
気づいたのか、頬を赤らめた。
「これって、そういう……」
じっとりとした、責めるような目付きでこちらを見つめる優菜。
「こういうことって、もっと段階を踏んでするべきだと思うよ? わたしたち付き合ってまだ一週間だよ?」
「おっしゃる通り……」
頭を下げるしかなかった。だが。
「言い訳をさせて欲しい」
「どうぞ」
「備えあれば憂いなしって言うだろ? 一応持っておいたほうがいいかと思って、ドラッグストアに寄ったついでに買ったんだ。今そういうことをする気はマジで一切ない」
冷や汗がだらだらと出てくる。
焦っている俺をじーっと見つめてくる優菜は、しばらくして表情を
「それはわかるよ。さっきわたしのことを帰らせようとしてたし。嘘ではないのはわかるけど」
「けど?」
「良介くんはこういうことしたことあるの?」
随分とピュアな質問だな。
「まあ」
「か、軽くない?」
「嘘を吐いても仕方がないだろ」
実際したからな。彼女と交際する上で不必要な嘘は吐きたくない。
聞かれたら、正直に答えるしかないと思う。
気まずくて頬を掻く。目の前の彼女は、顔をさらに朱に染めていた。
「良介くん、思ってたけどあれだよね、女の子に慣れたよね。昔はもうちょっとどぎまぎしてたのに、今では落ち着いたなぁと思ったらそういうことなんだね」
「人のことを言えないだろそれは。てか、こっちのセリフだわ」
まさか、彼女からそんなことを言われるとは思わなかった。ちょっとムッとしてしまう。
「優菜だって、橋川と付き合ってそういう機会はあっただろ」
言いたくないし認めたくないが、一年以上の間彼女たちは交際していたわけで。
できる限り考えないようにしていたけど、想像するとムカつくし絶望する。俺が処女厨である現実は揺るぎなかった。
「……ないよ」
「えっ」
「だからないよ。そういうことは彼が大学生になってからって決めてたから。それまでに別れちゃったもん。キスはしたけど、本当にそういうことは全然」
「そ、そうだったのか」
頭が追い付かない。マジか。
「それは……すまん」
「だから、そういうことはちゃんと順を追ってね? キミは慣れてるのかもしれないけど」
「もちろん、そのつもりだ。てか慣れてない」
「本当に?」
「本当に」
なんなんだろうな、心臓がドキドキと高鳴っている。
とにかくわかるのは、照れを隠すように握ったこぶしに息を吐く彼女が可愛いのと、俺がすこぶる気持ち悪いことだけだ。
《了》
失恋拗らせ男とかつて好きだったキミ。~大学生と社会人になった二人で始めるリ・ボーイ・ミーツ・ガール~ AM @AAA_Againz
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます